8.エマ・グリーンと団らん料理
それはまだエマが、キッチン・みけで働き始める前のこと。
ブリティシアの首都ロンドールから、遠く北へと進んだノンフォークの地。
平坦で肥沃なこの土地は、農耕と毛織物で成り立っている。
そんな町の一角で、一人の少女が旅立とうとしていた。
首都で働くメイドの多くは、農村部や小都市の家庭出身。
一家の収入源として、十代半ばで奉公に出されることが多かった。
農家の娘であるエマは厳しくなってきていた家計に気づき、慣れ親しんだ家から出ることを選んだ。
「エマや、これを」
地方の教会や地主は、都市の富裕層とつながりを持っていることも多い。
そのため送り出される新人メイドに、紹介状を持たせることが通例となっていた。
「この子は元気で働き者で、信心深く……ないこともなきにしもあらず。とにかくよろしくお願いいたします」
どうやら牧師は正直者らしい。
最後の一筆をふんわりした言葉で結ぶと、封をしてエマに持たせる。
「ありがとうございますっ!」
「……エマ、元気でね。あと、これも持って行きなさい」
そう言って母親は、一つの布袋を渡してきた。
「ありがとう、いってきます!」
乗り込んだ馬車は、首都ロンドールへと向かって動き出す。
手持ちは片道分だけ。
エマは見送りに来てくれた家族と友人の少女、近所の住人と牧師に大きく手を振った。
やがて街並みが見えなくなってきた頃、母が持たせてくれた心のこもった餞別を確認してみる。
思い出の品か、それともロンドールでの暮らしに役立つものか。
そんな予想をしながら、そっと袋を開く。
出てきたのは、パン、パン、パン、パン、パン、チーズ。
「お母さん!?」
その中身は、食べ物ばかりだった。
◆
「綺麗なお家だなぁ……」
たどり着いたのは、実業家などが多く住むロンドール西部の一角。
畑などはなく、整然と敷かれた石畳の道が続く住宅街だ。
初めて見る光景に感嘆しながら、エマは目的地である一軒の住宅へ。
クリーム色のレンガで作られた、左右対称の三階建て。
その中心にある玄関には装飾的な柱と、三角屋根が付いている。
ちなみに餞別のパンは、すっかり食べ切ってしまっていた。
「失礼しますっ!」
深呼吸を一つしてから戸を叩き、声をかける。
すると出てきたのは、赤髪の若年メイド。
「ノンフォークから来ました、エマ・グリーンと申しますっ! これ、紹介状ですっ!」
エマは頭を下げながら、牧師にもらった紹介状を差し出す。
「……そうですか」
赤髪のメイドは表情を変えることなく、紹介状をササッと確認。
「旦那様は仕事で家を出ておられますので、こちらへ」
言われるまま、家の中へ。
起業家や銀行員、弁護士など、商機も多い産業革命下のブリティシアで、存在感を示す中産階級。
そんな雇い主の自宅は、お屋敷というほどではないが、エマにとっては文句なしの高級住宅だ。
よく磨かれた廊下を進むと、見えたのは年齢の近い小柄なメイド。
「はじめまして、エマと申しますっ」
「はい、どうも」
ロンドールにおいて使用人の教育というのはあまりなく、「見て覚えろ」「失敗して覚えろ」が基本だ。
小柄なメイドも、職務優先といった感じですげなく応えた。そして。
「仕事がありますので」
素っ気なく言って、さっさとこの場を立ち去ろうとした、その瞬間だった。
「どうしましょう……っ!」
慌てて駆け込んできたのは、これまでの二人より少し年上のメイド。
「どうしたんですか?」
その慌てようを見て、赤髪のメイドがたずねる。
「少し体調が悪くて、夕食作りのために休んでいたんだけど……寝過ぎてしまったの!」
「まさか……」
小柄なメイドの顔色が変わる。
「今日は二週間に一度、旦那様が何より大事に、楽しみにしている家族のだんらんの日。でもこのままでは、どう考えても間に合わないわ!」
「旦那様は明日から出張。すごく大事な夕食なのに……」
「……どうしよう」
この時代のメイドは、出身階級で役割が違うことも多い。
年上メイドの様に商家の娘であれば、調理の練習もしてきている。
しかし田舎から出てきたメイドは、畑仕事や家畜の世話が生活の中心だ。
食事も粗末で単調だったため、技術を学ぶ機会がない。
そのため二人の先輩メイドは調理を担当したことがなく、助けにはならない。
