38.恋と紅茶と家庭教師
「こらデイジー、はしたない格好はやめなさい! うちの評判が悪くなっちゃうでしょう!」
「そんなの、私には関係ないもん!」
母親の忠告を無視して、ミートパイにかじりつくのはデイジー・フレッチャー。
長く美しい茶髪を雑に束ねただけの適当な格好で、キッチンを漁る17歳の少女だ。
「もう、デイジーったら……!」
中産階級の家が立ち並ぶ区画に住む、フレッチャー一家。
ブリティシアでは上流階級だけでなく、中産階級でもその『格』が大事にされている。
ただしその理由は、上流階級のような『見栄』だけではない。
『家格』が信用となり、仕事の評価に直結するためだ。
銀行や商社などで働く中産階級の者は、家庭での振る舞いや評判も、本人の信用とされることが多かった。
「そんなんじゃ、良い縁も逃げて行っちゃうわよ!」
「そんなの興味ないもーん」
もちろんそれは、恋愛や結婚においても同様だ。
親としては、なんとしても条件の良い人と一緒になってもらいたい。
そうなれば必然的に、上流階級にアピールするための礼儀作法を身につける必要が出てくる。
その結果。
「今日から、先生を呼んだからね」
「……先生?」
「そのお転婆を直すための、作法の先生よ!」
「ええっ!? そんなの要らない! 要らない要らないっ!」
礼儀作法となれば、予想されるのは口うるさいご婦人の登場だ。
そんな面倒そうな人に躾をされるなんて、冗談ではない。
「どうせ嫌みったらしく、なんでもかんでも文句をつけてくるに決まってる……!」
デイジーはどこかで時間を潰して済まそうと、玄関から逃げ出していく。そして。
「あっ!!」
そこで足を引っかけて、思いっきり前につんのめった。
倒れていく体勢を、立て直すことはもはや不可能。
あとはそのまま派手に転倒するだけ……のはずだった。
「ごめんなさいっ!」
ぶつかった感覚は、人間のもの。
とっさに受け止めてくれた相手に謝罪して、デイジーが慌てて顔を上げる。すると。
「……大丈夫?」
「――――っ!」
目の前に、淡い栗色の髪をした優しい顔つきの青年が立っていた。
仕立ての良いジャケットを羽織った上品なその姿に、思わず目を奪われてしまう。
「もしかして、君がデイジーさんかな?」
「え、あ、はい……」
デイジーは、呆然としたままこくりとうなずく。
「やっぱり。僕はローレンス。今日から君の家庭教師を受けもつことになったんだ」
家の格は、その人間の振る舞いを見て判断されることが多い。
そのため上流階級生まれの人間に、教養や礼儀作法、語学、音楽、社交のマナー等を、家庭教師として教えてもらうという文化が生まれた。
青年はまさに、上流階級である伯爵家の三男坊だ。
「よろしくね――――デイジーさん」
向けられる上品で穏やかな笑顔に、一瞬で心を奪われる。
「…………は、はぃ」
デイジーはただ耳を真っ赤にして、うなずくことしかできなかった。
◆
王妃の愛飲によって、上流階級の嗜みとなった紅茶文化。
その波は、中産階級にも広がってきていた。
「ついに我が家でも、こんなに良い茶葉が買えるようになったのね……!」
デイジーの母はそう言って、トワイトニングの店で買ってきた茶葉の香りをうれしそうに楽しむ。
高すぎる関税がかけられていた紅茶は、密輸が横行していた。
その対応として行った税制改革によって、税率はなんと119%から12%へと大幅減。
紅茶が中産階級にも買えるようになると、その輸入量は数十トンから数千トンへと、ケタ違いの上昇をみせたのだった。
「さらに……ティーセットまで!」
手に入れた美しいティーセットを抱えて、母はすっかりご機嫌だ。
紅茶が上品な飲み物として社会的地位を持てば、上流階級に憧れる中産階級は文化を模倣する。
「我が家もこれで、一人前だわ」
