アイスシュタット 玄武編 6
ハルアキ視点
生島によく似た女が目の前にいる。
俺を育ててくれた存在……。
俺を心配してくれた存在……。
「いや、人違いだ、すまない」
女はまだ固まっていた。
「ミカゲじゃ、ないんですね……」
不意に漏れる言葉、自分自身に向けた言葉だっただろうと思う。
だから、答えるのは無粋だとも思った。
だが、俺は答えた。
俺も気が動転していたのかもしれない。
この女に、余計に辛い思いをさせるのが分かっていたのに、答えたのだ。
「ああ、俺は、アンタの想ってる人じゃない」
「そのようですね」
女性は、悲痛に笑った。
次に、ぽたぽたと水滴が地面に落ちる。
瞬間、強烈な痛みが体中を引き裂いたような感覚が襲う。
それは、気のせいに過ぎなかったが、呼吸がしづらくなった。
肺が張り裂けそうだった。
こんな感情を抱くとは……。
どうやら、人をもっと愛せた時の記憶が俺を縛っているらしい。
愛する事は出来なくても、愛せた時代の事は思い出せる。
だからこそ、愛を失った痛みは無限に膨張していく。
自分という小さな宇宙は、いつの間にか張り裂けそうになっていた。
しかし、やっと俺は心の一部を取り返し、その膨張を僅かに遅らせた。
だが、この女に会うことで、俺はまたその膨張が加速していくのに気付いた。
「あいつらを救ってくれた事には感謝する。
ここを抜け出すまで、あいつらを守ってくれると助かるが」
「え、ええ、大丈夫です。
そのつもりですから」
「そうか、恩に着る」
女がつっかえながらも承諾に言葉を口にするので、俺は頷き踵を返した。
「待てよ! ハルアキ!」
そんな中、リュウの声が聞こえた。
「一緒に行こうぜ。
玄武を倒すんだろ?
それなら、俺達がいたほうが……」
「お前らは足手まといだ。
ちょろちょろされて死なれるのは俺でも寝覚めが悪い」
リュウの言葉にかぶせて、機先を制す。
リュウは、悔しそうに口ごもった。
だが、直後俺を睨みつける。
「分かったよ、それなら、俺の力を見せてやる!
ハイリンヒ、炎の魔法をくれ」
「でも……」
「頼むよ! 俺は、ハルアキに勝ちたいんだ」
ハイリンヒに必死でまくし立てるリュウを、俺は感情の欠如した覚めた目で見ていた。
ハイリンヒは何度目かの言葉にやっと頷き、杖を構えた。
詠唱と共に、莫大な熱が作り出される。
一帯の雪が溶け始めた。
瞬間、炎が舞い踊った。
リュウが炎を飲み込み、身体を膨れ上がらせる。
咆哮が轟いた。
――ハルアキ、お前に私の力を見せてやろう
低く、遠く響くような声。
「いいだろう、お前がいかに役立たずなのか、教えてやる」
俺は刀を地面に突き刺した。
「おい、アンタらは離れていろ」
俺はリュウ以外のその場にいた全員にそう言うと、リュウを睨みつけた。
――その刀を使わずとも、私を倒せると?
驕りがすぎるぞ、ハルアキ。
「お前には鈍刀で十分だ」
そう言って、俺は札を懐から取り出した。
呪印が書かれた、長方形の札だ。
――口寄せ、か……。
「ふん、やはりその姿になると知能が上がるらしいな?
