21.仕事の初日は豚汁で
ブリティシアの産業革命における、二つの柱。
それは紡績と、製鉄だ。
鉄は造船や織機の製造、都市の整備に必要不可欠。
今世界で最も勢いのあるこの国では、需要が高騰し続けている。
その製法は木炭を使ったものから、石炭を使ったものへと進化。
石炭は硬度が高いため、高炉の高温環境でも安定して長時間燃焼できる。
そこに蒸気機関を組み合わせた送風機を使用することで排気の効率も上昇し、鉄の生産量は飛躍的に増加した。
「次の出荷は造船会社だ、遅れるな!」
工場長の張り上げる声は、燃え盛る高炉の唸りと、蒸気機関のあげる排気音にかき消される。
「い、いよいよだ……」
聞こえてくる、鉄槌の打撃音。
煙突から絶えず立ち昇る煤煙を見上げながら道を歩く、一人の青年が息を飲んだ。
十二歳から徒弟制度で七年ほど学び、現在十九歳。
厚手のウールシャツに革のエプロンという格好は、炎熱への対策。
晴れて新人の技術者となったスミスは、今日からとある製鉄所で働き始める。
「……大丈夫。あれだけ勉強してきたんだ、ちゃんとできる」
抱えているのは、初日ならではの不安だ。
慣れない工場で、上手くやれるのか否か。
一人前になった以上、もう親方に頼ることはできない。
また石炭を使ったコークス高炉などの新技術を扱える人材は重宝され、徒弟上がりでも早く『技術者』として昇進できた。
そのため少し、通常の労働者とは立場が異なる。
果たして工場長や工員と、良好な関係を作れるのか。
考え出したら、止まらない。
「……何より身体が、もってくれるかどうかだな」
一番の悩みは、ちょくちょく頭痛やめまいを感じる時があるということだ。
高炉での作業は、一つのミスが命取りとなる。
常に高温との戦いとなる現場。
言われた通り水分をしっかり取るようにしても、そこは変わらなかった。
これまでは親方に体調不良を告げることで何とかなっていたが、今日からはそうもいかない。
一人責任を持って仕事をするとなると、やはり不安だ。
「はあ……」
自然ともれるため息。
苦悩が渦巻き、緊張がスミスを苦しめる。
「とにかく、何か食べておかないと」
高炉は一度火を入れると、連続稼働させるのが基本。
それは途中で止めると炉が冷え固まり、再稼働に手間と費用がかかるためだ。
よって長ければ数か月、年を超えての使用もある。
そうなれば当然、体力が続かないのはもっての外。
やはりロンドールの労働者には、働くために食べ物を詰め込む『義務メシ』が常識だ。
「でもなぁ……」
スミスは並ぶ屋台を見ながら、何を食べるか思案する。
何せこの緊張状態だ。
フィッシュアンドチップスの油はキツイし、生臭いウナギにでも当たったら目も当てられない。
唯一、少女の屋台が売るホットサンドはおいしそうに見えるが、人気すぎて並ぶ気が起きない。
こうしてスミスが、食べ飽きているジャガイモを渋々押し込むしかないかと、諦めかけたその時。
「ここは、食堂か……?」
年季を感じさせる石積みの建物は、瀟洒な雰囲気がありながらも温かみを感じる。
何より得意げな顔をして歩くキツネの看板はなんだか可愛くて、少し気持ちがなごむ。
スミスは大事な仕事前の食事を、キッチン・みけで取ることにした。
「いらっしゃいませーっ!」
ドアを開けると、すぐに元気な金髪のメイドが駆け寄って来た。
その笑顔に、思わず安心する。
「ご注文はどうしますかっ?」
席に案内されると、スミスはメニューを眺めながらつぶやく。
「この後仕事なんだけど、何がいいのかな……」
「何か、悩んでいるんですか?」
ため息をつくスミスに、エマが問いかける。
「実は今日から高炉で作業をするんだけど、時々起きる頭痛とめまいが怖いんだよ……」
思い出してまた、ちょっと憂鬱になる。
自然と顔に、不安と緊張が浮かぶ。
「高炉はやっぱり、かなり暑いんだよな?」
そんな疑問をぶつけたのは、達也だ。
「それはもう汗だくだよ。だから水分はしっかり取るようにしてるんだけどね……エールで」
「エールで……!?」
「大丈夫。子供の頃からだし、慣れてるよ」
達也にしてみれば、いかれてるとしか思えない行動だ。
アルコール度数が低いとはいえ、技術者がエールで水分補給をするなんて考えられない。
だがロンドールでは、これが当たり前。
普通の水が、いかに信用されていないかよく分かる。
「そういうことなら、豚肉と野菜のスープはどうかな? 一緒にライスが付く」
「任せるよ」
そう言ってスミスは、注文を決定。
ロンドールでの食事なんて、どれも同じ。
それなら誰かに決めてもらったものを食べるという形で、十分だろうと考えた。
「……それにしても、変わった店だな」
数組ほどの客は皆、見たこともない料理をうまそうに食べている。
笑いながら「今日も幻覚は解けてない」とか言っている集団は、とても仕事の間とは思えない賑やかさだ。
「なんだか、楽しそうだなぁ……」
そしてまた、深く息をついたところで――。
「お待たせいたしましたーっ! こちら豚汁になりますっ!」
「っ!?」
目の前に置かれた料理に、スミスは驚愕した。
「これが、スープ……?」
屋台に並ぶスープは水のように薄く、少量のじゃがいもや玉ねぎが浮かぶだけの貧弱なものだ。
