第三話 夢現
「……ん……ぅ……」
身体を覆う冷気に身震いしつつ、やけに重くこわばって感じる身体を、両手を前に付いて身体を起こす。
身体に衣類が張り付いて気持ち悪く、何か不快な臭いもするんだが、俺は一体何処で寝たんだ……?と手で目をこすり……一気に血が引く感覚と共に意識が鮮明になる。
俺の視界に移るこの小さな手は何だ……?下を見れば膝丈くらいのスカートと、カラフルな靴下に可愛い靴が見え……夢と同じ服装になっている事を確信する。同時に、直前の状況で自分が見た人形はやはりあの夢の人形だったのだろうと。そう思い至ると同時に動く足、逃げなければという気持ちばかりが急いて行く。捕まった後など考えたくもない。幸い履いている靴は運動靴のようなタイプで、膝上のスカートは気にはなるが足の動きに支障は無い。
これが夢であればと思う反面、現実であると勘は、五感は、思考は告げる。俺が倒れていた場所は幸い男の自分が倒れていた場所と同じ位置、来た道を逆走すれば人目の有る場所に出る。と心を奮いたたせ走っていく。右へ、左へと曲がり、公園のある場所まで出て……
「ひっ」
「あら? あなた……一体どうやって逃げ出したの? 」
アパートの横に黒着物の人形が浮いているのを見て、思わず挙げてしまった声。当然のようにその声に反応しこちらに視線を向ける人形を見て、現実の厳しさを知る事となる。
スロー再生で見ているように、ゆっくりと首が回って動いていく光景を見て、人形がいる方とは反対の、左ではなく右手へと走る。
「ニンゲンなら動けない筈なのに……あ、待ちなさい! 」
時間的にも心理的にも振り向く余裕など当然無く、足が震えるのを自覚しながらも走り続ける。曲がり角を左に、閉まっている居酒屋のような角を右に、寂れた家のある角を左に……
気が付けば集合マンションの中、舗装された通路をひた走っていたが気にする余裕もなく、只管ただ捕まりたくない一心で走り続ける。自分の目線より高いフェンスに突き当たり、悩む事無く左に視点を変えると、ところどころ空白のある自転車の列と……
「通せんぼ~、おっにさんこっちら~」
非常に見たくない、赤い着物を着た人形がいた。あうとかひぅとか意味の無い可愛い声と共に視界がぼやけ、うねる髪の毛に合わせる様に足が震えだす。元来た道には遥か遠くとはいえ黒い物体が見えるし、反対側は壁。夢で見た光景が脳裏に蘇り、絶望的な状況にへたり込みそうになる。
一か八かで人形の横を走り抜けるか……髪の毛に捕まる気しかしない。何か方法は無いか、もうこれで終わりなのか。と右手が硬い物に触れる。掴んだものがフェンスである、と自覚する前に俺はそれを掴んで跳躍し……
「うわぁ火事場に冷蔵庫始めてみた! 」
気が付いたら俺はフェンスを飛びこえ、路地に降り立っていた。自分でも何やったのか、何でジャンプしたのか正直分からない。登ろうとしたんだろうか? フェンスがきしむ音と、人形がフェンスに手をかける、微妙にシュールな光景を目に慌てて逃走を再開する。マンションをぐるりと回るように走り、苔の生えた通路を走り……
視界が開けた時には、思わず「やった!」とガッツポーズをし……その場にへたり込んでしまった。
目の前に開けた、設備がやけに充実しているのが印象的な、アパートが対面にある公園を前にして。
思えばマンションが見え、ぐるりと回ったのだから当然ではある。途中で曲がるべき場所を間違えた自分の愚かさが恨めしい。
逃げなければ、と思う。立って周囲を見渡さなければ、足を動かさなければ死んでしまう。と、そう頭で思っても、身体は動かない。こうしている間にも、死は確実に迫っているだろう、と思っていても、危機から脱したと思って地獄に戻ってきてしまった絶望は気力を完全に奪い去っていた。
「見つけたっ! そこの君、事情は後で話す、あの人形を倒すのを手伝え! 」
どのくらいの時間座り込んでいたのか、少なくとも荒れた呼吸が落ち着き、湿った下着が冷え切り感触を不快に思うくらいの時間が経った時だった。何処かぼんやりとした気持ちでへたり込んでいた俺の耳が聞きなれないハスキーな声を捕らえた。
慌てて周囲を見渡すと、もうこれ夢だったのかな……と思考が止まった頭は呟きだす。頭上に薄茶色の鳥の羽が生えた、黒猫のような何かが居た。綺麗な青色の目にすらりとした美形ネコが二足歩行形態を取っているのは、シュールと言えばいいのか、笑えばいいのか判断が付きにくい。しかも羽は動いてない。飾りなんだろうか。
「私は天球……あー、異世界から来た妖精とかそんな感じだ! 人形倒す力をやるから手を出せ!
