43.悩める薬剤師とフライパンピザ
その日、薬剤師であるアルフレックス・バートの自宅では食事会が開かれていた。
仕事上の付き合いがある者たちを招いての、賑やかな懇親会だ。
「バート婦人、ぜひこちらのトライフルを召し上がってみて。おいしいと評判なんですよ」
さっそく客の一人が、フルーツとクリームを挟んだケーキを勧めてきた。
するとアルフレックスの妻は、申し訳なさそうに告げる。
「申し訳ありません、卵を食べると喘息の発作が出てしまうんです」
「まあ、そうでしたか。申し訳ありません」
楽しい時間を過ごす客の好意を無下にするようで、下げる頭も自然と深くなる妻エリザベス。
「それでしたら、こちらのパンをお召し上がりになって! 近所に良いパン屋がありまして、今日のために用意してきたんです!」
そんな空気を塗り替えるように、あがった声。
見ればそこには、ふんわりとした見栄えの良いパンの姿がある。しかし。
「……すみません」
続けて申し訳なさそうに、頭を下げるエリザベス。
「もしかして、パンも食べられないのですか……?」
「はい。卵もですが酵母でも発作が起きてしまうんです」
「そうなんですか……」
わずかに静まり返るバート家。
だが、客が絶句するのも当然だ。
なぜなら酵母の使われているものがダメとなれば、ブリティシアの主食であるパンが基本全て食べられないということになる。
バードの妻エリザベスは卵アレルギーだけでなく、酵母アレルギーという非常に厄介な体質も同時に持っていた。
それは主食であるパンも、お茶会の主役であるケーキも食べられないということ。
産業革命時の料理には卵や酵母が多用されるため、それはとても厳しい。
こうして食事会は、わずかな驚きを残したまま解散となった。
「……なんとか、してみせるよ」
客が帰宅し、二人だけになったところで、アルフレックスは妻を励ますように言った。
「ありがとう。でも、あなたはもう私のためにカスタードを作ってくれたじゃない。それだけで十分よ」
産業革命時のブリティシアではカスタードが定番デザートの一つだったが、当然卵が使われる以上妻は食べられない。
そこで薬剤師のアルフレックスは、バニラエッセンスやコーンスターチを調合して専用の粉を開発。
卵を使わずにいつでも作れて、そのうえで味はほとんど変わらない『バート・カスタード』を完成させた。
粉末であるため保存の効くバート・カスタードは来客から好評を受け、そのまま人気商品となった。しかし。
アルフレックスにとっては、対外的な成功に意味はない。
あくまで目的は、妻エリザベスが食べられないものばかりの現状を変えること。
「僕が、なんとかしてしてみせるから」
しばしば見かける、家族や客が楽しむデザートを妻だけが食べられていない状況は悲しい。
何より米を食べる文化がないブリティシアで、パンが食べられないというのはとてもつらいことだ。
「酵母を使わずに、パンやケーキを作り出す方法。何か、何かあるはずだ……!」
卵不使用のカスタードを発明してから、すでに六年。
三十二歳となった薬剤師アルフレックスは熱意を秘めた目で、片付けを始める妻の背中を見つめていた。
◆
「ロンドールでの仕事はこれで終わりだ……さて、馬車が来るまでもう少し時間があるが、どうしようか」
バート・カスタードの取引で、地元のバーミンガルからロンドールへやって来ていたアルフレックス。
空いた時間の潰し方に悩みながら、街を進む。
「今日も買ってきたぞ! 『みけ』のサンドイッチ!」
「俺は夜にスタミナ丼を食べに行くつもりだ。今から舌なめずりが止まらねえよ!」
そこに聞こえてきたのは、労働者たちの楽し気な会話。
食べ物の話をこんなに楽しそうにしている人間を、ロンドールで見かけることは稀だ。
アルフレックスは、二人の労働者がやって来たのであろう道をたどってみることにした。
するとその先にあったのは、少しめずらしい雰囲気をした一軒の料理店。
ちょうど小腹も空いている。
アルフレックスはそのまま、『みけ』のドアを開いた。
「いらっしゃいませーっ! こちらの席へどうぞ!」
さっそく駆けつけてきた元気なメイドに引かれて、カウンター席に腰を下ろす。
「ご注文はどうしますかっ?」
「そうだな……」
メニューを開いた瞬間、一つの料理に目が留まった。
「この、フライパンピザというのを頼むよ」
「はいっ! 少々お待ちくださいっ!」
アルフレックスがその料理を選んだ理由は、他でもない。
焼き目の見事な生地が、気になったからだ。
「お待たせいたしましたーっ! こちらフライパンピザになりますっ!」
「これは……すごい」
思わず、ため息をついてしまう。
もちろんピザを見るのは初めてのこと。
木板に乗せられた鉄製のフライパンは、やや大きめのスキレットといった感じだ。
見事な焼き色を付けたナチュラルチーズの下には、濃厚なトマトソースが透けて見えている。
アルフレックスはナイフを刺し込むと、器用に切り取っていく。
そしてカリカリになった生地とスキレットの間にフォーク差し込み、持ち上げてみると――。
「お、おおっ!?」
思ったよりも生地の底が深い。
中に隠されていたモッツァレラチーズが、一気にとろけ落ちていく。
達也の世界の『シカゴピザ』を模した、その一品。
トマトソースと一緒になって生み出す紅白の美しさにノドを鳴らしながら、そのまま口へ運んでみる。
「ほふっ!」
その熱さに、思わず息がもれる。
溶けたモッツァレラチーズのミルキーさに、ナチュラルチーズの塩気とコクが混ざって、口内を蹂躙。
そこにフライパンの熱でじっくりと煮詰められたトマトソースが、ぎゅっと凝縮した甘みと酸味を流し込む。
