プロローグ10
宿屋である。
「なあ、なあ、ハルアキ、メッチャかっこよかったぜ?
あの言葉は、普通出てこないぜ」
リュウが、ベッドの上に寝転がる俺の上をパタパタと羽ばたきながら言った。
「我ながら、中々恥ずかしいことを言ったと思うがな」
「そんな事無いぜ! 男はあれ位しないとな!」
そして、リュウは、「男ってものは」とか、「線香花火みたいに、命を燃やしたいぜ」とか、「やっぱり、生き様ってものがないとな」とか、熱心に話し始める。
俺はそれを聞き流しながら、宿屋の外を見た。
実は、旅に出るのは初めてじゃない。
妖魔を倒すたびに、山中に潜ったり、船の上で激戦を繰り広げたり……。
もちろん、電車やバスなどは使ったわけだが、妖魔を探して歩くのは、かなりの時間を要したので、かなりの距離を歩いたと思う。
少し安請け合いな気がしたが、旅に出たいという根拠は、そこに帰属していたのかもしれない。
そうに思っている間に、ドアを叩く音がしたので、俺はリュウを袋に詰め込んだ。
「お食事をお持ちしました」
給仕の女性の声が聞こえたので、俺は「入ってくれ」と、呼びかけ、ふと、生島の事を思い出す。
今頃、どうしているだろうか?
そう思っている間にも、給仕の女性は、テーブルに食事を置き、「何か御用があれば」と聞いてくる。
俺は首を横に振った。
それを見て取ると、給仕の女性は、「失礼します」と言って、その場を去った。
俺は、ふと、親父が送ってきた、竹刀袋の中にあるものが気になり、リュウを袋から出した。
「おい、リュウ、親父が寄越した竹刀袋を見せてくれ」
「ああ、いいぜ」
そう言って、リュウは指をパチンと鳴らした。
瞬間、薄汚れた竹刀袋が現れる。
俺はそれを掴むと、紐を解いてみた。
案の定、刀だった。
黒い鞘は傷だらけ、刀を抜き放ってみると、錆だらけ……。
「何で、こんなものを……」
俺はいぶかしげに思って、剣を眺め回した。
「鍛冶屋に行けばいいんじゃないか?」
おお、めずらしくまともな事を言った。と、俺は感心しながら、「そうだな」と、頷いた。
そんな中、不意に二度目のノックが鳴る。
「ハルアキくん、入ってもいいかな?」
サーシャの声だった。
旅についての話し合いかと思いながら、俺は立ち上がり、ドアを開けた。
そこには、サーシャがいた。
だが、パッと見では彼女だと気付けない。
癖だらけの髪の毛は整えられ、薄汚いローブは脱ぎ、代わりに淡いピンクのチュニックを着ている。
靴は、何だかピカピカの赤い靴で、ヒールが入っているようだ。
「誰かと思った。
アンタか」
俺は観察を終えると、簡潔に、思った事を言った。
「ど、どうかな? ハルアキくん?」
「どうって何が?」
俺は、いぶかしく思いながら、首を傾けた。
そんな中……、
俺の頭に拳がぶつけられる。
実に非力な拳だった。
毛ほども痛くないその攻撃に、俺は少し唖然とする。
「痛ってえ」
この言葉を発したのは、俺でもサーシャでもない。
リュウだった。
「お前、何をやってる?」
俺が呆れながらそう問い質すと、リュウは涙目になりながら、俺を睨みつける。
「女の子が格好を変えてきたんだぞ!?
もっと反応しろよ!
似合ってるね? とか、似合うじゃん、とか!」
どっちも、似合うという動詞の活用なんだな。
バリエーション、というか、語彙を増やせこの馬鹿野郎。
俺はそんな風に思いながらも、一理あると思い、サーシャに向き直る。
「済まない、俺はそういうことに無頓着だから。
似合っている。と言ったほうが良いのか?」
「あの、もしかして、似合ってないかな?」
上目遣いで俺を見るサーシャに、しばし俺は沈黙し、もう一度彼女を観察した。
ブロンドの髪はさらさらで、ピンクのチュニックは、ふわりとした印象を与える。
赤い靴は、ヒールのせいか、少し背伸びした印象を受けるが、似合わないわけではない。
見ると、ほんのり化粧をしているようで、細い顔のラインが際立っている。
俺は、サーシャを観察し終わると、結論を言った。
「うん、似合ってるんじゃないか?
まあ、俺には良く分からないが」
「こら、ハルアキ!」
またリュウがキレた。
訳が分からない、俺は最善を尽くしたはずだ。
「あ、いいんだよ、リュウちゃん。
何となく予想してたから……」
なら、そんな悲しそうな顔をするな。
俺は、そう思った。
憂い顔、とはまさにこの事だろうか?
好意に疎い俺は、代わりにネガティブな感情に敏感だ。
サーシャが結構精神的に来ているのが分かる。
さて、どうしよう。
どうやら、それは俺のせいらしい。
ふむ……、
「まあ、上がれよ、お茶は出ないが、何か用なんだろ?」
「ああ、あの、それも良いんだけど、一緒に町に行ってくれないかな?」
「外で済ませる用事か?
