第二話 始まりの終わり
視界に入るは白一色。視界に写る髪の毛に緑や青の色が見え……慌てて身を起こし左右を見回す。続いて頭から足まで手で確認し、ほっと一息。
「目が覚めたら天国……じゃないな。よかった、俺の部屋だしなんとも無い。夢か、夢かぁ……」
思わず独り言を呟いてしまった俺は多分悪くない。せりやなんて名前では断じてない。7と5と3を掛けて、とうご と読む七五三掛 橙吾という名前を、俺はそれなりに気に入っているのだ。知らないと読めない名前だが説明は楽だし、親曰く、オレオレと電話がかかって来たら『お前の名前を言ってみろ』で電話切断の逸話があるとかなんとか。まあそれはどうでもいい話だ。
落ち着いて見れば、そこはいつもの自分の部屋。参考書やノートが隅に立てられた机にライトノベルが多数詰まった本棚、自分で進んで買った服が殆ど無いクローゼット、何の変哲も無いベッド、10万程度で専門店に出向いて買ったパソコンで全ての、よくあるすっかすかの部屋だ。最初に視界が白かったのは、夏の朝日がベッドへ降り注ぎ、目に入っていただけ。太陽の光で目が覚めるこの状況が俺は好きだ、夏場の現在は地獄だが。
しかし、テンプレ転生とかちょっと期待してしまうくらい酷い夢だった。と思いながら再度寝転がり、ベッド下のフローリングに視線を移すと、無造作に置かれたシンプルな目覚まし時計は11時を示し、その横に寝ている間に落としたと思われる黒の携帯が開かれて落ちているのが見える。ぼやけた頭で赤緑と光って主張する携帯を開き、メールを確認しつつ今日の予定を思い返せば、友人の天目 薫|と13時から遊ぶ約束があった。
確か、目的地はここ飛鳥県飛鳥市から電車で1時間分程度で移動できる隣の県の商店街、ちなみにうちから駅までは自転車で10分かかる。待ち時間等考えて1時間30分あれば余裕、昼飯は行き途中で食べるかなぁとだらだら考えつつ時計をもう一度見ると11時7分。
「いや、俺寝すぎだろ!?」
勿論こんな時間を朝という人物は居ない。どうやら朝飯はとうの昔に夢の中に消え、昼飯は自宅で手早く食べる事になりそうだ。
「よぉ、とーご久しぶり。時間丁度だな。」
そう手を上げて挨拶してきた薫に、ああ久しぶり、と一ヵ月ぶりか。と返しつつ、間に合った事を安堵する。こいつは遅れても気にしないだろうが。
「あー、もうかよ……いや、だがまだだ。まだ一ヶ月ある! 大学生活は休みが長くて良いな!」
相変わらず薫のテンションが高い。だが休みを最大限利用して読書三昧の俺もその考えは同感だ。嬉しそうに俺の妹が可愛いログを垂流す薫をあしらいつつ、俺達は街を適当に散策後いつものようにゲーセンへ。まあ暑いので街中というより店周りという感じではあったが。
入り口付近に置いてある、御菓子等をスライドする板の上に載せて押し出す丸い奴を見下ろしつつ奥へ。クレーンゲームに並べられたフィギュアや
ぬいぐるみ、お菓子など見慣れたラインナップに適当に挑戦したり、薫の音ゲープレイを見たり、息を吐くようにパーフェクト取る姿は見た目の良さも相まって何かやたら格好良い。ゲームが終わってふっと顔を上げても何か決まってるように見えるから不思議だ。
「む、菫が呼んでる。橙吾、すまんけど少し抜ける。」
「あー。はいはい行ってらっしゃい。」
横に並べば視線が若干上に行く165cmの俺より高い身長、顔は高校時代のクラスメイトに持て囃され、逆ナンパされる程。学力も素敵に高く、運動神経も良いのに。
「菫に近寄る悪い奴は撲滅しちゃおうねぇぇぇ」
「後でメール寄越せよー。毎回思うがどうやって察知してるんだ」
ああ、どうしてそんな完璧なスペックのこいつは
「勘だ、兄なら当然だろ!」
「当然のわけがあるか!」
病的なレベルでシスコンなんだろうか。人間離れした速さで走っていく薫の姿を見送りつつ、俺はため息を付いたのだった……。
さて、薫を見送ってしまった俺もゲームセンターを出ようとするが、サウナのような空気に触れた瞬間思わず戻ってしまう。
