35.試験走行と火夫とメンチカツ
「「「お、おおおおおお――っ!?」」」
ボイラーがあげ始めた大きな唸りに、悲鳴にも似た声が上がった。
圧力計の針はじりじりと危険域に近づき、ざわつきは広がっていく。
「弁が固いのか!?」
「水が足りてないんじゃないか!?」
口々に懸念点をあげる技師たち。
するとそこに、一人の青年がやって来た。
働きながら夜間学校に通い、挑んだ三度目の試験。
『みけ』のトンカツを食べ、応援を受けて、ついに採用を勝ち取ることに成功した19歳の青年ウィリアム。
茶色い髪を降ろしたままの彼は慌てず、まず火室の音と色を見る。
それから火かき棒を取り、火床を均す。
次に通風口を少し絞って、空気の流れを調整。
最後に安全弁の動きを見ながら、給水をわずかに増やす。
すると蒸気圧の針が跳ねるように上下したあと、ゆっくりと安定した位置に落ち着いていった。
「これで、大丈夫だと思います」
「「「おお……」」」
工場のざわめきが収まり、安堵の声が広がる。
何事もなかったかのように、持ち場へ戻っていくウィリアム。
「おい」
声をかけてきたのは、父親程も年が離れた一人の上司。
職人の厳しさをその目つきに宿らせた技術者、トマス・グークリンだった。
「少しいいか? お前に話がある」
そう言って歩き出すトマスに、ウィリアムは息を飲む。
「……な、なんだろう」
周りに人がいない状況での呼び出しなど、嫌な予感しかしない。
自身の解雇を告げるためではないかという、不安がよぎり出す。
「その、なんだ……」
連れていかれた先は、工場を一歩出た裏手の休憩所。
トマスは、何やら言いづらそうにしている。
それを見たウィリアムは、やはりこれは『解雇通告』なのだと確信した。
「話というのはな……」
やがてトマスが、覚悟を決めるようにして切り出した。
深まっていく緊張。
ウィリアムは自然と、うつむいていく。
「我が社が機関車の運用を始めようとしていることは、知っていると思う」
「……はい」
「近くその試験走行があり、俺はそこで機関士を務めるのだが……」
「……はい」
「その火夫を――――お前に任せたい」
「……えっ?」
まさかの言葉に、驚きと困惑が入り混じる。
火夫は、機関士への登竜門となる職務だ。
その仕事は石炭をくべ、火床を維持し、水位と蒸気圧を管理すること。
まさに機関士の助手にして相棒と言える立場だ。
「……悩んでたんだ。お前は真面目で覚えもすごく良い」
二度の試験不合格によって、知識はしっかりと身についていた。
またようやくたどり着くことのできた仕事を、ウィリアムはとても大事にしている。
それによっていつの間にか、大きく成長していたようだ。
「だが……試験走行の助手にするには、まだ早すぎる気もしてる」
夜間学校での勉強と、工場での経験。
その二つを足しても、ウィリアムが圧倒的な『若手』であることに変わりはない。
「蒸気機関車に関わるプロジェクトは、我が社の今後に関わる大きな仕事だ。技師としての経験が長い者を重要視するのは当然のこと……だが。社の未来を考えるのなら、優秀な若手の育成が必要になっていく。そこで俺は、お前にその役割を背負ってもらいたいと思っている」
「それって、もしかして……」
「いつの日か、お前が機関士になる日が来るという事だ」
「っ!!」
思わぬ大きな話に、ウィリアムは驚愕する。
「どうだ? 試験走行、俺と一緒にやってみるか?」
向けられた視線と、大きな期待。
その重圧は半端なものではない。それでも。
「……はいっ」
採用試験を受けた時から、いつかはと見据えていた場所。
ウィリアムはハッキリと、応えてみせた。
◆
鉄道黎明期の試験走行は、まさに会社の命運を左右する重大イベントだった。
だからこそ機関士はもちろん、その助手に選ばれるのは蒸気圧の読みが正確、火床づくりが上手い、故障時の判断が早いといった要素を持つ者に限られる。