なら、俺もちょうど用事がある。
一緒に行こうか」
「うん、嫌じゃなければ」
不安そうに言うサーシャに、俺はいぶかしげな表情を作りそうになるのをこらえ、あごに手を当てる。
どうやって、対処すればいいのだろうか?
しばし逡巡し、笑顔を作ろうとして、少し失敗した。
だが、向こうも笑おうとした意図は汲んでくれたらしく、不安げではあるものの、控えめな笑みを浮かべた。
「嫌じゃないさ」
そして、当たり障りの無い返事をする。
これが、俺の最大限出来ることだった。
だが、サーシャは思った以上に喜んだ。
俺なんかと一緒に町に繰り出して、楽しいと思うのだろうか?
まあ、それは言うまい。
サーシャの意図はいまいち読めないし、リュウの言っている事も理解できないが、とりあえず目的を果たすのみ。
だが、外に出る際、リュウを衆目の目にさらすのは得策ではない。
そう思い、俺はリュウに留守番を命じる。
意外なことに、リュウはすんなり受け入れた。
「後で、トマトを買ってきてやるよ。
だから、物を壊したりするなよ?」
釘を刺すように言うと、リュウは黙って受け入れた。
何か、裏があるのではないかと勘繰ったが、どうやら杞憂だと思い直す。
こいつには、人は騙せない。
知能的な面を見ても、気質的な面を見てもだ。
さて、俺はサーシャと共に、町に繰り出した。
「アンタの用事ってのは何なんだ?」
「うん、何て言うか、君と話したかったって言うか……」
「それなら、さっきの宿屋の方が良いんじゃないのか?」
「うん、そうなんだけど……」
もじもじとするサーシャに、俺は、いよいよどうしたらいいのか分からなくなる。
向こうも向こうで、パニクッているらしく、会話が進まないまま、俺達は歩いていた。
ここで、普段の俺なら助け舟など出さなかっただろう。
そのまま、無言で相手が話すまで待つ。
だが、リュウの叱責から、どうにかこうにか、相手を尊重したほうがいい、というメッセージを汲み取り、踏み切るのだった。
「鍛冶屋ってのは、どこにあるんだ?」
「鍛冶屋? ああ、その袋に入ってる剣を鍛え直すとか?」
「そんな所だ」
俺が首肯すると、サーシャは、僅かに興味を持ったようだった。
「見てみるか?」
俺は、竹刀袋を差し出し、問う。
サーシャは、「え? いいの?」と呟きながら、恐る恐る袋を取り、紐を解くと、中の刀を取り出した。
鞘に納まっている刀をサーシャは、恐る恐る抜く。
「これ、錆だらけ……」
「妖魔の退治に役立つ物、だとは思うんだが、これを送ってきた男の意図が読めない」
俺は、親父、ではなく、男、と表現した。
理由はいろいろある。
端的に言えば、親父が嫌いだから、そうした。
そして、今はぼかしておいた方がいいと思ったのだ。
「でも、魔方陣みたいなのが、うっすら見えるよ?」
「何?」
俺が、サーシャの方に近寄り、首を出すと、サーシャは「ほら」と指を指す。
「複雑な呪印だな……。
俺としたことが、気付かないとは……」
「これ、この街の鍛冶屋じゃ直せないかも」
「呪印が使われている以上、この世界の鍛冶屋には、これを直すのは不可能か……」
俺が、そう結論付けると、サーシャはしばし唸って、剣を色々な角度から眺めまわした。
「グランシュタットっていう国に、ハイリンヒっていう、杖つくりがいるんだけど、彼は魔法剣の製作にも秀でていているんだ。
これも、見たところ、魔法剣のようなものでしょ?
グランシュタットに向かったらいいんじゃないかな?」
「グランシュタットか……」
なるほど、と一人ごちる。
「そこには、四神の一匹もいるし、四神がいる場所では、ここから一番近い場所だから、目的とも矛盾しない。
だから、最初の目的地は、グランシュタットにするべきかな」
「賛成だ」
「でも、一応、ここの鍛冶屋にも行ってみようよ。錆を落とすくらいなら出来るかも」
俺達は、この街の、最も腕の良いとされる鍛冶屋の下へ行った。
案の定、錆は綺麗に取ってもらったが、お世辞にも切れ味はいいとは言えなかったし、呪印は、ほとんど消えかかっていた。
呪術の類を発する力は消えているようだ……。
俺達は、その後いくつか買い物をして、それぞれの場所へ帰っていく。
宿屋に戻ると、リュウがパタパタ羽を動かして、俺の帰りを待っていた。
俺は、手のひらサイズのトマトを放ってみせる。
瞬間、ぱくりと、リュウがそれを咀嚼する音が聞こえる。
その後も、何回もトマトを放ってやり、腹が膨れたリュウは、俺の枕の横で、身体を丸めて寝てしまう。
俺は、やれやれと思いながら、ベッドに身体を放った。
そして、目を閉じる。
こいつには、結構お世話になってるからな……。
俺は、そう結論付けた。
そして、疲れを取るべく、目を瞑る……。




