2.幻覚と鶏のから揚げ
ブリティシアで始まった産業革命は繊維、製鉄、機械などの製造業がその牽引役となった。
可能となった大量生産によって都市労働者は一気に増え、忙しさは今も加速中だ。
「おいトーマス、何をそんなに急いでんだ?」
噴き出す蒸気と紡績機の駆動音が騒がしい、赤レンガの工場前。
勤務時間の終了と共にそそくさと帰宅するトーマスを、同僚のハリソンが捕まえた。
麻の白シャツを適当に羽織り、雑に流した長めの金髪の上にはハンチング帽。
砕けた話し方をする彼は、トーマスの悪友といった存在だ。
「昨日行った料理店に、もう一度行ってみようと思って」
「メシ屋? そんなにお前を急がせるなんて、その店はどれだけ――――マズい飯を食わせてくれるんだ?」
「それがさ……ありえないくらいにうまい肉料理を食べたんだよ」
「うまい肉だぁ?」
ハリソンは怪訝な顔をする。
「んなもんあるわけないだろ。ここはロンドール、しかもイーストエッジだぞ?」
庶民にとって肉とは、とにかく保存を重視して塩漬けにするのが前提の食材。
固くてカラい。
それでも時々しか食べられない、ちょっとした贅沢品というのが常識だ。
「実家のメシは、もうちょっとマシだったんだけどなぁ……」
ため息を吐くハリソンに、トーマスはうなずく。
「そう、だからあれは――」
「あれは?」
「幻覚だったんじゃないかと思って」
「……なるほど。この辺りでうまいものを食べただなんて、ピクシーのイタズラを考える方が普通だな」
「今から、真偽を確かめに行こうと思うんだ……!」
「そんなら俺も行くよ。真面目なお前が幻覚を見始めたとかちょっと心配だし……何より面白そうだ」
ニヤリと笑って、隣に並ぶハリソン。
「それに今日の昼メシは、エールを流し込んだだけだからな」
ブリティシアにおけるエールの別名は、『飲むパン』という。
渋い苦みに甘味の混ざった味が定番のそれは、濁っていて飲み口も重く、嗜好品というより食事の一環として飲まれている。
「でも何より驚いたのは、食材がみんな新鮮だったんだよ」
歩き出したトーマスが、昨夜のことを語り出す。
「なるほど……新鮮なマズい飯を食わしてくれるのか」
「だからうまかったんだって! 今日一日、何度も思い出してノドが鳴るくらい!」
半信半疑の二人。
屋台の並ぶ道に差し掛かると、さっそく声をかけられる。
「お二人さん、ご注文は? ウナギですか?」
「要らないよ!」
「要らねーわ!」
ウナギのゼリー寄せを売る屋台に、即座に首を振って走り出す。
すると、通りを抜けた少し先。
「ある! 店がある!」
そこには昨日と変わらぬ『キッチン・みけ』の姿。
「よ、よし、行くぞ……!」
トーマスはハリソンを連れて、そのまま一緒に入店。
「いらっしゃいませーっ! あっ、昨日のお客さん!」
すると金髪のメイドが、うれしそうに駆け寄って来た。
緑の目をした人懐っこい少女は、今日も元気でいっぱいだ。
二人は案内されるまま、カウンター席に並んで腰を下ろした。
「ご注文は何にしますか?」
「トーマスが昨日食ったやつってある?」
「豚の生姜焼きですねっ。トーマスさんは?」
「今日は何か、別の肉料理はないかな?」
「今だったら、鶏肉のから揚げがお勧めですね」
「鶏かぁ……」
渋い顔をするトーマス。
鶏は卵を取るための家畜であり、食用になる頃には年を取って肉も硬くマズくなっている。
そのうえ傷みやすいので、廃鶏はロンドールであまり食べられない。しかし。
「じゃあ、それで」
トーマスは、この店の『腕』に賭けてみることにした。
「かしこまりましたっ! 達也さん、豚の生姜焼きと鶏のから揚げお願いしますっ!」
