4.トンカツは勝利のおまじない
産業革命時には、新たな機器の技術者が多く必要となった。
そこでブリティシアは夜間に通える学校の施設と、採用試験を開始。
それは今まさに動き出している、『蒸気機関』を用いた運輸革命を見越してのことだ。
また庶民にとって技術職への登用は、苦しい生活を良くする希望でもあった。
「……いよいよか」
身の丈に合わない、くたびれた大きめの黒ジャケット。
茶色い髪を降ろした青年ウィリアムは、本日三十回目の深呼吸をした。
その手には、この後受ける試験の受験票。
田舎から一人ロンドールに出てきて、昼は工場で働き、夜は学校へ。
そんな慌ただしい日々を乗り越え、受けた試験は……不合格だった。
十分な努力をしたつもりだったからこそ受けた、大きなショック。
それが二度続いた時には、寝込んでしまうほどだった。
だがそれでもウィリアムは諦めることなく、本日三度目の挑戦を迎える。
「次の試験は、当分先だぞ……」
自然と強まる緊張。
身を苛む猛烈な不安は、前後を不覚にしてしまうほどだ。
「何か食べておかないと」
早めに昼食を済ませて、会場に着いておきたい。
そう考えたウィリアムは、足早に歩を進めて――。
「うわっ!?」
つま先を引っ掛けて、転んでしまう。
「……落ち着け、落ち着け。今からそんなに緊張してどうするんだ」
震えの止まらない脚に言い聞かせて、顔を上げる。
するとそこには、少し風変わりな一軒の店があった。
「よし、今日はここにするか」
ドアノブをつかみ、『回す前』に足を踏み出す。
「うぐっ!」
そしてそのままドアにタックルして、尻もちをつく。
通行人に好奇の目を向けられたウィリアムは、逃げるようにして店内へ。
「いらっしゃいませーっ!」
即座に駆けてきたメイド少女に、頭だけ下げて応える。
それから案内されるまま、店主のいるカウンター席に着いた。
「ご注文は何にしますかっ?」
エマがたずねると、ウィリアムは緊張の面持ちで告げる。
「きょ、今日はすごく大事な試験があるから、何かしっかり戦えるものを……!」
「……なるほど。今朝は何を?」
たずねてきたのは、店主の達也だ。
「パンにチーズを挟んだものを食べたけど……」
今日はとにかく、体調が大事。
だから朝もちょっと頑張って、買ったばかりのパンを食べてきた。
ノドが詰まるような緊張感は、今もある。
それでも、しっかり食べておきたい。
「なるほど、分かった」
達也は短く応えて、調理を開始する。
しばらくして聞こえて来たのは、揚げ物特有の油が弾ける音。
続けてザクザクと、包丁が軽快な音を鳴らし出す。
しかしそんな心地よい響きも、緊張の中にあるウィリアムには届かない。
今も一人、静かに呼吸を整えている。
「お待たせいたしましたーっ!」
そんなウィリアムの前に、エマが出来立ての料理を置いた。
「っ!?」
思わず、硬直する。
艶のある黒い皿に盛られた一品は、こんがりとしたキツネ色の衣が目を引く。
そしてその隣に山を作っている、千切りのキャベツがまた美しい。
「これは……?」
初めて見る料理はまばゆいほどで、思わず問いかける。
「トンカツだよ」
「トンカツ……?」
「まずは塩で、それからそこのソースをかけて食べるのがお勧めかな」
まずはひと切れ、フォークで刺して確認する。
程よく揚げられたヒレ肉の断面は、見事な桜色だ。
「……ど、どれ」
ウィリアムは、言われた通り塩を乗せてかじりつく。
「うわっ!?」
ザクッという気持ちのよい音と共に、固めの歯ごたえが出迎えた。
続いて脂身の少ない肉が、しっかりとした食感を伝えてくる。
それは肉の繊維が、ほどけていくような感覚だ。
素材の良さを際立たせる塩が、噛むたびに豚肉の旨味と交わり、じわっと広がっていく。
揚げ物だが、後を引かない。
ヒレ肉は脂が少なく軽快で、これなら何枚でも食べられそうだ。
「おいしい……っ!」
思わず、口を出た言葉。
