アイスシュタット 玄武編 4
ハルアキ視点
イクティヤールの修行……。
それは剣術の基本、歩方や構えを練習するというものだった。
イクティヤールは基本的に無口で、時々一言二言助言をくれるだけだったが、全てが的確な指示だった。
一週間ほどしたころ、イクティヤールは俺の練習を中断させ、俺の正面に立った。
雪に包まれたふもと……。
この場にいるのは、俺、リェール、イクティヤールの三人だ。
リェールは、俺達の修行を小屋の前に置かれた丸太に座って眺めていた。
「ハルアキ、そろそろ実戦演習を始めよう」
「こんなに早くか?
確かに基本の動きはアンタが言ったとおりに出来るようになったと思うが、俺は基本的に剣術は初心者だ」
俺が言葉を更に続けようとしたとき、イクティヤールは腕を上げてそれを制した。
そして、目を細めて俺を眩しそうに見ながら言う。
「お主は天賦の才を持っておる。
それは、妖魔との契約のためであろう?」
「その通りだ。
この世界にも、そういう術があるのか?
何故分かった?」
俺が尋ねると、イクティヤールはこくりと頷き、問いに答える。
「お主の人相、確かに優れた才能を持つと出ているが、お主の才能はその遥か上を行っている。
妖魔と契約し、何らかの力を得たという推測が出来る」
「お見それした。
隠しておくつもりだったが……」
「お主の気配は抜きみ過ぎる。
ここに来るまで、何匹の妖魔に襲われた?」
老人の唐突な質問に少しいぶかしんだが、俺はとりあえず答えようとする。
「数え切れる数ではなかったな」
俺の言葉にイクティヤールは重々しく頷いた。
質問の意図は大体分かってきた。
つまり、
「つまり、俺の気配が妖魔を呼び寄せているという事か?」
「その通り、お主の通力は恐らく今も強くなり続けている。
抑え込まなければ、妖魔がわらわらと寄ってくるだろう」
「通力を抑え込む……」
「私には魔力を抑え込む術しか分からぬが、基本は同じであろう」
イクティヤールは、そう言って目を瞑った。
瞬間、薄い光がイクティヤールを包んだ。
「全身から力を放射する。
そして、少しずつ小さくしていくのだ。
限界まで小さくしていけば、いつの間にか力の放射が抑え込まれる。
やってみなさい」
イクティヤールの技術に感心しながら、俺は頷いた。
相当鍛錬を積んだ人間なのだという事を実感する。
とてもスムーズな所作だった。
対して俺は数分ほど汗を流しながら力を抑え込む練習をしたが、上手く行かない。
「中々に難しい技術だ。
それに、お主の通力は大きすぎる。
強い力を持つ者ほど、これは難しくなる。
今日明日で習得出きるものではない。
それよりも、剣術の修行だ」
「ああ、そう言えば、アンタがこんなに早く剣術の実戦指導をしてくれる理由を教えてくれてなかったな」
俺の修行のイメージはもっと遠い道のりを行く感じだった。
陰陽術の習得だって、俺でもかなりの労力を必要としたのだ。
こんなにすんなりと実戦演習をしてもらえるというのは願ったり叶ったりだが、一体どういう意図なのか?
「玄武の属性強化によって、ただでさえ寒いこの地域が更に寒くなる。
今までは、熱属性の結界を張って街を暖めていたが、その結界を張っていた術者が死去したという報せが入った……。
このままでは多くの人間が凍え死ぬだろう。
時間が無いのだ。
私は、お主の才能に賭けてみる事にした」
「なるほど……」
俺が頷くと、イクティヤールは顔をしかめて居心地悪そうにする。
そして、息を吸い込んで決心を固めたような表情になると、俺を見つめた。
「実は、諦めていた。
お主が来るまで……。
どうか、この国を救って欲しい。
現実から目を遠ざけ、運命を受け入れようとしたこんな老いぼれの頼みを聞いてくれるか、ハルアキ?」
俺は、少し胸が高鳴るのを感じた。
この老人も、俺を必要としてくれている。
きっと、それは誇らしい事で喜ぶべき事なのだろう……。
俺は、この老人に好意を抱いたようだ。
小さな、小さな好意だったが……。
「私も、お願い。
この国を、救って欲しい」
いつの間にか、リェールが俺の横に来て俺の服の袖を引っ張った。
俺は、そっとリェールの腕を解き、ギュッと握った後、イクティヤールに向き直った。
そして、言う。
「ああ、頑張るさ。
アイツとの約束でもあるからな。
師匠、じゃあ、頼みます」
慇懃に礼をした。
師匠が重々しく頷いた。
「では、始めようか」
イクティヤールが俺に剣を投げよこす。
両刃の剣だ。
銀色の刃の表面に俺の顔がくっきり映っている。
簡素な剣だが、重さがずしりと感じられる。
「その剣で私と戦ってみろ」
何だか、親父との修行の日々を思い出した。
それに気付き、俺は慌ててこめかみ手を当て、それを振り払った。
そんな俺の服の袖をもう一度引っ張り、リェールが無表情な顔を俺に向けてきた。
「大丈夫? ハルアキ」
「いや、大丈夫だ。
何でだ?」
俺が、疑問を発する。
それは動揺を隠し、ごまかすための質問に他ならなかった。
リェールはそれを理解しているかもしれないと、何となく思った。
「ハルアキの中で、暖かい力を感じて、その後、冷たくなったから……」
