47.市場と香辛料とオニオンスープ
荷馬車がひっきりなしに出入りする、スピタスフィールズ市場。
付近にはレンガ造りの住宅が立ち並び、細い路地が蜘蛛の巣のように走っている。
そこは移民商人が多く住む、多文化多言語の密集地帯。
また彼らの持ち込んだ独自の食材や香辛料を、知ることのできる場でもあった。
「この特製スープの材料はジャガイモ、ニンジン、塩、そして……」
「そして……?」
「……草」
「な、何の草なんだ……」
屋台は今日も賑やかな様子を見せており、中でも先日売られ始めたコロッケは大盛況。
用意した大量のジャガイモが、昼を迎える頃にはなくなってしまうほどだった。
そんな中。
「今日こそ、何とかしないと……」
立ち眩みに足をフラつかせながら、つぶやく二十代中盤の女性リュシー・デュポア。
長い金色の髪を一本にまとめた彼女はすでに二日、まともなものを食べていない。
故郷であるフランク王国北部では、農村が不作に見舞われ、小作料も上昇。
さらに農業の工業化までもが進んだことで、失業に追い込まれてしまった。
そのため一大決心をして、今まさに全盛を迎えているブリティシアに、家族でやって来た形だ。
「まさか、こんなことになるなんて……」
リュシーは故郷で栽培したローリエやタイム、保存していた黒胡椒を売って、当面の生活資金を工面するつもりだった。
だが持って来たハーブ、香辛料は全くと言っていいほど売れない。
「香辛料はいかがですか? ローリエとタイム、黒胡椒、少しでも料理を大きく変えますよ」
空腹なのは家族も同様。
通りかかった青年に、今日も必死にアピールする。しかし。
「香辛料? いらないよ」
「なんに使うんだよ、それ」
「邪魔だよ、どけどけ」
誤算だったのは、ブリティシアの食の弱さだ。
フランク王国では日常的に使われる香辛料たちも、料理人ですら素人並みの知識しか持たないロンドールでは、見向きもされない。
メシマズ国の労働者たちには、まるで馴染みがないのだ。
「お願いします……香辛料を、香辛料を買ってください……っ」
とうに限界を超えた空腹、足りない栄養が引き起こす貧血。
多くのハーブを抱え、いよいよ懇願に近い形で頼み込む。しかし。
「なんだよそれ、何の葉っぱだよ」
そもそも使い方すら知らないブリティシアの者たちには、それを買う理由がない。
「……っ」
いよいよ迎えた限界。
フワフワとした感覚が急に強くなり、平衡感覚が消失。
脚をもつれさせると、リュシーは壁際に倒れるようにして座り込んだ。
「どうしたんだろう……」
絶望の淵に座り込む彼女に気づいたのは、今日も達也と共にスピタスフィールズを見に来ていたエマだった。
休んでいるというより、倒れているような状態。
それはまるで勤め先を失くした時の自分の様で、思わず様子を見に動く。
「……これを」
するとそんなエマの様子に気づいた武骨な料理人テッドが、コロッケを持たせてくれた。
「ありがとうございますっ」
エマは走り、リュシーの元へ。
「大丈夫ですかっ?」
声をかけると、リュシーは座り込んだまま応える。
「すみません、ここ数日ちゃんと食べられていなくて……」
「これをどうぞっ」
エマはテッドから受け取った、コロッケを差し出す。
そこにあるのは、達也仕込みの『色味から美しい』コロッケ。
「……っ!」
一口かじったリュシーは、そのおいしさに衝撃を受けた。
ジャガイモの素朴な味とホクホクとした温かさ、そしてブリティシアに来て初めて向けられた優しさに、思わず泣きそうになる。
「あ……ありがとうございます……ありがとうございます……っ」
「それは、香辛料か?」
やって来た達也の問いかけに、うなずくリュシー。
「ここでなら、故郷から持って来た香辛料を買ってもらえると思って……でも」
「ブリティシアの労働者たちは、香辛料なんてほとんど知らない」
「……そう、なんですか?」
そんなテッドの言葉に、驚きと同時に絶望する。
もちろんリュシーには、ハーブの類を使うような階級の者たちに、商品を売り込む術などあるはずもない。
こうなってしまってはもう換金を行うことはできず、途方に暮れることしかできない。
「せめて、家族が食べられる分だけでも……っ」
そう言って再び立ち上がり、再び売り込みをかけようとするリュシー。
「少し、見せてもらうよ」
無理をしようとするリュシーを見かねて、達也は彼女の持つハーブをあらためて確認してみる。
「ローリエとタイム、それに黒胡椒か」
