アイスシュタット 玄武編 2
ハルアキ視点
凍てつくような寒さ……。
どうやら、玄武の属性強化のために寒さが一段と高まっているようだ。
この調子で、この国の住人達は大丈夫なのだろうか?
気にはなるが、今はそれを何とかする事は出来ない。
雪に覆われた木々が乱立する中で、俺はある場所へと向かっていた。
空は灰色の雲に覆われ、雪が降りしきる。
道無き道を歩きながら、俺は物音に耳を傾けていた。
不意に、左右から狐のような姿をした妖魔が飛び出してきた。
白い妖狐……。
三本の尾に火を灯し、身体は普通の狐を三倍にしたような大きさだ。
俺は、肩に担いだ刀を抜き、気だるく思いながら二度振った。
その刀が鮮血に濡れた瞬間、妖魔は霧散した。
刀についた血は見る見る刀に吸い込まれていく。
この道を歩いてから数十度、襲撃を受けている。
俺は、うんざりしながら歩き続ける。
不意に、妖魔の気配を強く感じた。
「六、か……多いな」
そして、俺はもう一つ、不思議な気配を感じ取った。
その正体は分からないが、どちらかというと、魔導師に近い気がした。
となると、この気配の持ち主では分が悪そうだ。
俺は、刀を抜き放ち、走り出した。
しばらくして、その光景が見えてくる。
前方に、妖孤が六匹、そして、少女……?
認識する前に、俺は刀を三度ほど薙いだ。
少女の頭を押してしゃがみ込ませ、安全を確保した上での攻撃。
妖狐は霧散した。
「大丈夫か?」
俺は、少女に手を差し伸べる。
青い髪の少女、いや、どちらかと言うと水色に近いか、目の色も青で、肌は白い。
身長は俺より頭二つ分くらい低くて、身体も細い。
少女は、神秘的な美しさを持つ顔をこちらに向けて、そっと首を傾げた。
不思議な少女だが、この世界での価値観は知らないので、はたしてこの少女が特別なのかは俺には分からなかった。
魔導師の気配は探れるようになったものの、まだ力の大きさまでは把握出来ないので、この少女がどれほどの魔力を持っているのかは分からない。
しかし、この少女の雰囲気からして、余計なお世話だったかもしれないと思う。
「親とはぐれたか」
俺は、少女がぼーっとした顔で俺の手を取るのを見ながら、どちらかというと自問の意味合いが近い呟きを発した。
少女が答えてくれなそうに思ったからだ。
だが、少女は答えた。
と言っても、首を二三度横に振っただけだったが……。
「じゃあ、一人でここに来たのか?」
少女は縦に首を振る。
「名前は?」
「リェール」
少女は、不思議によく通る声で答えた。
「リェールか、俺はハルアキだ。
森を抜けた先の街の子供か?」
リェールは横に首を振った。
「じゃあ、どこから来た?」
「言えない」
「そうか」
淡白な反応に、しかし俺は気にせずにリェールの手を放そうとした。
だが、ぎゅっと腕を掴まれる。
俺は僅かに戸惑い、リェールを見つめたが相変わらず無表情なままだ。
「行く当てがないのなら、俺に付いてくるか?」
社交辞令的な意味合いが含まれた言葉だったが、子供がそれを認知できるとは思えなかったので、言った後に後悔する。
少女はこくりと頷いた。
「そうか、じゃあ行こう」
俺は、リェールの手を優しく解くと、反対の手を掴んだ。
そして、リェールをそっと引き寄せ歩き出した。
リェールの手は暖かく、温もりを感じた。
「寒くないのか? そんな格好で」
俺は、リェールに突然問い掛けた。
リェールの格好は、青いワンピースのような服を着ている限りで、他は肌が露出している。
何らかの魔法を使っていることも予想されたので、特に気になってはいなかったのだが、礼儀として質問をした。
「寒くない」
リェールは静かに答えた。
「そうか」
俺は頷き、少女を連れて進む。
しばらく時が過ぎ、俺は魔力の高まりを感じて立ち止まった。