「ついに来たな、この時が」
ロンドールの東端で、トマスとウィリアムは待ち合わせを果たした。
いよいよ始まる、機関車の試験走行。
二人は機関士と火夫として、運命を共にする形だ。
「営業運転が始まるか否かは、今日の出来一つで決まる。それは我が社の存亡がかかっているという事だ」
「はい……!」
「まずは腹ごしらえからだ、いいな?」
「は、はいっ! うわっ!」
歩き出した瞬間、ウィリアムは極度の緊張に足を引っ掛け転倒する。
「おい、今からそんなことでどうする」
そう言ってため息と共に、ウィリアムの手を引き上げるトマス。
「トマスさん……?」
しかし上司であるトマスの手も、しっかりと震えていた。
「……あ、あのっ! よかったら僕の好きな料理店に、付き合っていただけませんか?」
「いいだろう。大事なのは、とにかくしっかり食べておくということだ」
こうしてウィリアムは、トマスを先導する形で『みけ』へ。
「いい店だな」
そしてドアノブをつかむと、回す前に二人そろって前進。
「「ぐっ!!」」
並んでドアにぶつかった。
通行人たちの苦笑いに恥ずかしくなりながら、二人はそそくさと店内へ逃げ込む。
「いらっしゃい」
「いらっしゃいませーっ! あっ! ウィリアムさん!」
駆けつけてきたエマは、二人をカウンター席へと案内する。
「ご注文はどうしますかっ?」
「……実は僕たち今日、大きな勝負を控えてるんです。だから……カツを二人前お願いしますっ!」
「はいよ」
先日の採用試験の時に、緊張に震える自分を鼓舞してくれた達也。
その話を聞くと、すぐさま調理に入る。
呼吸を整えるようにして、その完成を待つ二人。
プレッシャーからか、やはり言葉は出てこない。
「お待たせいたしましたーっ!」
するとそんな二人の緊張を斬り裂くように、エマが料理を持ってやって来た。
「こちら、メンチカツですっ!」
「「っ!?」」
二人並んで、驚きに目を見開く。
「これは……揚げ物か?」
「……そうみたいですね。でもこの前のトンカツとは少し違う」
皿の中央に置かれたメンチカツは、丸みを帯びた小判型。
きつね色より少し濃く、光が当たると衣の粒が油を薄くまとって輝く。
続けて肉と玉ねぎの混ざった甘い香りが、ふわりとやって来た。
フォークで刺してみると、衣がざくっと軽く鳴る。
「ど、どれ……」
「いただきます……!」
「「っ!?」」
噛んだ瞬間に広がるのは、揚げ油の香ばしさ。
そして間髪入れずに、ギュッと詰まった粗挽き肉の肉汁が大量にあふれ出した。
豚の割合が多めの合いびきは、牛肉の強い旨味が豚のコクと見事に混ざり合っている。
玉ねぎは細かく刻まれていて、噛むたびにほんのり甘さがにじむ。
味付け自体は控えめで、肉の旨みと味が真っ直ぐに来る形だ。
サクサクの衣と、中心の柔らかな食感の対比が心地いい。
ソースなしでも十分いけてしまう、素朴で力強い味をしている。
「うまい……! 肉をこんな形で食べるのは初めてだ……っ!」
「はいっ! 今日の料理もすごくおいしいです!」
並んでうなずき合う二人。
「ソースをかけても、もちろんおいしいですよっ!」
ここでエマが進言する。
言われるままトマスは、初めて見る濃い口のソースをかけて再びかじる。
「おおっ!?」
一転、しっとりとした面持ちを見せ始めたメンチカツ。
ソースの酸味が舌を叩き、その後すぐに肉の旨味が追いかけてくる。
鼻に抜けていくのは、衣に染みたソースの風味だ。
さっきまで豊潤ながらも素朴だったメンチカツにソースが混ざることで、甘み、酸味、旨みの三拍子が見事にそろった。
肉の脂とソースのコクが合わさって生まれた深みが、たまらない。
こうなれば自然と、隣に置かれた白米が欲しくなる。
一口頬張ってしまえばもう、食べる手が止まらない。
結局そのまま全てを食べ尽くしてしまった二人は、満足気に息をついた。
