93.閑話とレモンビール
「……ない」
達也は並ぶビールたちを前に、もう一度棚を見て回る。
そしてそのラベルを一つずつ、順番に指差し確認。
「やっぱり……ない」
目当ての商品が、棚から消えている。
念のためジュース売り場にも足を運ぶが、当然見つからない。
ここは達也の世界の、とあるスーパー。
大きな店構えを持つその系列店は、酒類の品ぞろえの良さが強みだ。しかし。
「生産を、終えたのか……」
愕然としながら、店を出る。
ブリティシアの鉄道会社が始める新事業は、マリアの父が受け継いだ。
駅弁事業においては、マリアと共に必要な時に手伝いをするということで話が成立。
企画は無事、一息ついた。
「だから今日は久しぶりに、レモンビールで一杯やるつもりだったのに……!」
楽しむつもりだったその商品の生産を、スーパーは止めてしまったようだ。
「でも今日はつまみも決めてるし、今さらメニューは変えたくない」
もう、この店のレモンビールを補充することはできない。
だがこれを食べると決めたものを変えるのは、想像以上のストレスがかかるもの。
棚から消えてしまった一品を思い、達也は肩を落としながら店に戻るのだった。
◆
その日の営業を終えると、さっそく達也は準備を開始する。
「達也さんっ、今から何か作るんですかっ?」
するとすぐさま、エマが目を輝かせながらカウンター席に着いた。
その両手にはすでに、フォークとナイフとスプーンが握られ、箸まで置かれている。
「昔飲む時にちょくちょく作ってた料理を、久しぶりに食べたくなったんだ」
そう言って達也が冷蔵庫から取り出したのは、新鮮な鶏もも肉。
その表面には、綺麗な焼き色が入っている。
薄く削ぎ切りにして皿に並べた後、青ネギを散らし、水にさらしたスライス玉ネギを添える。
そして別皿に甘口の醤油と共に、おろしショウガとニンニクを盛りつける。
「おいしそうですっ!」
「あら、本当ねぇ」
「これは、何ていう料理なんですかっ?」
「鶏のたたき『風』かな」
店では出されていない料理を、エマは興味深そうにじっと見つめる。そして。
「あれ、達也さん。これまだ生のままですよ?」
不思議そうに、首を傾げた。
外側には焼き目がついているのに対して、内側は生肉らしい桃色が艶めかしさを見せている。
「いや、火は通ってるよ。約一時間ほど低温で加熱してある。それで生にほど近い感触を残してるんだ」
「しっかり火を通しては、ダメなのですか?」
これにはマリアも、疑問を呈する。
そもそも危険な『生』に近づける理由が、分からない。
「生にほど近いっていうのが、肝になる部分なんだ。素材そのものの純粋で繊細な甘みと、加熱によって失われるしっとり滑らかな食感を、味わうためのものだからな」
「……どうして、そこまで」
マリアが驚くのも当然だ。
達也の国ではめずらしくもない生食だが、これだけのこだわりを持つのは世界的にも極稀。
フランク王国やロマリアという素晴らしい食文化を持つ国でさえ、ここまではしない。
それはもはや、異端と言っていいレベルだ。
「もちろん、おいしく食べるためだよ」
「ということは、もう食べられるんですねっ?」
「そういうこと。どうぞ」
「いっただきまーす!」
達也の説明ですぐに疑念が吹き飛んだエマは、たたき風の鶏肉を一枚取る。
その瞬間に分かる、柔らかさ。
まずはニンニク醤油につけると、『待て』が解除された飼い犬のような勢いで一口。
「はぁぁぁぁぁ――んっ!」
すぐに満面の笑みで両頬を抑え、歓喜の声を上げた。
「とっても、おいしいですっ!」
最初に感じたのは、驚くほどのしっとり感。
そのまま噛めば、すっと歯が入っていく。
もも肉らしいむっちりとした弾力は、何ともたまらない。
肉にしっかり火を入れると、締まって噛み応えのある食感になるが、低温でじっくり熱を通した肉は柔らかいまま。
噛むほどに、鶏の旨味と脂の甘みを広げていく。
そこに続けて醤油の香ばしい塩気と、ほんのり甘い味わいがやって来た。
後から追いかけてくる、ニンニクの力強い香りが最高だ。
それは鶏肉の旨味をぐっと引き立てながら、脂ともよく馴染んでいる。
青ネギも一緒に食べれば、爽やかな香りとシャキッとした歯触りが加わり、濃いめのタレを軽やかにしてくれる。
「柔らかくてしっとり……この食感、最高ですっ!」
我慢できずに、ショウガ醤油の方も一枚。
こちらはまた、印象が違う。
醤油の旨味にショウガの爽やかな辛味が重なり、鶏の脂をすっと流していく形だ。
噛むほどに広がる肉の旨味を楽しんだ後に、ショウガの香りが残るため、続けてもう一切れと手が伸びてしまう。
薄切りの玉ネギはシャキシャキとした歯触りが心地よく、噛むとほのかな辛味と甘みが広がる。
ニンニク醤油なら力強く、ショウガ醤油ならさっぱりと。
どちらのタレとも、相性がよい。
