18.遠き国の晩餐会
ブリティシアから約二万キロの航海を経てたどり着く、東方の大国インディオ。
豊かな文化と卓越した織物の技巧を持つこの国の大富豪は、マハラジャと呼ばれる。
そんな資産家が持つ宮殿のような邸宅で今夜、晩餐会が行われる。
濃紺の軍服をまとった海軍士官の若き青年アーロンは、ブリティシア豪商の隣に控える警護役としてこの場にやってきていた。
「晩餐会は初めてかな?」
「……はい」
「そう緊張しなくてもいい。堂々としていれば十分だ」
そう言って豪商の男が踏み出せば、広間の扉が開かれる。
「なっ……!?」
その瞬間、思わず息をのんだ。
大理石の床に反射する灯火、金糸で縫われた美しいカーテン、漂う甘い煙は香木のもの。
流れているのは、弦楽器や打楽器の優雅な演奏だ。
テーブルには銀の食器が整然と並び、見たこともない鮮やかな料理が盛られている。
そこでは燕尾服姿のブリティシア人と、ターバンを巻いたインディオ人が並んで談笑していた。
元々は労働者街の出身だったアーロンは、驚きに唖然とする。
「これはすごい……インディオの文化は圧倒的だ。ブリティシア人が夢中になるのもよく分かる」
普段は軍艦で塩漬け肉や硬いビスケットばかり食べていたアーロンは、香り豊かな料理や豪華な食卓に圧倒されてしまった。
その驚き様を見て、楽しそうに笑う豪商。
「料理は好きに食べてもらっていい。この場に慣れるためにもね」
「は、はい」
豪商はそう言って、宝石の散りばめられたターバンを巻いたインディオ貴族たちと談笑を始めた。
洋装と伝統衣装が同じテーブルに並ぶ光景に圧倒されながら、辺りを見回してみる。
テーブルには黄金色の米料理ビリヤニ、肉と野菜の煮込み料理コルマ、豆の香りが立ち昇るスープ料理ダール。
ブリティシア人向けにスパイスを控えめにした料理たちが、パンと共に用意されている。
「……うまそうだな」
香辛料の香りは、アーロンの鼻を刺激する。
下味がないことでお馴染みのブリティシアで食べていたものとは、まるで別世界の料理たち。
そんな中で特に目を引いたのは、ビリヤニ。
それはパエリアを魚介ではなく鶏肉で炊き、スパイスを効かせたものといったところだろう。
香辛料によって黄金色に染まった、粒の長い米。
その間から鶏肉が顔をのぞかせ、盛りの頂点にはフライドオニオンやカシューナッツ、香草が散らばっている。
かぐわしい香りはクローブやカルダモン、サフランといった多くの香辛料が醸し出すもの。
まさに、宝石箱のような料理だ。
右手を直接使って食べるインディオ貴族と、スプーンを使うブリティシアの経営者たち。
困惑のアーロンはなんと、右手で取ったビリヤニを左手のスプーンに乗せて一口。
「うまい……っ」
旨辛。
そんな初めての味覚に、思わず目を見開いた。
軽やかな黄金米の食感と、かすかな甘み。
肉は柔らかく煮込まれていて、米と一緒に噛むと骨付き肉ならではの旨みが、じんわりと染み出す。
続いてスパイスの風味がじわじわ広がり、チリの心地よい辛みとシナモンの温かみが交錯する。
カシューナッツのカリッとした歯ごたえは、良いアクセント。
一皿の中にスパイスの複雑さ、米の軽やかさ、肉の旨みが見事に調和している。
食べ進めるほどに変化する香りが、奥行きが、最後まで食べることを飽きさせない。
「ああ、なんて素晴らしい料理なんだ……!」
アーロンの手は、留まることなく進む。
「やはり音楽と舞踊は欠かせませんな。ちなみにブリティシアの舞踏会は、どのようなものなのですか?」
「私たちはワルツやカントリーダンスを楽しみます。それにしてもインディオの舞踊は色彩と物語性が豊かで、まさに芸術ですね」
一方豪商たちは豪華な料理を当然のように味わい、談笑を続けている。
「そうでしょう。舞踏には鮮やかな衣装が必要です。そこで我が領地の良質な綿花や織物を、もっと広めていただければと」
「港の整備が進めば、綿花やインディゴの輸出はさらに増えるでしょう。特にマンチェスティアの工場はインディオ綿に依存しています。安定供給は双方に利益をもたらしますよ。そこでいかがでしょう? 港の拡張にご投資頂けませんか?」
「その場合……港の管理権はどちらが?」