陶磁器産業の急成長によって、ティーセットも手ごろな価格に。
これにより、いよいよ中産階級にも紅茶文化が花開くことになった。
「……これであとは、あの子だけね」
そう言って、苦笑いを浮かべる母。
今日も悪戦苦闘している娘のことを思い出し、一人ため息をつくのだった。
「あっ」
今日の授業は、カントリーダンス。
せっかちな一面があるデイジーは、自分の脚に足を引っかけて転倒する。
「大丈夫?」
しかし先生が腕を引いてくれたおかげで、静かにヒザを突くことができた。
「ごめんなさい。私、基礎も知らなくって」
「少しずつでいいんだよ」
ダンスの経験など全くなかったデイジーは申し訳なさそうにするが、先生は今日も優しい。
それどころか――。
「少し集中できていなかったみたいだけど、何か気になる事でもあるのかな?」
デイジーの異変に気付くと、同じようにヒザを突いて問いかけた。
「っ!」
思わぬ近い距離。
デイジーは、顔を赤くしながら答える。
「……じ、実は」
「実は?」
「気になっている方が、いるんです……」
「そうなんだね」
「優しくて、いつも穏やかで……とても素敵な方なんです。何も知らない私に、色んなことを教えてくれて」
「それは、とても素晴らしいことだね」
「……ち、ちなみに」
「ちなみに?」
「先生には……その、とっ、特別な女性はいるんですか……っ?」
相手は上流階級だ。
すでに決められた相手がいる可能性も、十分にある。
緊張に、息を飲むデイジー。
しかし先生は、首を振った。
「そんな話、出てきたこともないなぁ」
「そうなんですか……っ?」
先生に、浮いた話はなし。
デイジーは、パッと顔を輝かせた。
「あ、あのっ!」
すると盛り上がる意気に任せて、さらに大きく踏み出していく。
「お母さんが、先生に紅茶のお店を教えてもらったって喜んでました……もしかして、お好きなんですか?」
「うん、大好きだよ」
「そ、それならっ、私が用意するので、あの……っ!」
デイジーはギュッと拳を握り、覚悟を決める。
「ぜひ先生を……紅茶でおもてなしさせていただきたいです……っ!」
中産階級にも広まった紅茶文化。
そこには『紅茶の作法で家格を計る』という、上流階級特有の慣習も含まれていた。
また産業革命期のブリティシアでは、上流階級が中産階級に家庭訪問を行い、付き合いや『交際』に値する家格を持つかを判断することがあった。
そこでは紅茶の淹れ方が『良い妻』の条件とされたり、将来の伴侶としての能力を計る要素にもなっていたほど。
要するにデイジーの言葉は――――告白だ。
「もちろんだよ。でも……僕で良いの?」
「は、はいっ!」
「分かった、楽しみにしてるよ。でもその時は……転ばないようにね」
「もう、先生ったら」
デイジーは、先生の肩をポンと叩いて笑う。
こうして本日の授業は終了。
母と共に玄関先で先生を見送ったデイジーは、さっそく話を持ち掛ける。
「お母さん……私、紅茶を淹れたいの! だから作法を勉強させて!」
「それは無理よ」
「なんで!?」
「紅茶の作法を教えられるような知り合いはいないし、そのために別の先生を呼ぶなんて金銭的に無理だもの」
「……そ、そんな」
勢いで動き出してしまうのは、せっかちなデイジーの悪い癖。
青ざめた顔のまま、一人玄関前に立ち尽くしてしまう。
いくら考えても、対応策は出てこない。
こうして困り果てたデイジーが、その場に座り込んでしまいそうになったその瞬間。
「これは幸いだった、ちょうど『みけ』に向かうところだったんだ」
「……ん?」
聞こえてきた声に、顔を上げる。
そこには散策帰りの達也とエマ、そして紅茶専門店を営業するトワイトニングの姿があった。
「新しい茶葉を、試して欲しくてね」
「そうですか、それなら何か作りましょう」
「っ!」
上品なジャケットを着たトワイトニングと、腕の立ちそうな顔つきをした達也。