「暖かい力……。
冷たく……」
俺が不思議に思いながら繰り返すとリェールは頷いた。
「私は、ハルアキの暖かい力が好き」
「暖かい力……」
「そう、暖かい力……」
「勘違いだろ?」
俺は、自分に言った。
自らに言った。
自問した……。
リェールは俺の手を放すと、さっと丸太に戻っていった。
とても、軽い動作だった。
いつのまにか、どこかにいる。
それが、リェールだ。
「では、行くぞ、ハルアキ」
「待っていてくれてありがとう、イクティヤール、始めようか」
俺は剣を構えた。
「うむ、では行こうか」
直後、剣と剣がぶつかり合う音が響き渡った。
6
リュウ視点
真っ暗だ……。
何にも見えない……。
死んだのかな? 俺……。
あれ? 声が聞こえる。
「おい、起きろ」
重々しい声が聞こえる。
「ハルアキか!?」
俺はばっと起き上がる。
目を開けて、しっかと声の主を見る。
「うわあ!? 妖魔!?」
黒い狼がいた……。
普通の狼じゃない。
目が明らかに人間くらい頭がいい事を示している。
「お前も妖魔だろう。
大げさに驚くな」
俺の驚きように呆れたようで、狼の妖魔は鼻を鳴らした。
落ち着いた声だけど、何となく刺々しい。
「ご、ごめんよう。
気が動転しててさ」
とりあえず謝っておく。
「ふん」
もう一度鼻を鳴らして、狼の妖魔は俺から目を背けた。
「ロロウ、あまり怖がらせないであげてください。
申し訳ありません。
お詫びしましょう」
その声で、ここに狼の妖魔ともう一人、黒いローブ姿の女の子がいるのに気付いた。
すごく優しそうな眼差しで、長い黒髪を揺らしてこちらに笑いかける。
すごく顔立ちが整っていて、綺麗な女の子だった。
背が高いけど、細いせいか小さく見える。
「ああ、気にしてないぜ?
でも……、仲間とはぐれちまったんだ。
アンタら、知らないか?」
「それでしたら、一人貴方と一緒に倒れていた人がいましたが」
そう言って、女の子は俺のとなりを指差した。
「あ! ハイリンヒ!」
俺はハイリンヒに気付くと、その顔をぺちぺちと叩いてみた。
「おーい? ハイリンヒ?」
しばらく呼びかけると、ハイリンヒは起き上がった。
「うーん、うわ!? 妖魔!」
やっぱり、そういうリアクションを取る。
「そのリアクションはもう飽きた」
ロロウは、不機嫌そうに顔を揺らしながら言った。
「あ、すいません。
もしかして、リュウと同じような原理で現れた妖魔なんですか?」
「ふん、察しがいいのは褒めてやる」
「あ、ありがとうございます」
何か、ハルアキに似てるかも……。
そう思って、俺はロロウを見つめた。
「何だ?」
それに気付いて、ロロウは俺を睨みつけてきた。
「あ! いや、何でも無い!」
俺は腕をぶんぶん振る。
「ロロウ、貴方を見ていた程度で怒るのはどうかと思いますよ?
もっと、聞き方というものがあるでしょう?」
女の子はロロウを軽く叱った。
「承知した、マスター」
軽く答えて、ロロウは俺から顔を背けた。
「あ、まだ名乗っていませんでしたね?
私はミカド、こちらはロロウです」
紹介されても、ロロウは向こうを向いたままだった。
「よ、よろしく、リュウです」
俺が頭を下げる間に、ハイリンヒは待ちきれない、という感じの顔になって顔を輝かせながらミカドに自己紹介し、話しかける。
「ハイリンヒです。あの、ミカドって、呪術使いの?」
「ええ、そうです。
知っていていただけるとは光栄ですね。
稀代の杖つくり、ハイリンヒさん」
「あ、これは、こちらこそ知っていていただけるとは」
「私よりもずっと有名ですよ、貴方は」
ミカドは、くすりと笑って首を僅かに揺らした。
「あの、もう一人いたはずなんですけど。
いませんでしたか?」
「もう一人?」
ミカドは首を傾げた。
「そうですか」
ハイリンヒはうつむいた。
「なるほど、仲間とはぐれてしまったのですね?」
「ええ」
ハイリンヒが頷くと、ミカドは少し考えた後、「うん」と首を縦に振る。
「探すのを手伝いましょう、ロロウ?」
ミカドは不満そうに顔をしかめるロロウに呼びかけた。
ロロウは俺達をミカドが助けたのが気に入らないらしい。
「ミカド、俺達の目的は玄武を倒す事だ、寒期に入るまで時間が無い。
そんな事をしている場合ではない」
「でも、このリュウという妖魔がいるということはもう一人の仲間というのは、呪術使いなのではないですか?
彼が入れば、かなりの戦力になると思います」
「……分かった、マスター。
貴方に協力する」
少し勘違いがあるけど、ここで言うべきじゃないというのは、俺にも分かったので、何も言わない。
「では、探しに行きましょうか」
ミカドが俺達に笑いかけて、辺りを見渡す。
「ロロウ」
そっと、呼びかける。
すると、ロロウは目を閉じて、鼻をひくつかせた。
「違う人間の匂いが、四つ……。
一人には死の予兆を表す臭いがするな。
恐らく、こいつがもう一人だろう。
急いだ方がいい。
付いて来い」
そう言って、ロロウは走り出した。
「行きましょう、皆さん」
ミカドが、俺達をうながした。
俺達は頷き、走り出した。




