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【1章完結】メシマズ大国の料理店~キッチン・みけの店ごと英国転移譚~  作者: りんた


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37.抜け出し令嬢ともつ煮込み

「バカなことを言うんじゃない!」

「セシリア、貴方は名誉あるエインズワース家の娘なのですよ!」


 とある上流階級家庭で、今年20歳になったばかりの娘が両親に強く叱られていた。


「でも、行ってみたいの!」


 セシリアは反論するが、即座に両親が怒りの声をあげる。


「上流階級の娘が労働者の街にいる。それだけで家の名誉に関わることになるんだぞ!」

「我々には専用のホテルやクラブ、レストランにサロン、ふさわしい場が整っています! わざわざ労働者たちの街に行く理由がないでしょう!」

「その決めつけが嫌なの!」

「いいから黙っておとなしくしていろ! 労働者街への外出なんて、絶対に認めないからな!」

「そんなことを考えているから、習い事にも身が入らないのです!」


 両親に話を打ち切られたセシリアは、頬をふくらませながら部屋へと戻っていく。

 産業革命期のブリティシアでは、上流階級女性の外出は強く制限されていた。

 出るなら家族、侍従、護衛の同伴が前提。

 階級秩序が非常に強かったため、一人で街を歩くことすら『不道徳』と見なされた。

 しかし令嬢としての慣習に縛られる日々を過ごすことは、好奇心旺盛なセシリアにとって大きな抑圧となっている。

 ピアノ、歌唱、絵画の練習に、文学歴史地理、食事のマナーに会話術、家系の勉強まで。

 全ての言いつけにしっかりと従って生きてきたからこそ、その反動も強力だ。

 抱えたストレスは、すでに限界を迎えていた。


「セシリア様、やっぱり無理ですよ。大人しく部屋で過ごしましょう」


 そんなセシリアの後に続くのは、彼女の付き添いであるメイドのアニー・ブラウン。

 一つ年下の彼女は、毎日のようにセシリアに振り回されている。


「こんな毎日もう嫌。こうなったら……家出してやるわ!」

「そ、そんなの困ります――――っ!」


 アニーはブンブンと首を振って、「やめてくれ」と懇願する。

 するとその必死さを見て、セシリアは大きく息をついた。


「……そういうことなら、仕方ないわね」


 そしてその表情に、一つの強い覚悟を見せる。


「ついに、あれをやる時が来たんだわ」

「あれ、ですか……?」


 アニーが首を傾げていると、セシリアは何やら『準備』らしきものを始めた。


「え、ええっ?」


 その様子を見て、アニーは仰天する。


「えええええ――――っ!?」


 クローゼットに持ち込んでいた衣装を着込み、メイクを済ませたセシリアはなんと、見事な男装の麗人になっていた。


「あれって、まさか……」

「そう、そのまさかよ! 女性として行くのがダメなのであれば……男性として行けばいいの!」

「こ、ここ、こんなこと、怒られてしまいますっ!」

「――――ほら、行くよアニー」


 声を低くしてそう言ったセシリアは、窓からさっさと庭へと降りていく。


「ええっ!? ま、待ってくださ――いっ!!」


 アニーは今日もこうして、セシリアに振り回される形で後を追っていくのだった。

 まるで御伽噺のような状況。

 だがこんなお転婆令嬢は『事実』として、産業革命時のブリティシアに存在した。

 男装の麗人セシリアは、跳ねるような足取りで街を進む。


「ここがイーストエッジ……」


 たどり着いた雑多な街並みに、思わずワクワクしてしまう。

 屋台には白目でウナギを咀嚼する労働者と、虚無顔で薄いスープをすするメイド。

 上流階級の住む区画とは、まるで雰囲気が違っている。


「セシリア様ぁ、帰りましょうよぉ……」


 そのすぐ後ろには、辺りを不安そうに見回すアニー。

 雇い主であるエインズワース家と、仕えるべきお嬢さまの間に挟まれて、今にも泣き出しそうだ。

 だがセシリアは、そんな屋台通りにすら目を輝かせながら、煤けた道を進んでいく。


「ここは……」


 そして、一軒の店で目を留めた。

 イーストエッジにしては妙に綺麗なたたずまいの料理店には、得意げな表情をしたキツネの看板。

 その愛らしさが気に入った。


「ここに入ってみましょう!」

「ええ――っ!?」


 まさかの言葉に、アニーは驚愕しながらブンブン首を振る。


「やめましょうよぉ……! 屋台を見た限り、まともな料理が出てくるとは思えません……っ!」


 上流階級の女性が食堂や酒場に出入りするのは、スキャンダル級の問題だ。

 まして未婚の娘なら、家族が激怒するレベル。

 当然アニーは止めるが、セシリアはもう止まらない。


「お邪魔するよ!」


『みけ』のドアを堂々と開き、意気揚々と店内に踏み込んだ。


「いらっしゃいませーっ!」


 すると今日も元気なエマが、さっそく駆け寄って来た。

 セシリアは男装の麗人らしく、爽やかな笑みを見せつつ席へ。


「ご注文は何にしますかっ?」

「そうだね……どうせなら、何かめずらしいものが食べたいんだけど……」


 口調も男性らしく変え、普段は食べられないような料理を探すセシリア。

 その目が留まったのは、テーブル席のアランが食べていた、見たこともない一品だ。


「あれは、どんな料理なんだい?」

「はいっ。味噌という調味料の独特な風味と塩味が、具材たちの旨味と一緒になって押し寄せる素敵な煮込み料理です! 食べれば身体も温まるし、とってもおいしいんです……」


