第一話 『悪夢』
目が覚めたら○○だった。皆が皆が思う言葉は異世界だったり、女だったり、○○に入る言葉は人それぞれだろう。人に寄っては密かにそんな状況に憧れ、体験したいと思っている事もあるだろう。俺だってそういう状況に憧れた事があるから気持ちは分かる。だが、俺は声を大にして言いたい。現実はそんな甘くは無いと。あれらはお話という夢フィルターというろ紙で都合の良い部分を抽出した綺麗事に過ぎず、一部の本当に選ばれた人間だけが得られる出来事だと。嘘だと言う君、俺と変わって欲しい。今すぐにだ。
「せーりやーちゃーん、あっそびーましょー」
そんな思考の現実逃避の間にも、健気に小さな足は夕日に照らされた薄暗い街を走り続ける。周囲には異様に高いブロック壁が立ち並び、終わりの見えないくすんだ赤や青の屋根郡が続く住宅路は、距離感を失わせ只管に不安を掻き立てる。既に何処を走っているか自分でも分からず、既に息が上がり、流れる汗で衣服は水浸し。背筋に走る悪寒が先ほどから消えず、視界は歪み、手足の震えが止まらない。
「くすくす……可愛い~」
視線の端に黒くうねる闇を捉える。ぱらぱらと黒い線が集って出来たそれに、自分は酷く恐怖し決して立ち止まってはいけないという言葉が頭を埋め尽くす。何処からとも無く聞こえる、無邪気な一つの甲高い幼い女の声も、不気味で狂気的な二つの大人びた女の声も、その恐怖を助長させ、立ち止まる危険を伝えてくる。それらから生み出す大きすぎる恐怖が、足を止めたいという欲求を遥かに上回り、皮肉にもこの逃亡を成立させているのだろう。最も、ふらつく視線が逃走劇の終焉が近い事も知らせていたが。
「ふふふ、もう手が届く……ほら、ほら」
ひっ、と蚊細く聞きなれない声と共に視界がずれる。眼前に迫る、灰色に塗り固められたコンクリートの壁。転んだのだと気が付いたのは身体に痛みを感じた時だった。以前と比べて明らかに小さくなったこの身体では、アレから逃げたいという願望すら過ぎたるものだったのだろうか。鉛のように重い身体は最早持ち上げる事すら出来ない。動けない、その事実が蓄積された恐怖を絶望に塗り替え、心の器を黒く塗りつぶしていく。
「あ! だ、大丈夫~?」
「あらあら……でも、これで捕まえましたわ」
「そうね」
子供のように泣ければいっそ楽だったかもしれない。状況理解を投げ棄て、助けを求める事が出来たのならここまで怯える事もなかったかもしれない。だがそれは男としての意識が、矜持が許さない。それでも眼元が熱く視界が歪んでいくのは避けられない。男だって怖いものは怖いのだから。
なにせ……
「どうしよう? 泣いちゃったよ?」
「負けた事が悔しかったのではありません?」
「あら、ならば違う遊びにする必要があるわね」
「そうだね! それじゃ改めて……」
「「「あっそびーマショー」」」
ゆっくりと振り向いた先に居るのは三体の人形、大きさは20cm程度で、黒髪の綺麗な日本人形達。
髪の毛がうねっていなければ、血に汚れていなければ、裂けるような笑みを浮かべていなければ、まだ可愛いだろうに。
視界にちらつく黒い物体を目にしながら、そう考えた俺はひょっとすれば既に狂ってしまっているのだろうか? 度重なるサイコロ振りで致命的な数字でも出ていたのかもしれない。或いは遅れてきた思春期特有の現象か、実はこれが心の奥底に隠れていた自分の理想か。……いや、自分に女体化願望と被虐願望があったというのは勘弁願いたい。
「ひぅ!?」
足に何か細い物が触れる感触に身体は電気でも流したように跳ね上がり、口からは情けない声が漏れる。まあそもそも顔が人に見せられない状態であるのだが。視界にちらりと移るソレは黒く……案の定人形から伸びた髪の毛だった。ちなみに、俺に髪を巻きつけた人形は赤い着物のような物を身に付けた、可愛くデフォルメされた人形。血に汚れた人形は少女風で白着物、裂けた口のは黒着物の大人風だ。
足に触れた細くさらさらとしたソレは徐々に這い上がり、小さくなった俺の身体を覆っていく。逃げようと足に力を込めてもビクともしないどころかさっきから体すら動かない。まるで体が石にでもなったように硬い感じだ。徐々に闇に包まれていく視界に対し不思議と恐怖も沸かず、現実から全力逃避行中の思考は緊張に欠けた一言を産んで途切れるのだった。
目が覚めたら自分は女の子――恐らくせりやという名前で、日本人形達に追い掛け回されて捕まった。
……誰か、俺と変わってくれないか?