7.荷降ろしとスタミナ丼
産業革命時のロンドールは、まさに『船の巣』だ。
往来する船舶の数は、年間で約一万から二万隻ほど。
ロンドールドックだけでも、一日に百隻もの船の出入りが行われている。
「次はこっちだ! 早くしろーっ!」
外洋から戻って来た貿易船は、ブリティシアの首都ロンドールへと続くテームス川を遡って帰港する。
石材で固められた岸壁には荷下ろし待ちの帆船が何隻も並び、その甲板から船員が、荷物を吊るクレーンの準備を急かしてくる。
レンガ造りの広大な倉庫をいくつも持つロンドールドックは、地下も含めワイン倉庫だけで数千樽を保管できるほどの規模を誇っていた。
「こっちの茶葉とスパイス、今すぐに確認に入れ! そこの木材もだ!」
船が港にたどり着いてもまだ、荷下ろしや税関吏による商品確認などが待っている。
それが終わり次第ようやく、倉庫前で待つ馬車へと荷が引き渡されるのだ。
時間が経てばそれだけ積荷の腐敗や損傷が進むのだから、足を止めてなどいられない。
「よし……俺たちは一度あがるぞォ……」
騒がしい港湾倉庫。
大量にいる荷降ろし労働者たちの一部が、ちょうど仕事を一段落させた。
今日だけですでに何百樽、何百箱と荷を降ろした彼らは、足をフラつかせながら倉庫を出る。
夜のロンドール。
等間隔で設置された街のガス灯に、火が灯る。
炎の揺らぎと煤煙によって、その光は柔らかく滲んで拡散されている。
やや湿気の多い今夜は光がぼやけて、街全体がどこか幻想的な淡い琥珀色に染まっていた。
「どうなってんだよ……今日の搬入量はよォ……」
「運んでも運んでも、全然終わらねえ……」
生気を失った顔で、もらすつぶやき。
袖をまくった薄いストライプ柄の白シャツに、キャンバス地のズボン。
汗を拭くためのバンダナを首に巻き、革製の手袋と靴を履いた彼らは、貿易船の荷物をさばく荷役人夫だ。
「それにしてもよォ……腹減ったなぁ」
その中の一人である、アランがつぶやく。
「今日のメシ、どこにすんだぁ……?」
あてもなく進む、石畳の道。
酒場からは、笑い声やアコーディオンの音が聞こえてくる。
そんな中を、四人の荷役人夫たちがあてもなく歩いていると――。
「ここはぁ、どうだ?」
アランが見つけたのは、雰囲気の良い一軒の飲食店。
得意げな顔で歩くキツネの看板が目印の店は、キッチン・みけ。
「……もうどこでもいい」
ようやく返ってきた言葉。
店を選ぶ気力すら使い果たした彼らは、とにかくどこかに腰を下ろしたい状態だ。
是非を問うこともなく、店のドアを開いた。
「いらっしゃいませーっ!」
するとメイド服のエマが、さっそく駆け寄ってきた。
アランたちは促されるまま、テーブル席へ。
「「「ああああああぁぁぁぁ…………」」」
皆そろって、テーブルに突っ伏してしまう。
「さすがに……キツイな」
「この後まだもう一仕事残ってるとか、さすがに無理だろ……」
「嫌だ、嫌だ……誰かもう、まとめて船を爆破してくれぇ……」
北方海は荒れていたらしく、一部の船の帰港が重複。
それが今日の、異常な忙しさの原因だ。
止まることを許さない長時間の力仕事は、彼らの体力を完璧なまでに奪い去ってしまった。
「……大丈夫ですか?」
死に体のアランたちに、思わずエマが問いかける。
「ええと、ご注文は……」
「なんかぁ、食べて力の出るやつを頼む。このままじゃもたねえのよォ」
「アラン、あんまり難しい注文をすんなよ」
「あとはそうだなぁ――――うまいやつを頼む」
「ははっ……そんな条件を付けたら、出せるものがなくなっちまうだろ」
「ロンドール中を探しても、不可能だな」
精魂尽き果てた雰囲気のアランたち。
どうやら今のが、精一杯の冗談だったようだ。
「はいっ! おいしくて力の出るものですね! 少々お待ちくださいっ!」
しかしエマは、笑顔でそう応えた。
「こりゃ、頼もしいなぁ……」
「はいっ! わたしもこんなに元気になりましたからっ!」
エマはそう言って笑うと、注文を伝えるためにキッチンへ。
「冗談の分かる、いい子だな……」
「ああ、そうだな」
オーダーが終われば、無言で待つだけの時間が始まる。
厳しすぎる力仕事の間に食べたのは、わずかなパンとチーズのみ。
これでは会話をする気力すらわかないのも、無理はない。
「お待たせしましたーっ!」
やがて聞こえてきた、元気な声。
良くてフィッシュアンドチップスと、豆スープのセット。
腹はふくれても、ただそれだけの料理を想像しながら顔をあげる。
「「「「…………ん?」」」」
困惑する四人の声が重なった。
目の前に置かれた見慣れない食器には、湯気をあげる白米。
ドンブリを埋めるその白い輝きを、覆い尽くすほどに盛られた薄切りの豚バラ肉が、見事な照りを見せている。
その頂点には、満月よりも鮮やかな卵黄。
炒められたニンニク醤油の醸し出す香りが、食欲をかき立ててくる。
