33.紅茶の国とBLTサンド
ブリティシアの紅茶文化は、一人の王妃によって始まった。
彼女が愛飲しているのを見た貴族や上流階級が、こぞって追従することで流行に。
また宮廷で飲まれていたことによって、女性的で上品な飲み物というイメージが形成され、そこからサロンや家庭の飲み物として定着していった。
紅茶は非常に高価で、富裕層だけが楽しめる贅沢な輸入品。
そのため上流階級の家格や、もてなしを試す一品となっていた。
「何か、新たな商機はないか……」
今年で四十歳になる一人の男、トム・トワイトニングが悩ましい声でつぶやいた。
「……ん?」
自身が経営するコーヒーハウスの前で、不意に足を止める。
そこでは一組の上流階級夫婦が、何やら言い合いをしていた。
「良い茶葉を買わないと、おもてなしに失礼が出てしまいます」
「あれが我が家で飲み続けてるものなんだから、あれで良いんだ。うちはずっとアークライツ商会のものと決めているんだよ」
妻の嘆願に、しかし夫は興味なさそうに首を振った。
『家』のことは妻の責任。
そうなれば『家の顔』であり、おもてなしの主役である紅茶の品質にこだわるのは当然のことだ。
産地や茶葉の質、ブレンド、香りなどの要素は、今やかなり重要視されている。
また上流階級において紅茶を選ぶということは、女性の教養の一部とされていた。
「たくさん、勉強したんです」
「必要ないよ」
だが、それでも夫には興味なし。
妻は必死に言葉を続けるが、適当に首を振るだけだ。
「仕事の話があるから、もう行くよ」
そう言って夫はさっさと、トワイトニングのコーヒーハウスへ入っていく。
「待ってください……っ!」
妻は追いかけるが、商人が情報を求めて集まるコーヒーハウスは政治談議が行われることも多く、女子禁制なのが常識。
「……はぁ」
やるせない面持ちで馬車に戻った妻は、深いため息と共に帰宅の途に就いた。
この時代のブリティシアでは、上流階級女性は外出の自由が大きく制限されている。
行ける場所は限られ、コーヒーハウスや酒場のような『たまる場』は不道徳扱い。
男性の公共空間には入れないという、強い制約の中にいた。
「ふむ……」
そんな光景を目の当たりにしたトワイトニングは、再び考える。
彼は生まれながらの商人ではなく、地方の職人階級から成り上がった努力の男。
地方の織工は不安定な職で、景気に左右されやすかった。
そのため不況時に一家でロンドールへ移ることになり、トワイトニングは商人のもとで必死に働きながら商業を学んだ。
だからこそ今も常に『新しい商機』を探し、同時に悩み続けている。
「何か、何かないだろうか。不況一つで吹き飛んでしまわない、大きくて強固な、何より未来を見据えた事業のきっかけが……」
消えることのない不安に、いつでも追われているトワイトニング。
不況の恐ろしさを知る彼は、同じ場所に立ち止まっていられない。
今日も街を歩きながら、一人頭を悩ませる。
「……ん?」
するとその目が、一軒の店に留まった。
労働者街イーストエッジにしては妙に綺麗で、しかし程よい年季が雰囲気を感じさせる店。
その『違い』に目ざとく気づいたトワイトニングは、迷うことなく踏み込んでいく。
「いらっしゃいませーっ!」
すぐに、笑顔のメイドが駆け寄って来た。
めずらしいヒザ丈のスカートに驚きながら、そのままカウンター席へ着く。
「いらっしゃい。何にしましょうか」
「そうだな……紅茶に合う料理なんていうものはあるかな?」
「はい、少々お待ちください」
トワイトニングは先ほどのやり取りを思い出し、店主の達也にそんな注文をした。
そしてまた一人頭を悩ませていると、笑顔のエマが料理を持ってきた。
「お待たせいたしましたっ! こちらBLTサンドになりますっ!」
「こ、これは……!」
トワイトニングは、思わず声をあげた。
長方形のパンに具材を挟む、定番の喫茶店スタイル。
見事な焼き色を付けた食パンの間にあるのは、色鮮やかなベーコン、レタス、トマト。
その贅沢な厚みもさることながら、とにかく断面が美しい。
「……どれ」
鼻先をくすぐる、パンの甘く香ばしい匂い。
さっそく手に取って、大きく一口かじってみる。
「おお……っ!」
