26.コンポートゼリーと御令嬢
「……地方の中流階級に生まれ、続けてきた修行」
キッチンに一人たたずむのは、一人の中年男性。
「そして今では、上流階級であるローズベリー家のコックとなったこの私」
エレノア婦人たちの昼食を作り終えたアルフレッドは、驚きを禁じ得ずにいた。
エマと名乗るメイドが、突然持ち込んできたレシピ。
鮭のクリーム煮は驚くほどにうまく、魚料理が好きなお嬢さまは大変気に入ったようだ。
しばらく続いていた白身魚のフライをやめて、乗り換えてしまうほどに。
「揚げ物と砂糖をたくさん使った菓子は、肌に悪いか……」
その時、エマが言い放った言葉。
にわかには信じられない話だった。
だがこの邸宅の中には、『使用人全解雇の危機を救ったあのメイドが言う事なら、やってみる価値がある』という空気があった。
エレノア婦人も、即座にエマのレシピを試してみるよう指示。そして。
「実際鮭のクリーム煮を食べるようになってから、お嬢さまの肌は綺麗になってきている」
砂糖を使った菓子を断ち、クリーム煮を食べていたら、肌荒れは日ごとに回復していった。
「聞けばポートマン家との対決の時は、米を使った未知の料理で勝利したという……あのメイドは一体、何者なんだ?」
今回見たことのなかった『しめじ』というキノコは、マッシュルームに変更しても良いとのメモ書きがあった。
一介のメイドがサーモンやマッシュルームを使って、これだけの料理を生み出すことに深まる困惑。
「私が風邪で倒れている間に、何が起きていたのか……」
つぶやきながら、キッチンを出る。
ダイニングにはすでに、ローズベリー母子の姿があった。
「いよいよ、肌が綺麗になってきていますわ!」
娘であるシャーロットの顔を見ながら、その経過を確認する母エレノア。
「食生活は本当に、大事なのですわね」
間違いなく肌荒れは落ち着いてきており、このままいけば自信を持って社交界デビューができそうだ。
――――しかし。
「お嬢様、本日の昼食になります」
もちろん今日の昼食も、鮭のクリーム煮だ。
メイド長が配膳すると、それを見たシャーロットがつぶやく。
「エエ、アリガトウ」
「……シャーロット。砂糖の量を減らせば、甘いものを食べても大丈夫だって言っていましたわよ」
「イヤヨ」
そんな母の提案に、シャーロットは無表情で応える。
「それでは、せっかく肌がきれいになっても……」
「イヤヨ」
肌の問題が解決に近づいていく中で生まれた、新たな懸念。
それは、禁断症状。
大好きな糖分が足りないあまり、シャーロットは伝承に出てくる悲しきモンスターのような、見事なカタコトになってしまっている。
「アンナ・マリー。社交界マデ、ナンニチ?」
「あと二週間ほどです」
「こんな状態では、やはりデビューは厳しいですわね……」
「オイシイ」
感情を失くしたシャーロットは、機械のように鮭を食べ続ける。
肌の調子は、間違いなく良化した。
だがこうなってしまうと、今度は甘いものが怖くて食べられない。
そんな娘の姿にエレノアが、ため息をついていると――。
「おい! あのメイドだ!」
「あのメイドが来たぞっ!」
聞こえてきたのは、使用人たちの声。
「エマ、どうしたの?」
やって来たアンナ・マリーに、エマが一枚のレシピを見せながら言う。
「シャーロットさんが甘いものを食べたくなったら困るかなと思って、肌に良いデザートのレシピを持ってきたんだよっ」
「っ!」
まるで天の恵み。
アンナ・マリーがエマを家にあげると、エレノア婦人は即座に指示を出す。
「すぐにキッチンへ! アルフレッドも手伝ってあげなさい!」
「は、はいっ!」
こうしてアルフレッドは、エマと共にキッチンへ。
噂の金髪メイドとの、突然の共闘が始まった。
聞いていた通り、なぜかヒザにかかるほどのところで切られたスカートが目に付く。
そんな少女が、持ってきたレシピは――。
「コンポート……ゼリー?」
コンポートとは、果実を煮て作るデザートだ。
ただしジャムの様に煮詰めてしまうのではなく、果実の形をしっかり残したままにするもの。
ジャムより糖度が低く、果実の形やみずみずしさが残っているため、そのまま食べることも多い。
それはフランク王国などでも食べられている、デザートの一つだ。
もちろんアルフレッドも、知ってはいる。
「だが、これではケーキと大して変わらないのでは……」
「お砂糖を使わずに作るんですっ!」
「っ!」
笑顔のエマに、思わず息を飲むアルフレッド。
繰り出されたアイデアは、面白い。
