アイスシュタット 玄武編 7
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ハルアキ視点
あれから数日後、俺はイクティヤールの元から離れ、アイスシュタットの街の一つ、サラブに訪れていた。
傍らにはリェールがいる。
俺の目的はリェールの居場所を探すことだったが、リェールは気乗りしない様子だった。
どこか住める場所があったほうがいいだろうと、再三に渡って言い聞かせたが首を振るばかり。
今は、無表情なのに、何となくぶすっとした雰囲気が出ているような気がしないでもない。
リェールは俺の服の袖を掴んで一生懸命付いてくる。
機嫌が悪いときは、手ではなく袖を掴むらしい。
イクティヤールの頼みで二人でこの街に買い物に来る時も、あらかじめリェールの住処を見つけようと言うと、何となくぶすっとして俺の手ではなく袖を掴んで付いてくる。
ちなみに、今回もイクティヤールの頼みで買い物をしに来たというのもあるのだが、俺の関心事はリェールの家探しに向かっていた。
しかし、家探しは中々に難しかった。
部屋代は高いし、暖炉がない安い家では夜に凍え死ぬと言う……。
「本当に両親はいないのか?」
俺はそう聞いてみるが、リェールはこくりと頷いて、顔を背けた。
「さて、困ったな……」
俺は頬を掻き、ふっとため息を吐いた。
そんな中、地響きのような音が聞こえる。
「玄武だ! 玄武が来たぞ!」
誰かが叫んだ……。
俺は目を凝らし、それを視認する。
街に、巨体が向かってくる。
黒い巨大な亀……。
その身体には緑の蛇が巻きつき、醜悪な舌を出したり引っ込めたりしている。
亀の目は虚ろで、どこか遠くをみているようだ。
対して緑の蛇は油断無く辺りを睨んでいる。
雪を踏みしめる巨大な足には、丸いが巨大な爪が生え、甲羅は黒い光を放っている。
間違いなく玄武だ……。
俺はリェールの手を解き、札を取り出した。
ハイリンヒの手によって蘇った妖刀だ。
銀色に輝く刀身を玄武に向け、そっと息を吐いた。
玄武は街々を破壊し、こちらに向かってくる。
「リェール、逃げろ」
俺はリェールに出来る限り強い口調で言った。
だが、リェールが首を振ったのが、気配で分かった。
「私は、ハルアキと一緒がいい。
ハルアキと一緒にいたい」
リェールの言葉に、心の何処かがとくりと反応した。
狂おしい感情……。
しばらく俺はその気持ちの招待を探ろうとして立ち止まった。
「悪いが俺はお前とずっと一緒にいてやる事は出来ない」
俺はリェールの顔を見ることなく、そう切り捨てるように言った。
リェールは、そっと俺の背中に寄り添った。
「そんなの、嫌……」
俺は、リェールの体温を感じながら。
それでもなお、是としなかった。
「俺は、足手まといはいらない。
お前が戦いの邪魔になるなら、すぐにお前を見限る。
俺はそういう人間だ」
「嘘、ハルアキは嘘を言ってる……」
リェールはぎゅっと俺の服を掴んだ。
「さあ、どうかな……。
とにかく、俺はお前と早く別れたいと思っている。
お前の居場所が見つかったら、俺はお前を置いていく。
もうお前の手は掴まない」
「だって、帰るところなんて無い」
リェールはぼそりと呟いた。
俺はしばらく沈黙する。
「見つかるさ。
そう願うなら。
俺は、居場所を見つけた」
そうだ、俺は居場所を見つけた……。
「そこってどこ?」
「その内言うさ」
俺はリェールを引き離すと、その手をもう一度握ってやった。
ひんやりとした手だ。
そして、小さい手の柔らかい感触……。
「この戦いが終わったら、教えてやる
離れろ」
「うん」
リェールは頷き、俺の手を強く握った。
直後、俺達は手を放し、リェールは逃げ、俺は踏みとどまった。
地響きが連続し、やがて玄部は俺の前に屹立する。
「随分でかい図体だな?
知ってるか?