 自分のした説明でその味を思い出し、うっとりしてしまうエマ。


「なるほど。ではあれと同じものを、二人分頼むよ」

「はいっ! 少々お待ちくださいっ!」


 今もワクワクが止まらず、辺りを興味深そうに見渡すセシリアと、その隣でビクビクしているアニー。

 そこにエマが、料理を持ってやって来た。


「お待たせいたしましたーっ! こちら、もつ煮込みになりますっ!」

「ほう!」

「え……?」


 達也の国では、居酒屋の定番料理。

 だが産業革命のブリティシアでは、レバーを始めとした内臓等は下品とされ、上流階級の食卓に上がることはない。しかし。


「これは見事だね」

「……はい」


 味噌のほのかな甘みと、わずかに焦がしたような香ばしさ。

 そこに薄く混じった生姜の爽やかな刺激が、鼻先をくすぐる。

 湯気の奥には柔らかく煮崩れた大根と、つやつやと光るもつ。

 そこに鮮やかな人参の橙色と、天辺に盛られた長ネギの淡い緑が、見事に彩を加えている。

 目を輝かせて楽しそうにするセシリアと、労働者街の料理とは思えない盛り付けに驚くアニー。

 箸でつまんでみると、柔らかなもつがぷるんとした弾力を伝えてきた。

 二人は、さっそく一口。


「「っ!?」」


 もつは噛めばすぐに脂の味わいをじゅわっと広げ、含んだ旨味を一気に放出する。

 丁寧に下処理されているため、嫌な風味は一切なしだ。

 中心にまでしっかり味が染みた大根は、噛むとほろりと崩れながら、味噌のコクをじんわりと放つ。

 そこに色鮮やかな人参が混ざると、一気に豊饒な大地の甘みが広がっていく。

 そしてシャキッと心地よい音を鳴らす長ネギは、独特の鮮烈な風味を優しく香らせる。


「おいしいっ!」

「は、はいっ」


 目が合うと、困惑のアニーも大きくうなずいた。

 スープは濃厚なのに重くない。

 味噌の深みと野菜たちの甘み、そしてもつの旨味が一体となっている。

 最後にふわっと香るのは、七味の辛さだ。

 このわずかな辛みが全体を引き締め、「もっと」をかき立てる。

 最高に、うまい。


「すごいよ……! こんなに素朴な見た目なのに、僕たちがまるで知らないおいしさをたくさん秘めているじゃないか!」

「はいっ!」


 アニーもこくこくと、何度もうなずいてしまう。


「へえ。こいつの良さが分かるとは、どこの優男かと思っていたがァ……お前さんなかなかやるじゃねえか」


 綺麗な所作ながらも、もつ煮込みをあっという間に食べ尽くしたセシリア。

 その姿を見つけた荷受人夫のアランが、ご機嫌で声をかけてきた。


「俺はアランだ。よく『みけ』に来てるからよォ、見かけたら声をかけてくれよな」

「ありがとう。僕はええと……セシル・エインズリーだ」


 セシリアはとっさに偽名を使い、出自が分かってしまわないよう配慮する。


「よろしく頼むぜ! セシル!」

「こちらこそ。僕も君のことは――――ゴロツキと呼ばせてもらうよ」

「なんでだよ!」


 するとアランは隣にやって来て、わざとセシリアに肩をぶつけて笑う。


「っ!」


 それを見て、飛び上がったのはアニー。

 アランの粗野な口調にはギリギリまで我慢をしていたが、さすがにこれ以上は認められない。

 勇気を振り絞って、一言。


「あっ、あなた、少しなれなれしいですよ……っ」

