第九話 夜桜
飛鳥池はミカメ山側から流れてくる水を貯める役割もあり、上流側に行けば林や背の高い草が隠れるに実に都合良く、野花も多くみられるので散歩客が見られる場所だ。一方下流側や池周辺には田んぼがあり、生物の宝庫とこれまた子供向けの格好の遊び場になる。また池の中央にはそれなりに広い空スペースのある孤島があり、そこに立っている古びた掘っ立て小屋がまた童心を擽るのか、よく子供達が遊んでいるのを見かけた場所だ。
かく言う俺も昔は遊んでいた覚えがある。低くなった体で考えれば、大人としては手狭な道や空間が走り回るのに十分な隙間だったり、小さな草陰が身を隠すのに最適であり、予想以上に遊び場としての優れていた。……蛙の卵の不気味さと沼っぽい臭いを気にしなければ。
そんな遊び場の宝庫といえる飛鳥池周辺で、最初は蛙探しだの綺麗な花探しだのに付き合っていたのだが……いつの間にかテンション上がり過ぎた華奈の悪戯をきっかけに、追いかけっことなっていた。小さい子供となれば遊び方に男女差がないのか、華奈が変わっているだけかは分からないが、金魚棄ての少女、辰川 綾香が終始笑顔であったし、自分も退屈せず三人で飛鳥池(沼)で華奈の母親が呼びに来るまで遊んでいた事は確かな事実だった。
池で綾香と別れ、家まで田中一家と歩いて帰った俺だが、何だかんだで走り回って疲れていたらしい、ご飯を食べてからの意識が無く、気が付いたら自室のベッドで寝ていた。
すっかり暗くなった外の星空と、その中で一際輝く大きな丸い月を見ながらぼんやり起き上がると、窓から部屋へ広がる青白い光の中、毛布より出た手が寝巻きに包まれていた。当然ながら着替えた覚えはない。疑問に思い、都合よく目の前の丸い机にいた、テーブルに置かれた折りたたんだ毛布の上に四肢を投げ出してだらけている猫に訪ねると
「ああ、それなら埃を被った夢心地の君を桜さんが風呂場に連れて行き、洗った上で寝かせたんだよ」
とありがたくないお答えが帰ってきた。言われて見ればおぼろげながらにも手を引かれて風呂に行った記憶があるような気もする。ついでに完全に寝落ちた後はここまでお姫様抱っこで運ばれてきたとも告げられたが、そう、と無感情に返すくらいに羞恥心が湧き上がらない。俺の心の耐久力がとっくに限界を超えたのか、ただ単純に眠気で麻痺しているだけかもしれない。
そんな俺の返答にややつまらなさそうな猫を無視し視線を落とせば、兎が緑色に光る針で10時を示す時計をこちらに突き出していて悩んでしまう。この体は以前より睡眠時間が延びているが、この時間だと寝て朝早く起きすぎてしまう可能性もある。翌日もまだ休日だし、以前本棚に漫画やライトノベルがあったから、それを物色してみるのもいいかもしれないそう思案している時だった。
「芹弥」
急に真面目そうな声が聞こえ思わず振り向けば、耳をぴんと立て、静かにコチラを見上げているテラの姿。先ほどまでのふざけた雰囲気は微塵に感じられず、何処か空気からも緊張した雰囲気を感じる。
「魔力収束が起きているが……どうする?」
そう、静かな声で告げてきた猫にふっと息を飲む。思ったよりも異変が起きるのが早い。テラが魔力回収用人員の確保に焦っていなかったから、もっと間隔が空くかと考えてこの手の対応を聞いていない。後悔しつつも姿勢を正してテラを見返す。眠気はすっかり飛んでいた。どうするかなど考える必要も無い、人が襲われている可能性に焦りを覚えつつ早口に答える。
「手伝うよテラ、俺はどうすればいい?」
「本当にいいんだな? 危険な事ではあるんだぞ?」
「くどいよ、命の危機だし、自分の為でもあると言っただろう?」
「……分かった、これを持って変身してくれ、手順は分かるか?」
その言葉に静かに頷く。いつの間にか空中に浮いてこちらと視線を合わせてくる猫から鳥の羽を素早く受け取る。やはりずっしりと重いそれを握り、手を伸ばす。窓より入り込む月明かりが優しく部屋の中を照らし、ただの鳥の羽に見えるそれも何処か幻想的に輝いて見える。そんな光景に俺は非日常を改めて感じ、気を引き締める。
「戦闘形態に移行せよ、魔杖起動!」
せりやはまほうのことばをとなえた、しかしことばはむなしくひびいた!