「結界魔法か……」
俺は呟きあごに手を当てた。
障壁を張る感じの結界魔法ではない。
仕組みは、野狐という妖怪の幻惑術と似ていそうだ。
勘が鈍っていないなら攻略できるかもしれない。
俺は一歩踏み出そうとしてリェールの存在に気付く。
「ここから先は危険だが、付いてくるか?」
俺が釘を刺すと、リェールはこくりと頷いた。
俺も頷き返し、境界線を踏み越える。
瞬間、神秘のベールに包まれる特殊な空間に踏み込んだ事を自覚する。
「異質な力の充満……。
やはり、妖狐の結界に似ているな。
あまり嫌な感じはしないが」
独り言を呟いてみる。
リェールはこちらを見て、僅かに首を傾げると、口を開く。
「優しい、力を感じる。
悪意を持った結界じゃない。
試すため……。
そして、小さな拒絶……」
「拒絶、か……」
拒絶の指す意は分からないが、やはりこの結界を張った人間は何らかの理由で世界との関わりを絶っている。
しかし、試すという意思がある以上、この向こうに行けば何とか力を貸してくれるかもしれない。
「行くぞリェール、腕をしっかり掴め、はぐれないようにな」
リェールがこくりと頷いて俺の手をぎゅっと握る。
俺はその温もりを感じながら辺りを見渡した。
四つの道……。
樹木が雪に包まれて屹立している。
そして、四つの方位の中心にそれぞれ樹木が生えていない真っ直ぐな道がある。
「こういうタイプか……」
俺は目を眇めながらそれぞれの道をぐるりと見渡す。
この結界の術者に悪意が無い以上悪質な罠が潜んでいるとは思えないが、迷い続ければどこかで倒れるだろう。
そうなると、あまり時間はかけられないが……。
とりあえず、法則性を探るために真正面の道を行く。
リェールを連れて雪を踏み鳴らしながら道の奥へ進むと、一瞬、光が俺たちを包んだ。
「もとの道に、戻ってる……」
リェールが呟いた。
俺も、それは感じていた。
俺はしばし沈黙し、考えを整理する。
推測は色々とあるが、それを立証するには手がかりが少なすぎる。
俺は、次は右の道へ進んだ。
方位で言うと、恐らく東……。
光が俺たちを包む。
「やはり、戻るか……」
その後、何度か方位を変えてみるものの、一向に前に進まない……。
恐らく、ランダムに正解が入れ替わるタイプの道だ……。
ということは、この領域に必ず次の領域に行ける手がかりがある。
俺は考え込み、もう一度辺りを見渡した。
灰色の空、雪に覆われた樹木、白い地面……。
それぞれの道には立て札のようなものも無ければ、印も無い。
見えないのならば……。
俺は目を瞑り、耳を澄ませた。
すると神秘的な歌声が聞こえてきた。
『我は北の精霊 進むべきは 我が道なり 南の精霊は 告げる最初は虚偽のもの』
『我は東の精霊 北の精霊は 告げる最初は虚偽のもの 進むべきは我が向かいなり』
『我は南の精霊 進むべきは 東の精霊のもと 西の精霊は 虚偽を告げる』
『我は西の精霊 進むべきは我が向かいなり』
『我は天の精霊 お前が通ってきた道は 北の精霊の居場所 旅人よ 通りたくば謎を解け 戻りたくば 北に二度進め』
五つの声……。
順番に歌われるその歌詞を、俺は頭の中で繰り返し正解の道へ進んだ。
東だ……。
その後も同じような問題を何度も解き、俺達は突き進んでいく。
最後の問題もクリアし、その場に足を踏み入れる。
瞬間、今までの空間が弾けとび、日に照らされた山のふもとが見える。
山々に突き刺さるように舞い降りる神々しい光はみすぼらしい小屋までもどことなく荘厳に見せる。
雪は止んでいるが、地面には白い雪が降り積もっている。
俺は無言でリェールの手を掴みながら小屋に向かって歩き出した。
木で作られた小屋、これまた木で作られたドア。
俺は、二度ノックした。
しかし、返事が無い。
「イクティヤール、居るんだろ?