「ほ、本当にうまそうじゃねえかぁ……」
見たこともない料理が出てきて、困惑するアランたち。
「こいつはぁ……なんだ?」
「スタミナ丼になりますっ!」
とにかく、早く食べてみたい。
アランはエマが一緒に置いてくれたフォークを手に、さっそく一口。
「お、おお……」
思わず、感嘆の声をもらした。
「なんだこれはぁ! めちゃくちゃうまいぞっ!」
「さすがにそれは大げさだろ……」
「ったく、アランはこれだから……」
その急な変わりように、仲間たちは「やれやれ」と首を振りながら一口。
「「「なんだこいつはああああああ――――っ!!」」」
立ち上がって、驚愕の叫びをあげた。
ここでパタリと、なくなる言葉。
もっと食べたくて、たまらない。
男らしくドンブリを片手に持つと、四人は肉と米を同時にかき込んでいく。
するとたっぷり使われているニンニクの香ばしさと共に、甘辛の醤油ダレが口内に広がった。
新鮮な豚肉の旨味に、このうまいタレがしっかりと混ざり合っている。
薄切りだからこそ、欲望のままにかき込めてしまうのが恐ろしい。
「この肉の柔らかさ! 俺の知ってる豚肉とは完全に別物だ!」
「これなら、いくらでも入るぞ!」
一気に盛り上がる男たち。
最強のタレは、白米にまでしみ込んでいる。
だが少し濃いタレと肉の味を、受け止めふくらませるのが米の凄まじさ。
鼻腔にまで、旨味を含んだ甘い香りが抜けていく。
そうなれば次に気になってくるのは、豚肉たちの頂点に鎮座している卵黄だ。
割ってみると中身がとろりと広がり、甘辛タレと豚肉にまろやかさと独特の濃厚さが加わる。
「ほわ……っ」
思わずもれる吐息。
ただでさえ十二分にうまい豚肉と米に混ざる卵黄は、贅沢が過ぎる。
手が止まらない。
結局アランたちは夢中で、スタミナ丼を食べ尽くしてしまった。
四人全員が、米の一粒も残さない徹底ぶりだ。
「「「「はあ……」」」」
そのまま四人並んで、虚空を見上げる。
「……ん? そりゃなんだぁ?」
するとエマが隣のテーブルへ持って行った、黄金色の炭酸飲料に目が留まった。
「エールだよ」
答えたのは達也。
「あんな透き通った色のものがあんのかぁ、それじゃあ俺たちにも一杯頼む」
うなずき合い、四人はワクワクしながら到着を待つ。
そしてエマが持ってきたエールを、一気に流し込んで――。
「「「「うまいッ!」」」」
歓喜の声を重ねた。
「こんなうまいものを見つけてくるなんてよォ。さては店主、相当の酒好きだな?」
そんなアランの問いに、達也は苦笑いしながら首を振る。
「それがあんまり、酒は得意じゃないんだ」
「おいおいマジかよォ? こんなにうまいのに?」
「店主、人生の半分を損してるぜ!」
「こんなにうまいエールを出しておきながら、自分は飲めないとは可哀そうだな、おい!」
「「「あはははははっ!」」」
笑いながら、まくしたてるように言うアランたち。
達也は粛々と告げる。
「今からエールの価格……二百倍な」
「「「「っ!?」」」」
アランたちが、まさかの言葉に跳び上がった。
「で、でもよォ! こんな最高の料理の腕を持ってんだ! 何も損なんかしてねえな!」
「そうだそうだ! ロンドールいや、ブリティシア一番の料理人だからな!」
「あれ、よく見たら男らしさを感じさせるイイ男じゃねえか……」
「なんだか最近、渋みも出てきたんじゃないか?」
「今からエールの価格は……」
達也の言葉に、ゴクリとノドを鳴らすアランたち。
「……元通りだ」
「「「「しゃああああ――!」」」」
歓喜のハイタッチで、さっそくスタミナ丼と共におかわりをもう一杯。
どうやらアランたちは元々、なかなかのお調子者だったようだ。
見れば達也も、意外と満更でもなさそうでいる。
そんなやりとりに、エマは終始笑いっぱなしだった。
「……おっとォ」
夜のロンドールに響き渡る、汽笛の低く長い音。
「そろそろ、行くかぁ」
「っしゃ! やるぞ!」
「おうっ!」
「もうひと仕事だな!」
その汽笛はまさに、次の仕事の始まりの合図。
すっかり元気を取り戻したアランたちは、気合を入れ合い店を出る。
「店主、あんたの料理……最高だった! ありがとな、ごちそうさん!」
「メイドちゃんも、良い料理を教えてくれてありがとうな! 元気出たぜ!」
「「ごちそうさん!」」
「いってらっしゃいませーっ!」
「またどうぞ」
元気に手を振って見送るエマと、静かな笑みで見送る達也。
男たちは笑いながら、夜を照らすガス灯のぼんやりした光の中へと消えていく。
今まさに、産業革命の中にあるブリティシア。
その港は二十四時間眠らない。そして。
そんな世界一の貿易国を支えているのは、他の誰でもない。
無限に思えるほどの積荷をさばき続ける、アランたちなのである。
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