紅茶を語る二人の後を、デイジーは藁にもすがる思いで追いかける。
たどり着いたのは、一軒の店。
達也はそのまま、トワイトニングを『みけ』の店内に招き入れた。
「待って、待って……っ!」
駆け出したデイジーは、焦りに背中を押される形で『みけ』のドアを開け放った。
「あ、あのっ! 紅茶を淹れるって話が聞こえて……!」
開店時間前の唐突な来客に、驚くエマ。
しかしトワイトニングは「ほう」と一息つくと、妙に必死なデイジーを見て提案する。
「それなら、彼女にも飲んでもらうというのはどうかな?」
「構いませんよ。ちょうど食べてみてもらいたいものがありましたから」
こうして、カウンター席に招かれたデイジー。
達也はすでに準備済みだった生地を、オーブンで焼き始めた。
それから時間を見計らって、手慣れた所作で紅茶を淹れ始める。
「どうぞ」
そして生地が焼き上がったところで、紅茶と共に並べてみせた。
トワイトニングとデイジーは、驚きの表情を浮かべる。
「まさかこれは、スコーンか……!?」
「すごい……」
それはブリティシアの北部につながる、スコティアの地で生まれた伝統的な焼き菓子だ。
本来その生地は、ぎゅっと詰まっていて重め。
また膨らませるための技術がないため、形も平べったい。
しかし『みけ』のスコーンは、ベーキングパウダーを使うことでふっくらと豊満。
見事な焼き色を付けた表面の照りが、何とも美しい。
「どれ……」
手に取ると、ほろりと崩れそうなほどに軽い。
表面はほんのりキツネ色、指先には乾いた感触があるのに、割ってみると中はしっとり。
トワイトニングとデイジーは、惹かれるようにして一口。
「「っ!?」」
すると外側のサクサク感と、内側のふんわり感が時間差で押し寄せてきた。
バターの香りが優しく広がって、粉の甘みがじんわりと舌に残る。
派手さこそないが、素朴な豪華さを噛む度にしっかりと感じられる。
「素晴らしい……! これまでのスコーンとは、まるで違うじゃないか!」
「おいしいです……っ」
「続けて、こちらをどうぞ」
達也が取り出した瀟洒な小皿には、クロテッドクリームとイチゴジャム。
二つを一緒に乗せると、さらにその表情が一変する。
「お、おおおお――っ!?」
「ふわ……っ!」
クリームは冷たく濃厚で、舌の上でゆっくりと溶けていく。
スコーンの温かさがクリームを少しだけ緩ませて、生まれるとろりとした口どけが最高だ。
そこにストロベリージャムの甘酸っぱさが重なると、もうたまらない。
『温かいのに冷たい』『濃厚だけど爽やか』という二つのコントラストと共に、口の中に広がった甘みの三重奏。
「ここで、紅茶になるわけだな……!」
そのコクをリセットしてくれるのは、透き通る琥珀色の一杯だ。
上質な茶葉からは、花の蜜のような芳香がふわりと立ちのぼり、その奥にほんのりと木の皮のような落ち着いた香りが潜んでいる。
「紅茶も、おいしい……」
渋みは深く、しかし角が取れていて、舌の上をすべるようにして広がっていく。
香りは控えめだが、わずかな苦みと共に、どこか落ち着いた甘さも持っている。
スコーンの濃さを紅茶の渋みがすっと洗い流すと、次のひと口はまた新鮮なものとなる。
このセット、あまりに完璧だ。
「はい、エマちゃんも」
「わあーっ! ありがとうございますっ!」
お預け状態が続き、空腹の狼のようになってきていたエマも、万歳しながら席に着く。
そして、幸せそうな顔でスコーンにかじりついた。
「それで、どうして店に飛び込んでくるようなことになったんだ?」
一段落したところで、達也が問いかけた。
さすがに紅茶の話が聞こえたというだけで、開店前の店に飛び込むというのは少しおかしい。
「……私、どうしてもおもてなしをしたい方がいて。作法が知りたかったんです」
