42.酒の締めと鮭出汁茶漬け
「……なあ、あんただって余計な手間はない方がいいだろ? 書類の不備くらい見逃してくれよ」
「それは不可能だ」
貿易会社の男は懇願するが、サイラス・クラウザーは短く応えた。
「輸入品の数の違いくらい、そっちの匙加減でどうにでもできることだろ! 商品足止めされたら遅れが出るんだよ!」
「……不可能だ」
「ぐっ……!」
岩のように動かぬサイラスを前に、貿易会社の男は舌打ちしながら店を出ていく。
海外貿易において、横行している密輸と脱税。
そんな不正を防ぐため、輸入品の点検管理は異常なほどに厳しくなっていった。
税関吏であるサイラスは無口で、その仕事ぶりも極めて厳格。
さらに身体つきも大きく武骨なため、一部の貿易商からは非常に恐れられている。
「おーい、やっぱ今夜は濃霧の影響で船仕事はないってさ」
荷下ろしの仕事を待っていた荷受人夫がやってきて、仲間たちに状況を告げた。
サイラスもジンを飲みながら点検業務の再開を待っていたが、どうやら本日は終業となったようだ。
(……帰るとするか)
夕食時もすでに終わり、時刻は夜更け頃。
「ありがとうございました」
「……ああ」
紺色のウールコートに、書類用の革鞄を持ったサイラス。
店員に片手で応えながら店を出て、そのままガス灯の炎が揺れる街へと繰り出す。
年齢も四十をとうに超え、薄くまとわせ始めた渋さが一層サイラスを精悍に見せている。
一人街を行く姿にはどこか、ハードボイルドな面持ちすら感じるほどだ。
夜霧のロンドールに、滲む炎。
眠らない港の酒場からは、アコーディオンの音色と酔客の歌声が聞こえてくる。
「……ふむ」
独りがサマになるサイラス・クラウザーは、不意に道の真ん中で立ち止まった。
そして、一言。
「――――小腹が、減った」
サイラスは再び歩みを進めながら、一人考える。
(この時間にロースト肉やミートパイは、さすがに重い)
並ぶ中産階級向けの店を順番にのぞき、程よい料理がないかを探していく。
(白身魚のフライか……油が邪魔になるな)
しかし、なかなか今の気分に合う料理が見つからない。
(とはいえスープでは、逆に少し軽すぎる)
そして、ついに気がついた。
(この選択、意外と難しいぞ)
小腹の空きというのは、厄介だ。
量が多くてはダメ、少なすぎてもダメ。
程よい食べがいが求められる。
さらにこの後はもう、帰って寝るだけという状況だ。
ここで油ものなんかを食べてしまえば、胃がもたれて眠れなくなってしまう。
(そして何より……塩気のあるものが食べたいという強い欲求がある)
仕事の再開を待つ間に、済ませた夕食。
サイラスはその後ずっと、ジンを飲みながら過ごしていた。
ジンは刺激的で辛口。
エールより安く、度数が高い蒸留酒だ。
長い待ち時間を潰すために飲み続けたことで、思った以上の量を摂取しているサイラス。
アルコールの分解が始まれば血糖値が低下し、身体が炭水化物を求め出す。
そして多くの水分を採れば、塩分が欲しくなるのも当然だ。
(量はほどほどで、脂っこくはなく、それでいてうまく、しっかりと塩の効いたものか……)
「……不可能だ」
自ら、口にする。
ロンドールという、食の弱い土地。
量が多いものや油が強いものは、気分ではないという強い制限。
サイラスは思考を巡らせるが、浮かぶメニューの中に今の『絶妙な状態』を満足させる料理はない。
もちろんそれは、素人が作る屋台や安食堂では不可能だ。
(……参った。何かを食べて帰りたいが、食べたいものがない)
それは時に誰もが抱える、寝る前の空腹問題。
立ち止まったまま難しい顔をしているサイラスに、通行人たちが次々に首を傾げる。
(だがこのまま帰れば、この中途半端な空腹に対して『忘れたフリ』を決め込みながら眠るか、渋々パンをかじってのふて寝となる)
それだけは、嫌だ。
そこに残るのは、虚しい敗北感のみ。
サイラスは顔をしかめながら店を見て回るが、やはりここはメシマズの首都ロンドール。
めぼしい料理は見当たらなかった。
たどり着いてしまった労働者街の隅で、ついにしょんぼりと肩を落とす。
その時だった。
「……ん?」
そこに、労働者街にしては妙に綺麗な一軒の店を発見。
少しだけ増した感じのある、小腹の空き具合。
サイラスはフラフラと店に引き寄せられるが、その瞬間明かりが二段階ほど暗くなった。
そのままドアを開いたサイラスは、店内の雰囲気を見て察する。
落ちた明かりは、終業の合図だったのだと。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませーっ!」
それでも達也はいつも通りの挨拶をして、エマもそれに続く。
「……酒を飲んできたのだが、どうしても小腹がすいてしまってな」
サイラスは思い切って状況を口にするが、時間は遅く、すでに賄も終わってしまった状況。
「邪魔したな」
大きな肩をさらに落として、立ち去ろうとする。
「……もしかして、塩の効いたものが食べたいんじゃないですか?」
「っ!」
閉店のため、空腹で来てくれたお客さんを帰らせる。
客も店も、少しずつ寂しい思いをするこの状況。
それを変えるのは、達也だ。
「それもできれば、あっさり目で」
「……その通りだ」
(なぜ店主は、俺の求めるものが分かったんだ?)