「ん? 別にいいだろ、こんくらい」


 セシリアは明らかに上品な格好をしているが、ここは労働者街の料理店だ。

 さらに上流階級の来客が多いコーヒーハウスなどでも、階級を超えた『男同士』の談笑は普通にされている。


「はははっ、僕は構わないよ」

「見ろ、セシルもこう言ってるぞ?」

「で、でも、ダメですよ……そんな……」


 男同士なら問題はないが、セシリアの正体は御令嬢。

 その上ここは労働者街。

 こんなことは本来、許されないのだ。

 アニーはちゃんと注意したいが、今は正体を隠しているため、なぜ『接触』が許されないのかを説明することができない。


「…………はぁ」


 ため息を吐き、肩を落とすアニー。

 これ以上の問答を諦める。


「大変ですね。でもアランさんなら、『みけ』なら大丈夫ですよ」

「っ!」


 まるでアニーの心労を見透かしたかのように、優しい声をかけてきたのは、横の席にいた工員トーマス。


「もし何かあれば、僕も力になりますから」

「あ、ありがとうございます……っ!」


 同じく奔放な友人ハリソンに振り回されることの多い彼が見せてくれた共感に、アニーはつい感動してしまう。

 穏やかな笑みを見せるトーマスの一言は、深く心にしみる。


「それでは、そろそろ行こうか」

「は、はいっ」


 初めて食べるおいしい料理に、初めて出来た賑やかな仲間たち。

 楽しい時間を過ごし、満足したセシリアが立ち上がった。


「店主、メイドさん……ここは最高の店だね。今日はありがとう」

「いいえ、またどうぞ」

「こちらこそですっ! ありがとうございましたーっ!」


「またな」と、軽く手を上げて見送るアランに、『男らしく』片手で応えるセシリア。

 アニーは笑顔で見送るトーマスに、何度も頭下げる。

 こうして『みけ』を後にした二人は、来た時の何倍も楽しそうな足取りで自宅への道を進む。


「アニー、今日は付き合ってくれてありがとう」

「は、はい」

「また行こうね」

「…………はぃ」


 楽しい『みけ』の空気と料理にすっかり魅了されてしまったセシリアと、トーマスの優しさに心を奪われてしまったアニー。

 気が付けば二人の頭は、まだ見ぬ『みけ』の料理や仲間たちのことで一杯になっていた。



   ◆



「セシリアも、少しは落ち着いたようだな」

「そうですね。習い事にもまた、力を入れているみたいです」


 エインズワース邸の一角。

 以前にも増して堂に入った御令嬢モードのセシリアを見て、満足そうにする両親。


「アニー、この後は社交マナーの勉強をする時間だったね」

「はいっ」


 しかし当の本人が見せる目の輝きは、貞淑な上流階級女性としてのものではない。


「次は、いつにしようかな……」


 忘れることのできない、『みけ』の味。

 今日もエインズワース家令嬢としての役目をしっかりと全うするお転婆娘は、虎視眈々と待っているのだ。

 次の『解放』を迎える、その時を。

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毎回ゴロツキ呼ばわりされるアランの見た目が気になる⋯
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