31.みけの危機とタラのムニエル
キッチン・みけは、今日も賑やかな昼下がりを過ごしていた。
おいしい料理に店内は、ワイワイと盛り上がっている。
「店主! お代わりを頼む!」
「はいよ」
「ご注文はボロネーゼ風ですね! 少々お待ちくださいっ!」
達也は料理作りに余念がなく、エマは楽しそうに店内を駆け回っている。
「……本当に、二人だけで大丈夫なのよね?」
「うんっ、大丈夫だよ!」
親友のアンナ・マリーは男女二人きりという状況をたずね、エマは店の忙しさについて答える。
今日もしっかり勘違いしている彼女は、エレノア婦人の許しを得て『みけ』の様子を見に来ていた。
「それじゃあ、午後も頑張ってね」
「アンナちゃんも!」
「失礼します」
「またどうぞ」
ローズベリー家の危機を救ったエマと達也のいる、キッチン・みけ。
「……ん?」
頭を下げて店を出たアンナ・マリーは、現れた二人組の男に目を奪われた。
先導する四十歳ほどのスラリとした人物は、黒のオーバーコートに襟の高いシャツ。
シルクハットを乗せ、書類を入れた革の鞄を手袋をつけた手で抱えている。
冷静な面持ちに感じる、静かな圧力。
「失礼、君はこの辺りで仕事を?」
「いいえ、ローズベリー家です」
「これは失礼。労働者街に合わない、仕立ての良い制服が気になりましてね」
鋭い観察眼を見せた男は淡々と事実を確認し、並んだ青い制服の警官に「問題なし」とうなずいてみせる。
「もしかして、治安判事の方ですか……?」
「いかにも」
治安判事は現代の『警察署長』と『裁判官』、そして『行政官』を合わせたような存在だ。
軽犯罪の審理、地域の治安維持、営業の監視、召喚状や逮捕状の発行を現場で行える、類まれな役職となっている。
「もしかして、あのお店に?」
「ええ。労働者街に突然やってきた外国人店主とメイド。客の出入りの多さが少し気になりましてね。確認をしにきたのです。それでは」
治安判事エドマンド・ヘイルはそう言い残すと、警官を連れて『みけ』へ。
そのままドアを開き、店内へと踏み込んだ。
「いらっしゃいませーっ!」
するとすぐさまエマが、楽しそうな笑顔を見せながら駆け寄ってきた。
「お二人様ですかっ?」
たずねるエマだが、エドマンドはその声に応えることなく、良く通る落ち着いた声で告げる。
「失礼。私は治安判事のエドマンド・ヘイル。こちらで働いている若い女性について、少し確認したいことがあります」
昼時に合わない事務的な声に、店内の空気が固まった。
エドマンドは警官と共に店内を確認すると、エマに問いかける。
「労働者街に突然現れた、外国人店主とメイドの噂が聞こえて来ましてね。調査が必要ではないかという話になったんです。ところで君――――紹介状は持っていますか?」
まさかの問いに、エマは驚きながら首を振る。
「……いいえ」
前の家を飛び出してきたエマには、紹介状がない。
メイドにとって紹介状は、身分証明そのものだ。
ブリティシアではメイドが盗難事件を起こして逃亡したり、契約期間中に姿を消したりすることがある。
そのため紹介状がなければ、逃亡した『前科者』である可能性が高いと見なされることもあった。
労働者街に突然現れた身元不明男女の噂が広まれば、治安判事や警官が確認に来ることは当然のことだ。
「紹介状がないのであれば、身元が確認できるまでこちらで身柄を保護をさせてもらうことになります。背景や雇い主との関係次第では……強制送還も考えられるでしょう」
「そんな……っ」
静まり返る店内で、顔を青ざめさせるエマ。
身元不明のメイドの拘束は、数日から数週間に渡ることもある。
場合によっては、田舎への送還すら考えられるほどの大事だ。
だが問題は、これだけではなかった。
「この店と店主についても、調べさせていただきます」
紹介状のないメイドが拘束されるとなれば、店とその主も疑わしいと判断せざるを得ない。
達也の視線は、自然と『店の奥』に向かう。
そこにはブリティシア人が見たことのない食材や道具、おかしな点がいくらでも存在する。
何より、達也の住む『別世界』につながる扉がある。
調査に入られることになれば、隠し通すことはできないだろう。
「正直に答えてください。あなたはどこから来たのですか?」
「それは……」
「前職は? 経営状況は?」
冷徹な態度で、詰め寄っていくエドマンド。
「ここは店を装った、盗品の受け渡し場所ではありませんか? 客は密売人ではありませんか?」
下手な事を言えないため、達也はどうしても後手に回ってしまう。
「……メイドを、不当に働かせていませんか?」
