第八話 羞恥
唐突であるが、子供の頃よく親に嘘を付いてはいけませんと怒られなかっただろうか?
それは正しい事だと俺は思う。何故なら一度嘘を付けばそれを突き通さねば不利益が生じる。そして突き通す為に嘘を重ねる事になり、引き返せない綱渡りを続ける事になる事も多く、気軽に付いてはいけないものであるから。
だが大人になるにつれ嘘が増えていく事は無かっただろうか? そうしなければ余計な諍いが生まれるから。諍いが産む不利益を嫌うから。
かといって逃げる事は多くの場合一時凌ぎに過ぎず、より凶悪化した現実に回り込まれるオチ付く。
「あれ~? なんで羽があるの?」
「おい、やめろそっちに引っ張るな。」
「わ、わ、喋った! 羽ばたいた! りのちゃん猫だよ猫!」
満開の桜のような勢いでその好奇心に声を弾ませる華奈の姿で、自然と口元が痙攣し笑みのような何かを浮かべる。耳を寝かせ抗議する猫が、尻尾と一緒に話題まで膨らませているともなれば、その痙攣はこめかみ、肩、手足と全身へ伝播していく。
3月の肌寒い気温だというのに絶えず流れ落ちる汗に気が付き、着ていた真っ白のパーカーを脱ぐ。火照った頬や首筋を通り抜ける風が、煮立った頭を冷やしてくれる事を期待して。あわあわと奇妙な踊りを実行していた自分の手は見なかった事にする。
嘘を付ける状況ではない。そもそも浮いて喋る猫なんてどう誤魔化せば良いんだ? 都合の良い記憶改善系の魔法があればと思い……自分にその魔法が使われる可能性に至り思わず身震いする。まあ現在進行形で追いかけ回され続けるテラを見ればそれは杞憂だろう、そんな物があるならばテラは既に使っているだろうから。
外気で急速冷却中の頭でも思考のループを乗り越えられていない事に苦笑し、まずは心を落ち着かせる事にする。今の状況では沈黙こそ至上、逃走は愚行、弁明は博打。早なる胸に手を当てて大きく深呼吸。急いては事を仕損じる。視界に舞い散る桜の雨が、遠くに移るミカメ山の青に生える。……ミカメってどう書くか忘れた。 確か川三本に隣接する土地だった筈だから……三亀? あいつ山って付いている割に殆どただの丘なんだよな。この辺は手付かずの自然が多く、子供の頃からよく遊ぶのに使っていたし、近くの小学校から観察にやってくる事もあった筈だ。そんな思考がつらつらと頭をよぎる。
「凄いつやっつやー、あー久しぶりにもふもふしたい!」
「き、キシャー!」
時間稼ぎに差し出したテラから救難を求める視線が来るが、生憎視認妨害の魔法を使っている筈の猫の姿など見えていない。尻尾をぶんぶんと振ろうが見えていない。そう頭の中で呟きながら自然観賞に戻ろうとすると、華奈さんから盛大に手を振られている事に気がつき首を捻る。先ほどは俺に呼びかけたのに何故今更になって手を振ったのか。
ふと自分の周囲が暗っている事に気がつく。太陽が丁度雲で隠れたのだろうか? 空を見ようとした時だった。とん、と肩が何か硬い物に包まれたのは。
小さく、喉に引っかかるような悲鳴が漏れる。脳裏に写るは記憶に新しい人形の顔。自分はいつ選択肢を間違えたのだろうか? やはりテラを見捨てたところだろうか?
荒い息が耳に届き、それが落ち着けた筈の心臓を否応なしに加速させる。誤魔化すという事は逃げに他ならなかったのではないだろうか? 見捨てたから危機の察知も伝達して貰えなかったのだろうか?