まずは程よく焼けたトーストとバターの心地よい香りが届き、続いてパンの甘みが鼻に抜けていく。
直後にトマトの果汁が弾け出し、その酸味が口内に広がった。
そこに続くのはカリッと焼かれた厚手のベーコンが与える、心地の良い噛み応え。
あふれ出すのは最高の旨味と塩味、そして脂だ。
さらに瑞々しいレタスがシャクシャクと音を鳴らし、その控えめな味がベーコンの脂を軽くする。
トーストから始まった四つの食感、そして塩気と旨味と酸味の完璧な融合。
控えめに乗せられたマスタードと塩胡椒が、その味を最高に引き立てている。
「……うまい! あまりにうまいっ! この一品、もはや優雅の領域に達している!」
見事な料理に、興奮するトワイトニング。
「一見簡単そうだが、よくできている。バターをパンの内側に塗ることで風味を出しつつ、具材の水分を吸ってしまうことを防いでいる……トマトを真ん中に挟むのもそうだ」
おいしさだけではなく『作り』にまで気づくのは、トワイトニングが常に新たなものを探す商人だからこそ。
産業革命時の上流階級が食べているサンドイッチの最高峰は、キュウリを挟んだものだ。
ハムを始めとした肉類もあるが、新鮮なキュウリを出せることがステータスとされていたため、そちらが『素晴らしい』とされていた。
さらに体調がすぐれない者には、トースト・サンドという『パンの間にトーストを挟んだ』ものを食べさせる始末。
そのためトワイトニングにとって『みけ』の一品は、もはや別次元だった。
「本当に素晴らしいよ……これだけ見事な野菜が手に入るのなら、うちの店でも出したいくらいだ」
「お店をされてるんですかっ?」
「ああ、コーヒーハウスをね」
「コーヒーが飲めるお店ですか! 行ってみたいですっ!」
トワイトニングの話を聞いたエマは、さっそく目を輝かせた。
「すまない。残念ながら、女性は入れないんだ」
「そうなんですかぁ……」
しかしそれを聞いて、一転しょんぼりとする。
「それにしても店主は、ずいぶんと食材を厳選しているようだ」
肩を落としているエマに少し申し訳なさそうにしながら、トワイトニングが達也に問いかける。
「何を使うか、何を出すかは店の顔そのものですから。BLTサンドのように生の食材も使うものは、特にその選別が大事。何より食材を選択することは誇りであり、楽しみでもあるんです」
「なるほど……」
「なんだか、カッコいいですね!」
自ら選ぶことを、責務でありなら楽しみとする達也。
しょんぼりしていたエマも、そんな話を聞いて笑う。
「――――そうかっ!!」
二人を見て、悩み続けていたトワイトニングに激しい閃きが走った。
あらためて『みけ』の店内を見回してみれば、貴族らしき男も労働者らしき者もいるし、頼りなさそうなメイドもいる。
『みけ』には誰もが落ち着けるような、安心できる雰囲気がある。
それは男だけが集まるコーヒーハウスには、ない空気感だ。
「いける……! これならいけるぞ……っ!!」
不況の中で鍛え抜かれた、成り上がり商人であるトワイトニング。
その目が、抱え続けていた不安の闇をかき消すように強く閃いた。
◆
「失礼しますよ」
「よくぞ、お越しいただきました!」
仕立ての良いジャケットを着た中年の資産家を、自宅に招き入れたのは上流階級の男。
以前トワイトニングの店の前で、妻と言い合いをしていた人物だ。
「まさか我が家に、直接来ていただけるとは」
「大事な仕事の話となれば、当然ですよ」
「ありがとうございます……っ! おい、すぐに紅茶の用意を!」
使用人に指示して、夫は自ら資産家を案内。
そのまま二人、応接室のソファに腰を下ろした。
「紅茶といえば、先日ひどいものを出す家に招かれましてね。呆れて契約もせずに帰ってしまいましたよ」
「はははははっ。それは災難でしたね。どのような紅茶だったのですか?」
「あれは――――アークライツ商会の茶葉ですね」
「……っ!?」
夫の顔が、一瞬で青ざめる。
それは以前、妻の意見を押し切って使用を続けさせることにした茶葉だ。
「家の顔である紅茶にあんなものを使っているようでは、高が知れるというものですよ」
「……は、ははっ」
噴き出す冷や汗に、いよいよ慌てふためく夫。
これは『紅茶を切らしていた』ことにして謝った方がマシだと判断して、急いで立ち上がるが――。
