表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【1章完結】メシマズ大国の料理店~キッチン・みけの店ごと英国転移譚~  作者: りんた


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

45/47

45.眠れる記者とペペロンチーノ

「今夜は……やるぞ!」


 労働者街にあるアパートの一室。

 原稿を前に一人気合を入れる男は、新聞記者のモーリス・ラングレー。

 元々は事務員だったが、高い作文能力が目をつけられて記者になった、二十代半ばの青年だ。


「締め切りも間近だからな」


 彼は忙しい仕事の後、夜の自宅でエッセイを書くようになった。

 そのきっかけは、投稿作が雑誌に掲載されてすごく感激したことから。

 今では記者の傍らに、ちょっとした作家業も行っている。


「だが、空腹は良くない。まずはしっかり夕食を食べてからだ!」


 帰り道に買ってきた大きめのパンと、チーズのセット。

 そして『飲むパン』であるエール。

 冷えているわけではない産業革命期のエールは、陶器のマグを持ち込んでの量り売りもされていた。

 モーリスはチーズを乗せたパンを勢いよく口に押し込むと、エールを豪快に飲み干していく。

 それから初めて自作が載った新聞を掲げて、気合を入れる。


「よーし、やるぞ!」


 気迫の一声と共に、始める執筆。

 すると次第に、しっかり食べたことで身体が温まってきた。


「……ハッ!?」


 次にモーリスが目にしたのは、まばゆい光だった。

 顔を上げると、聞こえてくる鳥のさえずり。

 そして目の前の原稿は、真っ白。


「寝て……しまったのか」


 こうなると清々しい朝日すら、まるで吸血鬼を焼く戒めの光。

 まるで愚かな自分を、責めているかのようだ。


「し、仕事! 仕事に行かないと!」


 迎えてしまった朝、モーリスは慌てて記者の仕事へと駆け出していくのだった。


「……今夜は昨日の分も頑張るぞ! まずは腹ごしらえだ!」


 今日も記者の仕事を無事に終えたモーリスが取り出したのは、ベイクドポテト。

 ジャガイモを炭火でじっくり焼き、塩を振っただけのシンプルなものだ。

 勢いのままかじりつくと、今夜も一気に完食。


「よし! やるぞ!」


 掛け声と共に、身体に心地よい温かさが灯る感覚。

 原稿を前にしたモーリスは「今夜こそ!」と、気合を入れ直す。


「……ハッ!?」


 聞こえてきたのは爽やかな鳥の鳴き声と、窓から差し込むまばゆい太陽。


「また、寝てしまったのか……っ!」


 慌てて原稿を確認するが、予想通り全然進んでいない。


「なんてことだあ……っ!」


 モーリスは今日も戒めの陽光に身を焼かれながら、記者の仕事へと駆け出していった。


「……今夜こそ。今夜こそ――っ!!」


 仕事を終えて帰宅したモーリスは、覚悟の証としてミートパイを購入。

 昨今、急に風味がよくなったその一品を勢いよく頬張る。


「よーし! やるぞぉぉぉぉ――っ!!」


 ナツメグによって身体が温まっていくのを感じながら、気合の咆哮を放つ。

 フワフワした感覚が、なんだかすごく気持ち良い。


「……ハッ!?」


 目を開けば、そこにあるのは見慣れた陽光と鳥のさえずり。


「ま、またかよォォォォォォ――――ッ!!」


 充分過ぎる睡眠によって、体調の方はすこぶる良いのが悔しい。

 こうしてモーリスは今日も、罪悪感に頭を抱えながら自宅を駆け出していくのだった。


「参ったなぁ……なんでこんなに寝ちゃうんだ……」


 この日も無事に記者としての仕事を終え、フラフラと夜の屋台通りを歩くモーリス。


「お客さん! ウナ――」

「要らない」


 早々にウナギの茹でたやつを断って、進む道。

 その先に、一軒の料理店を見つけた。


「たまには、店で食べるのもいいかもな……」


 モーリスはつぶやき、キツネの看板を提げた店のドアを開いた。


「いらっしゃいませーっ!」


 すると駆け寄って来たメイドが、笑顔でカウンター席へと案内。


「ご注文はどうしますかっ?」

「……無理だと分かっていて言うんだけどさ、しっかり食べられて眠くならず、あと三時間くらいがんばれるみたいな料理はないかな? ないよねぇ?」


 モーリスは自分で言って、苦笑い。

 ブリティシアの労働者街で、食のリクエストをするなど正気の沙汰じゃない。


「食べないと集中できない、でも食べたら眠くなる。こんなの罠じゃないか……っ!」

「この後、お仕事があるんですか?」

「そういうこと。でもいざ机に向かうと、眠っちゃうんだよ。それはつまり、永遠に終わらないという事さ」


 モーリスは白目をむき、頭を抱える。


「もう締め切り目前だっていうのに……! 一体僕はどうしたらいいんだっ! あの一気に湧き上がってくる眠気という強烈な快楽に、今夜もむざむざ負けてしまうのか……っ!?」