おんみ……より、最近の若い子相手だと……魔法少女って言えば分かるか? そんな感じのだ!」
手を出せといわれて咄嗟に差し出してしまったが、猫が魔法少女とか言い出した。いや、ソレを言うなら猫が喋ってる時点で……人形が喋るんだから猫が喋っても良いのか? ますます夢っぽい展開だ。
そんな風に良い感じに混乱している自分を他所に、猫モドキは寄ってくると、その可愛らしい魅力的なピンク色の肉球の付いた手で器用に、背中に付いた鳥の羽を持ち、音も無く引っこ抜いたそれを俺の手に乗せた。やっぱり飾りだったらしい。しかし、ずっしりと重い鳥の羽で何故かこれが現実であるような気がした。
「羽、抜けるのか……」
「うむ、それは羽型に擬態してるだけだからな。武器を持ち歩くわけには行かないだろう? そんな事より変身するぞ変身。とりあえず立ち上がって手を前に出せ。」
そう言ってくる猫相手にどう反応したらいいか分からない。猫の世界でも銃刀法違反あるのか? とか魔法少女ってあのフリフリだろうか? とか突っ込むべきところはあるのだが。
兎も角、あの怖い人形に立ち向かえるならと猫に従う事にする。立ち上がり、羽を掌に乗せて前に出す。と、頭に軽い衝撃とふわふわ。猫が頭に乗るとかちょっと和む。二足歩行型じゃなければもっと良かったが。
「そのまま羽を握り締めて……そう、で次の言葉を繰り返して……戦闘形態に移行せよ、魔杖起動! 戦闘服起動!」
「えっと……戦闘形態に移行せよ、まじょうきどう? せんとうふくきどう?」
魔法少女の割りに夢の無いワードだなぁと、思いながら繰り返すと、魔杖起動の段階で羽が伸び、見る見る自分の身長くらいの大きさの杖になる。杖の全体は白く、先端には猫の艶やかな毛の色と同じ、黒い宝石のようなものが付き、それを4枚の茶色い鳥の羽が覆う形状をしている。全体で見れば思ったよりもシンプルで恥かしい感じはあまりない。続いて戦闘服起動のワードで宝石を覆う鳥の羽のうち二枚と衣服が光り、衣服がコートのような何かに変化する。背中にウェストポーチのようなものが付いているのが感覚で分かる。しかし、この格好は
「魔法少女という割には、意外と露出も少ない?」
「そりゃあんなフリフリだったら恥かしいし、危ないだろ?」
思わず漏れた声に、至極全うなお答えが返ってきた。それはさておき、どうやって戦うのだろう? と猫に聞いてみようとし凍りつく。視線の先に移ったのは非常に素敵な笑みを浮かべた包丁を持った黒人形。身体が震えだすのは仕方がないと思うんだ。
「芹弥ちゃん、みーつけった。さぁお姉さんとおままごとをして遊びましょう?」
「時間切れか、戦い方は実地で覚えろ。多分何とかなるから。」
「む、無茶、ひっぐ、どうずれば、いいんだよぉ」
猫が非常に無常な事を言って来た。泣けてくる。そうこうしている間に人形が大人が走ってくるのと同じくらいの速さで迫ってくる。煌く刃に湧き上がる恐怖を抑えきれず、杖を抱きしめるように身体を丸め、目を瞑り……衝撃は来ず、きぃぃぃぃん と澄んだ音が鳴り響く。恐る恐る目を開いてみると、杖より拳一つ分開いたくらいの位置で包丁が止まり、人形が驚いた表情をしているのが見えた。
「魔杖は人の想いを、魔力に乗せて増幅してくれる力がある。この場合、死にたくないと思っている限り自動で防御してくれるのさ。ほら、恐くないだろ?」
「最初から教えろよぉ」
何だそのチート性能。ぐすぐすと鼻を鳴らしつつ抗議をすれば、猫はそのハスキーなボイスで「悪い悪い」と全く悪そうに聞こえない謝罪を返してきた。その間、人形は一旦体勢を立て直そうとしたのか、糸に操られるような不自然な姿で後ろへと跳躍。再度突撃を繰り返すがやはり拳一つ分の位置で止まった。
「で、攻撃方法も同じ方法でもいけるんだが……今回はもう一つの方法、コマンドワードで行う。とりあえず人形に杖を向け、氷槍起動 だ。」