店内が涼しいので忘れていたが今は夏場、こんな暑い中元気に走っていった奴の方が珍しいのだ。但し、何故か奴は妹に危機が迫ると位置と状況を確実に察知する能力があるようで、しかも今のところ的中率は100%と来れば一応真剣な話である。まあしょうもないオチである場合が殆どだし、どうせ連絡が来るまで俺には追いようがない。今回も笑い話になる事を祈るだけだ。ちなみに俺にも妹の桃叶がいるが、勿論そんな機能は搭載されていない。
さて、連絡が来るまで何をしているか。と店内を回ってみると、クレーンのところでぬいぐるみを必死に取ろうとしている一人の小さいな女の子が目に留まった。女の子がゲームセンターにいる事は普通にあることだが、頭が鳩尾程度に来る程の身長で、連れもいないとなれば珍しい。とはいえ声をかける勇気も義理もない、この場合むしろ掛ける方がアウトの光景である。
と、見ていたらお目当ての黒猫のぬいぐるみが取れたらしく、ぴょんぴょん跳ねる姿が微笑ましい。そんな阿呆な事を考えた事がいけなかったのか、色素が薄いのか茶色がかったセミロングの髪の毛を翻して……視線が合った、合ってしまった(ちなみに整っていて可愛い顔だった。)。後々思えば別にそのまま視線を逸らして終わりにすれば良かったものを、御巡りさんの予感がしてしまった俺は、そそくさと居心地のいい店内を去ったのだった……。
「くそ、暑ぃ……」
適当に散策を始めて数分、早々に愚痴を零し、ノベルでも見るかと本屋へと避難した俺が携帯を確認すれば4時06分。確か薫の奴が走っていったのは3時半過ぎだったので、あちらはそれなりに難航しているようだ。思ったより大事だったのだろうか? と心配になってきた頃に丁度良く携帯が震動する。開いて見れば奴は飛鳥県にいるとの事で、今日はこれで解散になりそうだ。
走っていった方向は駅とは真逆の筈だが……まさか奴は走って行ったのか? 精々30分県を跨いで移動とか人間技じゃないんだが……愛の力だ! とか言われたら納得できそうなのが怖い。
はてさてどうせ一人になったのなら、と普段あまり行かない町外れの店まで行ってみる事にする。商店街を抜けて歩き続けると、大都会から田舎に近づくというところだろうか、ビルなどが立ち並ぶ石の密林の景色が住宅や公園へと移っていく。
携帯が4時34分を示した頃、もう少し進めば車道を挟んだ右手に広い運動公園が見えるという頃合いにある、CDレンタル店とコンビニの間の裏路地へと曲がる。裏路地を通らずに行く事も可能だが、路地を抜けた先に丁度良く目的地があり、何より建物の影に入れるために涼しいとなれば選ばずにはいられない。
ひんやりと涼しい空気に癒されつつ、路地を進んで突き当たったマンションの側面が見えるT字路を右に曲がり、潰れたラーメン店のある角を左に曲がる。左手にマンションによって光が遮られ、隅に苔が生えた路地を進み、二つの角を右に曲がる。
すると進むと小さなアパートと小さな公園に出た。昔は良い立地だったのか、公園の設備がやけに充実しているのが印象的だ。今では寂れたとまでは言わないが、人気のあまり無さそうな場所なのが時代の残酷さって奴か。
公園を左手に見ながらぐるりと進むと、ふと右の路地に茶色の髪の毛が見えた気がした。思わず進んだ数歩分を戻って確認するが、人影は見当たらず。気のせいだったのか……案外この辺りに住んでいるのかもしれないと思い直す。商店街に一人でいたのもおかしくない……のか?
再び道を進みながら携帯を開くと4時42分、帰りを考えると店に長居は出来ないな。と思いつつ、ふと顔を上げると道に何かが落ちていることに気が付く。何かと思って近づき、そこにあったものを確認したと同時に、殴られたような衝撃に視界が一瞬ぼやけ、大量の汗が吹き出るのを感じた。
それは大きさは20cm程度で、赤い着物を着た黒髪の綺麗な日本人形で、
手からすり抜けたらしい、俺の携帯が4時44分を指しているのが目に入る。
本能で後ろへ後ずさろうとした俺の意識は、悪夢が正夢になったかのようにうねる髪の毛という光景を最後に、一気に薄れていったのだった……。