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【1章完結】メシマズ大国の料理店~キッチン・みけの店ごと英国転移譚~  作者: りんた


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44.うどんと最後の密輸紅茶

 もともと紅茶は、東インディオ会社の独占商品であった。

 しかし税金の高さゆえに上流階級しか手を出せない利権構造が、密輸業者を乱立させていく。

 フランク王国やネデールランドから紅茶を安く仕入れ、船でブリティシアに持ち込む。

 そんな密輸茶葉は合法品の半額以下で売られ、取り扱い量の増加は一部庶民にまで紅茶が広がるほどだった。


「……この商売も終わりか」


 夜のブリティシア南部沿岸。

 ランプに照らされた小屋でつぶやいたのは、密輸業者の男。


「無理ねぇよ。これだけ税金を下げられちまったら、儲けなんかでやしねえ」

「もう捕まっちまうリスクを負ってまでやる仕事じゃない……潮時ってやつだ」


 かつて密輸紅茶が押収された時は、六十人のギャングが税関を襲撃して茶葉を奪還したこともあった。

 それほどに加熱していた密輸業も、税率の大幅な低下によって、今では雀の涙の稼ぎにしかならない。


「もうあの頃とは違うんだ。今日をもって――――俺たちも解散だ」


 こうして担い手のいなくなった密輸業は、いよいよ終焉の時を迎えた。

 散り散りになって、去って行く男たち。


「……おい、何やってんだ?」


 そんな中に一人、茶葉の入った箱を手にした男が残っていた。


「俺にはまだ仕事が残ってるんだ。ご指名の上、金も受け取っちまってるからな」

「やめとけよ。もう密輸自体から手を引くんだから、金なんか持ち逃げしちまえばいいだろ」


 密輸仲間は、そう言って鼻で笑う。

 これ以上仕事をしないのであれば、受け取った金だけ持って逃げることは十分に可能だ。

 しかし男は、静かに立ち上がる。

 オーウェン・ラトフォード、28歳。

 勤めた3つ目の工場が潰れたところで、生きるために始めた密輸。

 密輸業者の人間は儲けを多くするために、茶葉に別種の植物などを混ぜてかさ増しを行っていた。

 それでもオーウェンはできるだけ良い茶葉を、混ぜることなく販売してきた。

 その理由は、たとえ悪事とはいえ客を裏切ることはしたくない。

 続く不幸によって堕ちたオーウェンが最後に残した、せめてもの良心だ。


「――――行ってくる。なに、俺の仕事もこいつで終わりだ」


 オーウェンは最後の密輸紅茶を届けるため、茶葉の入った箱を抱えて歩き出した。



   ◆



 昼過ぎのロンドール。

 ニット帽をかぶったオーウェンは、労働者街であるイーストエッジを進む。

 その手には、密輸紅茶の入った箱。

 茶葉の受け渡しにはまだ、もう少し時間がある。


「……何か、食べておくか」


 目についたのは、楽しそうに店を出てきた工員の男たち。

 工場長オリバーを始めとした一団とすれ違う形で、オーウェンは『みけ』のドアを開いた。


「いらっしゃいませーっ!」

「いらっしゃい」


 さっそく元気な声で駆けつけてきたエマに、カウンター席へ案内される。


「ご注文は何にしましょう!」

「そうだな……」


 オーウェンは、チラリと達也の方に視線を向ける。

 そこでは、見たこともない綺麗な料理が作られていた。


「へえ、こりゃ大したもんだな……」

「どれも、とってもおいしいですよっ!」


 うれしそうに笑うエマ。

 だが労働者階級のオーウェンには、味の予想すらつかない。

 そこで、問いかけてみることにした。


「この後仕事でちょっと走り回ったりするかもしれないんだが、何か力の出るものはあるか?」

「それなら『うどん』はどうだ? すぐに元気が出て、持久力も付く」

「そりゃいい。そいつで頼む」


 達也の提案に二つ返事で応えたオーウェンは、静かに料理の到着を待つ。


「紅茶の輸入量はさらに増えたようだ。茶葉はこの後、もっと安くなるだろう」


 その視線の先には、紅茶を優雅に楽しむトワイトニング。

 お気に入りのBLTサンドにかぶりつきながら、隣席の客に語る。


「銘柄次第だが、近いうちに誰にでも買えるようになる」


 やはり、これが最後の取引。

 オーウェンはあらためて、密輸業の終わりを確信する。


「お待たせいたしましたーっ!」


 するとエマが、渋い色味の碗を持ってやって来た。


「こちら、月見とろろうどんですっ!」

「これは……っ」


 驚きに目を見開く。

 湯気を上げるその一杯は、まるで芸術作品のようだ。

 真っ白なとろろの雲の中央に、ぷっくりと盛り上がった満月のような卵黄が鎮座。

 その下には穏やかな色味をした温かな出汁と、白く輝く麺がのぞいている。


「ちょっと慣れが必要ですけど、ぜひお箸で食べてみてくださいっ!」