出汁が効いていないため、とにかく薄味で全てが心許ない。
ところが、この豚汁はどうだ。
ぎっしり詰まった食材たちが、肩を寄せ合っているかのような豪華さ。
その中で白黄色のジャガイモと、橙色の人参、天辺におかれた細切りのさやえんどうが彩を添えている。
味噌の良い香りが湯気と共に届けば、ごくりとノドが鳴る。
スミスは驚きながら、まずはスープを一口。
「うわっ!?」
熱々の汁が舌に触れるのと同時に、口の中に広がる味噌の豊潤な味わいと、豚肉から抽出された旨味が一気に押し寄せる。
だが、それだけではない。
野菜から出た様々な出汁が混ざり合うことで、複雑にして豪勢なうまさになっている。
たった一口で、すぐさまスミスは夢中になってしまった。
今度は具を一気に持ち上げて、口へ。
「う、おお……っ!?」
旨味を含んだ豚肉の程よい歯ごたえと、出汁をよく吸った大根の心地よい食感。
続けて柔らかな玉ねぎと、わずかに硬さを残した人参から自然の甘みを感じる。
そしてまた、これまでとは違う硬さを歯に覚えた。
スープを飲んだ時にわずかに感じた大地の香りは、ゴボウのものだ。
ゴボウだけが、他の食材とは少し違う風味を出すことで深みを増している。
だがその味が浮いてしまわないのは、同じく自然の風味を感じさせるジャガイモがいるからだろう。
様々な角度の旨味を同時に持ち、全ての歯ごたえが食べることを楽しませてくれる。
一口ごとに新たな旨さを感じる豚汁は、まさに最高の一品だ。
「うまい……」
スミスは散々驚いた後、ただ一言そう発することしかできなかった。
「ご飯と一緒でも、おいしいですよっ」
同じくノドを鳴らしながら言うエマに、言われるままホカホカの白米を一口。
「……これはっ!」
米と一緒に食べれば、さらに豚汁の旨さが引き立つ。
気付けば、がむしゃらに食べ続けてしまうスミス。
「その水は安全だから、しっかり飲んで行くといい」
「ああ、分かったよ!」
最後にはよく冷えた水を豪快に飲み干して、満足そうに息をついた。
「おいしかった……でも、どうしてこの豚汁って料理がお勧めだったんだ?」
「汗をかく現場での頭痛やめまいは、水分もそうだけど塩分不足が考えられるからだ」
達也が、豚汁を出した理由を説明する。
「豚汁なら水分はもちろん、塩とミネラルが取れる。水分だけしっかり摂っても、汗と共に流れ出てしまう塩分の問題が残る。むしろ水は塩と一緒に摂らないと、体調不良を起こす原因にもなるんだよ」
達也の住む世界では、『夏の常識』のような知識。
だがブリティシアではまだまだ、その事実は知られていない。
水分だけを摂ると、体内の塩分濃度が低下してしまう。
また汗にはミネラルも含まれるため、失えば体内バランスが崩れてしまう。
各食材から溶け出した栄養素が全て詰まっている豚汁は、高炉で働くスミスにもってこいだ。
「豚汁なら、この後の仕事に良い効果をもたらしてくれるはずだ」
「……なるほど」
考えてみれば、症状の出る日にはバラつきがある。
頭痛が起こる時とそうじゃない時は、塩分を摂れている日とそれ以外の日と考えるとしっくりくる。
「ありがとう。今日は新しい職場の初日で緊張してたんだ。でもこんなにうまい料理に出会えて幸先がいいし、何より頭痛の原因を知れたってことが大きいよ」
得られた、大きな不安への対策。
達也が勧めた料理と知識は、彼の命を救うことになるだろう。
ため息ではなく、安堵の息をついたスミスが力強く立ち上がる。
「ありがとうございました!」
「またどうぞ」
満面の笑顔で見送るエマと、穏やかな視線を向ける達也。
「がんばれよー」
今日も適当な工場労働者ハリソンが指を差し、真面目なトーマスがうなずいて見送る。
「楽しんでやろうっていう、心意気が大事だぞ」
「お前はもう少し真面目になるんだよ」
なぜか社会人としての先輩みたいな態度を取って、仲間にはたかれる荷受人夫アランが楽しい。
わずかな時間でこんなにも元気になれるものかと、こぼれる笑み。
緊張はまだ、確かにある。
それでも今は、がんばろうという気持ちが緊張を上回っている。
新たな工場へと向かうスミスの足取りは、とても軽やかだった。
◆
「いらっしゃいませーっ!」
ドアを開けば、今日も元気にエマが駆けつけてくる。
「ああっ、昨日の!」
やって来たのは、昨日初仕事を終えたばかりのスミス。
カウンター席に案内してもらうと、さっそく達也とエマに報告する。
「昨日は頭痛やめまいを全然感じなかった! 好調そのものだったよ!」
見事な手際で仕事をこなせば、工場長や工員からの信頼も厚くなる。
緊張の初日は、最高の形で乗り越えることができた。
「店主、これからもよろしく……!」
「こちらこそ」
無事に、新たな一歩を踏み出すことができたスミス。
肩の力が程よく抜けたことで、これからもその能力はいかんなく発揮させるだろう。何より。
「そんなら、初日の成功を祝って!」
そんなスミスの言葉を聞いて、さっそくジョッキを掲げる客たち。
新たな挑戦は、新たな楽しみの場へと導いてくれた。
技術者とはいえ、まだまだ新人のスミス。
だがこれでまた、がんばれそうだ。
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