23.契約不履行とミートパイ
「そんな……」
マシュー・ブライトは、信じられないといった表情でその場にへたり込んだ。
それを見た男は、冷たくもう一度言い放つ。
「君が契約していた仲買人は破産した。よって返金はできず、契約も履行できない」
貿易商であるマシューは手堅い商品である砂糖を前金で購入し、その到着を待っていた。
しかし仲買人の破産によって、結んでいた契約は不履行となってしまった。
「頼まれたから多額の前金を払って契約したんですよ!? それなのに砂糖が手に入らず、返金もなければうちまで破産してしまいます!」
「高額の前金を求められた時点で、仲買いがすでに火の車である可能性に気づくべきだったんだ。それにこんな話どこにでも転がっている。君も店を畳んで田舎にでも帰ればいい」
「僕はロンド-ルが地元なんです! 両親から受け継いだ店を、潰すわけにはいかないんですよっ!」
マシューは両親の働きを、子供の頃から見続けてきた。
そして「いつか受け継いで欲しい」と言われた商店を、今度は自分が守っていくんだと気合を入れた直後のことだった。
おとずれた、まさかの危機。
「それは、お気の毒に」
マシューは必死に喰らいつくが、破産管財人も慣れたもの。
気にせず淡々と職務を遂行する。
「この倉庫もすでに引き取り先が決まっていてね。そこでなのだが……仲買人が置いていったこの香辛料を、まとめて持って行ってもらえないだろうか?」
「……え?」
「こいつは香りが強いし、あまり量を使うものでもないからね。まとめてさばくことができなくて困っていたところなんだ。砂糖の代わりに持って行くといい」
言われてマシューは、たくさんの木箱に詰められていた香辛料を確認する。
「これは……ナツメグか?」
ナツメグはナッツを思わせる見た目の種子を、粉末にして使うのが基本の香辛料。
甘くスパイシーな香りが特徴で、料理の風味を引き立てるのに使用される。
「ここは来月に別人の手に渡るから、早急に引き取ってくれ。それでは」
破産管財人は冷静にそう言い放つと、さっさと倉庫を出て行った。
「……ナツメグだとこんなにあっても使い切れないし、売って回っても雀の涙程度の回収にしかならない」
決して安くはない香辛料。
突然これだけの量を押し付けられても、売り切ることができない。
だからこそナツメグは、この場に置き去りにされたのだ。
「どうしてこんなことに……父さん母さん、ごめん」
絶望的な事態に、呆然とする。
決して欲をかいたわけではない。
長い付き合いの仲買人からの頼みを、引き受けただけ。
真面目に仕事を続けてきたブライト商会はこうして、破産の危機を迎えた。
マシューはフラフラと、幽鬼のように街を歩く。
もはや自分がどこにいるのかも分からぬまま、ひたすらに。
諦めたくない。
しかし、考え付かない。
高価ゆえに購入するのは一部の上流階級ばかり、そもそも少量の使用で十分な香辛料。
それを大量に売りさばく方法なんて、あるとは思えない。
マシューはそのまま当てもなく数時間、街を歩き続けた。
座り込んでしまったら、全てを放り出してしまいそうだった。
「……ん?」
不意に、覚えのある香りがして足を止めた。
「これは、ナツメグの匂いか?」
先ほど倉庫で、嫌になるほど嗅いだ甘い香り。
追いかけていくと、たどりついたのはキツネの看板が目印のキッチン・みけ。
思わず、店のドアを開けてみる。
「いらっしゃいませーっ!」
駆けつけて来たのは、金髪を揺らすメイドのエマ。
言われるままカウンター席に着くと、店主と客のやり取りが目に付いた。
「オリバーさん、ちょっと食べてみてくれないか?」
「もちろんだ。店主の作るものならなんだっていただくぞ」
「実は屋台で見かけたミートパイを、焼いてみたんだ」
「おおっ、これは……!」
工場長オリバーは、驚きの声を上げた。
労働者階級におけるパイは、エマが本来働くはずだった中産階級家庭のものとは大きく違う。
「屋台で見るミートパイに使われるのは、くず肉と呼ばれるような脂身の多い端切ればかりだ。パン粉やオートミール、玉ねぎやじゃがいもの端材でかさ増ししていることも多い。もちろん調味料は塩のみで、もし少しでも胡椒が入っていれば御の字というのが現状だ。さらに小麦粉の質が悪いせいで、皮も厚くて固い。そのため『容器』としての役割が強く、まともに食べられないことすらある」
塩気が強く香りもないため、肉の旨味より脂の嫌な風味が勝ってしまう。
労働者階級のパイはやはり、ただ腹を満たすためのものであり、おいしくはない。
「だが、これは違う……っ!」
そう言って、大きくうなずくオリバー。
「おいしそうですねぇ……」
マシューのもとに水を持ってきたエマが、口を半開きにしながらつぶやいた。
「……エマちゃん。今ならまだ手に余裕があるから休憩行ってきなよ。ほら、パイも一切れ持って行っていいから」
「本当ですか!? ありがとうございますっ!」
達也の申し出に、空腹危険域に踏み込んでいたエマはトレーをぎゅっと抱きしめて、うれしそうに一回転。
皿に乗せたパイを、満面の笑みで受け取った。
「お客さんも、良かったら」
「……ああ、はい」
