グランシュタット 白虎編 8
11
作戦会議室とでも言おうか、石造りの城の一室にマハードが俺を呼んだ。
ハイリンヒとの作業も架橋に入り、離れたくなかったのだがどうも大切な事らしい。
サーシャにそれを伝えられた俺は、ハイリンヒに一旦暇をもらい、石造りの城へ訪れた。
俺は、部屋に入るとマハードが進めるまま、椅子に座る。
「白虎の居所が分かった」
「そうか」
「貴殿の指示を仰ぎたい。
どうすべきだ?」
俺は、しばし沈黙した。
手負いの状態が、一番危険だ。
それに、ハイリンヒと作っている刀が打ち上がれば、戦力は整うだろう。
今、白虎に挑むのは得策ではない。
「白虎には近づかない方がいい。
手負いの妖魔は何をするか分からない。
特に四神ともなれば……」
「分かった。
その言葉を伝えよう」
マハードは立ち上がり、礼を言うと俺と一緒に部屋を出る。
だが、俺は失念していた。
愛に疎い俺は、人が誰かを想うことで、突拍子もない事をする事があることを。
愛を知らなかったから、失念していた。
ハイリンヒの元で、刀を直す手伝いをしていた俺の元にサーシャが駆け込んできた。
リュウもそれに同行しており、二人ともかなり急いでいるようだった。
そして、矢継ぎ早に用件をまくし立て、息も切れ切れになりながら膝を付いた。
「白虎を討伐しに行った?」
俺にはそれが信じられなかった。
「何故だ?
マハードには確かに、討伐は控えるように行ったはずだぞ!?」
「一部の人が、命令違反で、白虎を、倒しに行ったの」
サーシャの言葉に、俺は唇を噛んだ。
「ハルアキ、皆を助けに行こう!
お前が居ないと、倒せない!」
リュウが、羽を一際速く、ばたばたと動かしながら言った。
俺は首肯する。
「言われるまでも無い」
そして、俺は、ハイリンヒの方に向き直った。
「何度も悪いが、行かせてもらう」
「分かりました。
きっと、戻ってきてください。
色々、やることが残ってますから」
ハイリンヒはニコッと笑って僅かに首を傾けた。
俺は軽く頷き、走りだす。
俺は、サーシャの案内でひたすら走っていた。
早まらないでくれ、俺の前で誰も死なないでくれ。
もしも死なれたら、俺はまた自分が怪物だという事を自覚してしまう……。
利己的な理由で、俺は奔走していた。
かっこいい理由なんて無い。
人を助けるのは当たり前の事、だとか、その人にも、待っている人がいるからとか、そんな事は、微塵も考えない。
ただ、俺は自分を守るために走っていた。
息を切らして、目的地に躍り出た。
悲鳴が、咆哮が、怒声が、響く。
地獄が、見えた……。
12
昨日の渓谷の最深部、白虎が今の根城としている所らしい。
俺達はリュウに魔力を食わせていた。
巨大化したリュウの背に乗り、この場に来たのだ。
切り立った崖を下側に、俺は、その光景を見る。
無数の死体……。
鎧を着けていることから、兵士だった事が分かる。
しかも、相当数だ。
俺は、次に白虎を見る。
白虎は、何かを咀嚼していた。
その口が、血に汚れている。
あれは、人間だ……。
俺は、しかし、その光景に何も感じなかった。
「ああ、またこれか……」
やっぱり、何も感じなかったな。
そう思いながら、俺は顔の筋肉を動かそうとした。
だが、やはり、表情は作れない。
その表情に見合う感情を抱いていないのだから当然だ。
白虎はこちらに気付いていないのか、気付いていながら興味を示さないのか、視線をこちらに向ける事はなかった。
「ハルアキくん、どうするの?」
「アイツ、兵士の魔力を食べて力を上げている。
三人で倒すのは無理だろう」
――では、逃げるか? ハルアキ。
不意に、リュウの声が聞こえた。
「それが得策だな……」
俺は、最後の言葉が少し萎んだのに自分で気付いた。
「どうしたのかな? ハルアキくん」
サーシャは、青い顔をしながらも俺を気遣って、そう話しかけてきた。
自分の方が、よっぽど酷い状態の癖に。
俺は、きっと今これっぽっちも顔色は変わっていないだろう。
だが、サーシャはかなり顔色が変わっている。
そこに、俺と普通の人間との間の溝のように感じて、俺は、ことさらそれが辛かった。
俺は唇を噛んだ。
――ハルアキ、マハード達が来たようだ。
リュウの声が聞こえる。
俺は、渓谷の端から端までを見つめる。
バリスタを引いて、無数の兵士がやってくる。
その中には、マハードも居て、指揮を執っている。
「闘うか……」
俺は呟く。
兵士達は今、激情に駆られているのだろう。
俺の言葉が届くとは思えない。
「リュウ、とりあえずサーシャを降ろす。