大男総身に知恵は回りかね。
お前は人間じゃないが、いかにも頭の悪そうな顔をしてるぜ?」
俺は、挑発の言葉を浴びせた。
すると、亀の方は鈍いのか何も反応を示さず、蛇の方は目を細め、俺を睨みつけた。
瞬間、蛇は首を大きくもたげ、口を開いた。
すかさず俺は反応する。
刀に炎を宿し、横なぎに薙いだ。
煌々と照らす炎と、見るだけで凍えそうな冷気の塊とがぶつかり合い、瞬間、焼け石に水をかけたような音と共にお互いに霧散する。
イクティヤールに習った基本中の基本、エンチャントセイバー。
ぞれぞれの属性の力を剣に宿し、斬撃と共に打ち出す技。
魔法にかけられた剣。
俺の術は厳密にはそれとは違うが、今はそんな事はどうでもいい。
俺は、街の大広間を迂回しながら、何度も剣を降りぬいた。
しかし、玄武にダメージを与えているようには見えない……。
「ふん、この木偶の坊が」
俺は蔑みの言葉で玄武を挑発する。
蛇の動きがいっそう苛烈になる。
蛇の冷気の吐息が外れるたび、床が凍りついていく。
このままでは、埒が明かない。
俺は、一気に飛び上がった。
その瞬間、蛇の放つ冷気が俺を何度と無く襲う。
エンチャントセイバーを駆使してそれを相殺する。
更に呪術の力を発動させ、身体に加速を与える。
瞬間、玄武の亀の頭に到達。
一気に刀を振り下ろす。
気合、そして通力が込められた一撃は玄武の頭を一気に切り裂いた。
俺は、飛び下がり玄部の様子を観察する。
直後、天を裂くような咆哮が聞こえる。
玄武が頭を何度も振り、苦痛に呻く。
直後、玄武の目は俺に向けられ、憎悪のように禍々しい通力を発しながら俺に肉迫してきた。
「本番、と言った所か……」
俺は刀を構え、身を低く保ちながら、玄武に突進した。
近づいてくれるのなら好都合、懐に潜り込み身体を切り裂こう。
俺は、一層強く乱発される冷気を掻い潜りながら玄武の足元に潜り込み剣を振り上げた。
否、振り上げようとした。
瞬間、玄武の身体全体から莫大な冷気が放出される。
俺は咄嗟に障壁を張る。
だが、土台そんなもので防げるものではない。
凍てつく空気が障壁を引き裂き、俺を襲ってきた。
俺の身体は拘束され、玄武は足を振り下ろそうと、緩慢な動作で足を持ち上げた。
「ハルアキ!」
少女の声が聞こえた。
「リェール?」
俺は混濁する意識の中でその名前を呟く。
来るな。
来ないでくれ。
お願いだから、俺にあの苦しみを二度と味わわせないでくれ。
リェールは俺の前に立ちはだかった。
瞬間、青い防壁が俺達を包んだ。
他の術者がいるのかと思ったが、どう考えてもリェールの仕業としか思えない。
「リェール! 止めろ!」
俺は叫んだ。
リェールの放つ光が一層大きくなる。
玄武の足が押し戻された。
そして、ひっくり返り、仰向けになると、じたばたと身体を揺らした。
――ハルアキ!
轟くような声が聞こえる。
俺は視線を巡らせた。
空中にリュウがいて、俺を見下ろしている。
俺はすぐさま飛び上がった。
リュウは俺が乗りやすいように少し身体を下げ、乗り込ませた。
「行くぞ、通力を送る!」
俺はそう叫び、リュウに力を送り込んだ。
リュウ自身も通力を集中させ、莫大な炎の呪術を作り上げる。
瞬間、灼熱の烈風が降り注ぐ。
だが、玄武は蛇の頭をもたげさせると、これまでの比ではない強さの冷気を発する。
こちらの方がやや劣勢……。
どうする?
