前
彼女の世界に色はなかった。
今も昔も、そしてこれからも。彼女の瞳には"黒"。ただその一色だけがうつされていた……はずだった。
先日、彼女の父親がこんなことを告げたそうだ。
「手術ができるようになった」
それを聞いた彼女の目からは、一つ二つと大粒の涙がこぼれ落ちていった。
「ねぇ、空の色はどんななのかな?」
彼女はよく、僕の見ている"色"をきいてくる。
空の色…………清らかな、清々しい、爽やかな、涼しげな。
例えならいくつだって浮かぶ。
でも、彼女には決して伝わらない。伝わってはくれないんだ。
そして長い間うーんとうなって、まるで降参だと言っているかのように両手を頭上にあげると
「やっぱり難しいや、また今度考えよーっと」
少し困ったように微笑む姿は、どこにでもいるただの女子高生にしかみえなくて、その瞳に何もうつっていないことが嘘のようにかんじる。
少し強がりで、ひどく恐がりな僕の彼女。
僕は知っている。
君が、僕らと違う世界しか見ることができなくて苦しんでいることを。
いつも何かしらの理由をつけて僕を部屋から追い出しては、声を殺してないていたことを。
何度も、何度も僕は見てきた。
だから僕は、僕は彼女の瞳に……世界に、色が溢れると知って、きっと本人よりも喜んだと思う。
周りからしたら、いっしょにいることが恥ずかしいぐらいに喜んだ。歓喜した。
叫んで、はしゃいで、まるで小さな子供のように駆け回って、これが現実なんだと実感するかのように……。
そして今日……。
彼女の瞳に色が宿る。
やっと……やっと、彼女は僕らの世界に来てくれる。
朝、病室に駆けつけてみると珍しく彼女が眠っていた。いや、布団にくるまってもぞもぞと動いているところをみると、起きてはいるみたいだ。
どうしたのかと声をかけると、少しくぐもった声でなんでもないと返された。
それから間をおかずに、小さな嗚咽。
今から念願の手術だというのに、どうしたんだと思い、そっと布団をどかしてみると涙に濡れた彼女の顔があった。
頬に手を添え涙を掬うと、隠すことを諦めたのか起き上がり小さな声でぽつりと
「何度も願ってたことなのに、いざ実現するとなると、不思議な気持ちだね」
少し濡れた瞳をそっと細めて彼女はふわりとほほえんだ。
それから少しして看護士が彼女を呼びに来たので、僕は「いってらっしゃい」と一言だけ声をかけた。
そして、手術が終わってからする予定のパーティーの支度に取りかかることにした。
まさかそれで、僕らの未来が別れてしまうとはおもっていなかったんだ。