31.かつての東雲達也と肉じゃが
「ただいま」
東雲達也は、久しぶりに『みけ』のドアを開いた。
営業時間を終えた『みけ』にはまだ柔らかな明かりが灯り、その中には――。
「おう、待ってたぞ」
「おかえりなさい、達也」
達也の祖父母が待っていた。
年齢を感じさせない二人は、共に腕の良い料理人。
そしてキッチン・みけのオーナーでもある。
「ほら、座って」
祖母に言われるまま、いつものカウンター席に腰を下ろす。
橙色の灯りと二人の笑顔を見て、達也は思わず安堵に似た息をついた。
「急に呼び出したりしちゃってごめんねぇ。明日は大丈夫?」
「……ああ」
そんな祖母の言葉に、達也はゆっくりとうなずいた。
「実は俺……仕事をやめてきたんだ。そこにちょうど二人から連絡があってさ。だから時間は大丈夫だよ」
急な話だが、祖父母は大して驚いた様子も見せない。
「これからどうしようかは……まだ迷ってる」
「まあ、仕事はいくらだってある。何でもやってみればいい」
そう言って、豪快に笑うのは祖父。
「大変だったら、いつでも帰って来ていいからね」
優しい言葉は、祖母のもの。
「それじゃあ、始めるか」
「そうですね」
二人は慣れた動きで、料理を作り始めた。
包丁の音、焼き音一つとっても心地良いのは、熟練の技術を持つからこそ。
二人は手際良く場所を入れ替わり、達也が好きだった肉じゃがを出してくれた。
最初に目に映るのは、鮮やかな人参とさやえんどうの美しさ。
そして黄金色に輝く、出汁の照り。
家庭料理の素朴さを残しつつも、しっかりと上品な雰囲気をまとっている。
「いただきます」
さっそく一口。
ジャガイモは角が崩れない程度に形を保ちながら、中までしっかりと火が通っている。
旨味が丁寧に引き出された昆布と鰹に、醤油とみりんが控えめに寄り添うことで生まれた出汁の旨味が広がり、心地よい塩味が静かに続く。
甘みの主役はみりんで、後味にふわりと残る香りが実に優雅だ。
「はぁ……」
ホクホクとした柔らかさに、思わずもれる吐息。
牛肉は薄切りながらもしっかり存在感があり、噛むほどに旨味がにじみ出る。
そんな牛肉がジャガイモと一緒になった時の得も言われぬおいしさは、やはりたまらない。
さらに、透き通るまで煮込まれた玉ねぎが与える自然の甘み。
人参とさやえんどうの風味が混ざると、かすかに大地の風味まで感じられる。
そして脂のうまさが出汁と溶け合うことで生まれた味わいが他の食材に移ることで、料理全体にひとつの調和を作り出している。
一息ついた後も、丁寧に仕立てられた出汁の余韻が残るほどだ。
「……やっぱり、うまいよ。これが俺の一番だ」
牛肉という洋の材料を選定し、カットするのは洋食のプロである祖母。
醤油やみりんという和の調味料で煮込むのは、和食の達人である祖父の仕事だ。
どこで食べたどんな料理よりも、二人の作るこの肉じゃがが一番の大好物。
これは、大人になっても変わらない。
そんな達也の言葉を聞いて満足そうに笑う祖父と、静かにうなずく祖母。
祖父と祖母の合作になる一品はやはり、達也にとって特別な料理だ。
「いつからだったかしらねぇ、達也がお店の手伝いをしてくれるようになったのは」
「10歳になる頃からだな」
祖母の問いに答えたのは祖父。
達也も、その時のことはよく覚えている。
両親が共働きだったため、達也は店の隅で料理人としての祖父母を見守っていた。
手伝いを始めたきっかけは、なんてことはない。
忙しそうな店の様子を見て、何となく皿を片づけた。
するとお客さんが「――――偉いねぇ」と褒めてくれた。
それがうれしくて、毎日のように店に出て片付けをした。
やがて料理の提供を手伝うようになって、調理の補助でも褒められるようになった。
それを見たお客さんたちには、「いい弟子がいるなぁ」「店の未来は安泰だ」と言われるようになっていった。
「そう言えば、自由研究に2メートルを超える大根の桂剥きを作ったこともあったよな」
「私に似て器用なのよ」
「いいや、俺だな」
「高校生になる頃にはもう、いくつも料理を任せるほどだったのよね」