「確かに、素晴らしい味だった」
「はい。でもそれだけじゃないんです。前にここでトンカツという、すごくおいしい料理を食べたんです。その時の僕はひどい緊張で二度も採用試験に落ちていて……店主さんのゲン担ぎに助けられました」
「そうか、二度も落ちてたんだな。だから知識がしっかり身についていたというわけだ」
そう言ってトマスは、苦笑いを浮かべる。
「実は俺も元々落ちこぼれでな。他には何もできなかったが、だからこそ技師だけはバカ真面目に続けてきたんだ」
今では機関士として、責任ある立場にいるトマス。
その実績は、地道な研鑽の上にある。
「……ちなみにそのゲン担ぎってのは、どんなものだったんだ?」
「カツを食べて、勝負に勝つ。勝利を祈っての願掛けですよ」
応えたのは、店主の達也。
「なるほど、今日は蒸気との真剣勝負。ピッタリの料理だな……ありがとう、店主」
「いえ」
そう言ってトマスが立ち上がると、ウィリアムも続く。
「がんばってこいよー」
するとさっそく、ひらひらと手を振ってみせる工員ハリソン。
荷受人夫のアランは今回も、拳を握って「やったれ」と笑う。
トーマスや荷受人夫仲間たちも、それに続く。
「がんばってくださいね!」
そして両拳を握って応援してくれるエマと、大きくうなずいてみせる達也。
こうして皆に見送られる形で、二人は店を出た。
「こうして俺たちの勝利を思ってくれる者がいるというのは、悪くない――――いい店を知っているな」
「はい。『みけ』を知ることができて、本当に良かったです」
再び、背中を押される形になったウィリアムとトマス。
「……行くぞ」
「はいっ!」
二人は共に、運命の試験走行へと挑む。
気が付けばその身体からは、緊張の影がすっかり消え去っていた。
◆
「来たぞ……!」
未完成の駅舎に集った社の重役が、声をあげた。
社運を背負い、数十キロの距離を駆け抜けた機関車がゆっくりと停止する。
すると次の瞬間、安全弁とシリンダーから吐き出す蒸気が大きな音を鳴らした。
間髪を置かずに、技術者たちが駆け寄っていく。
車体の下に潜り込む者や、ボイラーの温度を確かめる者。
慌ただしい、点検作業の始まりだ。
そんな中、一歩引いた位置からやって来たのは重役たち。
視線一つで、その成否を問いかける。
すると先頭車両から降りてきたトマスは帽子を脱ぎ、額の汗を袖で拭った。
「問題ありません。圧も安定し、振動も許容範囲。あとは線路側の調整だけで十分に、旅客や貨物を乗せられるでしょう」
その声には疲労が見られるが、同時に確かな手応えもある。
「そうか……!」
安堵と歓喜の入り混じった顔で、肩を叩き合う重役たち。
その一人が、煤まみれのウィリアムに目を留めた。
「若いな、君が火を見ていたのか?」
「はい……っ」
重役はウィリアムの黒く汚れた手と、火室の熱で赤くなった頬を確かめるようにしてから言う。
「よくやった。これだけ安定した走行の補助ができる火夫は、そう多くない。これからも期待しているぞ」
「は、はいっ」
「さあ――――営業運転の準備に入ろう」
そう言い残して、満足そうに去っていく重役たち。
火夫の仕事を、ただひたすら必死で全うした直後に突然かけられた言葉。
今もまだ、現実感はない。
すると呆けたままでいるウィリアムの肩を、トマスが軽く叩いた。
「……いよいよ、新しい時代が始まるぞ」
「はい」
「だがまずは、『みけ』で祝勝会といくか」
「はいっ!」
続く線路の先には、ブリティシアの新たな未来が待っている。
今も静かに身体を震わせている、大きな黒鉄の機関車。
あらためてその姿を目の当たりにしたウィリアムは、『鉄道の時代』が動き出したことを、胸の奥で実感するのだった。
――――そして迫り来る新時代は、若きウィリアムに目をつける。
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