お前も元の姿に戻って、力を温存しろ」
――だが。
リュウは異を唱えようとしたようだが、すぐに頷き渓谷の上に降り立った。
降り立った俺はサーシャを見つめ、口を開く。
「サーシャ、アンタはここで待っていろ」
「でも!」
「お願いだ。
アンタの願いに応えるためだ。
アンタが死んだら、それは叶えられない」
「それは、ハルアキくんが死んでも同じじゃない!」
サーシャが悲痛に叫ぶ。
だが、俺は不遜に答える。
敢えて驕慢に、敢えて傲慢に、口を開き、言葉を紡ぐ。
「俺は死なない、絶対にだ」
その言葉を残して俺は踵を返し、崖から飛び降りた。
息を呑む声が聞こえる。
しかし、重力は俺の身体を加速させはしなかった。
空気が俺を押し上げ、そっと地面に降ろす。
ふわりと着地し、俺は白虎に向かい合った。
空白、緊張、次に激突。
俺と白虎は次の瞬間、動き出す。
「光芒の城門、星芒の盾、陽芒の錠、陰芒の舎人、邪を封じ、悪を払い、全てを拒絶する光の領域、現れ出でよ! 四芒結界!」
詠唱が終わるか終わらないかのタイミング、結果的に俺は間に合い、白虎は間に合わなかった。
白虎は黄色い光の結界に包まれる。
その爪先は結界に阻まれ、バチッという音と共に慌てて引っ込められた。
四芒結界、俺の出来る結界術の中でも最高の封印力を持っている。
「言霊よ、我に従い、彼の者に伝え聞かせよ」
続けて俺は言霊の呪術を発動。
「マハード、聞こえるか?」
俺は、そう呼びかけた。
だが、返事が返ってこようはずは無い。
この術式は、一方通行でしかやり取りが出来ない。
「この結界が破られる頃には、白虎は相当消耗しているはずだ。
だから、この結界が破られた瞬間に、バリスタを一斉に射出してくれ。
その後は、俺とリュウで何とかする」
了解かは分からないが、異論は恐らく無いはずだ。
俺は、結界の維持に全精力を傾けた。
何度も、バチッ、バチッ、と何度もスパークする結界……。
通力を振り絞り、白虎の消耗を待つ。
何分の死闘だったか?
遂に、白虎の動きが鈍り始めた。
俺は、結界をすぐさま解く。
瞬間、無数の槍が白虎の身体に突き刺さった。
だが、ここでは終わらない。
白虎の恐るべき生命力は、この間分かった。
俺は叫んだ。
「リュウ!」
その名前を呼ぶ。
瞬間、空気を叩く翼の音が聞こえた。
どうやら、あらかじめ準備をしてくれていたらしい。
リュウは俺の背後に周り、地面すれすれを滑空する。
俺は瞬時に飛び上がり、その背中に飛び乗った。
「行くぞ。
通力を送り込む。
お前も精一杯翼をはためかせて、風の力を全てぶつけるんだ」
俺はすぐに指示を出し、リュウは無言で頷いた。
白虎はのっそりと起き上がる。
その拍子に何本かの槍が抜け落ちる。
真紅の血液が流れ落ち、白虎は怒りに満ちた目で俺を見ていた。
咆哮……。
空気が痛いほどに振動する。
次の瞬間、リュウは全力で翼をはためかせた。
壮絶な音がする。
渓谷の地面にあった岩が吹き飛ばされ、白虎の足元にぶつかったり、それを通り過ぎ、転がったりする。
白虎は地面に踏ん張り、何とか耐えようとした。
俺は通力をリュウに送り続けた。
だが、結界術で俺は相当の力を失っている。
足りるかどうか……。
数秒後、危惧していた通り、俺の通力を尽きた。
白虎は健在。
リュウも限界のようだ。
歯軋りし、白虎が迫ってくる光景を見る。
瞬間、リュウが一際大きく羽ばたいた。
羽が光を帯び、空気を叩く。
力を送った?
誰が?
俺は振り向いた。
そこには、サーシャがいた。
リュウに風の魔法で、力を送り込んでいるのだ。
勢いを増す風……。
これが、致命的な差を生み出した。
強大な風と共に白虎は吹き飛ばされ、地面に倒れ伏す。
瞬間、歓声が上がった。
「倒した、か……」
俺は息を吐き、リュウから飛び降りた。
リュウもポンッ! という音と共に、元に戻った。
「サーシャ、助かった」
俺は、笑みを作って感謝の言葉を述べる。
「うん、役に立てて嬉しい、かな……」
サーシャがそう言ってはにかむので、俺は少し変な気分になる。
そのせいで、俺は目を伏せざるを得なかった。
何故、伏せなければならないのか、自分でも気付かないままに……。
サーシャは、頬を紅潮させていた。
そして、息を吐いている。
走ってきたせいなのか? それとも……。
俺は必死で言葉を紡ごうとした。
何を言えばいいのか分からなかったが、何とか、言葉を出そうとする。
「……サーシャ、俺は、アンタを……」
「危ない!」
不意にサーシャの声が聞こえた。
鮮血が舞う……。




