第2話 YES一発、炎弾は消える
翌朝になっても、視界の緑文字は消えなかった。
俺はため息をつきながら、学園の中庭を歩いていた。
相変わらず、視界の右上には緑色の文字がふわふわと浮かんでいる。
寝て起きれば消えているかと思ったが、そんな甘い話はなかった。
【System:朝の定期環境スキャン……異常なし】
【System:魔素濃度……適正範囲内(安全基準C)】
【System:天候制御AIからの通信を受信……本日は晴天なり】
「なんだよ天候制御AIって……。本日は晴天なりって、誰目線の報告なんだよ」
ブツブツと独り言をこぼしながら歩く。
周囲の生徒が怪訝な目で俺を見ているが、そんなことは気にしていられない。
なにせ、魔力ゼロの落ちこぼれ狂人扱いされているのだから、今さら独り言くらいで評価が下がるわけがない。
ただ、この文字たち、妙にお喋りだった。
昨日の夜からずっと、俺の周囲の環境について細々としたレポートを上げてくるのだ。
【System:前方3メートル、微弱なナノマシン凝集反応を検知】
「ん?」
視界の文字に従って前を見ると、学園の制服を着た金髪の男子生徒がこちらへ向かって歩いてくるのが見えた。
レディス・アーベント。
王都でも有数の権力を持つ侯爵家の次男にして、この学園における実力トップクラスのエリート。
そしてなにより——俺と顔を合わせるたびに嫌味を言ってくる、鬱陶しい同級生だった。
「おや、これはこれはアルマンド家の『出来損ない』殿ではないか」
レディスは俺の前まで来ると、これ見よがしに鼻で笑った。
彼の取り巻きの生徒たちも、ぞろぞろと後ろに続いている。
「なんの用だ、レディス。俺はこれから実技の補修なんだが」
「ふん。補修に行っても火花一つ出せないゴミが、なんの役に立つというのだ? 貴様のような無能がこの至高魔法学園に在籍していること自体が、我々高貴なる魔法使いへの侮辱なのだよ」
レディスが右手をスッと前に突き出した。
その手のひらの上には、空気が揺らぐほどの高熱が渦巻き、赤い炎弾が形作られようとしていた。
得意の無詠唱発動。
俺に対する明確な威嚇だった。
「ひぃっ」
周囲の生徒たちが怯えて後ずさる。
俺も内心冷や汗をかいたが、それ以上に驚いたことがあった。
レディスが炎弾を作ろうとした瞬間——俺の視界の中に、真っ赤な警告文字がデカデカと割り込んできたのだ。
『警告:ユーザー前方近距離にて、未認可の不正な高熱ナノマシン凝集プロセス(Fire_Lv2)を検知』
『警告:該当プロセスは周辺環境への危害インシデントに該当。セキュリティプロトコル違反(C-4)です』
「……え?」
文字の意味はよくわからないが、なんだか物騒なことが書かれている。
そして、文字の下には選択肢が表示されていた。
『対象プロセスへ、システムの強制終了を適用しますか?』
『 [YES] / [NO] 』
「……いやいや、待て待て」
なんで俺に聞いてくるんだ?
そんな俺の戸惑いを知ってか知らずか、レディスはいやらしい笑みを浮かべた。
「どうした、アルマンド? 怯えて声も出ないか? 貴様のような無能は、この炎に焼かれて——」
『カウントダウン:5、4、3……』
目の前の文字は無慈悲にもカウントを進めていく。
これ、放置したらどうなるんだ?
っていうか、レディスが今にも炎を撃ってきそうだ。
「ええいっ、[YES]だ! [YES]!」
俺は半ば自暴自棄になって、頭の中で強く『YES』と念じた。
『[YES]が選択されました。——対象プロセスの強制終了を実行します』
『エラーパッチ適用。ナノマシンの凝集を初期化しました』
その瞬間だった。
レディスの手のひらの上で激しく燃え盛っていた炎弾が——
「——消し炭になれっ!」
レディスが腕を振り抜いた、その直前。
炎球はまるで『最初からそこになかった』かのように、音もなく、光もなく、完全にフッと消滅したのだ。
「……え?」
レディスが振り抜いた手は、空しく虚空を掴んだ。
熱気も、魔力の残滓すらも、何一つ残っていない。
ぽかんと口を開けたレディスが、自分の手のひらと俺を交互に見比べる。
「な、なんだ? 今の……俺の魔法は……?」
周囲の取り巻きたちも、息を呑んで静まり返っていた。
「……ありえない」
取り巻きの一人が震える声で呟いた。
「詠唱破棄の炎魔法が、放たれる直前に……魔力流の相殺もなく、完全に無力化されただと!?」
「ま、まさかアルマンドの奴が消したのか!? 無詠唱で!?」
「でも魔素の動きなんて一切なかったぞ!? あいつ、微動だにしていない!」
中庭にどよめきが広がる。
俺はと言えば、ただ目の前に浮かぶ『タスク完了。脅威は排除されました』という緑の文字を呆然と眺めているだけだった。
「……き、貴様ぁぁっ! 一体何をした!?」
顔を真っ赤にしたレディスが、怒号を上げながら再び両手を突き出した。
今度は先ほどの倍近い規模の魔力光が収束していく。
だが、俺の視界には再びあの無慈悲なシステムメッセージが浮かび上がっていた。
『警告:同一ユーザーによる再度の不正アクセスを検知』
『対象プロセスへ強制終了を適用しますか? [YES/NO]』
「……とりあえず、[YES]で」
俺が念じた瞬間。
レディスの両手から生み出されようとしていた巨大な光球は、またしてもふっと音もなく消え去った。
「ば、馬鹿な……!? 俺の最大魔法がっ……!!」
膝から崩れ落ちるレディス。
その場にいた全員の視線が、驚愕と恐怖の色を帯びて俺に突き刺さった。
「あ、いや……これはその……なんだ」
ただのシステムエラーのパージだよ、なんて言っても誰も信じないだろう。
俺は逃げるようにその場から立ち去った。
それが、学園を揺るがす壮大な勘違い劇の、ほんの小さな始まりだったことなど、この時の俺は知る由もなかったのだ。