そう考えながら、俺は通力を送り続けた。
そんな中、玄武の横合いから通り過ぎる影があった。
鈴が響くような音と共に、剣が振り下ろされたのに気付く。
マハードだ。
玄武の蛇の首を切り落としたのだ。
冷気の放出が終わる。
俺とリュウの炎が玄武に届いた。
焼け付くような熱風と共に玄武が悲鳴をあげるように呻いた。
だが、そこで通力が切れる。
リュウの身体が元に戻った。
俺達は地面に着地し、玄武が何とか身体を起こしかけているのを見て歯噛みした。
蛇が放つ冷気は封じたが、玄武はその巨体に比例する防御力と、広範囲に渡る冷気の放射が出来る。
他にも隠し玉もあるかもしれない……。
このままでは、劣勢だ。
だが、直後後ろから声が聞こえる。
『魔を封ずる五つの柱、縛り、圧砕し、拘束し、律し、圧殺せよ、五芒柱封!』
詠唱だ……。
それが終わった瞬間、五色の柱が玄武を押さえつけた。
「ハルアキさん、その刀で!」
「ああ」
俺は走り出す。
そして、玄武の上空に飛び上がると剣を振り下ろした。
一気に首を切り落とし、玄武は沈黙する。
瞬間、玄武は霧散する。
俺は、すぐに振り返り、リェールのいた場所を見た。
リェールは静かに横たわっていた。
生きていてくれ。
お願いだ。
懇願しながら、俺は歩き出す。
そっとリェールの元にひざまずき、そっと手を握る。
冷たかった。
いや、リェールの手はいつもひんやりしていたが、それとは違う感触で冷たかった。
ああ、また失ったのか……。
ぽたぽたと水滴が落ちる……。
「リェール……。
済まない……。
お前を死なせてしまった」
俺は涙をそのままに、リェールに笑いかけるとその手を両手で包んだ。
「俺の居場所はな、この世界全部なんだ。
俺を必要としてくれて、俺を奮い立たせてくれる、この世界全部なんだ。
お前に居場所をやれなくて、悪かった……」
俺は、目を閉じた。
心が、戻っている……。
すこしだけ、戻っている。
「いいえ、貴方は私に居場所をくれました」
その時、優しい声と共に、誰かが俺の背中に寄り添った。
声は全く違う、雰囲気も全く違うのに、俺には分かった。
「リェールか?」
「はい、そうです。
本当は、ガブリエルという名前ですが」
優しい声は俺を包み、暖めていく。
「ハルアキさん、私の一部に居場所を与えてくれてありがとう」
「何を言って、俺はあいつに居場所なんか……」
「貴方の隣が、私の、そしてあの子の居場所でした。
ありがとうございます」
「そうか、そう思ってくれていたのか……」
「ええ」と、ガブリエルは頷いた。
「私は、玄武に封印される前、力の一部をリェールという少女に変えてこの世に残しました。
誰も自分を助けてくれる人などいない、本当に大変な役目を与えてしまいました。
そんな中、貴方と出会い、貴方と触れ合い、リェールは本当に嬉しかったのですよ?」
その言葉が終わると、リェールは光の粒となって消えた。
温もりが遠ざかり、俺は振り向いた。
そこには、青い翼の天使がいた。
美しく、神々しい、白い衣服に身を包んだ天使……。
どことなく、リェールに似ている。
天使は微笑を浮かべ、俺達を優しげに見た。
「どうか皆さん、残りの四神を倒して、この世界を解放してください。
それが私の願いです。
来るべき時が来れば、私も力を貸しましょう」
ガブリエルはそっと俺の元に寄った。
「ありがとう、ハルアキ」
そっと、頬に唇が当てられる。
ガブリエルはそのまま下がる。
俺はその目を真っ直ぐ見て、言う。
「お前の事も忘れない。
リェール、絶対にだ」
「ありがとう、私もきっと忘れない」
そう言って、ガブリエルは光と共にどこかへ消えた……。
天の光が降ってきた。
神々しい光の前に、暖かさを感じた。
厚く空を覆っていた雲は隙間を作り、俺達に日の光を見せてくれる。
ありがとう、俺の気持ちが嘘じゃない事を教えてくれて……。