いつの間にか魂が抜けたかのように呆けていたマシューは、達也に勧められるまま返答。
「これが、最後の晩餐かもな……」
悲痛な面持ちでつぶやくと、目の前に出来立てのミートパイが置かれた。
「……これは、一体なんだ?」
口を突いたのは、驚き。
まばゆい黄金色に輝くパイの表面には、食欲をそそる焼き跡。
見るからにサクサクとした、定番の皮であるショートクラストは、端の部分が波打っている。
そして中にしっかり詰まった牛のひき肉が、透明になった玉ねぎと共に豊かさを感じさせる。
マシューは引き寄せられるようにして、かじる。
「うまい……! うまいぞっ!!」
それはこれまで食べてきたパイとは、完全に別物だ。
まずはバターの香りをまとったパイ皮がサクッと崩れて、香ばしさと心地よさを与える。
続いて赤ワインを使って炒めた牛ひき肉の旨味が、玉ねぎの甘さと共に口内に広がった。
程よい塩加減は、肉の旨さをさらに加速させている。
最後にやって来るのは甘くスパイシーで、同時に温かみもある独特の芳香。
シナモンにも似た甘みを感じさせつつも、胡椒のような刺激を合わせ持った風味が抜けていく。
そのまろやかなほろ苦さは、牛肉の味を見事に引き立てている。
「ミートパイ。おいしくて豪華で、家庭的な温かさもある。本当に良い料理だな……」
つぶやく達也。
それはブリティシアが生み、世界に広がっていった素晴らしき一品。
そのうまさに、マシューは驚愕してしまう。だが。
「……店主っ!」
それと同時に、彼には気になることがあった。
「このしっかりとした香りと風味は、ナツメグのものですよね!?」
達也は大きくうなずく。
「ナツメグを効かせると、風味が立体的になる。さらに肉の悪い味を消してくれる一面もあるんだ」
「っ!」
確かにナツメグは強く香るのに決して尖らず、肉の旨味と見事に一体化している。
マシューは思わず、立ち上がった。
「店主! お願いしますっ! このパイの作り方を……真似させてくださいっ!!」
「ええ、どうぞ」
突然見えた光明。
必死の懇願に達也がうなずくと、思わずその目に涙を浮かべるマシュー。
「ありがとうございますっ! 必ず、必ず……店を守ってみせますっ!!」
食べかけのミートパイを抱えると、大慌てで外へ駆け出していくのだった。
◆
中産階級の居住区画には、パイを売る店舗がいくつもある。
その中のとある店が『匂いをあえて外に出す』ことで、売れ行きを一気に伸ばし始めた。
「この店のミートパイは、香りが違うんだよ」
「そのおかげで、肉の旨味が一段と引き出されてるんだよな」
「早く次を焼いてくれ! もう一時間も待ってるんだぞ!」
安価で買い取ったナツメグなら、ケチる必要はなし。
その店はマシューが持ち込んだ『みけ』のミートパイを参考に、ナツメグをふんだんに使った商品を売り出した。
するとこれまではどこもオマケ程度の使用か、そもそも使わない店が多かったため、しっかりと香りを効かせたパイは一躍大人気となった。
そしてその効果は、中産階級の間だけにとどまらなかった。
「なんだこのパイ……うまいぞ!」
「これまでのやつとは別物だな! 匂いも味もいい!」
「もっとだ! もっとくれ!」
迫り来る多くの客。
パイ店は屋台での販売も同時に行っているため、労働者たちの元にも届く。
『くず肉』を使った労働者向けのパイは、肉の悪い風味が強くなりがちだ。
だがナツメグには、この嫌な臭いを柔らかく包み込む力があり、脂の重さも軽減してくれる。
良い香りが、安い肉を上等な風味に変えるのだ。
また、ほんのひとつまみでも劇的な変化をもたらすため、コストは大して変わらない。
何よりそれ以上に売れてくれるのだから、プラスにしかならない形だ。
そしてこれだけ話題になれば当然、ナツメグの需要は大きく増すことになる。
「店主っ!!」
『みけ』のドアが、強く開かれた。
そこにはまるで神の救いを目の当たりにしたかのように、泣き笑いを浮かべたマシューの姿。
「ありがとう……ありがとうっ! 店主の言った『肉の悪い部分を消してくれる』……これがブライト商会を救ってくれたんですっ!!」
ナツメグは無事、人気香辛料として火が付いた。
その勢いは中産階級から労働者たちへも広がり、需要は大きく拡大。
抱え込んだ在庫は見事に全てさばかれ、押し付けられたはずのナツメグは、これからも商売を続けられるだけの利益を生んだ。
「まさかあのピンチがこんな奇跡を起こすだなんて……! これも店主の、『みけ』のパイのおかげです! 今日はここで祝勝会をさせてくださいっ!」
「もちろん」
涙をこぼして喜ぶマシューに、大きくうなずく。
達也の一工夫は見事にブームを巻き起こし、両親から受け継いだ大切なブライト商会を救ってみせた。
今では一歩街に出れば、『みけ仕立て』のパイにかじりつく人々が、そこかしこに見られるほどだ。
こうして無事、不要とされた香辛料を全てさばいたマシュー。
だが何より大きな収益は、学びを得たことだろう。
危機を乗り越えたことで生まれた強さと、身に付いた諦めない姿勢は、彼を立派な商人へと変えていく。
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