「はい了解」
達也と呼ばれた黒髪の店主は短く応えて、料理を開始する。
「いやー、今日もサンキューな。俺の工程ミスまで見つけてくれてさぁ」
「ハリソンはもう少し、神経質になるくらいでいいと思うけど?」
楽天的な友人を、嗜めるようにするトーマス。
しばらくすると、ニンニクと醤油の香りが鼻先をくすぐり出した。
「おいおい、いい匂いさせてんなぁ」
思わず唇を舐めるハリソン。
ほどなくしてメイドが、目の前に豚の生姜焼きを持ってきた。
「なんだよ、これ……っ!?」
盛りつけから、すでに物が違う。
唖然としていたハリソンは、思い出したかのようにフォークを手に取った。
そして湯気を上げる豚肉を、神妙な面持ちで口に運ぶ。
「うっま!」
「だろ!?」
驚きに思わず、フォークを落としてしまうハリソン。
慌てて拾い上げると、ガツガツと夢中になって生姜焼きを口に運んでいく。そして。
「なるほど、幻覚か……」
思い出したかのように、そうつぶやいた。
「幻覚……ですか?」
夢中で食べるハリソンを見ながらニコニコしていたメイドが、首を傾げる。
「この店の料理がうますぎて、幻覚だったんじゃないかってトーマスが言い出してさ……」
「ええっ、そうなんですか?」
メイドは、驚きの表情を見せる。
「でも、そう考えるのも無理ないんだよ。知ってるかい? ロンドールの労働者に伝わる料理法って、三つだけなんだ」
「三つだけ、ですか?」
「まずは、煮る」
「はい」
「二つ目は……もっと煮る」
「は、はい」
「そして三つ目は……」
「み、三つ目は?」
「――――さらに煮るだ」
「ええええええ――っ!?」
これにはメイドも、さすがに驚く。
「ぐつぐつぐつぐつ煮込むだけって、魔女か俺たちは」
苦笑いしながら、自らにツッコミを入れるハリソン。
「どうして、そんなことになったんだ……?」
我慢できずに、店主の達也が問いかけた。
「それでなくても食材の産地から遠いロンドール。新鮮なものは金持ちが独占するんだよ。残り物は安全性が低いから、とにかく加熱殺菌することが奨励されてるってわけ。ほら、茹でれば何とかなる気がするだろ。臭いとか、毒素とか。ちなみにコツは、元が何だったのか分からなくなるほど煮詰めることだ」
「「…………」」
絶句する、達也とメイド。
「それに皆忙しいから、料理する暇なんてないってのもあるな。もうやり方なんて忘れちまってるんだ」
「だから俺たちには、おいしく食べるために作った料理なんて縁がなかったんだよな」
産業革命が生んだ、圧倒的な忙しさ。
それは労働者たちが料理文化を失くし、ブリティシアのメシマズが進んだ大きな理由の一つだ。
「労働者にとってメシはもう、単なる燃料補給になっちまったんだ。そんなヤツがこれだけうまい料理を食べたとなれば、幻覚の一つも疑うだろ?」
そう言って、楽しそうに笑うハリソン。
すると、ちょうど良いタイミングで次の料理が完成した。
「エマちゃん、提供よろしく」
「はいっ」
メイドのエマは、笑顔でトーマスのもとへ。
「お待たせいたしました! 鶏の唐揚げになりますっ!」
「お、おお……っ!」
「うおおおおおお――っ! すっげえ!」
思わず、驚嘆の声が出た。
レタスの上に、ゴロゴロと転がる唐揚げたち。
油から上がったばかりのそれは、表面にまだわずかな気泡を残していた。
まとうキツネ色の衣は、もはや鮮やかに感じるほど。
パッと見ただけで分かる、最高の揚げ具合だ。
トーマスはさっそく一個フォークで刺して、がぶりとかじってみる。
「ふあっ!」
その熱さに、もれる吐息。
だが、うまい。