硬く凍りついた身体を、ギギギ――と軋んだ音がするようなぎこちなさで動かす。振り向きたくないと思う気持ちに反し、操られるようにソレを見てしまう。弧の上にキラリと白く輝く、二つの異常に大きな目。黒目は、見えない。
「やぁ、芹弥ちゃんこんにちは。うちの華――「いやぁぁぁぁぁぁぁ!」
自分の声とは思えない、いや今まで出した事も無い最大で最も高い澄んだ声は、静かな神社の中ではとても、とてもよく響いた。
妖怪肩たたきは耳元で突然発生した謎の高周波で怯んだところで、横合いから飛んできた弾道をお腹に受け、駆けつけた華奈の母の手で大地に沈められた上、酒瓶片手の外野による野次といった追撃によりなす術も無く撃退。無事神社の平和は守られた。ちなみにテラは耳を押さえて落ちていた。
「ごめんねぇ芹弥ちゃん、うちの馬鹿旦那が驚かせて、華奈も何処か行くなら一声掛けなさい。お父さんが心配したでしょう?」
旦那が落とした眼鏡を拾う華奈母に、こちらこそすみませんでした。という消え去りそうな声と共に頭を下げる俺。どうやら自分が想像する以上に混乱していたらしい。やらかした事も恥かしければ、現状も恥かしい。絶対に赤面している自信がある。逃げたい。ここから逃げたい。
「りのちゃん気にする事無いよ! ダメなパパが悪いんだから。」
「そうそう、気にする事はないのよ~」
驚いたこちらが悪いからと言いながらも、自分に抱きついている華奈を手で押しようとするが全く離せる気がしない。それどころか上げた頭に手が載せられ、撫でられる。先ほどの騒動で人目が集っている事もあり、最早拷問か何かに思えてくる。
ただ、そんな自分から見ても今現在も追加で口撃が入っている妖怪肩叩きの姿には、見ていて何かこみ上げてくる物がある。騒ぎを聞きつけた青い服を着た人に質問され始めたとなればもう堪えきれない。
「何と言うか、哀れだな……」
いつの間にか復活したらしいテラが顔の横で呟いた言葉に、思わずそっと薄い黒の長袖で目元を覆う。――待て
顔を向けると腕を組んでソッポを向くテラの姿。必死に弁明を続けている妖怪と違い、頭を撫でている華奈母は目の前であり、視界に入らないわけがない。
錆付いた音がしそうなぎこちなさで前を向けばニコニコとした笑顔。学習してくれと猫に頼むのは間違っているのだろうか?
何とか手で押しのけたり、体で隠して視界の外にやろうとするが、するりするりと避けるテラ。本当に何がしたいんだコイツは……
しかし、そんな俺の姿はどう考えても不審なわけで、「どうしたの? 芹弥ちゃん?」と華奈母に尋ねられるのは当たり前。誰がどう見ても自爆である。
「ママ、そこに猫さんがいるの!」
直後に華奈が空中を指さしながら口にした言葉は当たり前ではないと思う。
そうなの?と聞かれ、そうだよね! と満面の笑みで迫られて、思わず頷いた自分もどうかと思うが。
「あらあら? おばちゃんには見えないけれど、使いの人が来たのかしら? だとしたら捕まえようとしてはダメよ。」
……あれ?
予想外の方向へ話が飛び思わず首を傾ける。ふぇ? などと呟く華奈がちょっと可愛い。
そんな自分の目に、華奈に効いていない事を棚どころか成層圏辺りまで打ち上げ、両手を腰に添えてふんぞり返るテラの姿が映る。とても殴りたい。
「その猫さんは帰る途中かもしれないからよ。帰し桜と言ってね。ここの桜はね、遥か昔に神様の使いがお帰りになった場所という言い伝えがあるの。」
華奈と共に声が漏れる。13年この町で生きていたがそんな初め言い伝えは初めて聞いた。
見れば物知り異世界人も興味深そうな顔をして聞いている事から、知らなかったようだ。
おうちに帰れないのは嫌でしょう? だからそっとしてあげてね。という言葉に頷く俺達の頭に、優しそうな笑顔を浮かべた華奈母の手が乗る。
「さて、そろそろママは馬鹿旦那を助けてくるわね。」
「じゃぁうちらはその辺で遊んでくるー!」
しゅたっと手を上げそう宣言した華奈が、ぐいぐいと俺の腕を引っ張ってくる。
こう小さい女の子に手を引かれて歩くというのが中々恥かしいのもある。引きずられる程ではないが割と力強いそれにあえて抗う。
せめてここを離れる前に迷惑をかけた華奈父に謝っておきたい、そう思っても体は人だかりの雰囲気に気後れしてしまうのだが。
「余り遠くに行ってはダメよ? あ、芹弥ちゃん、それおばちゃんが預かっておきましょうか?」
「パパは頼りないけど、ママがいるから大丈夫だよりのちゃん! 池に行こ!」
差し出された手に、思わずパーカーを差し出し……かっと顔が熱を持ったのを感じた。
いえ、大丈夫ですと早口で告げながら慌てて着込む。何時の間に、いや何故脱いでた、俺!