今度はソースをかけてみる。
トロッとした黒い液体を見るのは、初めてだ。
ふくらむ期待に急かされる様にして、二つ目のヒレ肉を口に運ぶ。
「ふっ!!」
その瞬間、濃厚な甘みと酸味が肉の旨味と絡み合う。
口の中に広がる豊潤な香りは、肉とソースが合わさり生まれる新境地だ。
「こんなにうまい肉、食べたことないよ……っ!」
初めて見る、ほかほかの白米。
しっかりした味のトンカツをお供にかき込めば、もう止まらない。
ウィリアムは一瞬で、トリコになってしまった。
「レモンも一滴どうぞ」
言われて初めて気づく、黄色い果実の使い方。
ギュッとつまんで、雫を弾けさせる。
そして口に運べば、今度は鮮烈な酸味と爽やかな香りが足され、また違った風味が生まれる。
その不思議な調和は、様々な果物を使って作られるソースと一緒だからこそ、生まれるものだ。
「店主さん、これ……すごいよっ! めちゃくちゃおいしいじゃないかっ!」
興奮気味に語る姿に、付近の客たちも思わず身を乗り出してくる。
だが、トンカツに夢中のウィリアムは気づかない。
手は止まらず、勢いのままに完食。
最後に付け合わせの味噌汁を飲み干して、満足そうにもらす吐息。
「おいしかった……」
結局ただの一度も、手が止まることはなかった。
すると今も集まる視線の中、達也が語り出す。
「カツは、勝負時に食べたりするんだ」
「それは、どうして?」
「『カツ』を食べて、勝負に『勝つ』んだよ。要はゲン担ぎだな」
「……はあ」
なぜかちょっと頼れる店主みたいな雰囲気を見せている達也に、ポカンとする。
どうやらあまり、ピンときてはいないようだ。
だが、しっかりとパワーを蓄えたウィリアム。
思った以上に手ごろな価格に驚きながら立ち上がると、覚悟を決めた。
「それじゃあ、行ってきます」
静かに、うなずいてみせる達也。
「がんばってくださいね!」
エマも両拳を握って応援してくれる。さらに。
店内にいた工場労働者の青年たちまで、「やったれ」と拳を上げてみせた。
来た時とはまるで違う、力強い足取りで店を出たウィリアムは、そのまま試験会場へと向かって進む。
「ゲン担ぎか」
今日という日に人生がかかっている人間にとって、それは気晴らし程度の言葉遊びだろう。
「……でも」
一つだけ、確信していることがある。
「自分が『勝つ』ようにと思ってくれてる人がいる。それが、何より大事なんだ……」
気付けば、腹だけでなく胸もいっぱいだった。
「やってやるぞ……!」
一人工場と学校を往復し続けた日々にはなかった、背中を押されるような感覚。
燃える心に、進む足も自然と勢いづく。
気が付けばずっと身体を締め付けていた嫌な緊張は、すっかりなくなっていた。
◆
「いらっしゃいませーっ!」
「いらっしゃい」
ウィリアムが店に入ると、エマが変わらぬ笑顔でやって来た。
店主の達也も、いつも通りの自然体だ。
「ご注文は何にしますかっ?」
「何がいいかな……今日はちょっと豪華にしたいんだ」
「っ!」
考える青年に、目を輝かせたエマは我慢できないとばかりに問いかける。
「豪華に!? 何か、何か良いことでもあったんですかっ!?」
するとウィリアムは、うれしそうな笑みを向けてきた。
「今日は――――祝勝会だから」
「おめでとうございますーっ!」
そう言った瞬間エマが始めた、盛大な拍手。
達也が、店内にいた客が、釣られるようにして手を叩く。
少し恥ずかしそうに、頭をかきながら席に着くウィリアム。
「痛っ!?」
その脚を、イスにぶつけて飛び上がる。
どうやら彼のぶつかり癖は、生来のものだったようだ。
近々ブリティシアで始まる、大きな運輸革命に関わっていくことになるこの青年。
ぶつけた脚をさすりながら飛び跳ねる姿にまた、キッチン・みけの店内に楽し気な空気が広がるのだった。
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