これらはフランク王国でなら、一般家庭でもよく使われる香辛料だ。
達也は付近を見回し、スピタスフィールズ市場の食材をあらためて確認してみる。
「そうだな……」
そして、大量に出回っている一つの食材に目をつけた。
「テッドさん、この香辛料を使ってもう一つ料理を出してみませんか?」
「はい……!」
達也の言葉に、ただ静かにうなずくテッド。
それは新たな挑戦への誘い。
しかし達也の腕を知るテッドに、恐れはなかった。
あるのは、純粋な好奇心だ。
「エマちゃん、この人をよろしく」
「達也さん……」
「大丈夫――――なんとかしてみせるよ」
そうエマとリュシーに告げて、達也は動き出す。
目をつけたのは、ブリティシアで良く採れるが、主食の一端であるジャガイモほどには売れない食材。
タマネギだ。
いくつかの店舗をテッドのように丁寧に見て回り、良いものを発見。
数をまとめて買うことで、安く購入することに成功した。
「あとは、水を何とかしないと」
井戸水は共用で無料だが、ロンドールの水は熱しても鉄のような味が残り雑味も強い。
スープに使うのは、できれば避けたい。
「……それなら」
ここで動き出したのはテッド。
向かった先にいたのは、テームス川上流から良い水を持ってきて売る『水売り』だ。
「水が欲しい」
テッドが端的に言うと、水売りの男はわずかに驚きを見せた。
「あんたはコロッケ屋の……ぜひ買って行ってくれ! 俺はまだ新入りで顧客ってもんがいなくてな!」
もはや時の人であるテッドに、新人店主は喜びの表情を見せる。
「昨日の水は?」
「……また、いいところに目をつけるなぁ」
店主は「やられた」とばかりに苦笑い。
それは井戸水などより、圧倒的にうまく清潔な水。
しかし店としては早く捌きたい売れ残りであるため、価格は当然安くなる。さらに。
「これから水は、ここで買う」
「そいつはうれしいね! 人気料理店に使われてるとなれば、新入りの俺にも『格』ができるってもんだ! ……安くしとくよ」
こうして普段から丁寧に食材を吟味するテッドは、見事な手際で良い水を手に入れた。
「ありがとうございます。代金は――」
達也の言葉に、テッドは首を振る。そして。
「それ以上のものを教えてもらった」
短く、そう応えた。
こうして達也があらためて手に入れたのは、タマネギと水。
たった二つの素材だけ。
「さっそく始めよう」
テッドの屋台の道具を借りて、調理に入る。
まずはやや小ぶりなタマネギを皮ごと、鉄板で表面に軽い焦げ目がつくまで、二十個ほどまとめて炙る。
これが甘さと香ばしさの源になる。
続けて大鍋に牛脂を入れ、焦がさないよう注意しながら弱火でじっくり溶かすことで、脂の香りを立たせる。
タマネギに焦げ目が付いたら、外皮を剥がして大鍋に入れ、フタをして弱火で十分ほど蒸し焼きにすることで、甘みを引き出す。
そこに水、ローリエ、タイム、黒胡椒を加えて、沸騰したら弱火にし、タマネギがとろける直前まで煮込む。
塩は少しずつ加え、タマネギの甘さが引き立つ程度に調整。
以前はベイクドポテトに使っていたブリキ製の器に、タマネギを丸ごと盛り、スープを注ぐ。
最後にもう一度、黒胡椒をひとつまみ。
「これで完成だ」
「……すごい」
その手際を観察していたテッドは、あらためて驚きを見せる。
器の中で湯気を上げる、丸ごとのタマネギ。
十字に包丁を入れた一品の表面は淡い琥珀色で、ところどころに炙りの焦げが残っている。
その周りを薄い金色のスープが満たし、表面には牛脂が溶けてできた、ごく薄い光の膜が揺れる。
「おいしそうですねぇ……」
早くもうっとりしているエマ。
達也は笑いながら、今も座ったまま休んでいるリュシーに、出来立てのオニオンスープを渡す。
「どうぞ」
「これは……」
鼻を近づけた瞬間に立ち上がる、ローリエの柔らかな香り。
その奥をタイムの青い香りがそっと通り、黒胡椒の温かな刺激が湯気と共に軽く鼻先をくすぐる。
異国の匂いなのに、どこか懐かしい。
スプーンでタマネギを割ってみると、中からとろりと甘い汁があふれ出した。
そこには特有の辛みも、青臭さも、それを思い出せる硬さもない。
そっと、口に運ぶ。
「……っ!」
タマネギの繊維は完全に解けていてとろとろ、舌で押すだけで崩れる程に柔らかい。
牛脂を溶かすことで生まれた素朴なブイヨンが、絶妙な塩加減と、タマネギ特有の甘さと結びつくことで深いコクになる。
そこにふわっと広がるのは、ローリエとタイムの香りだ。