「これが、我ら使用人の危機を救ったというメイドか……!」
食材はそろっている。
アルフレッドはさっそく、アイシングラスと呼ばれるゼラチン板を水に溶かして温める。
一方エマはブリティシア産のリンゴを取り出し、二センチほどの角切りにしていく。
それからレモンの輪切りを入れた天然水で、少し煮込む。
もちろん砂糖は使わない。
するとリンゴの色味が濃くなり、橙を帯びた美しい黄色になった。
できあがった角切りコンポートを手のひらサイズのグラスの中に積み上げると、今度はリンゴの果汁を絞り出してゼラチン液と混ぜ、少量の白ワインを入れてまた煮込む。
最後はこのゼリー液をグラスに注いで、調理は完了。
「よし、冷却はここだ」
「はいっ!」
裕福な上流階級家庭では、商人から購入した氷を木箱に詰めることで冷蔵庫を作り、食材を冷やすのが定番。
エマはさっそく、グラスを手に取り走り出す。
「うわっ!」
そして、つま先を床に引っ掛けてバランスを崩した。
「急がなくていいから、落ち着いて」
「……えへへ。ありがと」
うっかり転びそうになったエマを抱き留めたのは、笑顔のアンナ・マリー。
今日も二人の息はピッタリだ。
あらためてリンゴのコンポートが入ったグラスをアイスボックスに収めれば、後は固まるのを待つだけ。
しばらく時間を置いてから、エマはグラスのフチを突いてみる。
ゼリーが程よい硬さになれば、完成だ。
「コンポートゼリー、できましたーっ!」
「こ、これは……!」
アルフレッドはできあがったゼリーを見て、思わず息を飲む。
見た目にもこだわる達也が作り方を教えてくれた一品は、とにかく美しい。
淡い黄色味を帯びたゼリー。
しかしそれ自体は澄んでおり、グラスの外側から鮮やかなリンゴの角切りが見える。
そしてリンゴがわずかに頭をのぞかせているゼリーの天辺には、瑞々しい一枚のミント。
その色味が、全体を見事に引き立てている。
「シャーロット! これを食べて!」
完成を今や遅しと待っていたエレノア婦人は、でき上がりと同時にシャーロットのもとへ。
「イヤヨ」
目の前に置かれた、美しいデザート。
しかし、やはりシャーロットは首を振る。
甘いものを食べてしまったら、これまでの苦労が水の泡になってしまうかもしれないという恐怖には逆らえない。
「ゼリーにお砂糖は使っていませんよ! あとリンゴはお肌にいいんだそうですっ!」
「……ホントウ?」
リンゴが持つビタミンやポリフェノールには、美肌効果あり。
そのため、食べて損をすることはない。
「でも、食べ過ぎはだめですよっ?」
そう言って笑うエマに誘われるようにして、スプーンを刺す。
そのまま、震える手で一口。
「…………オイシイ」
プルンとしたゼリーと、わずかなシャリ感を残したリンゴの柔らかな食感が心地よい。
舌に広がる甘みは、当然リンゴが持つ自然由来の物だ。
瑞々しく爽やかな果実の風味が、口内にあふれていく。
シャーロットは、すぐさまもう一口。
「……オイしい」
ゼリーには甘さだけでなく、程よい酸味も残っている。
そのためコンポートの甘さとは、また少し違う味わいがある。
これがゼリーだけなら食感に物足りなさもあるが、たっぷりの果肉を食べられることで満足感も得られる。
火を通してコンポートにすることで、砂糖を使わずとも十分な甘みを感じさせる果肉は、宝のような存在だ。
しっかりとした甘みと、程よい酸味のデザートは、シャーロットを夢中にさせる。
「コレ……すごくおいしいわっ!」
「お嬢さまが、お嬢さまが感情を取り戻していきます……っ!」
少しずつ感情と表情を取り戻していく悲しきモンスターことシャーロットに、メイド長が歓喜の声をあげた。
ゼリーの爽やかな色味と、橙になったリンゴの濃厚さ。
そして酸味を感じる味わいと、深く自然な甘み。
さらに美しさまで兼ねそろえていれば、シャーロットが目を輝かせないはずがない。
「このメイド……すごい。果実を一度コンポートにしてからゼリーに閉じ込めれば甘みが増すし、複雑な食感も楽しめる。一つのデザートとして完成度が大きく上がるわけだ……こんなもの、見たことがない」
大喜びのシャーロットを見ながら、アルフレッドはゴクリと息を飲んだ。
「……シャーロット、いけるわね」
エレノア婦人の問いかけに、すっかり気力を取り戻したシャーロットは大きくうなずく。
「もちろんよ……っ!」
ローズベリー家のとっての一大事である、社交界デビュー。
その日は、すぐそこまで迫っていた。
◆
「シャーロットさん、本当に素敵ね……」
