第五話 不審
視界に入ったのは、柔らかい日差しと開かれた薄緑色の生地に兎の絵が描かれたカーテン。
視界に映るのは弱弱しく橙色に光る常夜灯……慌てて身を起こし左右を見渡す。
続いて頭から足まで手で確認し、深く一息。
「目が覚めたら元通り……じゃないな。 俺の部屋じゃないし、姿も戻っていない。現実か……」
そこは普段の自分の部屋とは全くの別世界だった。
参考書やノートが隅に立てられた机は可愛らしい兎のマスコットなどが見え、机の横には時間割と、3月のカレンダーが張られている。見る限り小学生のようだ。
白く大きな本棚はライトノベルもあるようだが漫画の比率が多く、そもそも一番上の列にはぬいぐるみが詰まっていた。ざっと見た感じ猫や犬、熊、兎などの動物ものが多いようだが、奥にかなり精巧な、兎ではなく猫のぬいぐるみがあるのが気になった。机もそうだが本棚もぬいぐるみも綺麗に整頓されているところから、せりやという人物は几帳面だったのかもしれない。
ベッドはシンプルな白でこそあるものの、自分の真横に大きな兎のぬいぐるみが置いてあるのはどう反応すればいいのやら。
さらには部屋の中央に緑色の絨毯が敷かれ、その上に小さな丸い机がある。
夢であれば良かったのに、と思いながらもベッドの横にあった小さな棚を見れば、その上にデフォルメされた兎に保持された時計が8時を示していた。
一通り部屋を見た限りの感想は、せりやという女の子が愛されてるんだなという事と、せりやさん兎好きすぎだろうというところか。時計の横に置いてある白い携帯には流石に驚いたが、それ以外は概ね予想通りの光景だ。
「目が覚めたか。」
相変わらずのハスキーボイスに視線を向けると、並んでいたぬいぐるみの中を掻き分け、精巧な猫のぬいぐるみが降りてきたところだった。……なんでそんな所にいたんだろうか。突っ込み待ちなのか?
「おはよう、テラ。」
「おはよう。目が覚めて良かった。」
そう言いつつ、視線の高さへと浮かび上がる鳥の羽が生えた猫モドキ。それを見てふと思った。
「テラは地球では魔法使えないんじゃなかったっけ?」
「ああ、これは地球の魔法を使ってないからな。分かりやすく表現するならそういう仕様の機械なんだ。」
どういう事だろうか?テラは魔法文明的世界の住人だと思っていたが……機械もある文明なのか?
「というか……テラは機械なのか?」
「いや、機械のようなものであって機械ではないな。この身体は仮の物で、私が操っている感じなんだ。……ああそう不安そうな表情をするな。簡単に言うと私たち天球人は地球では活動できないから、代用の身体が必要なだけだ。」
じっとテラを見つめ先を促す。自分の記憶すら疑われる現状で、テラまで疑うような事態にはなりたくないが、聞かないとさらに不安が増すと思うから。
「私たち天球は地球とよく似た、いや、ほぼ同じの環境と言っていい。私も元は君と……いや、今の君よりは大きい姿だ。ただ、いくつか差異がある。」
テラが尻尾をくねらせながら続ける。
「一つは機械が存在せず、変わりに魔法がある事。次に人種というものが、動物の形質で分かれていること。最後に……怪物が存在し、病が殆ど存在しない事だ。」
「動物の形質って……それにモンスター? あれか?」
「大体君が想像している事で大差ない。 動物の形質というのはアレだ。兎とか猫とかだ。私は猫人って奴だな。」
随分ファンタジーな話である。魔法がある時点でファンタジーといえばそうなのだが、そんな次元でなく中世でファンタジーな世界のようだ。
「不思議そうな顔をしているが……君達も元を正せば猿が祖先なのだろう? それが兎や猫になっただけの話だ。君達よりやや形質が残っているというだけで。」
言われてみればそうではあるが……等身大の兎や猫が歩く文明的な世界といわれても困るものがある。 だが、杖の事を考えれば自分たちと同じか、それ以上の文化ではあるのだろうが……