「……そういうことなら、メニューを任せてもらえないか?」


 すると達也が、そんな問いかけをしてきた。


「食べがいがあって、眠くなりにくい物を用意しよう」

「本当かい!? それならぜひそいつを頼むよっ!」

「はいよ」


 思わぬ提案に驚きの表情を見せたモーリスは、よろこんで達也に今夜のメニューを任せることにした。


「エマちゃーん、例のやつをちょうだい」


 料理の完成を待っていると、お調子者の工員ハリソンが店にやって来た。

 すっかりお気に入りとなった『唐揚げ定食』を、ハリソンは『例のやつ』と称して注文する。


「それなら僕も、同じものをお願い」


 トーマスも、それに乗る形で続いた。


「はいっ! かしこまりましたーっ!」


 楽しそうな工員たちの会話を聞きながら、まだ見ぬ料理の到着を待つモーリス。すると。


「どうぞ」

「これは……生の野菜か?」


 達也が出してきたのは、小ぶりなボウルに入ったシンプルなグリーンサラダ。

 とにかく茹でて毒素を抜くといのが基本の労働者にとって、生野菜は『危険』というのが常識だ。

 思わず見せる驚き。


「…………」


 しかし、その彩の美しさには抗えない。

 モーリスは、恐る恐る一口。


「おおっ!」


 レタスがシャクッと軽やかに弾け、完熟トマトのほのかな酸味と甘みがやってきた。

 続く角切りサラダチキンの歯ごたえと旨味、きゅうりの瑞々しさが最高だ。

 イタリアンドレッシングは塩気とガーリックの味わいを乗せ、さらにバジル、オレガノ、パセリなどの乾燥ハーブを香らせる。

 オリーブオイルによって丸くなったワインビネガーの酸味は、素晴らしいの一言。


「これはおいしいな……新鮮な生野菜は、こんなにうまいものだったのか……」


 サラダのうまさに、思わず感嘆してしまうモーリス。


「でも……」


 確かにおいしいが、さすがにこれだけでは物足りない。


「心配しなくていい、本命はこっちだ」


 もちろんそれも、承知の上。

 達也が告げると、料理を持ったエマがやって来た。


「お待たせいたしましたーっ! こちらペペロンチーノになりますっ!」

「おおっ!!」


 鼻をくすぐるのは、オリーブオイルの香りに溶け込んだニンニクの香ばしさ。

 そこに唐辛子の香りが、切れ味鋭く差し込んでくる。


「なんて、うまそうなんだ……」


 ブリティシアの上級階級でもあまり口にすることのないパスタは、もちろん初めてで、思わずノドが鳴る。

 艶やかな輝きを見せる麺を、モーリスはさっそく口に運んでみる。


「お、おおおおお――っ!?」


 オリーブオイルをまとった麺はつるっと滑らかで、噛むとアルデンテの芯がグッと歯に当たる。

 そこにオイルへ移った唐辛子の辛味が、後からピリッと小さく跳ねるように効いて、食欲をぐっと引き上げる。

 程よい塩加減と、見事な辛みの調整。

 続けて口内に広がるのは、むきだしのニンニクが放つたまらない風味だ。

 食感、わずかな辛味、そして香りの三つだけで勝負するシンプル過ぎる料理。

 だがニンニクと唐辛子のうまさをしっかり絡めた麺が、見事な食感と共に迫り来れば、それは不要な物が一切ない『完成された味』となる。

 潔い。ゆえにうまい。


「うまいっ! 最高にうまいよっ!!」


 モーリスはたまらず、オリーブオイルをまとったツルツルの麺をむさぼる。

 ニンニクの香りと唐辛子のピリ辛に、手を引かれるかのように。

 そして結局そのまま、一気にペペロンチーノを食べ尽くしてしまった。


「はあ、うまかった……でも、どうしてこの料理がお勧めなんだ?」


 すっかり満腹になったモーリスが、たずねる。


「パンやジャガイモ、肉料理なんかは基本的に眠くなりやすいんだ」


 消化が早い料理は、血糖値が急に上がりやすい。

 それは血糖値スパイクを引き起こし、あの異常な気持ち良さ、すなわち眠気の原因になる。

 またミートパイの肉やパンに乗せたチーズのような脂質は、眠気を後押しする。

 対してパスタは消化がゆっくりで、オイルによるコーティングもその『遅さ』に拍車をかけるため、血糖値が急に上がらない。

 脂質もほとんどないため、結果として眠くなりにくい。


「主菜を一気に食べてしまうのも、眠さの原因になる。だから先にサラダを出したんだ」