そしてついに、お供の警官までもが達也の前に立ち塞がった。
「ふざけんなああああ――ッ!!」
そんな店に、突如として響いた大きな声。
叫んだのは、荷受人夫のアランだった。
「そんなわけねえだろっ!! 店主は俺たち客の境遇に合わせて、色んな料理を出して元気づけてくれてんだぞ!」
「俺たちは店主の料理と、エマちゃんの元気さに助けられてんだよ!」
荷受人夫たちが続けば、工場で働くトーマスやハリソン、技師のルーカスと、その隣りにいたエリスも続く。
「『みけ』は、怪しくなんてない!」
「その通りだ! 毎日来てる俺が保証してやるよっ!」
「ここは俺たちにとって、欠かせない店なんだっ!」
「そうなんです! 大切なお店なんです!」
見れば建築家のロレンツォやメイドのオリビアも、立ち上がって反抗の姿勢を見せている。
その表情は誰もが真剣そのもので、エドマンドはわずかな驚きを見せた。
「……客がこんなに本気で、潔白を主張する店は初めてですね」
「売人の集まりなら、『どう逃げるか』または『どう白を切るか』を考え始めるはずなのですが……」
『みけ』に集まった者たちが見せる姿勢には、警官も困惑しているようだ。
「分かりました」
アランたちの言葉は、良くない流れを変えた。
痺れるほどの緊張感の中、エドマンドは表情を変えないまま告げる。
「それでは、一品作ってもらいましょうか」
それは、まさかの提案だった。
「私の目は甘くありません。表向きだけの偽装店舗なら、料理を見れば分かります」
「……分かりました」
一転して静かになった店内で、調理を開始する達也。
エドマンドはカウンター席に着き、冷静に完成を待つ。
「エマちゃん、お願い」
「は、はい……こちら、タラのムニエルです」
エマは今までに見たことのない、憔悴した面持ちで料理を提供する。
「……ほう」
エドマンドは、思わず声をもらした。
皿が置かれた瞬間、鼻をくすぐったのは焦がしたバターの香り。
タラの匂いは奥ゆかしく、湯気に混ざる形でふわりと遅れてやってきた。
淡い金色の焼き色に、パセリの緑が美しい。
フォークを入れると、パリッと焼き目の割れる音がした。
するとその下から、しっとりとした純白の身が、湯気をまとってあらわになる。
「それでは、失礼して」
エドマンドは、さっそく一口。
「これは……」
表面のバターが舌に触れた瞬間、ナッツのような香ばしさが広がった。
そのすぐ後に、タラの身がほどけるように崩れて、白身魚の淡い旨味がじゅわっと滲み出る。
味は驚くほどに優しい。
塩味は控えめで、レモンの酸味が輪郭をきゅっと締める形だ。
時折見せる胡椒の、弾けるような刺激がたまらない。
バターのコクとタラの旨味はぶつかることなく、むしろ互いを引き立て合っている。
噛むたびに外側のカリッとした食感と、内側の柔らかな繊維のほどける感触が交互にやってきて、コントラストが心地よい。
そして最後に残るのは、穏やかな海の風味とバターの香りが混ざった、柔らかな余韻だ。
付け合わせのトマトは酸味が程よく、ほうれん草はバターと一緒にほのかな苦みを楽しませてくれる。
全てが意味を持つ、無駄のない構成。
横で見ていた警官が、思わずノドを鳴らした。
「……なるほど、確かに料理は見事なものです。客に愛されるのも分かりますし、メイドを雇うことも可能でしょう。この店が犯罪の温床などではなく、料理店だという話を信じます」
一口だけで済ますはずが、完食。
達也の料理で、エドマンドはその考えをあらためた。
料理のレベルが高ければ、客の出入りが多いのも、噂が広まるのも当然だ。
それは治安判事にとって、健全な店であるという証拠となる。
これにはその場にいた誰もが、大きく息をついた。
「……ですが。店の確認だけは、させてもらいます」
「っ!!」
「メイドの身元が保証されていないことに、変わりはありません」
悲壮な面落ちで、びくりと震えるエマ。
『みけ』が犯罪のための偽装店舗でないことは、分かってもらえた。
だがこの問題は、エマの身元の保証がされない限り終わらない。
「確認をするだけです。不法行為は行っていないのですから、見られて困ることもないでしょう?」
この言い回しに、達也は反論ができなかった。
「それでは、失礼します」
エドマンドは警官と共に、店の奥へと踏み込んでいく。
これに対しては誰も、口を出すことができない。
また強引に止めてしまえば、『怪しいものを隠している』という自白をしたのも同然となってしまう。
「待ってくれ……!」
しかし達也は、これを止めないわけにはいかない。