あぁ可愛いのに……と耳元に呟かれた言葉など
「あらら、可愛いお洋服だったのに……隠しちゃうのは勿体無いわ。」
呟かれたそれに、歪んだ頷く華奈の姿。どうやら俺の黒歴史がまた一つ増えたようだ。
華奈に手を引かれ、桜の木に背を向け、石が敷き詰められた参道を跨ぎ、生い茂る草を分ける華奈に続いて斜面を下る。生い茂る草木が足を撫で、くすぐったい。その感触に短ズボンでこの辺を歩き回った記憶が蘇り、懐かしい気持ちと共に胸が高鳴る。しかし生える草が増えるにつれ、くすぐったいはチクチクとした弱い痛みを伴うようになってくるとそんな興奮はすぐに埋没しただただ辟易する。こんなに痛かっただろうか? 遊ぶ事に夢中で気が付いていなかったのかもしれないが、そうだとするならば子供というものは案外強いものなのかもしれない。 赤くなる自分の白く細い足を見ると、華奈が穿いているタイツ……レギンスと言えば良いのか? が少々羨ましくなる。
とはいえそんな空間も長く続かず、目の前が一気に開け、葦や蓮のような何かが浮かんだ池とその淵に座り込んだ女の子の姿が見えた。池といいつつ実際は沼と言った方がいい不透明な水辺で、たまに釣りを楽しむおじさん方の姿が見られる場所だ。あまり爽快感は感じない。
「あれ? あやちゃん? あやちゃーん!」
華奈が池でしゃがんでいる女の子に走って行ってしまったので、それに追従する。走ってみてよく分かるが、以前と比べて体が軽く浮き上がるように足が進むので、走るのがちょっと楽しい。とすっ、と頭に何かが乗る感覚に、手をやるとふさふさした手触り。おいこら頭に乗って手抜きするな駄猫。ごろごろ……じゃないわ!
「華奈? おひさー」
「お久しぶりー! 何やってるの~?」
頭に乗った猫を引き離そうと、両手を柔らかい腹の下に入れて持ち上げようとするが、奴は爪を立てて抵抗する。抗議のつもりか尻尾が首に当たるのがやたらくすぐったい。仕返しとして尻尾を掴んでぐいぐい動かしてやると何故か目の前に手を垂らしてだらん、と寛いでくる。
「ちょっとね。金魚を放してたのよ。」
「ほぇ? 金魚?」
「そ、うちで飼ってたんだけど、お母さんが離してこいって煩くて。 嫌だったんだけど、水槽掃除を誰がするの! って言われちゃってね。」
「ん~、あやちゃんがすればいいんじゃないの?」
「それが水槽って意外と重いのよ。あたしじゃ結構厳しくって、危ないからダメって言われちゃった。」
「そうなんだぁ……金魚さん、無事に生きられるといいね!」
「うん、無事に生きて欲しいな、と祈ってたのよね。」
横で流される世間でありがちなペット事情に、アレ確かに重いよなぁと心の中で同意しながらも猫との攻防を続ける。与える餌が原因で水槽の微生物が増えるせいで水は腐りやすいし、そのお母さんが言う気持ちも分かる。ちなみに七五三掛家では掃除担当にされた橙吾面倒になった為、魚を排除し塩素入り魚無し水槽という物体を製作した。水音が気持ちいいし水草(造草)が目に優しいと母と妹に大好評だったとの事。どうでもいいが何で七五三でシメなんだろうか。
と、頭から重みが離れた。嫌がらせに根負けして諦めてくれたらしい。ささやかな勝利にちょっと嬉しくなる。
「ところでさ、華奈。」
「なぁに? あやちゃん。」
「さっきから気になってたんだけど……アレ、なにやってんの?」
「あはは……気にしない気にしない。虫でも付いたんだよ、きっと!」
「あー、それで満足げなのね。分かる分かる。髪の毛にひっつくとうざったいし。」
2人から可愛い物を見る視線が俺に降り注ぐのを感じる。慌てて弁明を行おうとするも、羞恥心で混乱した口先からは「ちがっ、こりぇは猫が、テラが、うざっかっただけ! 見るなぁ!」と噛み噛みの言葉が漏れ、ますます視線が暖かくなってしまう。帽子気に入ってるんだねぇと華奈が呟くと、帽子に名前付けるとかなにあれ可愛い……とあやちゃんが返す、そんなひそひそ声のやり取りに混乱は益々加速する。
そんな目で見るなぁぁぁこの馬鹿猫ぉぉぉぉと心の中で絶叫しつつも頭を抱える俺、その耳元で聞こえるクックックッという笑い声に、想いの力とやらこの猫をマジで爆発させてくれと、全力の怒りを込めて願わずには居られなかった。