アンタに用がある。
俺も魔力を感じる事が出来るから。
隠れても意味が無い」
「…………」
しばらくの沈黙の後、がたりとドアが開かれ、老人が出てきた。
かなり歳が行っているようだが、足腰はしっかりしている。
白髪に白い髭、ローブのような白い服、仙人を思わせるなりだが、実態は少し違うらしい。
老人は、細められた目をこちらに向け、観察するとあごひげを撫でた。
「アンタに剣術を習いたい」
「……断る」
老人は再びの沈黙の後、強い口調で返してくる。
イクティヤール、かつて魔法と剣術を組み合わせた戦闘技術を編み出し、魔法剣士と言う新たな戦闘スタイルを作り出した賢人である。
「今、世界で何が起きているかくらい、アンタも知っているだろう?」
「知っている。
魔物は消え去り、妖魔が台頭した。
私の剣の技術は最早用を為さぬ。
妖魔を倒したいのならば、他の戦闘技術を学びなされ」
「……アンタはそれでいいのか?」
俺の言葉に、老人は気分を害したようだが、俺は畳み掛けた。
「魔法剣の技術が使い物にならなくなった現代では、魔法剣は人間の殺しにまで使われた。
それは、きっと辛い事だっただろう。
だが、アンタの力がもしかすると世界を救う鍵になるかもしれない。
俺に力を貸してくれ」
老人は沈黙し続ける。
「……アンタは、本当はアンタの事を必要としてくれる人間を探してたんじゃないのか? 学びたいと思う人間を待ち望んでいたんじゃないのか?
だから、あんなに簡単に破れる結界を作ったんだ」
俺が強い口調で問い質す。
老人は、目を瞑った。
そして、瞑ったまま口を開く。
「だとしても、魔法剣が妖魔には聞かない事はお前さんも知っているじゃろう?
マハードという騎士は妖魔に効果がある新たな魔法剣術を作り出し、後継者にもそれを伝えておる。
もし学びたいのなら彼に学びなされ」
「いや、マハードの剣術だけじゃ足りない。
アンタの作った魔法剣も組み合わせなければ、この刀は真の力を発揮できない」
そう言って、俺は手に持っていた刀を老人に差し出した。
リェールがその様子をじっと見ている。
俺は、リェールの手をそっと解いた。
「少し、向こうに行っていてくれ、しばらくしたら、呼ぶ」
リェールはこくりと頷く。
俺は老人の方に向き直った。
老人は、刀を取り出し、刃の表面を撫でていた。
「何と美しい……。
しかし、これは魔法剣ではないな……」
「ああ、言うなれば妖刀……。
これが、アンタの剣術を習いたいと思った理由だ。
なあ、イクティヤール」
俺は老人の目を真っ直ぐに見つめる。
すると、老人の目が淡いブルーに輝いているのに気付いた。
「アンタの剣術を、この刀での戦いに応用できないか?」
「……できるかもしれんて」
老人は、俺に刀を返して部屋の中に入った。
そして、うろうろと動き回り、あごに手を当てたり、髭を撫でたりする。
部屋の中は、簡素なベットだけ、他には干し肉が干してあったり、よく分からない植物が吊るされていたりしている。床は木製、老人が歩くたびにぎしぎしという音が響くが、彼は気にしない。
「アンタも、自分が必要とされる日を待ち望んでいたはずだ。
その渇望がどんなに身を焦がしそうな感情なのか、俺は知っている。
アンタは今、アンタを必要としてくれる人間の前にいるんだ」
最後の一息、言葉は自然と出てきた。
「……よかろう」
老人は重々しく頷いた。
「ありがとう。
イクティヤール、いや、師匠」
俺は、手を差し出した。
老人がしばらくそれを見た後、ぐっと握り、握手をした……。




