24.パスタの国から来た男とボロネーゼ
産業革命の中にあるブリティシアは、世界の工場にして貿易の一大拠点。
他国からも多くの人を引き寄せる、磁石のような存在だった。
「こんな図面は使えないよ。やり直しだ」
「……はい」
自信作だった案を却下され、ため息と共に顧客の家を出たのは、ロマリアから単身でやって来た青年。
ロレンツォ・コンティ。
地図で見れば高いヒールのついたブーツのような形をした彼の故郷は、素晴らしい芸術とファッション、そして食文化を誇る。
そのためここブリティシアでは建築や装飾、芸術などの分野で、彼のようなロマリアの職人が需要を得ていた。しかし。
「水が合わないって、こういう事を言うんだろうな」
ロンドール西部にある小綺麗な中産階級街を出たロレンツォは、フラフラと東へ足を勧める。
行き交う船で賑やかなテームス川を眺めながら歩くのは、彼の一つのルーティンだ。
自分が精神的に弱っていることには、気づいている。
それは故郷を思い返すことが、多くなってきたからだ。
「うまいパスタが食べたい」
芸術一家の出身であるロレンツォは優れた美的感覚を持つが、世界一早く産業化したブリティシアから求められたのは、機能性や耐久性。
美しさよりも、実用性だった。
それはロマリアの職人が持つ感性とは、真逆の価値観だ。
そのため自信を持って書き出したデザインを、ボツにされることが頻発した。
まるで自分の持つセンスが、否定されるかのような感覚。
そこに追い打ちをかけるのが、食事だ。
実家ではある程度の余裕があったため、ロマリアの豊かな料理がいつもそばにあった。
それがここブリティシアに来てからは、全く食べることを楽しめていない。
一定以上の味が保証されている料理は少なく、同じメニューばかりになってしまうことも、彼を苦しめている。
気が付けば、食もすっかり細くなってしまっていた。
「もう、帰ろうかな……」
慌ただしいテームス川からイーストエッジの通りに入ったところで、ロレンツォはつぶやいた。
ロンドールは、世界の最先端にある街だ。
工業化の進んだブリティシアには、故郷のロマリアでは見られない光景がたくさんある。
その刺激を取り込むことにも、熱意を持っていた。
だが一人異国で、文化も常識も違う世界で生きるというのは、思った以上に大変だ。
圧倒的な、無気力感。
何かが擦り切れてしまっている感覚はもう、ごまかすことができない。
そしてロレンツォが、いつロマリアに帰るかという計算を、頭の中でし始めたその時――。
「なんだ……この店」
不意に足が止まった。
年季を感じさせるその建物は、イーストエッジにあっても浮いてしまっていない。
しかしロレンツォが見れば、一目で分かるほどに建築の構成が違う。
何より、キツネを人間の様に表情豊かに描いた看板は面白い。
その遊び心に惹かれるようにして、ロレンツォは店のドアを開いた。
「いらっしゃいませーっ!」
楽しそうな笑顔で駆け寄って来たのは、メイドのエマ。
「こちらにどうぞ!」
言われるまま席に着く。
「ご注文はどうしますかっ?」
店に入った時から、飲食店だという事には気づいていた。
だがここロンドールでは、何を選んでも同じだろう。
屈託のないエマは妙に話しやすく、ロレンツォはつい本音を語ってしまう。
「実はロマリアからブリティシアに来てるんだけど、あまり食べ物が合わなくてね……」
「なるほど……何がお好きなんですか?」
「やっぱり、パスタかな。故郷の料理が懐かしいよ……」
言葉にすると、あらためて恋しくなる。
ここロンドールでパスタを出す店など、見たことがない。
事実乾燥パスタは産業革命のブリティシアで、極々一部の上流階級が稀に口にする程度の食材だ。
どうしても食べたいのなら、もうロマリアに帰るしかない。
「できますよ」
「本当かいっ!?」
まさかの返答に、驚愕するロレンツォ。
「トマトソースとお肉のソース、他にもいくつかありますけど、どれがいいですか?」
「肉で頼む!」
「はいっ! 少々お待ちくださいっ!」
満面の笑みを残して、オーダーを伝えに行くエマ。
思わず興奮してしまったロレンツォは、一人になったところで冷静に思い返す。
……そんなことが、あり得るのか。
ここはブリティシアだ。
まして労働者街であるイーストエッジで、肉を使ったソースが出てくるとは思えない。
仕事のデザインを提出する時もそうだ、あまり期待はし過ぎない方がいい。
ロレンツォは自分にそう言い聞かせて、心を落ち着かせる。
「おまたせいたしましたーっ! こちらスパゲッティ・ボロネーゼになりますっ!」
「なっ!?」
期待しない方がいいと自分に言い聞かせた直後に出てきたのは、それでも脳内に残っていたわずかな希望をはるかに上回る一品だった。
「こんなに見事に作られたものは、ロマリアでも見ないぞ……!?」
フチに綺麗な青いラインの入った白皿の中心で、一度『巻く』ことによって作られた小高い麺の丘。
水分少な目のソースは、食欲をそそる赤銅色だ。
塊を作っている牛肉のそぼろが、黄色い麺の丘の各所から顔をのぞかせている。
その頂上に乗せられたハーブの緑色は、何とも鮮やかで美しい。
食べる前から視覚で楽しませてくれる美しい盛り付けが、ロレンツォの美的感覚をかき立てる。
食べてしまえば、同じはずの料理。
それでも皿の形や色にまで見られるこだわりは、まるでロレンツォの背中を押してくれているかのようだ。