言われるままに氷槍起動と言うと、杖の中央部分と宝石の近くが魔法陣のような紋様を浮かべて青く光る。すると杖の先にある黒い宝石から氷が膨れ上がるように生え、見る見るうちに綺麗な氷の槍になった。視線では明らかに子供の足では追いつけなさそうな速さで、不思議起動でこちらに包丁を向ける人形の姿。……これでアレを突けと? そんな雰囲気を察知したのか、慌てた様子で猫が言葉を重ねる。
「それはトドメ用。勿論ソレで攻撃できるならやってもいいけどな。次は氷矢起動だ。今度は相手を見て、当たるように祈って言うんだぞ。」
そう言われても慣性の法則にケンカを売るような不思議な動きを、大人が走る速度で繰り返す人形だ。しかも、当然だが猫の台詞を相手も聞いていたのだろう、視界の外に移動するよう動き始めている。見て撃てっていうのが難題だと思うんだが……せめて動きが止められれば……
「氷壁起動 とか 氷罠背面起動とかで何か発動し――うわ!?」
実に涼やかな音と共に自分の正面に現れる壁。さらに背後でも何かが固まる音、おそるおそる振り向けば半分凍りついた人形。包丁を振り回すそれに思わず槍を突き出しすと、豆腐か何かを貫くように槍がすり抜け、人形の姿が幻か何かだったかのように薄れて消えていった。
「な? 何とかなるだろ?」
どやぁと副音声が聞こえてきそうなその言葉を耳にした時、俺は杖から手を離し、頭の上の猫をもふり殺しの刑に処したのだった……
「……順序立てて説明してただけなのに……君の頭が良すぎただけじゃないか……」
思いっきり不機嫌にそう告げ、尻尾でぺしぺしと俺の頭を叩くテラに「ごめん」とまた謝りながらも、他の人形を捜して裏路地を歩く。
あの後、逆に怒られて猫パンチで只管叩かれた俺は、テラという名前らしい猫から状況を聞いた。曰く地球には本当は魔力という存在があり、しばしば人々の強い想いがそれらに影響を与えて起きる現象があるんだとか。付喪神や幽霊はその代表で、大事に扱う人の思いや死に際の人の想いが実体化したものらしい。今回もその類ではないか、という話だ。俄かには信じられない話だが、まさに怪談話から出てきそうな物体を目にして否定するのも馬鹿な気がする。
「でも異世界人ねぇ……」
「君達が知らないだけで、昔から私らはこっちに来てた見たいだぞ? 陰陽師ってまさにソレらしいからな。
さらに昔に戻ればムー大陸とかもだな。」
「マジですか」
「マジだ。高度に発展した魔法文明の産物が、今持っているその杖だ。まあうちも魔力枯渇が問題になってたりして、良い事だらけじゃないんだがな。」
んで、そんな事を知っている彼らは驚いた事に地球とよく似た世界、天球と呼ばれる場所から来た異世界人?らしい。現象化したそれらを倒せば構成していた高濃度の魔力が手に入るため、魔力欲しさに現象狩りに来たが、それら人形を退治するには同じ魔力を使った攻撃が有効(というより魔力以外は無効)、彼ら天球人は地球の魔力は使えず、地球人の協力が必須だった、との事だ。
「さて、二体目が居たぞ。右手だ」
言われてそっちの方向を向けば白い着物の人形。ちなみに最初に自分が倒れていた場所のようだ。杖を両手に持ち、斜めに倒して構えると、かんかんかん、と立て続けに乾いた音。視線を落とせば大量の針と釘が落ちていた。呪いの人形で釘とはまた定番な。
すぐさま氷槍を起動し、続けて氷矢を起動、槍先の周囲に30cm程の氷の棒が現れ人形へと飛んでいくが、ふわりと左に避けられる。氷壁を前方起動し、それを押すように走ると氷があっという間に針だらけになり、ヒビが入っていく。万能防御壁が無かったらと思うと背筋が凍る思いだ。