「しっとり柔らかな鶏肉に、青ネギと玉ネギ……ニンニクのコクにするか、ショウガの爽やかさにするか、一枚ごとに悩んでしまいますっ!」
焼いた鶏のような香ばしさを前面に出すのではなく、鶏肉そのものの瑞々しい質感と旨味を直に楽しめる一品。
その味に、歓喜するエマ。
「少しの迷いも、なかったわね」
「はいっ! 『まぐろのやまかけ』もおいしかったので、絶対大丈夫だと思いました!」
エマの躊躇のなさに、マリアは驚く。
普通であれば、生は『危険』と判断するのが当たり前。
達也の世界でも、火を通さず魚を食べるなら『一度冷凍する』ことを義務付けている国が多い。
これが鶏肉や生卵ともなれば、世界でも類を見ない厳しい基準を持つ達也の国以外では、ありえないと言われるレベルだ。
じっと、鶏のたたき風を見つめるマリア。
熱が入っていると聞いていても、常識が邪魔をして二の足を踏んでしまう。しかし。
「生に近づけることで、薬味との相乗効果が強く出る。 醤油、おろしショウガ、ニンニクなんかと合わせることで、鶏の淡白な旨味が引き立って……酒に合う洗練された味わいになるんだ」
そんな達也の言葉を聞いた瞬間、マリアの目がわずかに変わった。
「いただきます」
すでに迷いは、なくなっていた。
マリアも薬味と共に、鶏のたたき風を一口。
「……あらまぁ」
これまでの料理とはまた違う、独特のおいしさに思わず目を見開いた。
「本当。とてもおいしいです……!」
思わず飛び出す言葉。
そしてそのうまさを知った瞬間、マリアはチラチラと達也の方を気にし始める。
もはや聞くまでもない。
元御令嬢は、エールをご所望だ。
「いいよ……と、言いたいところだけど、今回は待ってほしい」
そう言い残してマリアたちに背を向けた達也は、一本の缶ビールを手に取った。
タブを開けば、プシッと心地の良い音が鳴る。
二つのグラスに注いだ達也は、片方をマリアの前に置く。
「今夜は、これをお供にして欲しい」
「これは、普段のエールと違うのですか?」
「レモンビールっていう、柑橘の風味を感じられる一品だ」
エールに柑橘。
これもまた初めての組み合わせで、マリアは好奇心に押されながら一口。
「おいしい……!」
口に入れた瞬間の爽快感は、なかなかのもの。
すぐにやや控えめな苦みと共に、レモンの爽やかな香りと酸味が、口内を駆け抜けていった。
ビールの『もわっと』広がる独特の濃い苦味を、柑橘の甘味が和らげることで、非常に飲みやすくなっている。
またサワーほど甘くないため、酸味と炭酸がすっきりとしたキレを感じさせてくれるのが、素晴らしい。
「鶏のたたき風と一緒でも、合うだろう?」
「はい、こういうエールも面白いですね」
皮目の香ばしさとジューシーな脂を、炭酸と酸味が爽やかに洗い流す。
唐揚げにレモンが合うように、鶏肉と柑橘の相性は見事なものだ。
「ビールは今のところまだ、たまたま得意とは言えない感じだけど、何かを食べながら飲むには果実酒の類では少し甘すぎる。そんな俺みたいな位置にいる人にこそ合うんだよ。ビールならではのすっきり感はあるから、食事と一緒に飲むのにちょうど良いんだ」
苦みを控えて、甘みも抑える。
達也にとっては、何ともありがたい一品だ。
「そうなのですね。でもどうして今日は、このエールを?」
たずねるマリアに、達也は一杯やりながら無念そうに応える。
「……『向こう』では今日食べられたものが、明日には買えなくなっていることも多いんだ……」
「ええーっ! そうなんですか!? 大好物になってもですか!?」
エマは驚愕を見せる。
「そういうことだ……」
達也の国に住む者が、稀に陥る悲劇。
「季節限定、期間限定、そしてシビアな商品選定。ある日を境に突然売り場から消えてしまう。このレモンビールも……!」
それは様々な『おいしい』を、次々に創出する文化を持つ国だからこその、哀しい弊害だ。
達也は、悔しさをにじませながら続ける。
「だからこれからはもう少し、進んで味わおうと思ったんだ。なくなってから悲しんだんじゃ、遅いからな……!」
「分かりました! わたしも、今まで以上に積極的にいただいていこうと思いますっ!」
「……エマちゃんは、少し控えるくらいでちょうどいいんじゃないかな」
「あれーっ!?」
意外そうな顔をするエマに、こぼれる笑い。
そんな中で達也は、あらためて思うのだった。
今日楽しめたものが、明日はもう楽しめないかもしれないという、厳然たる事実がある。
だから好きな商品は楽しめる時に楽しむことで、応援していくべきなのだと。
「後悔をしないために……っ!」
脱字報告ありがとうございます! 適用させていただきました!
国際会議風の名前のスーパーから、ヤゲン軟骨と砂肝が消えた時の衝撃といったら……。
お読みいただきありがとうございました!
少しでも「いいね」と思っていただけましたら。
【ブックマーク】・【ポイント】等にて、応援よろしくお願いいたします!