「お待たせいたしました」
ティーセットを持った使用人が、部屋に来てしまった。
こうなってしまえばもう、茶葉がないフリをするのは不可能だ。
始まる、針のむしろ。
「それでは、いただきます」
資産家は出された紅茶の香りを確認すると、そっとカップに口をつけた。
もはや、後に待つのは処刑のみ。
押しつぶされそうなほどの恐怖に、夫はただ目を伏せることしかできない。
そして、審判の時が来た。
「……ほう。これは――――見事な紅茶だ」
「えっ!?」
まさかの言葉に、驚愕する夫。
「良い茶葉を選ばれますね。その見識、お見事です」
「ありがとうございます」
振り返ると、いつの間にか妻が背後に控えていた。
「この紅茶をいただき次第、契約の方も進めさせてもらいますよ」
ほほ笑む資産家は、美味しい紅茶を飲みながらくつろぎ始めた。
丁寧に頭を下げて応接室を出ていった妻を、夫は慌てて追いかける。
「待ってくれ!」
そして、その手をつかんだ。
「すまなかった……昔から使っているからこのままでいいんだと、考えることを捨て、君の話を聞こうともしなかった」
夫は自らのふがいなさに唇を噛んだ後、妻の目を見て告げる。
「助けられたよ……ありがとう」
すると妻は静かに首を振り、問いかける。
「これからは、私に任せてもらえますか?」
「もちろんだ! この家のもてなしは、君に全てお願いしたい!」
真摯な面持ちで告げる夫に、妻は穏やかな笑みで応える。
「わかりました」
そして、商談に戻っていく夫を変わらぬ笑みで見送った。
「ふふっ」
その背が見えなくなった瞬間、妻は一転楽しそうなスキップで屋敷の外へ。
そのまま馬車に乗り込むと、街を突き進む。
行き先は、トワイトニングの店だ。
新たに建てられたばかりの茶葉専門店は、早くも賑わっていた。
綺麗な外装をしたこの店では、性別など関係なく、自らの考えで能動的に茶葉を選ぶことができる。
以前と違って生き生きとしている彼女の様子を見て、成功を確信するトワイトニング。
「あれは……」
その目が、招待状を送った『みけ』の店主とメイドの来店に気づいた。
トワイトニングは足取りも軽く、二人のもとに歩を進める。
「ご来店、ありがとうございます」
「いい店ですね」
「とってもいいお店ですっ」
「……お二人との会話が閃きをくれたんです。貴方たちの店を見て、思ったんですよ。上流階級の女性でも気軽に入れて不道徳だと言われない、雰囲気の良い店を作りたいと。家格の担い手でありながら、自らの手で茶葉を買うことを許されない女性たちが、楽しみながら商品を選ぶことができる、そんな店をね。これによって紅茶は、ブリティシアにとってさらに大きな存在となっていくでしょう」
探し続けていたものが、ついに見つかった。
それは不況一つで潰れない、大きな大きな未来型の商機。
「ぜひこちらを、お持ちください」
トワイトニングはそう言って、達也とエマに茶葉を差し出した。
「わあ! ありがとうございますっ!」
「……久しぶりに淹れてみるか」
それはブリティシアが紅茶大国として、新たな一歩を踏み出した瞬間。
そして『みけ』が、そんな歴史の一端に関わっていく最初の瞬間となった。
「また、あの素晴らしいBLTサンドを食べさせてください」
長らく抱えていた不安の影を乗り越え、輝かしい未来を見据えるトワイトニング。
開放的なこの店はさらに、上流階級に憧れる中産階級の女性にも紅茶を広める契機となっていく。
こうして紅茶による『ブリティシア侵攻』は、新たな局面へと踏み込んでいくのだった。
本日より第二章! 若干ですがストックがありますので、引き続きよろしくお願いいたします!
この先は紅茶大国としての一面も、描いていく予定です! そして次は、ついにあの有名人が登場!
誤字報告、ご感想ありがとうございます! 適用させていただきました!
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お読みいただきありがとうございました! 少しでも「いいね」と思っていただけましたら。
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