第38話 世界フォーマット15分前
「アッシュ卿!? 王都の空が……!」
セレスティア王女が、魔剣を持つ手を震わせながら窓の外を指差した。
昼間であるはずの空が、不気味な赤黒いドット状のノイズに覆われていた。
雲が消灯したモニターのように黒く四角く欠け落ち、鳥たちが空中で動画のバッファリングのようにカクカクと不自然な動作を繰り返している。
「世界の……ピクセル(構成要素)が崩壊している……」
俺は絶句した。
これは「魔法の異常」じゃない。旧文明のAIネットワークが作り出し、維持しているこの【環境(世界)】そのものが、根本からフォーマット(初期化)されようとしているのだ。
『警告。ローカルネットワークの遮断が進行中』
『気候管理停止。魔素供給停止。重力場維持プロセス……残り15分でフェールセーフ発動』
「15分後に重力も消えるだと!?」
俺は青ざめた。重力場管理プロセスが落ちれば、この星の大気は宇宙空間に散逸し、王都の人間は全員窒息して死ぬ。
「アッシュ様……」
エレナがすがりつくように俺の袖を掴んだ。
「魔力が……私の体から、魔力が消えていきます。指先一つの魔法も編み上げることができない……。アッシュ様、あの空の異変は、一体何なのですか?」
「……神(AI)が、世界をリセット(フォーマット)しようとしてるんだ」
俺は奥歯を噛み締めた。
「教団が地下大祭壇で行った無茶なDDoS攻撃の残骸か、あるいは別の旧世界の残党か……わからないが、メインフレーム(中枢)に最悪のウイルスが入り込んだ」
「世界をリセット……」
アルベルト長官が膝から崩れ落ちた。
「神が、我々を見捨てたというのか……。我慢の限界を超え、この世界ごと不要なものとして消し去る……ノアの箱舟の伝承と同じだ……!」
大広間にいる者たちの顔が、一様に絶望に染まっていく。
無理もない。今まで「魔法」というAIからの恩恵で生活してきた彼らからすれば、AIのシャットダウンは世界そのものの消失を意味する。
「だけど……」
俺は視界の片隅に浮かぶ、点滅するアイコンを見た。
『管理者権限レベル2:アクセス権限の拡張・緊急オーバーライドを要請中』
AIたちも、ただ黙ってウイルスに食われているわけじゃない。
俺という現地にいる「唯一のデバッガー」に対して、システム防衛のためのSOSを出し続けているのだ。
「諦めるな。俺が止める」
俺は、制服の襟を正して前を向いた。
「俺は公務員だぞ。世界がフォーマットされたら、せっかく受かった就職先も、毎月の給料(金貨)も、静かな老後も……全部消えちまう。そんなふざけたアップデート、俺の権限で差し戻してやる」
「アッシュ様……!」
エレナが、涙で顔を濡らしながら顔を輝かせた。
「ああ……世界が崩壊しようとも、アッシュ様だけは揺るがない。神々の逆鱗すらも鎮め、世界を繋ぎ止める……なんという御心!」
「アッシュ卿。我らはどうすればいい?」
王女が、魔力を持たない剣を構えて俺の隣に並び立った。
「ウイルスの中枢(ウイルスの親玉)のもとに直行する」
俺は視界のマップを開き、深い深い地下の最奥──魔法省の地下深くにある【旧中枢アクセスポイント】の座標をロックオンした。
「王都の皆は、地下室か頑丈な場所に避難してろ。どうせ魔法も使えないなら、俺の邪魔(イレギュラー要素)にならないように隠れていてくれ」
「承知した。民の避難は我が騎士団に任せよ!」
王女が力強く頷く。
「私はついていきます!」
エレナが俺の腕に抱きついた。
「魔力が使えずとも構いません! アッシュ様が世界を救うその瞬間を……アッシュ様が真の【唯一神】として玉座に就かれるその姿を、この目にしかと焼き付けるまでは、死んでも死にきれません!」
「……勝手にしろ」
俺はため息をつきつつ、エレナを引き剥がさなかった。
どうせ止めてもこっそりついてくるストーカーだし、いざという時は俺の『質量書き換え』で鉄の塊にして守ってやればいい。
「きゅるんっ!」
俺の肩の上で、スライム(元・絶望のバグ塊)が誇らしげに胸を張るようにブルンと震えた。
「よし。行くぞ、最終デバッグ(世界救済)に!」
かくして俺──魔力ゼロの落ちこぼれ貴族にして、旧文明システムの最高管理者は。
世界のフォーマットまで残り数分という絶望的な猶予の中、狂信者一名とスライム一匹を引き連れて、星のシステムを管理する【旧文明のメインフレーム】へと続く最下層のエレベーターに乗り込んだのだった。