「クックッ…そう焦るな、私が頭に乗らないと起動しないぞ。一応天球の道具だからな。私の魔力……天球の魔力だな、それを鍵にして起動させているからな」
「それを早く言え! この馬鹿猫ぉぉぉ!」
人を恥かしい目に合わせて置きながら、さらりと冷静に解説しつつ頭に乗ろうとした猫を掴んで床にたたきつけるが、さっと着地され地団駄を踏む。ご近所の皆様と現場の皆様には申し訳ないが、ご理解をお願いしたい。どうしてもこの猫踏んでおきたいんだ。
気を取り直して杖と戦闘服を起動した俺は杖を手に空を飛ぶ。空に輝く大きな月に頭を冷やしながらも状況を確認。なんと魔力収束が起きたのは今日いたあの神社との事、
歩いていける距離だけに即座たどり着いて見れば逃げ惑う酒盛客、その後ろを両手をだらりと前に差し出してゆっくりとした速度で追いかける何か。
……桜の木の下にはゾンビが眠っているとかそういうノリだろうか? 一体何をどうやったらそんな展開になったんだ。怪談話でもしていたのか? 最低でも1000年の歴史を誇る神木の帰し桜の下に、還りそびれた死体とか不謹慎にも程があるだろう……
「氷槍起動! テラ、火とか浄化魔法みたいなのって無いのか?」
「無いな。火は延焼が面倒だったから入れていない。後浄化魔法なんてものは無い、そもそも終焉幻想じゃないのだから、発生元が意図していない限り不死っぽくても治癒でダメージを受けたりもしない。ああ、ちなみにその杖は基本的に氷と大地干渉系の魔法、飛行、治癒、探知などの行動補助系が中心だ。最も、結局の所は想いの力を使いやすく機械的に処理しているだけに過ぎないから、強く想えば火くらい出せるかもしれないが。」
ゾンビといえば定番の火、光、回復魔法だが、どうやらダメらしい。
ざっと見渡した限りでは、とりあえずゾンビモドキは行動が遅すぎて人を襲う程ではないようなので、落ち着ける今の内に自分の手の内を確認しておく。
しかし、どうやって戦ったものか。遠距離からちまちま氷矢で狙撃するのもいいが、折角だからもう少し色々な魔法を使って戦ってみたい。
「さらっと流れたけどさ……何故そこでゲームネタが出てくる。後探知の使い方教えてくれ」
「それは勿論私がやったことあるからだ。天球だと電気がないのが悲しいな。 探知は調べたい対象・現象の探知起動で出せる。
ある程度は考えているイメージから補ってくれるが、あくまである程度だ。誤作動防止機能で弾かれる可能性も考慮すると、調べたい・発動させたい事を明確に発言するのが基本だな」
何処を突っ込んだらいいのかが分からない。無視が無難だろうか。
気を取り直して杖の事に集中するが、考えれば考える程この杖は有能過ぎる。思考認証とかどうなってんだ。
欲しい情報は下で蠢く死体のような何かの位置、だが出来れば攻撃意思とかも知りたい。こういうのをノベルじゃ敵意とか殺意で察知とかというか……?
「敵意探知起動……」
言葉と共に杖の先端、黒石が青白く光る。それは光の帯に分かれ杖を伝い、俺の手に絡まり、コートの中へと消えていった。特に痛みなどの感覚は無いが、自分の手を光が登ってくるという光景は少々怖いものがある。
しかし、1分程待って何も起こらない。それを不思議に思いながらも現象発生ゾンビ探知起動、と口にすれば下を見なくてもぼんやりと存在が分かるようになり気持ち悪くなった。何と言い表せばいいか……脳裏になんとなくあの辺にいる、というのが分かるというのだろうか? それが凄い数いてうんざりとする。ちまちまと一匹ずつ潰すのは効率が悪そうだ。
ついでに興味半分で人間探知を起動してみたら、あまりの反応の多さに背筋が凍るような思いがし慌てて起動停止する。大量の虫に囲まれている事を知ったというか、無数の得体の知れない何かに取り囲まれているというか、そんな感じの印象だった。神社に反応は無かった事と、ゾンビとは異なる何かとして存在が分かったから良しとしよう。そう頭を切り替え、まだ少し震える手に杖をしっかり握り締め、気合を入れなおす。
「壁と矢と槍以外に何がある?」
「何と聞かれても困るが……簡単に言うなら剣とか槌とか斧みたいな武器の形状は大体あるぞ。後は踏んで発動や時限発動系の罠、指定範囲を凍らせたり打ち上げたりだな」
範囲凍結……ね。有る程度纏まっている部分を確認、その場所に向けて杖先の宝石を向けぐるりとその位置を囲むように回す。
イメージはその大量に何かがいる場所の空気を冷却、丸ごと凍らせる感じだ。
「範囲凍結による氷柱化起動」
……音も無く反応が消えた。こう、カキィーンとかシャキィィーンとか音がするかと思っていたがそうでもないらしい。少々拍子抜けしながらも同じ要領である程度の範囲を氷付け(?)にし、数を減らしてから様子を見に行けば見事な透明な氷が出来ていた。中身は見当たらないが、いつかの人形のように消えたのだろう。何とはなしに触ってみればひんやりとした冷気が手に伝わる。寒いと感じないところに戦闘服の性能の良さを改めて実感する。