「さすがローズベリー家の娘さんですね! 早くも大人気ですよ!」
肌の調子も上々、すっかり元気を取り戻したシャーロットのドレス姿に、思わず目を奪われるパーティ参加者たち。
お披露目は、大成功だった。
「それでは、今日はお先に失礼させていただきます」
集まる視線の中。
花のような美しさで、参加者たちを魅了してみせたシャーロット。
一通りあいさつを終えて会場のお屋敷を出ると、そのままいつもの自宅へと帰還。
「エマ! ありがとう――っ!」
そこで待っていたエマを見つけて駆け出し、そのまま飛びついた。
「わーっ!?」
その勢いに押し倒されて、驚くエマ。
「社交界デビューは、大成功でしたわ」
「エマのおかげよ!」
グッと顔を近づけて、シャーロットはうれしそうに語る。
その肌は、ピカピカだ。
「また、助けられてしまいましたわね」
今では自信を持って外出できるようになった娘に、エレノア婦人もうれしそうだ。
「……ねえ、エマ」
「はいっ」
「このような声のかけ方は、よろしくないのですけど……単刀直入に言います」
婦人の唐突な言葉に、エマが首を傾げる。
「――――ローズベリー家に来ませんこと?」
「えっ?」
それは、まさかの申し出だった。
「今の雇い主にもしっかり話はつけますし、最高の待遇を約束します」
母エレノアの提案に、シャーロットも大きくうなずく。
産業革命時のロンドールで、優秀なメイドの引き抜きは常に行われている。
そしてより良い条件の家に栄転していくことが、使用人にとっての成功だった……しかし。
エマは、静かに首を振った。
「……ありがとうございます。でも、わたしは今のままが良いんです。行き場を失くしちゃったわたしが、こうしていられるのは達也さんが見つけてくれたから。今では毎日いろんな出会いがあって、すごく楽しくて……達也さんと一緒にいられるお店は、わたしにとってすごく大切な場所なんですっ」
「……そうですか」
とにかく楽しそうに、現状を語るエマ。
エレノア婦人は、これ以上この問答を続けるのは無益だと判断。
「それならエマが欲しいものを教えて。なんでも用意しますわ」
代わりに、そんな提案をした。
意外な申し出にエマはまた驚くが、やはり答えは早かった。
「それなら……アンナちゃんを、よろしくお願いしますっ! いつでも私のことを思ってくれる、優しい幼馴染なんです!」
そう言って、ローズベリー母子に深く頭を下げる。
「なぜか……時々顔が真っ赤になるけど」
ただしその理由だけは、今も謎のままだ。
「エマ、帰りの馬車の準備ができたわよ」
するとそこにちょうど、エマを送るための準備をしていたアンナ・マリーがやって来た。
「また、遊びに来てもいいですかっ?」
「いつでもお待ちしていますわ」
「もちろんよ! 今度はアンナ・マリーと一緒に、パーティに行きましょう!」
シャーロットは、エレノア婦人と共にうなずく。
「ほらエマ、そんな雑な挨拶をしないの」
馬車に乗りながら、笑顔で手を振るエマ。
アンナ・マリーにたしなめられながら去って行く姿に、ローズベリー母子も思わず手を振って見送る。
「ますます、気に入ってしまいましたわ」
その後ろ姿に、思わずこぼれる一言。
「これからは、エマが来たら止めることなく入ってもらいなさい。もし止めるのなら……帰る時間を引き延ばすために止めるのよ」
メイド長にそう言って、エレノア婦人は楽しそうに笑うのだった。
「でも、本当にすごいわね。シャーロット様の問題も解決しちゃうなんて」
アンナ・マリーは、あらためて感嘆の息をつく。
「これも達也さんのおかげだよーっ。甘党は絶対に、お砂糖を断つと大変なことになるからって教えてくれたの!」
「そうなのね」
そんなことを話していると、『みけ』近くの通りに馬車が止まった。
店の前には、今日もエマの帰りを待つ達也の姿。
「ただいま戻りましたーっ!」
「おかえり、どうだった?」
「大成功だったみたいです! 喜んでもらえました!」
「それは良かった」
達也に向けて、満面の笑みで返事をするエマ。
そのうれしそうな姿を見て、アンナ・マリーはあらためて問いかける。
「……い、一応聞いておくけど、本当に二人きりで大丈夫なのよね?」
「うんっ。何かあった時はアンナちゃんに話すよ!」
「何かある前に話すのっ!」
そう言ってなぜかまた、顔を真っ赤にしているアンナ・マリー。
そんな親友の姿を見たエマはやっぱり、首を傾げるのだった。
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