ローリエが入ることで、タマネギの甘さがさらに丸くなり、香りも一段階深みを増す。
続けてタイムが口内で感じさせる、青い香り。
それは実際に肉が入っていなくても、肉の出汁があるかのような錯覚を生み出す。
タマネギの甘さを引き締め、香りに立体感を生み、牛脂のコクを旨味として感じさせる。
タイムは、このスープの背骨になる存在だ。
広がるタマネギの豊かな甘さ。
その後にノドの奥でふっと温かさが残るのは、黒胡椒の仕事だ。
甘さを締め、香りをまとめ、後味に輪郭を作る。
全ての香辛料が見事に、良い仕事をしてくれている。
「おいしい……ハーブがとても良く効いています……」
思わず、大きな息をつくリュシー。
「はいっ! とってもおいしいですっ!」
もちろんエマも自慢のマイカトラリーを使って、オニオンスープを堪能。
「材料は変わらないのに、レベルはこんなに変わるのか……」
このスープは、タマネギの甘さと牛脂のコクだけでも十分においしい。
しかしローリエ、タイム、黒胡椒が揃った瞬間、最高の料理に姿を変える。
テッドが見せる、驚きと感心。
「うわ、コロッケはもう売り切れかぁ……」
するとそこに、昼食に出遅れた一人の労働者がやって来た。
「って、何を作ってるんだ?」
「夕食用の一品だよ」
達也が言うと、コロッケが買えなくてガッカリしていた男が目を見開いた。
「そ、それならそれを売ってくれよ! めちゃくちゃうまそうじゃないか!」
こうして生まれた、新たな商品。
男がワクワクを隠せない顔で、オニオンスープを口に入れると――。
「っ!? いやなんだこれどうなってんだ!? ここはスピタルフィールズであってるんだよな!? え、ええっ!?」
そのうまさに、混乱し始める。
ロンドールの『タマネギ湯』は旨味のベースがほぼ存在せず、ただ漫然と茹でただけのタマネギに塩を振って作られる。
それは良くない食材を、何も知らない者が煮ただけの一品。
そしてそんなものを、ただエネルギーを摂るためのだけの義務メシとして食す者たち。
「いやうまいよ! めちゃくちゃうまいよこれっ!」
いきなり『オニオンスープ』を食すれば、こうなってしまうのも無理はない。
そしてこうなってくると、付近を通る客たちも自然と足を止め始める。
「おい! 例のコロッケの店! 新しい商品を出したってよ!」
「今度はタマネギのスープだって!」
「これがまた、めちゃくちゃうまいらしい!」
再び大きく賑わい始める、テッドの屋台。
客の流れが変わり、生まれる人だかり。
「おいおい、今度は何だよ……っ」
ワイロで『場を買った』男たちは、いよいよ顔を青ざめさせる。
昨日のコロッケに圧倒され、今まさにジャガイモからタマネギに商品を変えた瞬間、現れてしまったとんでもない新星。
どうやら今日も、苦戦は必至のようだ。
「これで香辛料も、すぐにさばけるはずだ。あとはその売り上げから代金をもらえばいい」
生まれた行列を見て、達也は一つ息をつく。
「ありがとうございます……! 私にも、お手伝いをさせてください……っ!」
すると大忙しのテッドに代わって、リュシーは自ら接客担当を志願。
これによって店が、滞りなく回り始めた。
「なんだこのスープ! 本当にうまいぞ!」
「すごいな! タマネギがこんな御馳走になっちまうのかよ!」
いよいよ盛り上がり始める店の前。
その様子を見て「いける」と判断した達也は、市場内に掛けられた時計に目を向ける。
「あっ、俺たちも店に戻らないと! エマちゃん!」
「ふぁいっ!」
「もう開店時間だから店に戻ります。テッドさんなら問題ないと思いますが、スープの作り方で分からないことがあったら『みけ』に来てください」
「はい!」
「あなたも、無理はしないように」
「……はいっ」
慌てて『みけ』へと駆け戻って行く達也と、タマネギを頬張ったまま走り出すエマ。
「本当にすごいな……」
テッドは新たなタマネギを、鍋に投入しながらつぶやく。すると。
「――――本当に、ありがとうございましたっ!」
見えた希望にようやく笑顔を取り戻したリュシーが、深く頭を下げた。
これでブリティシアでの新たな生活も、安定していくだろう。
スピタスフィールズ市場に、二日連続で旋風を巻き起こした料理人。
リュシーはあらためて、深い感謝と共にその背中を見送ったのだった。
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