最初に感じたのは、香ばしい衣のサクサクとした感触だ。
続いて柔らかな肉の歯ごたえが届き、鶏のジューシーな風味が広がっていく。
程よい塩味と共に口内にあふれ出した肉汁は、油と混ざってさらにその旨味を増している。
そこに肉を漬けていた醤油とニンニクの風味が鼻を抜ければ、もうたまらない。
「うまい……っ! こんなにうまい鶏肉、初めて食べたよっ!」
熱さがどうした。
そのまま一個まるごと口に押し込んで、頬張るようにして堪能する。
すると口内を満たす鶏肉の良い香りが、また最高。
「……なあ店主、ありゃなんだい?」
感動するトーマスに圧倒されていたハリソンが、『それ』に気づいた。
見ればテーブル席の客が、ジョッキ入りの透き通った炭酸飲料を、うまそうに飲んでいる。
「『ここ』でいうところのエールだよ」
「あれがエールだって? 一杯もらえる?」
「じゃ、じゃあ俺も」
「はいよ」
達也はジョッキに注いだ『エール』を、二人の前に置く。
「これ、冷たいぞ」
「それに、炭酸の量が多い気がする」
そう言いながら、一緒にゴクリと飲み込んで――。
「「うまいッ!!」」
二人は思わず顔を見合わせた。
スッキリとした飲み口に、後を引かない鮮烈な苦み。
「昼間に飲んだのとは、完全に別物じゃねえか……っ!」
そのままゴクゴクとノドを鳴らし、並んで吐息を吐き出す。
軽快なノド越しは、見事に口の中をリセット。
二人はまるで導かれるかのように、目前の肉を同時に口に運ぶ。
「お、おいおいおいっ!」
「うますぎるよ、これっ!」
そしてその相性の良さに、あらためて驚きの声をあげる。
こうして二人は、あっという間に料理を食べ尽くしてしまったのだった。
「……なんだよ、その神妙な顔は」
なぜか浮かない表情をしているトーマスに、ハリソンが問いかける。
「帰りたくないんだよ。明日には、幻覚が解けてるかもしれないだろう」
「確かに」
労働者街には過ぎたおいしさと、手ごろな価格。
こんなに楽しい夕食は、これまで味わったことがなかった。
あらためて店内を見回して、急に怖くなってくる。
「大丈夫ですよ」
するとメイドのエマが、そう言って大きくうなずいてみせた。
さらに店主の達也も、軽い笑みを浮かべて見せる。
「また、いつでもどうぞ」
会計を済ませたトーマスとハリソンは、そんな二人に見送られる形で店を出た。
そして、満足そうにため息をこぼす。
「……いい店だな」
「そうだろ」
「ありがとよ、紹介してくれて」
「ああ!」
いつもと変わらない、ロンドールの夜。
おいしい料理で満腹になった二人は、アルコールも入ってすっかりご機嫌。
恥ずかしげもなく肩を組みながら、ガス灯の並ぶ帰路を進むのだった。
◆
今日も無事に、トーマスとハリソンは工場の仕事を終えた。
「ウナギ――」
「「要らない!」」
緊張の面持ちで屋台の前を通り過ぎた二人が向かうのは、キッチン・みけ。
たどり着いた街の一角から、そっとその店をのぞき見る。
「……どうだ?」
「……ある! あるぞ!」
「おお! やったなトーマス!」
「ちゃんと店がある、という事はっ!」
「幻覚……」
そこまで言って、互いを見合う。
「「――――まだ解けてないっ!」」
「幻覚ではなかった!」とは、さすがにまだ言い切れなかった二人。
歓喜の叫びと共に、ハイタッチを決めるのだった。
産業革命の国ブリティシアは、今日も世界を牽引する。
だが今まさに栄華の中にあるこの大国を動かしているのは、他の誰でもない。
日々を忙しく生きる、トーマスたちなのである。
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