その通りだ。
これは、口寄せの札」
俺は、その札に通力を送り込んだ。
瞬間、札が刀に変わる。
――魔術的な力も、呪術的な力も感じない……。
「そう、ただの刀だ」
リュウは僅かに身体を揺らした。
どうやら、相当頭に来たらしい。
「短気なのは直っていないな?」
俺はリュウを嘲笑った。
瞬間、リュウはこちらに急降下した。
俺は左右を見る。
三人とも一塊になって離れた場所でこちらを見つめている。
安心した俺は、リュウに目を向ける。
思ったより、速い……。
俺は横に飛び、地面に転がると丁度リュウの翼が通り過ぎる辺りで刀を縦に振りぬいた。
だが、刀は通らず、鍔迫り合いのような形になった。
当然、力ではリュウに軍配が上がる。
俺はそのまま吹き飛ばされ、宙を舞った。
だが、空中で体勢を立て直し、真後ろにあった木に足を付くと、一気に蹴った。
この場を通り過ぎようとするリュウの身体。
その尻尾の部分……。
このスピードで届いたのはそこまでだった。
瞬間、静かな、刀を研ぐような音が聞こえる。
リュウの尻尾の先が切り落とされた。
リュウはうめき声を上げるものの、そのまま飛翔し俺を睨みつけた。
俺は切り落とした尻尾を鼻を鳴らしながら見た後、リュウを今一度見る。
「リュウ、行くぞ」
そう言って、俺は地面を蹴った。
彼我の差は、どれほどだっただろうか?
しかし、俺の跳躍は遥か上空にいるリュウに届いた。
もちろん、呪術で推力を得ての跳躍だ。
リュウは、反応出来ずに俺の一太刀を浴びた。
腹の、鱗に覆われていない場所だ。
リュウが呻いた。
続けざまに、二回目……。
鮮血が舞い、刀は血に濡れていく。
俺は地面に着地し、リュウの様子を観察した。
肩を鳴らし、それでも上空に陣取っている。
何か、覚悟をしたような、雰囲気……。
リュウは、カッと目を見開くと、大きく息を吸い込んだ。
「炎の吐息か……」
俺は呟き、刀を正眼に構える。
そして、通力を刀に送り込んだ。
青く、冷たい力が剣の先に灯る。
赤と青の光は薄暗い空を、森を照らし、直後、ぶつかり合った。
俺が振り下ろした剣は、莫大な冷気を持ってリュウに襲い掛かる。
対して、リュウが放つ炎は俺を燃やし尽くそうと俺に肉薄する。
バキッ! という音がした。
何かが凍る音……。
俺は目を瞑り、刀を札に戻した。
リュウの巨体が、地面に落ちていく。
瞬間、地響きと共にリュウは地面に伏し、身体を震わせた。
「お前の力は、玄武との戦いでは役に立たない。
俺の放った冷気は、玄武の放つ冷気の一割にも満たない。
そんなお前を連れて行く訳には行かない」
そういい残して、俺は歩き出した。
リュウ視点
寒い……。
凍える……。
かじかむ……。
でも、心の中はそんなに寒くなかった……。
ハルアキは、俺達のために、一人になったんだ。
ハルアキはこう言った。
俺の放った冷気は、玄武の放つ冷気の一割にも満たない。
そんなお前を連れて行く訳には行かない。
つまり、俺の力が届いていれば、ハルアキは俺を連れて行ってくれていたということじゃないのか?
つまりそれは、裏返せば俺を守ろうとしてくれてたって事じゃないのか?
どんどん、考える力は落ちていくけど、でも、俺みたいな馬鹿でも、戦ってるうちにハルアキの心に触れる事が出来た。
でも、悔しかった。
凍えるような寒さの中で、俺は呟いた。
「もっと、強けりゃな……」
そんな俺を、そっと舐める狼がいた。
その時、何故か寒さが無くなっていく。
「う、ん?」
俺は立ち上がって、俺を舐めたロロウを見た。
「あの、ハルアキという奴、中々の腕だったが、お前も素直に賞賛できる力だ。
鍛錬しだいでは、あの男の要求する力を手に入れるかもしれん」
「ロロウ? 貴方が、そんな事を言うのは珍しいですね」
「ふん、同じく手に負えないマスターがいる召喚獣として、少し励ましたくなっただけだ」
「そうですか……」
ミカドはくすりと笑い、その後、少し寂しそうな顔になった。
「ハルアキ、と言いましたね、あの人」
「俺は、ミカゲに会ったことはない。
そこまで似ていたのか?」
「ええ……」
遠くを見るような目で、ミカドは呟いた。
「性格以外は、ほとんど瓜二つでした。
まだ、あの人の性格はうかがい知れませんが、ミカゲはあんな喋り方はしませんでしたから」
「……そうか」
ロロウは静かに言って、次に俺達に顔を向けた。
「お前達はどうする?