「まったく、大したもんだ」
そんな日々は続き、大学を出る頃にはもう12年もの料理歴になっていた。
その後は会社員になったが、それでも仕事を辞める今日まで料理は作り続けていた。
「かああああああ――っ!」
懐かしい思い出を肴に、豪快にビールを飲む祖父。
その姿は、今も変わっていない。
達也は祖父の、この姿を見るのが好きだ。
「料亭にいた頃は厳しいことで有名だったみたいなのに、達也には本当に甘かったんだから」
「おいおい、それはお互い様だろ」
そう言って、楽しそうに笑う祖父母。
料理にはかなり厳格な二人だが、孫にはとても優しかった。
同時に二人は競うようにして、達也に調理を教えてくれた。
身についていく技術。
それを見て、よろこんでくれるお客さんたち。
いつも楽しそうな『みけ』の空気が、大好きだった。
あの頃のことは今でも、昨日のように思い出せる。
「偉いねぇ」と言われたあの日から、達也と『みけ』の日々は始まったのだ。
「それでね、今日達也に来てもらったのは――」
懐かしい思い出に浸っていると、そんな時間を締めるように祖母が切り出した。
すると祖父が、それに続く。
「――――『みけ』を、閉めることにしたんだ」
「……え」
まさかの言葉に、達也は呆然とする。
「この年だと、さすがに毎日っていうのはキツくてな」
「それで、半端になっちゃうくらいならって」
二人はわずかに、寂しさを感じさせる表情を見せる。
「お店の建物は、なくなるわけじゃないんだけどね」
「営業日としては今日が最後。そして達也が、最後のお客さんってわけだ」
どうやら祖父母は『みけ』の一員だった達也に作る料理を、最後の一品と決めていたようだ。
あまりの衝撃に、何も言うことができずにいる達也。
やがて、静かに口を開く。
「……今夜は、ここに泊まってもいい?」
「もちろんよ。明日は残った食材とかの片づけに来るから、ゆっくりしていきなさい」
こうしてキッチン・みけは最後の営業を終え、その歴史に終止符を打った。
「それじゃあ、また明日ね」
「また明日な。ああそうだ、店のカギを閉めておいてくれ」
「分かった……」
そう言い残して、裏の玄関口から出て行く祖父母。
最後の営業を終えた二人が帰ると、店は途端に寂しく、静かになった。
「……懐かしいな、このフライパン」
一人キッチンに入って辺りを見回せば、綺麗に並んだ道具一つ一つに思い出がよみがえる。
祖父母は『みけ』を継いでほしかったのだろう。ずっと。
期待されていたのを、何となく感じていた。
だが達也の両親は会社勤めをしていたし、自分も飲食店の難しさや厳しさを知っていたから、父母と同じように会社員になる道を選んだ。
大学に入ってもずっと、料理や『食』に関する勉強はしていたのにも関わらず。
ずっと、そこにあると思っていた『みけ』
達也が一人、役目を終えたキッチンを静かに見つめていると――。
「おい、こんなところに店ができてるぞ」
「本当だ。入ってみようぜ」
「……ん?」
聞こえてきた声に、顔を上げる。
するとドアを開けて、店に二人組の男が入ってきた。
「やっぱりそうだ。建物は古いけど新しい店だよ」
「あ、すいません。もう営業は終わってて――」
言いかけて、止まる。
店内に入ってきたのは、見知らぬ金髪の外国人。
「外国人? いや待て、店の外が何かおかしい……っ!」
異変を感じ取った達也は、駆け足でドアの外へ。
「なんだ、これ……!?」
踏み出すと、そこは見知らぬ世界だった。
目の細かい石畳の道に等間隔で並んだガス灯が、滲むような炎を揺らしている。
古びた石積みの建物が延々と続き、その間を急ぐ馬車が慌ただしく通り過ぎていく。
遠く聞こえる、汽笛の音。
「一体、何がどうなって……」
訳が分からない事態に、唖然とする達也。
「おーい、何してんだー?」
自分を呼ぶ声に、振り返る。
困惑したまま店内に戻ると、席に座った二人は達也を見て言った。
「ほら店主、早く――――メシにしてくれよ」
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