 そう言いながらも、フォークとスプーンを添えておくエマ。

 オーウェンは言われるまま、意外と器用に箸で麺をつかむ。

 そしてそのまま、口に運んでみると――。


「っ!?」


 初めての食感。

 麺を噛むと、もちっとした弾力と共に、出汁の昆布と鰹の見事な味わいがやってくる。

 広がる風味は、思わず息をついてしまうほどにうまい。

 さらに麺がノドを通る瞬間の『つるり』とした感覚は……まさに格別。

 すかさず麺を、もう一度取る。

 すると今度は、とろろのふわとろ感をまとった麵がやって来た。

 ノドに触れていく麺ととろろの感触は、もはや気持ちが良い。

 山芋のほのかな甘みと土の香りを含んだ滋味には、出汁の旨味がしっかりと混ざっていた。


「うまい……っ!」


 その素晴らしい食感と味つけに、驚きと困惑の混じった表情を浮かべるオーウェン。


「な、なあ、この卵はどうするんだ?」

「割って混ぜると、また新たなおいしさが生まれるんですっ!」


 チラチラと月見とろろうどんを見ていたエマが、即座に駆けてきて説明を開始する。


「すぐに割っても良し、もっと出汁を楽しんでから、濃いめの卵を楽しむも良しなんですっ! タイミングは……自分次第……っ!」


 目を輝かせて語るエマを前に、オーウェンは卵を割ってみる。

 すると濃い金色が、とろろと出汁の海に溶けていく。


「……ど、どれ」


 そして一口。


「お、おおおお――っ!?」


 深まった味に、思わず声が出た。

 卵のコク、とろろの滋味、出汁の旨味が一体化することで生まれる、独特の濃厚さ。

 それはもはや、豊潤と呼べる領域だ。

 最後に抜けていくねぎのシャキッとした香りが、全体を引き締めている。

 オーウェンはそのまま器用に箸を使って麺を食べ切ると、最後には碗を両手で持ち上げた。


「ごくり」


 ここでエマが、ノドを鳴らす。

 最後に残ったのは出汁、とろろ、卵が完全に溶け合った黄金色のスープ。

 飲み始めれば、止まらない。

 そのまま一滴も残さずスープを飲み干せば、そこには浸れるほどの余韻が残る。


「……食べている途中に、何度も味が変わっていった。そしてその全てがあまりに絶妙。なんて素晴らしい料理なんだ」

「そうでしょう?」


 うなずく達也だが、実は味だけはない。

 うどんは消化が早く、山芋のたんぱく質が吸収を助けることで、エネルギーもしっかり充填できる。

 腹に残って痛みの原因になる、油ものも無し。

 この後『走る』のであれば、うどんは最高の選択だ。

 オーウェンは満足そうに笑って、しばらくその余韻を楽しんだ後。


「……行くか」


 覚悟を決めるかのように言って、支払いを済ました。


「世話になったな」

「ありがとうございましたーっ!」

「またどうぞ」


 紅茶の箱を手に店を出たオーウェンは、受け渡し場所を目指して歩き出す。


「……また、食べに来たいもんだ。その時は卵を割るタイミングを、もっと遅くしてみるかな」


 かすかな笑みを浮かべながら進むのは、煤けたイーストエッジの道。


「あれは……」


 通りを挟んで向かいにいた二人組の、片割れが声をあげた。

 青い制服を着た警官は、すっかりお気に入りになったホットサンドを食べながらの巡回中だった。

 屋台の少女が作るその一品は、焼き加減が上達してさらにうまくなっている。

 唯一の問題は、人気でなかなか買えない事だ。


「隠れろ……!」


 警官はそう言って同僚の腕を引き、建物の陰に身を隠した。


「なんだ急に、どうした?」

「あの男と箱には見覚えがある。以前一度追いかけた、紅茶の密輸犯で間違いない」

「なるほどな。それは良い手柄になるぞ」


 警官は残りのホットサンドを口に押し込むと、同僚と共にそっとオーウェンの後を追う。

 狙いはもちろん、手にした密輸紅茶を暴いての逮捕だ。しかし。

 オーウェンにも、いくつかの修羅場をくぐり抜けてきた経験がある。

 敏感に気配を感じて振り返ると、警官と目が合った。


「「っ!」」


 すぐさま駆け出すオーウェン。


「行くぞ!」


 警官たちも、後を追う形で走り出す。

 オーウェンはそのまま、煤けたイーストエッジの街並みを駆け抜けていく。


「逃がすかっ!」


 軽快な身のこなしで通行人の間をすり抜けてくオーウェンを、警官も力強い走りで追従する。


「さすがに、良い足してやがる……っ!」


 どちらも走りは見事。

 距離は、なかなか縮まらない。

 街路へ入り込んだオーウェンは快足を飛ばして進むと、そのまま柵を跳び越え角を曲がる。

 もちろん警官コンビも負けじと、柵を跳び越えていく。


「チッ!」


 道の先にいたのは、巡回中の警官たち。


「おいっ! そいつを捕まえてくれ!!」


 すぐさま上がった声に、警官たちがタックルの体勢に入る。

 その隙間を抜けるのは、さすがに不可能だろう。


「そうは、いくかよ――っ!」


 するとオーウェンは進路を変更し、右側に続く石壁に足をかけて飛び越える。