上手く行ったのならとテラの言葉に従い、周囲に何も無い場所を選びそれ以外の魔法――踏んで発動する固めた土の槍で突き上げる罠式魔法、槍の罠に連動して足元を凍らせる魔法、数分後に氷を地面に生成し地面を盛り上げる時限魔法などを試す。
足を踏み出せば何の変哲も無い地面から鋭い土が天に向かって2m程盛り上がり、その盛り上がった周囲を一気に氷付かせる。発動させて暫くは何も起こらないが、暫くすると地面がメリッと盛り上がる。盛り上がった地面の下を見れば、板状の氷が見えた。明らかに不自然だが、こうやって種も仕掛けもない罠製作が気軽に出来るのは魔法の特権だろうか。
「テラ、これ以外の条件式発動とかって出来る?」
「可能だな。鍵となる発動条件をしっかり指定して置かないとその場で発動したりするから注意だ。」
打てば響くように答えが帰ってくる。いつもこうならいいんだけどなぁ……
テラの言葉に従い、杖を手放した時を鍵にして氷壁が周囲に発動するように設定しながら、俺はため息を付く。程なくして準備を終えた俺は槍形態の杖を手に、桜散る満月の神社へと足を踏み出したのだった。
「……何か拍子抜けだ」
「気を抜くのは危険だ、と言いたいがそうだな。襲ってくるわけでもない。どうしてこいつらが出てきたのか不可解ではあるが」
先端の黒宝石を中心に半月を描くように氷を張った杖――斧形態を振り下ろし、ふらふらと動くゾンビモドキに叩き付ける。小さな子供の力などたかが知れている筈なのだが、それだけでゾンビモドキは砕けるように飛び消滅してしまう。しかもゾンビのような見た目をしている割に血や腐った臭いがするわけでもなく、近寄ってくるだけで反撃もしてこないので、豆腐か何かを叩いているようだ。
横手に反応があったので杖を両手で持ち、その場でぐるりと一回転。飛べと念じれば、遠心力を付けて刃だけ飛び進路上にいた二匹がそのまま吹き飛ぶ。倒れたゾンビが空気に解けるように消えていく光景は何処までも非現実的で、淡々と消していく行為がゲームか何かをやっているような、何か楽しいものに感じられる。
あまりはしゃぎ過ぎるなとテラに窘められるも、その言葉は一応言って置くといった感じの弱いもの。ここ最近たまっていた鬱憤を晴らすように俺は次々とゾンビモドキを消していく。ロクな反撃もしてこない相手ではそのやり方は次第に適当に、警戒すら無い無造作な動作になっていく。それがいけなかった。
「芹弥、後ろだ!」
何時になく焦ったテラの声に振り向けば、怒涛の勢いでこちらに迫り来る、視界一杯に広がる樹木の根。ゾンビモドキを蹴散らして気を抜いていた俺は、そんな驚きの光景に咄嗟に対応する事もできず、ただ呆然と根の束に飲み込まれた。根に塗り潰される視界に身を強張らせるが、体の外側を叩くそれらが自動防御に弾かれている事ですぐに緊張が抜ける。恐れる事はない、絶対安全の防御があるのだから、と思考を切り替え、木なら斬ればいいと武器の形状を切り替えようとした。
「氷剣きど痛いっ!」
突然手首に走った痛みに、思わず手を自分の目の前に持ってくると、小さい手に枝で引っかかれたような白い線が見え、そこから僅かに赤い液体が流れていた。続いて相次いで足や体が殴られ、言葉にならない甲高い音と共に息が漏れる。そのまま頭と背中が何かにぶつかり、からん、という乾いた音と共に新しい痛みが出来る事は無くなった。何が起きたのか自分でも分からず、ゆっくりと痛む体を起こしながら自分の周囲を蠢く木の根を呆然と見つめる。硬い地面を縫うように、或いはその上を這ってうねる根に沿って視線を動かせば、神木から伸びた無数の根が、丸く大きな月の輝く空の光を受けて輝く。その周囲を舞う異様に赤い花びらに彩られたそれらは神秘的で――どこか禍々しい。
ふと影が指す。注意を向ければ、一本の一際大きく俺の今の体より太い根っこが、蛇のように鎌首を持ち上げ月を貫かんと主張しているのが良く見える。月に掛った雲がまるで貫かれた人のように見え、それを彷彿とさせる程、自然物と思えない鋭く尖った先端に、体は静かに俺の制御下を離れる。
――桜の木の下には死体が埋まっている。桜の樹の下には屍体が埋まっている。
あの鋭い根なら、ちょっとチクっとするだけで済むだろうか? 消毒液の香りも、恐怖を煽る人の姿も無いのにどうしてこんなに鼓動が加速するのだろうか。
――桜の根はそれを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を集めて、その液体を吸っている。
注射器なら恐くなかったのに、迫り来る人形の包丁には勇敢に戦えたのに、少々太さと大きさが違うだけなのに
「逃げろ、芹弥ぁ!」
どうして、あんなにも、根が恐ろしいのだろうか。
叫ぶように声をかけるテラがこちらに飛んでくる姿と、そのテラよりも早く自分に迫り来る根。それを呆然と見ながら俺に出来た事は、小さい子供のようにただただ体が震えさせる事だけだった。