森を出るか?
玄武を倒しに行くのだというなら、俺はあのハルアキと言う術者の意見に賛成だ」
「ロロウ、そんな事を言っては……」
「だが、事実だ。
俺とミカド、そして、あの男がいれば、玄武は倒せるだろう。
これ以上メンバーを増やして死者を増やすわけには行くまい」
ミカドは押し黙った。
しかし、気を取り直したようで、俺を優しげな目で見た。
「まだ、寒期には時間があります。
その間に、貴方の力を出来る限り磨き上げましょう。
ハルアキさんに認められるくらい、強くなるんです」
「え、でも、出来るのか?
ハルアキは、俺の力が玄武に全然及ばないって言ってた。
つまり、俺の力をものすごい上げないと駄目って事だろ?」
「……そこまでは難しいでしょうが、玄武の属性強化に対応する事が出来るようになるくらいは出来ますよ」
ゾクセイキョウカ? 俺がはてなと首を傾げているとミカドはすぐに教えてくれる。
「ええと、属性強化というのは全ての妖魔が持っている力なんですが、例えば、寒い地域を更に寒く、暑い地域を更に熱く。逆に、寒い地域を少し暖かくする。暑い地域を少し冷やす。
つまり、天気なんかの状態を変える力の事です」
「そうなのか? え? じゃあ、俺もそういう力を持ってるの?」
「ええ、小さな力ですが、確かにあります。
貴方の場合は、先に説明した暑さを高める力ですね」
「なるほど」
俺はこくこく頷いた。
「でも、それがどうしたんだ?」
俺は、話の重要な所を聞いてみる。
「属性強化があまりに強い妖魔がいる場所だと、それと正反対の力を持つ妖魔は力が大きく下がるんです。
……恐らくなんですが、ハルアキさんは貴方のその性質を知った上で、貴方を遠ざけたのでしょうね」
「えっと、どういうことだ?」
またも、俺ははてなと首を曲げる。
「貴方の力が落ちるから、貴方が倒される危険が高まる。
そう思ったのでしょう」
「なるほど、そっか……。
ハルアキは、それで……」
俺は、自然と元気になった。
何だか、ちょっといい気分だ。
「ふん、あまり期待はするな。
マスターの勘はそこまでよくはない」
「ロロウ、私はこういう事には鋭いんですよ?」
「どの口が言うか?」
ロロウは、鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「リュウの指導はロロウに任せましょう。
同じ常時召喚型同士、仲良くするんですよ?」
「…………分かった」
長く黙った後、ロロウは頷いて俺に向き直った。
「俺も名教師じゃないからな、どこまで教えきれるかは分からないが。
ちゃんと付いて来い」
「分かった!」
俺はやる気満々で頷いた。
「時々は、私も教えます。
頑張りましょう。
さて、お二方ですが……」
ミカドはハイリンヒとマハードを見た。
二人とも、何だかぼーっとしていたけど、すぐに立ち直った。
「私には鍛錬が必要だ。
ここら辺一体の妖魔と戦いたいと思う」
マハードは何かを決意したようにそう言った。
ハイリンヒは、目を輝かせながら、リュックをかき回して何かを引っ張り出すと、ミカドに目を輝かせながら迫った。
「僕は、ミカドさんに、僕が作った呪術者用の道具、呪具をいくつか試してもらいたいんです。
いいですか? ミカドさん」
「それは光栄ですね、むしろこちらからお願いしたいくらいです」
ハイリンヒが言ったのに対して、ミカドはニコッと笑った。
「じゃあ、マハードはここでお別れだな」
「リュウ、貴殿がハルアキ殿に認められるのを願っているぞ」
「ありがとな!」
俺は、ぐっと力こぶを作って、翼を動かした。