わずかに残したトマトの果肉感に、輪切りウィンナーの旨味が混ざり、さらにニンニクの風味とオレガノの香りが怒涛の行進を開始。
それを支えるのは、生地の見事な食感だ。
外はカリッとしながら、中は程よく柔らかい。
さらに焦げたチーズの風味とバターの味わいをほんのり感じさせるこの生地が、縁の下の力持ちとして素晴らしい働きを見せている。
「ほふほふっ! なんて、なんてうまいんだ……っ!」
とろけるチーズと、トマトソースの酸味がたまらない。
アルフレックスはこぼれ落ちそうになるチーズを口で受け止めながら、夢中でフライパンピザを食べ尽くす。
「なんて、素晴らしい料理なんだ……」
もれる大きな吐息が、その満足度を物語る。
「……でも」
アルフレックスは、寂しそうに息をついた。
「こんなにおいしい料理も、エリザベスは食べられないんだな」
せっかくおいしいものを見つけても、妻が楽しめなけば喜びは半分。
独り占めでは意味がないのが、アルフレックスという人間だ。
自らの無力さをあらためて感じ、一人肩を落とす。
「食べられない?」
そんなアルフレックスの様子が、どうしても気になった達也がたずねる。
「妻は酵母がダメでね。酷い喘息になってしまうんだ。だからこんなにおいしい料理も食べられない……さて、そろそろ行かなくては」
気が付けば、馬車の時間ギリギリだ。
妻が待つバーミンガルへ、帰らなくてはならない。
アルフレックスは代金を置いて立ち上がる。しかし。
「――――食べられますよ」
達也は一言、そう告げた。
「店主、それはどういう……」
「達也さん、フライパンピザをもう一つお願いしますっ」
「ちょうどいい」
そこに入った、新たな注文。
達也は取り出した生地を手早くこねて成形し、具材をフライパンに乗せて焼きの工程に入る。
「ちょっと、待ってくれ……」
アルフレックスは、その光景に驚愕した。
「これは一体、どういうことだ!?」
今まさに膨らんでいくピザの生地は、パンに近い材料で作られているはず。
また産業革命時のブリティシアにおけるパン作りは、酵母の管理が難しく、発酵に半日から丸一日かかるのが常識だ。
それがどうしてこんなにあっさりとした手順で、ピザ生地が膨らむのか。
アルフレックスは思わず、悩み過ぎたことで生まれた幻覚ではないかと自身を疑ってしまう。
「まさか店主、酵母を使っていないのか!?」
「焼き菓子やパンの一部は、酵母を使わなくても焼き上げることが可能なんだ」
「どうやって、いやどんな材料を使って焼いているんだ!?」
「これは重曹とコーンスターチ……あと、何だったか……」
達也は頭を悩ませるが、その材料全てを瞬間的に思い出すことができない。
「……いや、それだけで十分だよ」
するとアルフレックスは、大きくうなずいて見せた。
「酵母の代わりになる物が作れるということが判明したんだ。僕は決して答えのない戦いをしているわけじゃない。そのことが知れただけで……十分だ!」
闇雲ではない。
酵母がなくても、生地をおいしく膨らませることは可能。
確かな希望が見えたことで、アルフレックス・バートの熱意に再び強い炎が灯った。
「ありがとう店主、必ずまた来るよ! あなたが作る最高の料理を、ぜひとも妻と一緒に食べに来たい!」
「ぜひ。お待ちしてますよ」
「ありがとうございましたーっ!」
アルフレックスは力強い笑顔を残して、『みけ』を駆け出していく。
見つけた希望に強く背を押されて、まるで遊び場へ駆ける子どものような足取りで。
そしてそのまま馬車に乗り込むと、ロンドールを後にした。
こんな『みけ』とアルフレックスの出会いは、歴史に残る発明を生み出すことになる。
◆
「……焼けた! 焼けたぞっ!」
ロンド-ルから帰って来たアルフレックスは、夢中で研究を再開。
ついに完成したその『材料』を使い、短時間で見事にパンを焼き上げてみせた。
達也のように、酵母を使うことなく。
「……おいしい」
その味に、妻エリザベスも思わず顔をほころばせる。
もちろんアレルギーの反応もなし。成功だ。
するとエリザベスは焼き上がったばかりのパンに、バート・カスタードを乗せてかじりついた。
酵母なしで作ったパンに、卵なしで作ったカスタード。
それは強いアレルギーを持つエリザベスには本来、命に関わる組み合わせ。
だが、食べられる。
アルフレックスの作った二つの発明品は、エリザベスを苦しめたりなどしない。
「……ありがとうアルフレックス。こんな日が来るなんて思わなかった」
研究を続ける日々を見てきたからこそ、感じる大きなよろこび。
二人一緒に、分かち合う。
「そうだ。エリザベス、今度一緒にロンドールに行こう」
「ロンドールですか?」
「君をどうしても連れて行きたい、最高の料理店があるんだ」
「……もちろん。貴方と一緒ならどこへだって」
楽し気に語るアルフレックスに、うれしそうにうなずくエリザベス。
二人は焼き上がったばかりのパンに、仲良くかじりつくのだった。
その研究は商売のためでも、科学的興味のためでもなく、ただ「妻に普通のパンを食べさせたい」という想いから始まった。
そして世界の焼き菓子文化を変える、歴史的な大発明を生み出す。
ベーキングパウダー。
アルフレックスが生み出した発明はこの後、さらに各国で研究が進み正式な完成品となる。
それは達也の世界でもパンケーキやドーナツ、ナン、肉まんの調理などに使われる大事な食材だ。
だがその始まりはあくまで、妻への想い。
愛する家族のために作った発明が、二百年後も名をはせる革命的な一品となったのだった。
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