息を飲みながら、そっと一口。
「――っ!!」
最初に舌を駆けるのは、厚みのあるソースだ。
長く煮込まれたトマトは酸味の角が取れ、甘みを醸し出している。
そこに炒めた玉ねぎの柔らかな甘さと、ワインのほのかな苦みが遅れてやってきて、味に深みを生み出す。
そして牛肉の持つ旨味がトマトソースの甘酸っぱさと混ざり合えば、口の中でたまらない『うまさ』に変わる。
細身ながらも芯を残した麺は、噛むたびに小さく跳ね返すような弾力を持つ。
その表面にまとわりついた、牛肉の粒がたまらない。
ほろほろと崩れて、食感でも楽しませてくれている。
「おいしい……っ!」
ロレンツォは夢中で食べる。
久しぶりに会えた、故郷の料理。
まるで一口ごとに、元気を取り戻していくかのようだ。
「達也さんのパスタ、おいしいですよねぇ」
「ああ、本当においしいよ……っ!」
その食べっぷりを見て目を輝かせているエマに、ロレンツォも負けじと笑顔を向ける。
「おかわりを頼む!」
「はいっ!」
二皿目が届いたところで、一緒に置かれていたパルミジャーノに気づく。
振りかけたチーズは熱で溶け、ソースに溶け込む部分と、まだ形を保っている部分がある。
口に運べば、舌の上でふわりと香る。
濃厚な肉のソースに軽やかな塩気と香りの層が加わったら、また手が止まらなくなってしまう。
なんとロレンツォはそのまま合計三皿を、止まることなく完食してしまった。
「店主! 最高においしかったよ!」
「ありがとうございます」
食べ終えた後の口内にはまだ、肉の余韻とトマトの柔らかな甘みが残っている。
長らく忘れていた、満腹感。
ロレンツォは満足気な顔で、大きく一つ息をついた。
「……ただ」
「……ただ?」
突然神妙な顔をしたロレンツォに、エマが首を傾げる。
「レシピ通りに作らずボロネーゼを名乗るのは――――おかしい」
子どものように頬をふくらませて、むくれるロレンツォ。
「ボロネーゼには、スパゲッティではなくタリアテッレ! これは決められていることなんだ!」
どうやら麺の太さが発祥の地のレシピと違ことに、怒っているらしい。
「だが断言する! こんなにうまいパスタは他にない! 明日も来るっ!」
そう宣言しながら支払いを済ませると、ロレンツォは店を出て行った。
「ええと……ありがとうございました」
おいしいと言いながら怒る。
怒っているのに、また来るとハッキリ宣言する。
一人で矛盾するロレンツォに、困惑するエマ。
対して達也は、楽しそうに笑っていた。
「達也さん、どうしたんですか?」
「いや、分かるなぁと思って」
自国の料理がよその国で「おいしいけど、ちょっと違う」になっている感覚は、達也にも深く共感ができる。
「明日は、なんと言ってお出しすればいいのでしょうか……」
「まあ、任せておいて」
もちろんソースは麺に合わせた味付けになっているため、今日明日でパスタの太さを変えることはできない。
しかし達也は、余裕を見せたままだった。
◆
「いらっしゃいませーっ! ……あっ」
今日も元気なエマが、来店した客を見て声を上げた。
昨日の宣言通りやって来たのは、すでにウキウキのロレンツォ。
「昨日のパスタを頼むよ」
「は、はいっ」
エマはわずかに緊張しながら、オーダーを通す。
しかし達也には、慌てたそぶりも一切なし。
今日も見事な腕前で完成させたパスタをエマに持たせると、最後に耳元で小さく一言。
その意図が分からないエマは緊張を残したまま、達也に言われた通りに提供する。
「お待たせいたしました。こちらスパゲッティ――――ボロネーゼ『風』になりますっ!」
「……っ!」
ロレンツォは、わずかに目を見開いた。しかし。
「うむ、ありがとう!」
達也の国にありがちな『~風』という表記でごまかすやり方に、ニッコリとうなずいた。
そして今日も夢中でパスタを食べて、一息。
「やっぱりおいしい! この店のパスタは最高だっ!」
喜びの声を上げた。
「そ、それでいいんですね……」
これにはさすがに、苦笑いをしてしまうエマ。
うまいものはうまい。
ただ、違うものは違う。
その隙間さえ埋めてやれば、問題はなし。
これはボロネーゼではなく、それを模した特製の料理なのだと言われれば、もう愛すべき一品に早変わりだ。
「店主、今日も最高にうまいよ! このボロネーゼ風!」
「ありがとうございます」
夢中でボロネーゼ風を楽しむロレンツォに、笑顔で返す達也。
「……よーし。俺はこれからも、美しいデザインを提案し続けるぞ! 機能性との融合だって、やってみせるさ!」
昨日までは暗かった表情。
今ではすっかり無気力感が抜け、元気を取り戻している。
完璧に熱意を取り戻したロレンツォにもう、超えられない山などない。
そして彼の故郷である芸術の国は、ブリティシアが求める機能性すら美の中に取り込み、さらに前へと進んで行くのだろう。
ロレンツォを始めとした職人たちが、ロマリアを世界的デザイン大国にしていく日は、もうすぐそこだ。
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コンビニのアップルパイですらおいしいのは凄いですよね……! 返信はご感想欄にてっ!
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