空からチワワが降ってきて、婚約者がビビって失脚した件 〜前世持ちの私は、小動物ひとつ守れない男と婚約破棄します〜
ある日、空からチワワが降ってきた。
……何を言っているかわからないと思うが、私、アリス・フォン・ベルンシュタイン(子爵令嬢・17歳)も、目の前の光景を疑っている。
場所は王城の庭園。今日は王太子主催のガーデンパーティーだ。
着飾った貴族たちが談笑する中、私は壁の花となり、グラスを傾けていた。
(あーあ、早く帰って寝たい)
私には前世の記憶がある。元日本人、享年28歳のOL。5歳の時に記憶を取り戻したけれど、「異世界チートで無双!」なんて野望は皆無。
平穏無事、目立たず騒がずがモットー。だから今日も、地味なドレスで気配を消していたのだ。
そんな私の隣には、眉間に皺を寄せた男がいる。
婚約者のギルバート伯爵令息だ。彼は王子の近衛騎士であり、典型的な「堅物」で「選民思想」の持ち主。
「アリス、背筋が曲がっているぞ。お前のような地味な女は、せめて姿勢くらい良くしていないと、婚約者として恥ずかしい。殿下の近衛騎士である僕の品位まで疑われる。」
「……申し訳ありません、ギルバート様」
内心で「うっせーバーカ」と毒づきつつ、淑女の微笑みを浮かべる。
この婚約は家の都合だ。彼が自滅しない限り、私はこのまま結婚し、地味な伯爵夫人として一生を終える……はずだった。
――ピカァァァッ!!
突如、上空が発光した。
ラピュ◯の雷ではない。もっとファンシーで、どこか間の抜けた光だ。
「な、なんだ!?」
「敵襲か!?」
騎士たちが剣を抜く。貴族たちが悲鳴を上げる。
光の中から、ゆっくりと「それ」は降りてきた。
少女……ではない。
クリーム色の毛並み。飛び出しそうなほど巨大な瞳。頭蓋骨の半分を占めるような額。
そして、小刻みに震える小さな体。
――チワワだ。どう見てもチワワだ。
チワワは、ふわりと会場の中央、噴水の縁に着地した。
重力を無視した着地。さすが異世界チワワ。
「……キャン!」
甲高い鳴き声が響く。
その瞬間、会場の空気が凍りついた。
「ひぃッ! 見ろ、あの目! ギョロリとして、我々の魂を狙っているぞ!」
「体が痙攣しているわ! あれは高密度の魔力を蓄積している震えよ!」
「未知の魔獣だ! キマイラの一種か!?」
違う。それは寒くて震えてるだけ。あとビビってるだけ。
私は心の中で総ツッコミを入れたが、異世界の人々にとって、チワワのデザインはあまりに前衛的すぎたらしい。
しかし、次の瞬間。奇妙な現象が起きた。
チワワが、プルプル震えながら、ウルウルの瞳で周囲を見回し、首をコテンと傾げたのだ。
「…………」
「…………」
騎士が、剣を構えたまま固まった。
令嬢が、悲鳴を飲み込んで口を半開きにした。
ギルバートさえも、眉間の皺を忘れて凝視している。
誰も動かない。動けない。
まるで、某消費者金融のCMに出てくるお父さんのように。脳裏に、かの有名なBGMが流れた。
「なんだこれは……?」という困惑と、「なんか目が離せない」という吸引力に、全員が釘付けになっていた。
(……わかる。わかるよ。チワワの「守ってあげなきゃ死ぬ」感は、初見殺しだもんね)
静寂の中、チワワがトコトコと歩き出した。
その歩調に合わせて、屈強な騎士たちの首が、右へ、左へと動く。シュールだ。
この奇妙な膠着状態を破ったのは、私の隣にいたKY男、ギルバートだった。
「ええい! 何を呆けている! たかが小動物一匹に!殿下をお守りしろぉぉぉッ!!」
彼は近衛騎士としての使命感(と功名心)に燃え上がり、白銀の長剣を抜き上段に構えていた。
その殺気に、チワワが「ヒャン!」と悲鳴を上げてすくみ上がる。
「ギルバート様、お待ちください!」
私は思わず声を上げた。
「あんなに小さくて震えています! 攻撃の意思はありません!」
「黙れアリス! お前のような無能にはわからんのだ! あの目は邪悪な魅了の力を宿している!振動で魔力を溜める魔王の使い魔に違いない!」
ギルバートは私を乱暴に突き飛ばした。
私は尻餅をつく。ドレスが汚れる。
「きゃっ!」
「フン、邪魔だ。そこで見ていろ。僕がこの邪悪な魔獣を討ち取り、王太子殿下に献上してやる!」
ギルバートは嗜虐的な笑みを浮かべ、震えるチワワに切っ先を向けた。
周囲の空気が変わる。
さっきまで「恐怖」していた人々が、ギルバートの剣を見て、「え、あんな可愛いの斬るの……?」というドン引きムードに変わったのだ。
でも、ギルバートは気づかない。
彼は栄光に目が眩み、チワワの頭上に剣を振り下ろした。
「死ねぇぇぇ! 魔獣!」
「やめてぇぇぇ! それはただの愛玩犬んんん!!」
私の心の叫びと同時だった。
キンッ!