驚くサイラスだが、飲んだ後に『締め』のような一品が欲しくなるのは、達也の国ではあるあるだ。
そして小腹の空きにちょうどハマる一品が欲しくなる感覚も、よく分かる。
「簡単なもので良ければ、作りましょうか?」
「……ああ、頼む」
サイラスはエマに案内されて、カウンター席に腰を下ろす。
(ここでダメなら、今夜は諦めよう)
雰囲気の良い店にたどり着くことはできたが、ここはロンドールの労働者街だ。
程よい量で、油っぽくなく、塩気の効いたうまい料理。
そんな難しい事を頼めるような場所ではない。
それでもサイラスは、自らの『状況』を言い当ててみせた達也を信じて待ってみることにした。すると。
「お待たせいたしました」
「……これは」
「鮭の出汁茶漬けです」
サイラスは初めて見る料理に、思わず感嘆する。
ざらざらとした濃灰色の碗に、ほぐした焼き鮭をたっぷり積んで作られた山が鎮座している。
粗めにほぐされた身は、見た目にも鮮やかで美しい。
透明感のある黄金色の出汁に浸かる、純白の米。
溶け出した鮭の脂が、表面に細かな油の輪を作っている。
サイラスにとってはもちろん、初めて見る料理だ。
(素朴だが、不思議と美しい……)
天辺に散らされた海苔も米も、サイラスには初めての経験となる。
だが、その美しさから目が離せない。
「どれ……」
さっそく、木製のスプーンで一口。
「これは……っ」
最初に来るのは、焼き鮭特有の香ばしさ。
その後すぐに、昆布と鰹で取ったしっかり目の白出汁が流れ込み、鮭の旨味が一気に解き放たれた。
(求めていたのは、まさにこれだ……!)
焼き鮭の塩味と出汁が混ざることで、求めていた『塩辛さ』が口内を蹂躙していく。
さらに鮭の脂と出汁が一緒になることで生まれる、ささやかな濃厚さも心地よい。
出汁を吸った米は柔らかく、それでいてわずかに粒の存在感が残っている。
その食感が、ほぐれた鮭と見事にマッチ。
噛むたびに鮭と出汁の旨味、焼き目の香ばしさ、そして米のほのかな甘みが波のように押し寄せてくる。
「ほう……!」
だが、これだけでは終わらない。
刻み海苔が湯気でふわっと香り、白ごまの軽い香ばしさが後味に残る。
最後にやってきたネギの青い香りは、全体を整えてくれている。
「はあああ……」
そのままサイラスは最後の一口までゆっくりと楽しんで、満足気に息をついた。
(……染みる。まさに『ちょうど』だ)
満腹になってしまわない程よい量に、しっかりとした塩気、そして油分の少なさ。
酒を飲んだ後の小腹の空きに、完璧なまでにちょうどいい。
これこそ今のサイラスに、世界で一番染みる料理だろう。
「おいしそうですねぇ……」
見た目はあっさりとしているのに、これ以上ない満足感を見せるサイラスから、エマは目が離せなかった。
「……店主」
「はい」
普段は口数の少ない、ハードボイルドなサイラス。
「…………こんなに見事な料理は初めてだ。うまかった、また来る」
支払いを終えて立ち上がると、チラリと一度達也を見てつぶやいた。
「ありがとうございました」
「ありがとうございましたーっ!」
厳しいことで知られる、税関吏のサイラス・クラウザー。
大きな身体でスプーンを持ち、鮭茶漬けを夢中で食べると、少しもったいなさそうにしながら最後の一口を味わい、そしてその口元をわずかにほころばせて去って行く。
「なんだか、可愛らしい方でしたね」
それは『みけ』でだけ見られる、意外な一面。
そんなサイラスの後ろ姿を見て、エマがほほ笑んだ。
(……良い店を、見つけてしまった)
程よく温まった身体と、今もほのかに感じるうまい出汁の風味。
閉店後でも相手をしてくれた『みけ』の者たちと、最高の料理。
そんな小さな幸せを、独り占めしながら石畳を歩く。
「ふふ……」
霧の街をご機嫌で進んで行くサイラスは、跳ね上げた足で小さな水たまりを踏み、飛沫を上げて遊ぶ。
この瞬間を貿易商が見たら、目を疑うだろう。
最高の形で埋まった小腹の隙に、思わずこぼれる笑み。
間違いない。
今夜は気持ち良く、眠りにつくことができそうだ。
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◆ここまでお読みいただき、ありがとうございます!◆
ストックと新規分がついに切れてしまいました! 以降は新話が出来次第の更新もしくは曜日を決めての発表となりそうです!
まだ色々と書きたい話やブリティシアの歴史的展開などもあるので、ブックマークしてお待ち抱けると幸いです!
また「こういうの期待したのに」といったご意見やご要望なども、お気軽に頂ければと思っております。
今後もお付き合いの程、何卒よろしくお願い申し上げます――!
※追記
明日(27日)中に新しい話が更新できるかも……っ!




