プロローグ1
1
狭苦しくて、息苦しい部屋だ。
他人が見たら、泥棒が入ったかと思うかもしれない。
俺の部屋は、散らかっている。
ベッドに身体を投げ出し、俺は部屋の様子を傍観した。
自分の部屋なのに、他人の部屋のように感じる。
愛着が持てないのだ……。
「ああ、暇だ」
無聊に絶えかね、気だるく思いながら呟いた。
本当は、この部屋、そんなに狭くない……。
いや、むしろかなり広い。
なのに、この閉塞感だ。
ニート生活が確定してから、かれこれ三年。
本当は高校に通っていてもいい歳だ。
なのに、俺はこんな所に閉じこもっている……。
だが、この家は裕福だ。一生ここに居ても、別に誰もとがめない。
裕福なだけでなく、それだけの事を、この家は俺にしてしまった。
きっと、そう思っている。
だから、誰も何も言わない。
まあ、そんな事はどうでもいいか。
さて、と思考を巡らせる。昨日は何をしたっけ?
「ああ、折り紙か」
見ると、ベッドの近くに、色鮮やかな紙片が散らばっている。
全部、無残にちぎられているが……。
折り紙に飽きた俺は、どうやら、フラストレーションが溜まって全て破ってしまったらしい。
「今日は、何しようか……」
俺は、もう一度視線を巡らせた。
編み物は、前にやったっけ……。
大抵の端末を使ったゲームは簡単すぎて、話にならない。
新しいのをやる必要はない。
ボードゲームは、最高クラスのAIと戦って勝った。
「そうだ。ルービックキューブ」
そう思い立ち、立ち上がる。
そんな中、不意にドアが叩かれた。
「坊ちゃま、何かご入用のものはありますか?」
メイドの生島が、ドア越しに言った。
「ルービックキューブ、買ってきてくれ」
それだけを言った。
「かしこまりました」
生島は、事務的な口調で承りその場を去ったようだった。
ルービックキューブがどれだけ難しいのかは分からないが、二日ぐらいは持つかもしれない。
でも、その後は?
ふと、俺は考える。
何をすればいい?
どうすればいい?
何が、この渇きを癒してくれる?
「決まってる。答えは何もないだ」
簡単すぎる。俺としたことが、こんな愚にもつかない、時間つぶしにもならない問いに挑んでしまった。
そう思って、沈み込んでいると、ドアが再び叩かれた。
「坊ちゃま、ルービックキューブを持ってまいりました。入ってもよろしいでしょうか?」
「早いな?」
「家にありましたので」
俺がいぶかしげに問うと、生島は淡々とした口調で答えた。
「そうか、入れ」
「失礼いたします」
ドアを開け、生島が入ってくる。
メイド服の女性だ。
整ったプロポーションの、美人といって差し支えない女性だが、無機質で、取っ付きづらい感じがする。
しかし、彼女は俺の数少ない理解者の一人だ。
その手には、カラフルなキューブが握られ、恭しく俺に手渡された。
無言でそれをひったくると、俺は、キューブを眺めた。
「折り紙は、一日しか持ちませんでしたか」
「簡単すぎる。おい、掃除はしなくていい」
生島が、俺の足元に散らばる紙片を片付けようとしているのを見咎め、俺は、少しきつい口調で言った。
生島には慌てた様子はなかったが、その手はぴたりと止まる。
「申し訳ありませんでした」
あくまで事務的な口調で生島は謝罪する。
「このまえ何をしたのか、思い出せなくなるのは困る」
俺が、そう付け足すと、生島は少し首を傾げて、疑問を発する。
「坊ちゃまならば、全て覚えているのではございませんか?」
「思い出すのに少し時間が掛かる」
「なるほど」
生島は、それだけを言うと、立ち上がった。
「また、何かありましたら」
そう言って、腰を折り、例をすると、その場を去る。
俺は、ルービックキューブをいじり始めた。
数時間後……、
最初、全てを揃えるのに、二時間ほど掛かった。
そこからは、時間を計って、キューブをいじっていく。
どんどん所要時間は減っていき、ルービックキューブの限界、二十手……。
世界記録に届いた。と知ったのは、ルービックキューブについて調べた後だった。
「一日も持たなかったか……」
俺は、ぐったりと倒れこみ、ルービックキューブをベッドの下に転がした。
「お食事をお持ちしました」
二回のノックの後、不意にそんな声が聞こえる。
「ああ、入ってくれ」
俺は、寝転がったまま、そう言うと、生島がドアから入って来たのを確認するため、視線を巡らせた。
「一日、持たなかったようですね?」
食事をベッドの脇に置きながら、生島は言った。
「ああ」
気だるく思いながら、そう唸ると、生島は少しだけ、唇を歪めて、ポンと手をつく。
「スポーツでもやって見たらいかがでしょう?」
そんな生島を睨み付け、俺は、と釘を刺すように言う。
「忘れてはいないと思うが、スポーツは、俺の得意分野だ。わざわざ、苦手分野で勝負をしているんだから、今更簡単なものはしたくない」
「しかし、坊ちゃまがなされていたのは、一対一のスポーツでしょう? チームに入ってみるというのは?」
俺は、しばらく沈黙する。
「他人の力に頼ったゲームなんて、やっている意味がない」
ややあって、そう返し俺は、生島から目を背ける為に寝返りをうった。
「それに、俺は外には出ないぞ?」
「そうですか」
こんなやりとりは、何度となくしたが、今日の生島は、何故かいつも以上に淋しそうな顔をした。
ちらっと盗み見た生島の顔が、わずかに沈んでいたのだ。
「では、坊ちゃま、また」
また、のイントネーションが、何となくいつもと違った……。
まるで、「会いましょう」と、後に続くような言いかただった。
「おい、生島?」
声をかけたが、生島は振り返らなかった……。
俺は、唇を噛んだ。乾いていた……。
そのまま、ベッドに身体を沈みこませた。
食事が冷めてしまいそうだが、知った事か……。
一応、食事が寝返りをうって、ベッドから投げ出されないように、ベッドの下に置いておくのも忘れない。
そう言えば、生島の作った、から揚げが入っていた。
だが、いいさ。また今度食べれるんだから。
そう思っていた……。
だけど、その夜起こった出来事が、それを覆した。
幸か不幸かには関わらず、その時が来た。
深夜
「ハルアキ」
ドア越しに、親父の声が聞こえた。
「何の用事だよ? 親父」
「大事な話だ」
「聞きたくない」
正直、寡黙な親父がここに来て、俺に話しかけてきたのにはびっくりしたが、親父は、俺がこの世で最も忌避する人間だ。だから、俺は、抵抗しようとした。
耳を塞ぎ、布団を被る。
眼を瞑り、何も見ないようにする。
だが、足音が近づくと共に、布団は簡単に引き剥がされた。
「何だよ!?」
思わず俺は声を荒げた。
「私と戦え、ハルアキ」
それだけを、親父は言った。