するとデイジーは、自信なさそうに語り出した。
「もしこんなにおいしいスコーンと一緒に紅茶を出すことができたら、きっと先生も……」
そう言って、ため息と共に肩を落とす。
「……それなら、練習してみるか?」
「えっ?」
困っているのなら助けたいし、褒められると弱い。
落ち込んでいるデイジーを見て、達也はそんな提案をした。
「これくらいなら、すぐに覚えられる」
「それなら作法については僕が教えよう。未来のお客様のためにね」
するとトワイトニングまで、名乗りを上げた。
「いいんですか……?」
差し込んできた希望の光に、思わずその目を輝かせ始める。
「よ、よろしくお願いしますっ! 私、全力で取り組ませていただきます――っ!」
勢いで動いてしまう悪癖はしかし、時に思わぬ形で道を開く。
うなずく二人に、デイジーは深々と頭を下げたのだった。
◆
昼下がりの、フレッチャー家。
走る緊張感の中、先生は紅茶の入っていたカップをそっと置いた。
その所作はどこか優雅で、優しい彼の人柄が垣間見える。
「い、いかがでしょうか……」
『みけ』で学んだデイジーが用意したスコーンと紅茶は、全て先生に味わってもらった。
製菓の中では、比較的簡単な部類に入るスコーン。
それでも料理初心者のデイジーは、毎日のように先生の授業の後に営業時間外の『みけ』に通い、スコーンを焼き、紅茶の作法を学び続けた。
そして今回もしれっと味見役に就任していたエマにも、お墨付きをもらうことができた。
後は想いの全てを乗せたもてなしの評価を、待つのみだ。
「たくさん勉強してきました。どうしても先生に、見ていただきたくて……っ!」
聞こえるのは、高鳴る鼓動のみ。
達也に調理を教わり、トワイトニングに作法を見てもらう。
やれることは全てやった。
無限にすら感じられる、重い緊張の時。
やがて先生は、いつもと変わらぬ優しい声で告げる。
「素晴らしかったよ」
「っ!」
顔を上げれば、そこには穏やかな笑みを見せる先生の姿。
「作法も紅茶も百点満点。これなら、どこで出したって恥ずかしくないよ」
その言葉に、デイジーも思わず歓喜の笑顔を見せる。
「そ、それじゃあ……!」
先生はいつもの優しい笑みで、大きく一度うなずいてみせた。
「こんなに素敵なお嬢さんに慕われている人がいるなんて、羨ましいくらいだよ」
「……えっ?」
デイジー、まさかの言葉に硬直する。
「一体、どんな人に思いを寄せているのかな?」
変わらぬ笑顔で、たずねる先生。
デイジーはなぜこんなに優しい先生に、これまで浮いた話がなかったのかを完全に理解する。
「……もう」
いつものように、片手を上げたデイジー。
「先生たらっ!」
「痛っ!?」
「もうもうっ!」
そのままいつもより強めに、三度ほど先生の肩を叩く。
デイジーはしっかりと学んで、押しも押されぬ紅茶の作法を身につけた。しかし。
「……デイジーさん?」
それでもなお、先生は不思議そうに首を傾げている。
「私……諦めませんからっ!」
頬を膨らませながら、先生を可愛くにらむデイジー。
どうやら彼女の思いが伝わる日は、もう少しだけ先のことになりそうだ。
こうして紅茶によるブリティシア侵攻は、中産階級にまでその手を広げた。
だが、これでもまだ止まらない。
『大国』と呼ばれるその日に向けて、紅茶は次の狙いを――――労働者たちにつけた。
脱字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
アランは不良っぽさもありつつ、筋肉質なイメージでしょうか! 続きはご感想欄にてっ!
◆◆◆お読みいただきありがとうございました!◆◆◆
少しでも「いいね」と思っていただけましたら。
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