静まり返る廊下に、自然と走り出す緊張。
「お手伝いしますっ!」
手をあげたのはなんと、エマだった。
「……あなた、新人? でも料理なんてできないでしょう?」
問いかける年上メイド。
事実エマも、二人の先輩と出自は大して変わらない……だが。
農村出身の女性たちの中には、家庭内で料理の基礎を身につけていた者もいた。
エマも、その一人だ。
「メニューはなんですかっ?」
「ミートパイと、かぼちゃのポタージュよ」
「レシピを教えてもらえれば、どちらでも!」
「……分かった。ポタージュはあなたに任せるわ! 私の予備の制服をあげるから、それを着てキッチンに来て」
「はいっ」
覚悟を決めた年上メイド。
もらった制服に着替えたエマは、この家のレシピを聞いてさっそく調理を開始する。
まずは、かぼちゃの皮と種を除き三センチ角に切る。
それから玉ねぎを薄切りに。
鍋にバターを溶かし、玉ねぎを炒めて甘みを引き出したところで、かぼちゃを入れて軽く炒める。
そこに牛乳を加えて、かぼちゃが柔らかくなるまで弱火で煮る。
火を止めて粗熱を取ったら、裏ごし。
高級品である胡椒と、塩で味を整えて、水溶きの小麦粉を少々足すことでとろみを増す。
「できましたーっ!」
豪華な材料にワクワクしながら、エマは見事に料理を完成させた。
「こっちもいけるわ! もう時間だし、このまま勝負……っ!」
年上メイドは出来立ての料理を、急ぎ足でダイニングへと持って行く。
大きなテーブルに家族分をしっかり並べて控えると、帰宅していた旦那が到着。
すぐに夕食が始まった。
パイ生地は厚く、やや粗め。
濃い焼き色の表面にナイフを入れると、パリッとした音が鳴った。
そして胡椒の匂いと共に、香ばしさが広がる。
さっそく家主である旦那が、ミートパイを口にする。
刻んだ豚肉は、熱々。
噛むと塩気と脂の旨味が、じんわり広がる。
この階級でも水で戻した塩漬け肉を使うため塩気は強いが、良い部分を使っているため、保存肉特有の深みはあり。
そこに玉ねぎの甘みが混ざり、胡椒の刺激が後味に残る。
時折舌に触れるハーブの断片も、素朴ながらも複雑な風味を演出していた。
「うん、うまい」
「ありがとうございます」
見れば夫人も子供も、いつも通りといった感じで食べている。
その光景に、安堵の息をつく年上メイド。
だが、問題はこの後だ。
新人の作った料理が、果たして受け入れられるのか。
今日の団らんの、成否を決める一瞬。
旦那はスプーンで、エマが作ったかぼちゃのポタージュを一口。
「……ふむ」
一つ、息をついた。
年上メイドのノドが、ゴクリと音を鳴らす。
「おいしいね」
まろやかなとろみを持つ、淡い橙色のポタージュ。
かぼちゃの力強い自然の甘みが、熱した牛乳に溶け込みふわりと優しく広がる。
そこにタマネギの甘さも混ざることで単調さをなくし、わずかな香ばしさを与える。
バターの豊かな風味と薄い塩味は、見事に味を調和させていた。
「おいしいー!」
「そうね、よくできているわ」
子供と夫人の評価も上々だ。
こうして旦那が楽しみにしていた夕食は賑やかに、問題なく終わりの時を迎えた。
「なんとかなった……」
冷や汗を拭いながらダイニングを出てきた年上メイドに、先輩二人も息をつく。
「ありがとう。あなたに助けられたわ」
「お役に立てて良かったです!」
「来ていきなりこれだけのポタージュを作ってみせるなんて、大したものよ」
「「すごい……」」
先輩たちの賞賛に、エマは「えへへ」とうれしそうに応える。そして。
「それにしても……」
「それにしても?」
「おいしそうでしたねぇ……」
心から羨ましそうな顔をするエマに、つい笑ってしまう年上メイドたち。
「もしかしてエマって、食いしん坊が原因で家を出されたの?」
「ち、違いますっ!」
「ふふっ。料理もできるメイドは重宝されるわ。これからよろしくね」
「はいっ」
「ポタージュはまだ残っているし……私たちも、いただいちゃいましょうか」
「はいっ!」
途端にスキップで、キッチンへと戻って行くエマ。
どうやら新人メイドとして、良いスタートを切ることに成功したようだ。
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