グランシュタット 白虎編 9
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誰か、教えて欲しい、人間が死んだとき、大切な人間が死んだとき、俺はどんな表情をしたらいいのか?
顔の筋肉が動かない、俺はそれをただの現象としてとらえていたのだ。
サーシャは、血まみれになって倒れていた……。
俺を突き飛ばし、サーシャは白虎の前に躍り出たのだ。
鋭い爪がサーシャを襲う。
その鋭利な爪をもってすれば華奢な女の子を肉塊に変えるのなどわけないことだった。
瞬間、思い出したようにバリスタが打ち出される。
体中に太い槍を受けて、白虎が力無い唸り声を上げる。
白虎は遂に倒れ、光と共に霧散した。
俺は、それを端然と見ていた。
そして、ゆっくり歩き出す。
「おい、サーシャ?」
そう、小さい声で呼ぶと、小さな返事が返ってくれる。
声にもならないような呻き、そしてその後に、サーシャは必死で言葉を紡いだ。
「ハルアキ、くん……。
怪我、無かった、かな」
「アンタ、何考えてるんだ?」
俺は、ただ愕然としながらそう言った。
「あの、ね、側に来て、欲しい、かな……」
「傷を治す魔法とか、無いのか? 誰か?」
俺は辺りを見渡すが、誰も首を縦に振らない。
「ハルアキ、くん。
もう、手遅れ。
早く、こっちに……」
サーシャは笑顔を浮かべながら、息も絶え絶えに俺に懇願した。
「分かった。
行く、行くから! 頼むから死なないでくれ!」
そうしなければ、俺はまた誰かの死に何も感じない化け物だと自覚させれれてしまう。
そんな、利己的な理由で俺はサーシャに死んで欲しくなかった。
俺は、サーシャに駆け寄った。
そして膝を付き、サーシャの顔を見つめた。
蒼白な顔だった。
美しいが、蒼白だった。
いや、蒼白だったからこそ、美しかったのかもしれない。
刹那の時間が過ぎ、永久の時間が過ぎ、サーシャは弱っていく。
その度に美しさは増していき、その度にサーシャはこの世とは乖離された存在へと変貌を遂げていく。
その瞬間、サーシャは俺の顔を両手で掴んで上体を起こした。
そっと、唇と唇が触れ合う。
俺は、何が起きたのかを知るのに、数秒を要した。
「ハルアキくん、貴方は、私の理想、だったんだ……」
その間にも、サーシャは言葉を紡ぐ。
「私の夢を、叶える力を持っていて、真っ直ぐに進む心も、持ってる。
うらやましかった。
でも、妬む気持ちなんか、これっぽっちも、沸かなくて……」
サーシャは、俺の顔を見て笑った。
「きっと、ハルアキくんが、四神をいつか、倒してやるって思いながら、ずっと何もしようとして来なかった私にきっかけを、くれたからだね……。
ありがとう」
ゆっくりと、穏やかな表情を保ちながら、サーシャは、最後の言葉を発した。
「私は、ハルアキくんを尊敬しています。
きっと、世界を救ってくれると、信じています。
……そして、もう一度言いますね」
本当に、最後の言葉。
「私は、貴方が好きです。
ハルアキくん」
もう、二度と聞けない声……。
「心を取り戻したら、私に返事をください。
……きっと、ですよ?」
噛み締めるように、咀嚼するように……。
俺が頷くと、サーシャは念を押すように俺に笑いかけ、そのまま、目を瞑った。
俺は、事態を受け止められず、この状況を覆してくれる何かを考えた。
まず、脈を計った。
次に、目を開けて瞳孔を見た。
最後に、呼吸を確認した。
死んでいる……。
何も感じない。
ああ、またこれか……。
何も感じない……。
そう、心の中で呟いた。
しかし、ぽつ、ぽつ、と滴が落ちる音がした。
サーシャの目元に当たって、それは弾けた。
涙だ。
間違いなく涙だ。
俺は、確かに涙を流している。
理由は、ちょっと考えれば分かった事だろうが、その時の俺には分からなかった。
俺は、頬に伝う涙をそのままに、サーシャの顔を撫でた。
「忘れない。
アンタとの約束、二つとも」
俺は、そう言って立ち上がった。
瞬間、光が差し込んだ。
太陽の光は既にあったのに、それ以上に眩しい光がこの世に顕現している。
俺は頭上を見た。
そこには、翼を生やした人間がいた。
いや、妖魔か? 違う、恐らく魔物の類だ。
光り輝く金色の長髪、金色の布で覆われた身体。
金色の両翼……。
かなり整った顔に笑みを浮かべ、こちらに話しかけてくる。
「ありがとう、異世界の住人よ。
白虎によって封じられた私を解放してくれて」
「誰だ? アンタは」
自然と口から言葉がついて出てくる。
「私は、ミカエル。
白虎と阿部晴明に封印されし、四大天使の一人」
「そうか」
俺は、情報を整理するのも忘れ、頷きながらも上の空で答えていた。
「愛するものを失ったか、それも、無理からぬこと……」
気の毒そうな声が聞こえる。
「愛するもの? 違うね、俺は誰かを愛する事なんて出来ない」
「では、その涙は?」
「…………」
ミカエルの指摘に、俺はしばし黙った。
「……白虎には、お前の心の一部が取り込まれていた。
そして、白虎は倒されお前にそれが戻ってきたのだ。
お前は、既に愛を知らぬ可愛そうな子ではない。
最も、ほんの少しだけ知ったに過ぎないが」
「そうだな、全ての感情が戻れば、きっともっと悲しかっただろう」
俺はそう結論付け、サーシャを抱きかかえながらその場を去ろうとした。
「待て、異世界の住人よ」
ミカエルの言葉に、俺は立ち止まる。
「察していると思うが、四神の全てに、お前の心が封印され、くすぶっている。
そして、私の仲間達も、四神によって封印されている。
どうか、四神を倒してはくれないか?」
「当たり前だ。
約束、したからな……」
俺は踵を返しミカエルから背を向けた。
「私の力も貸したいところだが、他の天使の領域に踏み込む事は許されぬ。
頼むぞ、お前だけが、頼りだ」
「ああ、分かってる」
そうだ、俺だけだ。
俺がいれば十分だ……。
俺が、世界を救ってやる。
ただ、コイツとの約束のために。
渓谷の光は消え去り、人々は複雑な表情で俺とサーシャを見ていた。
俺は、サーシャを抱きかかえ、歩いていく。
そして、サーシャの顔を覗き込み、俺は言った。
「サーシャ、俺は確かにアンタを愛せたようだ」
大地が渇く。
サーシャの髪が揺れ、太陽に輝く。
先程の光より眩しい……。
俺は上を向き、太陽を睨んだ後、目を閉じた。
焼け付くような大地が、その太陽の光によって塗り替えられていた。
そんなに、輝かないでくれ、俺のこのちっぽけだが大切な感情を、嘘だと錯覚してしまう……。