裏口が異世界へとつながっていることが分かれば、秘密が暴かれれば、きっと何かが終わってしまう。
『みけ』とこの世界とのつながりは、きっと――。
「っ!」
達也は慌ててエドマンドを追うが、間にいる警官が邪魔で進めない。
これではもう、止められない。
エドマンドは店奥への廊下に踏み入り、裏口のドアをつかんだ。
そして扉が開かれる、その瞬間。
「――――失礼します!」
店の方のドアが、強く開かれた。
「……アンナちゃん?」
エマが驚きの表情を見せる。
息を切らしながら駆け込んできたのは、ローズベリー家に帰ったはずのアンナ・マリーだった。
しかし彼女はすぐに、道を譲るように退く。
すると、そこにやって来たのは――。
「先輩……っ」
エマが続けて驚きを見せる。
アンナ・マリーに続いて店にやって来たのはなんと、エマの最初の奉公先だった家のメイドたち。
エマと一緒に料理を作った年上メイドは後輩たちを引きつれて、真っ直ぐエドマンドの元へ突き進む。そして。
「これがエマ・グリーンの、紹介状になります!」
蜜蠟つきの綺麗な封筒を差し出した。さらに。
エマを追い出すような形で残った幼い少女が、エドマンドに思いの丈をぶつける。
「エマさんは、私を守るために家を出ていったんですっ! 絶対に悪い人なんかじゃありませんっ!!」
わずかな時間を共に過ごしただけの、同僚たちの登場。
ぶつけられた本気の思いに、エドマンドは紹介状を受け取り目を走らせる。
「助かったわ。家に雇い主はいなかったんだけど、この子が出先を知ってたの……!」
エマの事情を知るアンナ・マリーは馬車を走らせ、紹介状の回収に動いていた。
家に雇い主がいなかった時は愕然としたが、この幼い少女が偶然行き先を聞いていたことが助けとなった。
「……なるほど。雇い主が急な仕事で家を出たために、紹介状を渡せなかったと。確かに確認しました。前の雇い主に話を聞くまでが私たちの仕事。つまり、ウラが取れればそれまでのことです」
「それなら!」
アランが叫ぶ。
「今度こそ問題ないんですよねっ!?」
すぐにトーマスが続く。
「ええ、問題なしとさせていただきます」
「「「よォォォォォォォォ――――しっ!」」」
店内が、大きくわき立った。
アランたちが強く拳を握り、トーマスたちと歓喜に抱き合う。
技師のルーカスと工員のエリスが、手を取り合って喜ぶ。
「……店主、最後に聞かせてください」
仕事を終えた、治安判事と警官の二人。
エドマンドが問いかける。
「これだけの腕を持ちながら、なぜ労働者街であるイーストエッジで店を?」
「ただ喜んでもらいたい。心の奥にあったそんな思いに気づかせてくれたのが、この街だったからです」
「なるほど」
そんな達也の言葉に、うなずくエドマンド。
「これほどの料理を出せるのであれば、経営状況を疑う必要もないでしょう。やや粗いですが客にも悪意を感じない。そしてメイドの出自にも問題ありません……ただし」
「ただし?」
「酒類の販売には、届け出が必要です」
その口調は、変わらず冷静だ。
産業革命期のブリティシアでは、店を始めるだけなら届け出を求められることはないが、酒類の販売には必要だった。
「時間を取らせてしまったお詫びに、私の方から酒類を伴う営業を続けることに暫定的な許可を出しておきます。ただし次に来た時には届け出と……エールに合うおいしい料理を確認させていただきましょう」
冷徹な面持ちをしていたエドマンドは、そう言って口端にわずかなほころびを見せた。
「こんなに良い店は初めてです。ご協力、ありがとうございました」
そう言い残して、去って行くエドマンドと警官。
達也は二人を、店の外まで見送った。
「アンナちゃん、皆さん……本当に、本当にありがとうございました……っ!」
一方エマは、目の涙を拭いながら頭を下げる。
するとアンナ・マリーがそっと抱き締めて、先輩メイドたちがその肩を叩く。
「礼を言うのは、俺たちの方だよ」
「これからも、うまいものを食わせてくれよな」
「頼むぞエマちゃん、店主さん!」
突然の危機を、仲間たちと共に乗り越えたキッチン・みけ。
「……こちらこそ、どうぞよろしく」
達也は居並ぶ常連たちに深く頭を下げて感謝した後、そっと看板に触れる。
キツネはやっぱり、『あの日』と変わらない得意げな笑みを浮かべていた。
内容の追加を行いました!
◆◆◆お読みいただきありがとうございました!◆◆◆
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