そのまま氷壁を押し、自分は右に横飛び。そのまま氷の壁は人形のやや左側寄りの位置で飛び、当然潰されまいと人形が右に飛んだ所に氷矢起動、どうやら慣性の法則にケンカを売った動きはすれど、連続した移動はできないらしく矢が命中。そのままあっけなく槍を突き刺して終わった。
「上手い物だな。」
テラも上機嫌である。ちなみにこのコマンドワード、使い手がある程度変更できるとかで、今の設定はテラさん仕様らしい。何でも元々天球で自分が使っていた武装なんだとか。使いやすくて助かるが……テラがこの衣服と杖を着る姿が想像できないが。後で詳しく聞いてみよう。
「後残りは一体……後ろだ!」
慌てて振り返るのと、うねった髪の毛が足に巻き付くのはほぼ同時だった。
幸い防御機能は働いているのか、締め付けられる圧迫感は無いが心臓に悪い。倒せば人形は姿を消して居た事から、この髪の毛も消えるだろうし、さっさと倒すに限るだろう。そう考え杖を構えた時、鈴の音を鳴らしたように澄み、可愛い声が聞こえてきた。
「どうして……ボクはただ遊び相手になりたかっただけなのに……どうして逃げるの?」
「いや、遊び相手と言われても死にたくないし。」
「殺してない、ボクは殺してないもん。ただ、友達になってあげたかっただけなのに……棄てられたんだもん!」
首を傾げ、少し考える。これはひょっとして棄てられた人形が主に戻ってくるパターンの呪いの人形だったのだろうか?
何となく周りを見れば髪の毛は足に巻きついているが、弛んで床に付いているのが見えた。そういえば……と思い出すと、夢の中でも同じだったような気がする。他の二体は明確に死にそうな気配だったが……圧迫感がないのは防御性能の影響ではなく、締められて無いから?
困って見上げると猫が落ちた。浮いてるんじゃなくて乗ってるんかい、と何か脱力してしまう。
「友達になりたいといわれても……最初の黒着物の人形は捕まえたとか、動けないとか言っていたし、包丁だの針だの飛んできたんだが……」
「う……ボクは違うもん、違うもん。あんな事になるとは思ってなかったんだもん……」
そのまま何かぐすぐす泣かれ始めた。いや、どうすればいいんだこれ。
ため息を付き、仕方なく近寄ってみるとあっさり近寄れた。このまま槍で貫けば終わりな気がするが……とりあえず人形の頭に身長に手を置いてみる。
ビクリ、と人形が動くと言うのも変な話だが、そんな反応を見せた人形に対しため息を付く。何か小さい子供を見ている気分だ。
「棄てた人物は知らないが……身勝手な振る舞いを代わりに謝る。でも、思ってなかった。で襲われたら友達も何も無い。」
「……」
「何か言う事は?」
「ごめんなさい。」
いつ裏を返してくるか分からない筈だが、何かこの人形は違う気がした。頭を下げて謝った人形に対し、頭を撫でて、手を離す。
「これでお相子。さて、逃げないからこれを解いてくれないかな?」
「……本当に逃げない?」
「逃げないよ。さっきは事情も分からず飛び掛ってきて、驚いたから逃げたんだ。」
そう言うと素直に髪の毛をするすると引いてくれた。足をなでる感覚がこそばゆい。しかしあの質量が綺麗に戻るとか、質量保存の法則とか何処に消えた。実はこの人形重いのか?
そんな阿呆な事を考えながらも、手を人形へと伸ばす。それにきょとん とした雰囲気を返す赤着物の人形。無表情の人形顔の筈なのに、感情が分かるのは不思議だ。
「仲直りの印に、俺じゃダメかな?」
「いいの?」
また襲われないならね。と言ってやると、人形は恐る恐る手を差し出し、手を重ねた。何か可愛いんだが。
「……ありがとう。」
ぼそり、とそう呟く人形を俺はそっと抱きしめると、また泣き出してしまった。やっぱり可愛くないかこれ?
……大丈夫だ、ロリコンじゃない。中身は男だとしても、例え相手がロリっぽい雰囲気でも人形だし、今の自分の見た目は幼女だ。大丈夫。
ちなみに、散々傍観してた挙句、「良い話だなー」とか言ってる猫は後でもふり倒そうと思った。