「我が国の海軍が護衛を担う以上、管理権はブリティシア側に委ねていただきたい」
「ですが港は我が領地の顔。管理権を譲るのなら、その見返りに関税の一部を藩に残していただきたいですな」
「なるほど……」
互いの文化を語りつつ、時に混ざる商売の駆け引き。
豪華と優雅。
その隙間に見られる緊張感こそが、インディオにおける晩餐会だ。しかし。
マハラジャが突然、交渉を止めた。
視線の先には、インディオ料理に夢中になっている一人の士官。
「すみません。彼は新入りなんです。どうやらこの素晴らしい料理の数々に、夢中になってしまったようだ」
「「「はははははっ!」」」
豪商がそう言うと笑いが起き、場の空気が一気に和む。
「…………ん?」
自分に視線が集まっていると気づき、困惑するアーロン。
「気に入ったかい?」
「は、はい……っ!」
マハラジャの急な問いに、ただブンブンとうなずく。
「それは良かった。今夜は存分に楽しんでいってくれ」
頬にご飯粒を付けた士官の姿を見て、マハラジャが楽しそうに笑う。
インディオの偉大な文化を前に、圧倒されてしまったアーロン。
しかし彼の存在で、今夜の晩餐会は和やかな空気のまま幕を閉じたのだった。
◆
「世話になったね」
「いいえ、こちらこそお世話になりました」
帆船の舳先が波を打ち、飛沫をあげる。
インディオからブリティシアへと帰国する、甲板の上。
豪商である中年紳士に声をかけられたのは、ブリティシア海軍士官であるアーロン。
洋上では外国船からの攻撃を受ける可能性もあるため、資産家は軍人と共に移動するのが常識となっている。
また上流階級はインディオでの生活においても、警護のために彼らを近くに置いていた。
アーロンは無事その任務を終え、久しぶりの帰国を果たすことになる。
「どうだったかな、インディオは」
「とにかく驚きの連続でした。特に晩餐会の雰囲気には圧倒されてしまいました」
見たことのない様式で作られた豪邸。
きらびやかに飾られた空間に流れる、音楽の演奏。
燕尾服にハット姿のブリティシア人と、金糸を使った豪華な民族衣装をまとったインディオ人が入り乱れる空間。
ブリティシア式の礼儀作法とインディオの豪奢さが混じり合うその場所は、圧倒的な雰囲気を生み出していた。
「そうだろうねぇ。インディオでの晩餐会は、少し変わったものになるから。何か気になったものはあったかい?」
「……カリと呼ばれる料理が、とても印象的でした」
「スパイスの効いたスープを、米にかけて食べる料理のことだね。気に入ったかい?」
「はい、すごく」
インディオ料理は、ブリティシアの上流階級の間でエキゾチックな贅沢品として高い人気があった。
カリと呼ばれる料理も、その一つだ。
「それなら朗報だ。あの味をブリティシアで再現しようとしている者がいてね。クリス&ブルックウェルという会社が、カレーパウダーと称してブレンドスパイスを販売しようと目論んでいるんだそうだ」
「そうなんですか……!」
「インディオではスパイスを毎回調合するが、あれは職人の技だ。ブリティシアでは難しい。そこで一部の香辛料だけを取り出して規格化し、味もブリティシア人用に調整して作り出すとのことだ。私もその話には非常に期待をしていてね」
そこまで言って、豪商は手を打った。
「そうだ、世話になったお礼に君を我が家に招待しよう。そこでカレーパウダーの試作品などを使った料理をご馳走させてもらいたい。どうかな?」
「もちろん、喜んで!」
「ならば帰国次第、準備しよう。楽しみにしていてくれ」
「はい……っ!」
インディオのスパイス料理は、こうして変貌を遂げていく。
やがてブリティシアで『カレー』と呼ばれるようになるその料理は、とろみを付けたスープを、別で提供されたライスと共に食べる形。
まろやかだが程よい辛みもあり、とにかく食べやすいのが特徴だ。
後に豪商に招かれる形で口にすることになった、ブリティシア版の新たなカレー。
それはアーロンにとって生涯忘れられないものとなり、同時に彼の『命』と、極東の『とある島国』の食にまで関わる一品となるのだった。
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