 これは達也の一工夫。

 先に野菜を食べることで血糖値を緩やかに上げ、急な上昇を抑えるというやり方だ。


「そうだったのか……なるほど確かに昨日までとは全然違う! しっかり食べて満足感があるのに眠くない!」

「よければ、これも」


 そう言って達也が出したのは、トワイトニングにもらって出し始めた紅茶。


「おおっ、紅茶か!」

「紅茶も、良い眠気覚ましになる」

「本当か!?」


 眠気対策になると聞いては、放ってなどおけない。

 モーリスは勢いよく紅茶を飲み干すと、「よし」と大きくうなずいた。

 間違いない、これなら今夜はいける。


「すごい、すごいよ店主! やる気がみなぎって来た! よーし、やるぞぉぉぉぉ――っ!!」


 気力は十分なのに、眠気はなし。

『いける』という強い確信に背を叩かれたモーリスは、勢いよく立ち上がった。


「ありがとう店主! 今夜はがんばるよっ!」

「がんばってくださいね!」

「ああ、任せてくれっ!」

「またどうぞ」


 こうしてモーリスは嬉しそうに手を振って、駆け足で『みけ』を後にした。



   ◆



「エマちゃん! これ次のペペロンチーノ!」

「はいっ!」


 最近はようやくサンドイッチによる忙しさにも慣れ、落ち着きを見せてきたキッチン・みけ。

 しかし今日はまた突然、原因不明の忙しさが始まっていた。

 なぜか身ぎれいな格好をした、中産階級の客が多いのだ。

 しかもその客は皆、決まってペペロンチーノを指定する。さらに。


「ご注文はどうしますかっ!」

「――――例のやつを」

「……はい?」


 初見の客がいきなり「例のやつ」と言い出して、エマが首を傾げる。


「お嬢さん、こっちも頼むよ――――例のやつを」

「俺もだ……例のやつを一つ」

「え、ええっ?」


 続く特殊な注文に、困惑するエマ。


「ほら、これのことだよ」


 すると新聞を手にした中流階級の男が、一つの記事を見せてきた。

 見ればそこには、労働者階級の現状を描くコーナーと共に『みけ』についての随筆がある。

 どうやらそこに描かれた見事なレポートが、客の食欲を刺激しまくってしまったようだ。

 しかも『この店には『例のやつ』という隠しメニューあり』という、最高に好奇心を刺激する表記まであり。


「どうもー」


 エマが困惑していると、ちょうどそこに『その記事』の著者であるモーリスがやって来た。

 空いたばかりのカウンター席を見つけて腰を下ろすと、達也に向けて笑顔を向ける。


「店主、本当にありがとう。おかげで良い仕事ができたよ」

「いえ、それなら良かった」

「そこで店主に、一つ聞きたいんだけど……」

「はい」

「今度は逆に……どんなに目が冴えてても、食べたら泥のように眠れる料理って……ない?」


 ため息をつきながら、奇妙なオーダーをするモーリス。


「眠れる料理?」

「実は一度生活の時間が変わったら……今度は朝に起きれなくなっちゃったんだよぉぉぉぉーっ!」


 頭を抱えて、カウンターに突っ伏すモーリス。


「寝ようと思っても全然寝られなくて、そのまま時間だけが過ぎるあの感じ! これじゃ今度は、記者の方の仕事がピンチだよ!」

「……なるほど」


 これには達也も、苦笑いを浮かべながらメニューを考え始める。


「おーい! こっちに『例のやつ』を一つ!」

「俺も『例のやつ』をくれー!」


 一方エマは、続く『例のやつ』攻撃に困惑中。


「それって一体、どの料理のことなんですか――――っ!?」


 戸惑いの悲鳴が、『みけ』の店内に響き渡ったのだった。

誤字報告ありがとうございます! 適用させていただきました!


お読みいただきありがとうございました!

少しでも「いいね」と思っていただけましたら。

【ブックマーク】・【ポイント】等にて、応援よろしくお願いいたします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
まったく、ちゃんと取材しないから
満腹中枢、血糖値、体温…すべてが一度に満足して眠くなるので、テレワーク忠の昼飯は少なめにしてますねぇ… ペペロンチーノは、近所のスーパーじゃ取り扱ってなかったでござる。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