「そうだ、杖は、服は!? 」
今の自分の衣服は可愛らしい兎柄の付いた、桃色の寝巻きだ。間違っても魔法少女衣服ではない。少々恥ずかしいものがあるが、スカート姿で散々逃げ回った事を考えれば今更だ。
「落ち着け、見ての通り杖なら私の背中だ。服は……君の今の身体の母親を名乗る人物が着替えさせた。今も下の階にいるだろう。」
君が倒れた後現れたんだ、そう続けるテラの言葉に、ずしりと身体が重くなる。せりやの母親になんと言えば良いのかも分からない。どんな顔をして合えばいいのかも分からない。そもそも自分の状況が分からないのだから説明のしようもない。
この身体の記憶も、意識も残っていない俺はどう対応すればいいかも分からない。よくある真実を告げるという選択肢も、真実すら分からないのでは取ることすら出来ない。ぐるぐると渦巻く思考は不安ばかりを増やしていく。
湧き上がる感情に耐えるように、自分の足に掛かっていた毛布を小さくなってしまった手で握り締める。しかし荒れ狂う心は静まることを知らず、小さくなった体が防衛本能のまま感情を涙に変え始めたところで、軽い振動がベッドを揺らす。程なくしてこちらを見上げる猫が、足の合間へと登り……自分の隣にあった巨大兎にじゃれ始めた。軽いとはいえ、数kgはあるだろう体躯が暴れまわればそれなりの振動を伴う。ぷすぷす音がする事から爪も立てているようだ。
とりあえずせりやのお気に入りであろう兎のぬいぐるみが壊されるのは不味いだろう、と猫の魔の手から取り上げ、一言。
「何やってんのテラ」
「にゃー」
「いや、今更猫のフリしても意味ないだろう、というか二足で立ち上がって猫の真似しても……」
そう俺が突っ込むと、テラはふふん と笑い宙に浮かび上がった。一体何がしたかったんだか……取り上げた兎のぬいぐるみを抱き抱えつつうろんな視線を向けるも、奴は気にせず床へ下りると、扉の前へと歩いていってしまった。
「お腹も減っているだろう? 誰も分からない事を急ぐ事はない、ゆっくり考えればいいさ。」
それに……と、ドアの取っ手を下ろし、扉を体当たりの要領で開けていく器用な猫の姿に感動している俺を横目にテラは続ける。
「進まなければ好転する可能性は無い。あるとすれば徐々に悪化する可能性だけだ。……そもそも芹弥の母親も普通ではないようだしな。」
「普通ではない? 何かあったのか?」
そんな言葉を残して出て行こうとするテラを、俺は慌てて追いかけながら訪ね返す。ちらりと横目でそれを確認しながら三回、尻尾をゆらりと左右に振ったテラが続ける。
「魔法少女の姿の君を当たり前のように抱きしめ、空中に浮いた私に動じず、むしろごく当たり前のように話しかけてきた君の……いや、芹弥の母親を普通だと思うか? ちなみに私が君、正確には君の今の姿の少女に出会ったのは昨日が初めてだ。」
……現実という存在は、激しい音で扉を叩いて訪れはしないが、静かに這いより恐怖を煽ってくるらしい。軽快な音と共に下へ降りていった猫を目に、俺はさらに増えた謎と疑惑について思考を巡らせ、憂鬱な気分になったのだった。
色々な不安を元にゆっくりと階段を下りると、大きな小窓の付いた扉の先にリビングと思われる部屋と、皿から何かを貪るテラの姿が見えた。カリカリか猫缶かは不明だが、地球の猫餌は天球人にも有効だったらしい、と暖かな気持ちで扉を開けようと思ったところで、大きな兎のぬいぐるみを持ったままである事に気がつき顔が熱くなる。
今から置きに戻るか、と思案をしていると窓越しに女性の姿が見え、考える暇もなく視線が合う。
驚いた表情を浮かべた、何処か疲れた雰囲気を感じるせりやの母親と思わしき人物を目に、ため息をついて部屋に入ると
「芹弥!」
という声と共に、即座に女性に抱きしめられる。その表情は非常に優しげで
「良かった。心配したのよ……」