乾いた金属音が響き、ギルバートの剣が弾き飛ばされた。
「……小さな命に剣を向けるとは、騎士道精神も地に落ちたものですね、ギルバート卿」
涼やかな声と共に現れたのは、銀髪の美青年。
公爵家の次男にして、王国の剣聖と名高いレオン様だった。
彼は弾き飛ばされたギルバートを一瞥もせず、震えるチワワの前にしゃがみ込んだ。
「怖かったね。もう大丈夫だよ」
レオン様が手を差し出すと、チワワはおずおずと指先を舐め、彼の腕の中に飛び込んだ。
尻尾がモーターのように高速回転している。
「レ、レオン様!? 何をなさいますか! そいつは魔獣ですぞ! 噛みつかれたら呪われます!」
ギルバートが顔を真っ赤にして叫ぶ。
レオン様は、腕の中のチワワを優しく撫でながら、冷ややかな視線をギルバートに向けた。
「魔獣? 私には、怯えて震えているだけの迷い子に見えますが。……それに」
レオン様は周囲を見渡した。
そこには、「あんなちっこい生き物に本気で斬りかかるとか、引くわー……」という目をした貴族たち。
そして、尻餅をついたまま放置されている私。
「自分の婚約者を突き飛ばし、無抵抗の小動物を虐げる。それが君の正義ですか?」
正論がクリティカルヒット。
そこに、王太子殿下が歩み寄ってきた。
「ギルバート。余興を楽しんでいた我々の空気を壊し、令嬢を傷つけ、さらに『あんなに可愛い生き物』を殺そうとするとは……その粗暴さ、目に余る」
「えっ、い、いや、可愛……っ!? 殿下まで何を!?」
王太子殿下もまた、レオン様の腕の中で「キュルン」と上目遣いをするチワワに陥落していた。
チワワの破壊力、恐るべし。
「アリス嬢」
レオン様が私に手を差し伸べてくれた。
「怪我はありませんか? 守れなくて申し訳ない」
「い、いいえ! ありがとう存じます」
彼の手を取り立ち上がると、腕の中のチワワが私を見て「ワンッ!」と明るく鳴いた。
レオン様がふわりと微笑む。
「この子が、君にお礼を言っていますよ。最初に庇ってくれたのは君だから」
ドクン。
チワワの可愛さと、レオン様のイケメンスマイルのダブルパンチ。
前世の記憶が告げている。これが「フラグ」というやつだと。
その後、ギルバートは「公衆の面前での狼藉」と「極度の動物虐待未遂(チワワへの殺意)」により、社交界から追放された。普段から婚約者(私)や下級貴族や平民の同僚への態度が酷いと有名で、何度も両親や上司が嗜めても改善されなかった、というのも理由。
婚約はもちろん白紙撤回。彼の実家からも勘当されたらしい。
チワワの可愛さを理解できなかった男の末路である。
そして、空から降ってきたチワワ――名前は「ポチ(仮)」――は、動物好きのレオン様が引き取ることになった。
のだが。
「……また来ちゃいました」
週末の我が家。レオン様がポチを連れて、私の子爵邸の庭に立っていた。
ポチは私の姿を見るなり、全力ダッシュで足元にじゃれついてくる。
「ポチが、どうしてもアリス嬢に会いたいと騒ぐもので」
レオン様が困ったように、でも嬉しそうに笑う。
「まあ! 嬉しいですわ。さあポチ、おやつですよ」
私が隠し持っていた犬用ボーロ(前世レシピ再現)を差し出すと、ポチは狂喜乱舞。
「……実は、私もポチと同意見なんです」
「え?」
「私も、アリス嬢に会いたくて」
レオン様が、ポチに負けないくらい真っ直ぐな瞳で私を見つめてくる。
平凡平和がモットーだった私の人生設計は、この小さな侵略者によって、大きく、そして甘く書き換えられようとしていた。
足元でポチが「キャン!」と鳴いた。
まるで「計画通り」と笑っているように見えたのは、きっと気のせいだろう。
元婚約者のその後も投稿しましたので、ご覧頂けると嬉しいです!