 そして再び、続く道を疾走。

 ここで警官の同僚が、疲れによって遅れ始めた。


「俺はこいつらと一緒に左から回り込む! 手柄を逃がすなよ!」

「ああ、分かった!」


 健脚の警官は、そのままオーウェンの追走を継続。

 またも付かず離れずの距離に迫り、街路を駆け抜けていく。


「……ここだ」


 二人が入り込んだのは、曲がり角のない直線。

 警官が、勝負に出た。

 すでに大きく疲れているのは、どちらも同じ。

 警官は呼吸を止め、スパートをかけることで一気に距離を詰めていく。


「もう少し……っ!」


 あっという間に、詰まっていく距離。


「捉えたぁぁぁぁぁぁ――――っ!!」


 警官の伸ばした手が、ついにオーウェンの服をつかんだ。

 その瞬間。


「っ!?」


 オーウェンの速度が、もう一段回伸びた。

 つかみ損ねたことで体勢を崩した警官は、一気に速度が低下。

 距離が生まれた瞬間を逃さず、オーウェンは狭い路地に入り込んで右へ左へ。


「なんて、体力だ……っ!」


 結局そのまま、警官を置き去りにする形での逃走に成功。

 街路に紛れ込むことで、事なきを得た。


「はあ……はあ……っ」


 どうにか警官の目を逃れて、歩く街はずれ。

 たどり着いた取引場所は、さびれた民家の裏通り。

 取引の相手は、なんて事のない老人だ。


「待たせたな。ほらこいつが今回の分だ。確かに届けたぞ」


 オーウェンは箱に入った紅茶を手渡して、荒れる呼吸を整える。


「ありがとう。家内はこの紅茶が好きでなぁ。昔ずいぶん苦労をかけちまったから、どうにかして手に入れてやりたくてな。もうワシらもそう長くない。これはせめてものお礼なんだ」

「こんだけありゃしばらく持つだろ。次からは店で買いな。そろそろ俺たちにも買えるくらい、正規品が安くなるってよ」


 そう忠告すると、オーウェンは踵を返した。


「……これでこの商売ともお別れか。ロクでもねえ仕事だったけど、最後はまあ……悪くなかった」


 すると老人が、去って行くオーウェンに問いかける。


「お前さん、仕事を辞めるのか?」

「ああ、そうだ」

「それなら、知り合いの作る新しい工場が人を欲しがってるんだが……どうだ?」

「……は?」


 唐突にぶつけられた、意外な申し出。

 変わり出そうとする、オーウェンの人生。しかし。


「見つけたぞ……っ」


 警官はその直感で、見事に取引現場へと到達。

 オーウェンたちを見つけると即座に建物の角に身を隠し、息をひそめる。

 あとはそっと接近して、捕えるのみ。

 背後を取っているこの状況なら、確保は間違いない。


「お前さんに茶葉を頼んでいたのは、おかしな混ぜ物をされた紅茶を家内に飲ませたくなくてな。信用できると思ったからだ……お前さんは一度も、そんな真似をしなかっただろう? だから勧めてるんだ、新しい職場で働いてみないか?」

「こちとら工場が三度、立て続けに潰れた……疫病神だぞ?」

「ふふ、生きていれば不運が続く時もある。今回もそうとは限らんだろ?」

「……そうか……そうだな」


 捨てる神あれば、拾う神あり。


「よろしく、お願いします」


 思わぬ申し出に、深く頭を下げるオーウェン。


「…………」


 そんな二人の話を聞いた警官は、足を止めた。

 するとそこに、応援を連れた同僚が駆けつけてくる。


「おい、ヤツはどこだ!? ……この先か!?」


 オーウェンの居場所を尋ねる同僚たち。

 警官は、静かに首を振った。


「……いや、こっちにはいなかった」


 そしてオーウェンたちに、背を向ける形で歩き出す。


「行こう。ヤツのことだ、シティの方にでも逃げたんだろう」


 警官は同僚たちを連れて、あさっての方向へと進んでいく。


「……これだけ走らされて、手柄は水の泡か」


 取引現場と密輸の茶葉。

 そろった二つの証拠を目前にして、警官は「やれやれ」と来た道を戻っていく。

 その顔に、満更でもない苦笑いを浮かべながら。



   ◆



「よう」


 キッチン・みけのドアが開かれた。

 やって来たのはつい先日、最後の紅茶密輸を行った男だ。


「いらっしゃいませーっ! あっ、この前の!」

「ああ、あの時はおかげさまで無事に逃げ切れ……走り切れたぜ」


 危うく口を滑らせそうになったオーウェンは、思わず苦笑する。


「そんでよ、実は今日から新しい仕事につくんだ」

「そうなんですか! おめでとうございますっ!」

「おめでとう」

「だからさ、例の『うどん』ってのをまた頼むよ。今日は卵を割るべきタイミングを見極めてやろうと思ってな」

「それはいいですねっ!」


「ぜひ!」とうなずくエマに、オーウェンは真っ直ぐな顔つきで注文を告げる。

 最後まで捨てなかったせめてもの良心は、彼を新たな居場所へと導いたのだった。

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