と撫でられた頭には不安が溶けていくようで。この気持ちは母親という存在が持つ魔力なのか……はたまたこの身体が無意識に安心しているだけか、それすらも判断が付かない自分に情けなさと恐怖を感じる。
そんな俺を知ってか知らずか、お腹が減ったでしょう? と言う問いに頷くと兎のぬいぐるみをその場に置かされ、椅子に座らされ、程なくしてご飯と、ベーコンとほうれん草を炒めたもの、スクランブルエッグの乗った皿が現れた。にこにこと笑顔を浮かべる女性を前に、流されかけていた俺はブレーキを掛け、言うべきであろう事をいう事にする。
「すみません、俺はせりやではありません。」
後ろで聞こえた、カリカリという音が止んだ。
逃げと言われるかもしれない。心配した女性にこれを告げる事は間違っているだろう事は俺にも分かる。だが隠し通せる気はしないから。隠し通して後で絶望を与えるよりは良いと思ったから。
罪悪感と今後の心配を胸に告げられた言葉を受けた、女性は絶望の表情を……見せない? 何か納得したような、諦めたような表情を浮かべ、決意を込めたような表情でこう返してきた。
「分かっています。でも……貴方は芹弥です。」
とりあえず話よりも冷める前にご飯を食べてね、と続けた女性に、混乱しきっていた俺はこれ以上言うべき事も見つからず、何事もなかったように歩くテラを横目に箸を手にし……いただきます でしょう? と怖い笑顔を向けられたのだった。
――――夢を見たんです。行方不明の娘が、男の子っぽくなって帰ってくる夢を。
ご飯を食べ終わった俺は、お茶の入った湯飲みを手に、そのまま先ほど座っていた椅子に座っていた。
対面にはせりやの母親――桜さんというらしいが座り、横にはテラが浮いていた。ちなみに大人二人掛け程度の長さの長椅子が机を囲む形であるので、テラがいる場所も人は座れる。
そんな状況で何をするかと言えば、先ほどの謎の多い台詞に対する追求であり、帰ってきた言葉が先ほどの台詞、となる。正直どう反応すればいいのか分からない。
「ふむ、では私を見て反応を示さなかったのは?」
「その夢で出てきたからです。」
ハスキーボイスで問い返す猫に頷く桜さん。笑い飛ばしたいところだが、自分も正夢(?)を見ているだけになんとも言えない気持ちになる。しかし猫と当たり前のように会話している光景も、別な意味でなんともいえない気持ちになってくるのだが……。
「行方不明という件は聞いても?」
「娘、芹弥が一週間程前に街中で姿を消したんです。誘拐事件と考えられていましたが……」
目撃証言も何も無く絶望的な状況だったらしい。人形怪奇で失踪したのなら誘拐犯が見つかるはずも無い。……思い出すだけで震えが走る、トラウマになったかもしれない。
その姿を桜さんに見られたのか、先に着替えましょう、と声をかけられるが、首を振る。
「夢が本当だったかどうかは分かりませんし、別人であるという主張も分かります。
ですが、私を母親だと思って……いえ、せめて一緒に生活をして貰えないでしょうか?
もう、一人は嫌なんです。」
そう告げられ、テラを顔を見合わせた俺たちだが、頷く他選択肢はなかったのかもしれない。抱えた事情が大きすぎた為に、一人で抱えるには重すぎる為に。
人は様々な事情を抱えて生きている。その事情の大きさに差異はあれど、全く存在しないとすれば生まれたばかりの赤子だけだろう。
この家に集まった人々の抱えた事情は大きく、重く、不思議なものだらけで、様々な不安を抱えていたけれど、頷いた時の母親の笑顔を、俺は忘れられない気がした。
活動報告を見ていただいた方には申し訳ありませんが、遅刻投下です。
母親も不審ならば主人公も傍目には不審、猫まで不審。疑惑だらけのまま次へ続きます。ちょっと最後が強引かもしれません……。
全くもってどうでもいい話ですが、猫書いてたら猫もふりたくなり、実家の猫もふったらお年玉を貰ってしまった。(´・ω・`)……口から。