5.執着
ヴィオラがいなくなった後の屋敷は騒然としていた。
ナルキにヴィオラとの結婚式について相談しに来たデルフィスに、ハイドラがヴィオラの死を告げると、いつもは爽やかな人当たりのよい笑顔を見せるデルフィスの顔が絶望で塗りつぶされた。
「…………は?」
「申し訳ありません。ですので、ヴィオラとの婚約はなかったことに……アタクシも夫も突然のことでまだ心の整理がついておりませんの」
「……ヴィオラが……死んだ?」
ハイドラはさも娘を亡くした母を演じていて、扇子で顔を隠している。
ただ、ハイドラの隣に座っているナルキには、ハイドラが隠す口元が笑いを必死で耐えているためにひくついていることに気づいていた。
ここぞとばかりにマデルがデルフィスの隣に座り、デルフィスの腕に絡みつく。
この時のために胸元のあいた服に、とびきり甘い香水を身体中につけておいた。
「あぁん、お可哀そうなデルフィス様、大丈夫ですよ。あんなぼろ雑巾みたいな妹なんていなくとも、マデルがデルフィスさまのお傍にいますからねぇん」
猫も逃げ出すほどの猫なで声で呼びかけるが、デルフィスの表情は崩れず、まるでマデルの存在など気にかけていない。
デルフィスの視線はこれまで言葉を発していないナルキに向いた。
「ナルキさん、正直に答えてください。本当に……本当にヴィオラは亡くなってしまったんですか?」
「あ、う……」
「答えてください」
口調は丁寧だが、低く静かな声で脅すように詰問する。
ナルキは狼狽えて、漏れ出る言葉には力も意味もない。
しかし、デルフィスは諦めなかった。
彼はヴィオラを嫁に迎えるために十年以上かけて準備をしてきたのだ。
それほどヴィオラに対しての執着は根深く、傍から見れば、婚約者の死をまだ信じられない一途な青年に見えるだろうが、その心の裏側に潜むどろどろとした感情を表にだしていないだけだ。
「お願いします…ナルキさん、彼女の遺体もないのでしょう? まだ、俺は彼女の死を信じることができません……」
「デルフィス君……君は本当にヴィオラのことを……」
「はい、愛しています。何よりも」
ハイドラが、ナルキが何かを口走ってしまわないかと焦り「デルフィス様! 夫は傷心で疲れているのですわ! 奥で休ませますから」と言ってナルキを下がらせようとしたが、ハイドラを侮蔑を込めた視線でデルフィスが一瞥すると、ハイドラは蛇に首を巻きつかれたような感覚がし「ひっ」と声を上げて大人しく座った。
「お願いします、ナルキさん!」
「…………すまない、だがもう、あの子に会うことは叶わないんだ……あの子は私の代わりに、怪物のもとへ……う、うぅ……」
「怪物?」
「パパ! なんでそのこと言うの!? デ、デルフィス様、パパは妹がいなくなっておかしくなっちゃったんです。だから、そんな話聞かないで……きゃっ」
デルフィスが立ち上がった拍子にマデルを突き飛ばした。
見下ろすデルフィスの目は今まで爽やかな笑顔しか見たことがないマデルからすると別人のようだった。
「……デ、デルフィスさま……?」
「君、ずっと思っていたけど、その服装も香水もずいぶんと下品だよ。君からはいつもドブの臭いがする」
「は……え?」
「君がヴィオラの義姉だというから何も言わなかったが、そうだね……やりすぎかな……君の顔を見るだけで吐き気がする」
「え……? だって、デルフィスさまはいつだって優しくて……え?」
今起こったことに頭が追いついていないのだろう、マデルは口をはくはくと動かしながら、手をわなわなと震わせている。
そんなマデルを無視して、デルフィスはナルキの傍に寄った。
「詳しく聞かせてください。ナルキさん、彼女に何が起こったのかを……」
「お、おおぉ……デルフィス君……君だけが頼りだ。娘を、ヴィオラを助けておくれ」
話の邪魔になるのでハイドラとマデルを部屋に残し、ナルキと二人きりで話を聞いた。
にわかには信じがたいが、ナルキの様子と性格を考えるとこのような嘘をつくとは思えないし、ハイドラもマデルも信じているようなそぶりだった。
あのナルキの話を聞いても嘘だとバカにしそうな二人が信じているということは、何か証拠を見せられたのだろう。
「すみません、ヴィオラの部屋を見せてはいただけませんか? 婚前の女性の部屋に行くというのは、あまりにも礼儀知らずなのは重々承知なのですが…緊急事態なので」
「あ、あぁ、それで、ヴィオラが助かるなら」
もう少し、ヴィオラが怪物のもとへ行ったという、自分の中で確信できる何かが欲しかった。
何の疑いもなくナルキはヴィオラの部屋にデルフィスを一人きりにしてくれた。
この部屋に入るのは、幼い時以来だ。
デルフィスとヴィオラの出会い初めの頃は、本当に普通の子供同士の関係だった。
ただ、彼女の母の葬式で見た涙にぬれた瞳を見てからは、ヴィオラに対する醜い欲望が止められなくなってしまった。
深く息を吸い、ヴィオラの部屋の空気で肺の中をいっぱいにする。
(あぁ、俺のヴィオラ、ここは君の香りでいっぱいだ……君はずっと魅惑的な香りがするね。俺を誘うイケナイ香りだぁ………)
ヴィオラが毎晩眠るベッドに顔をうずめて、さらに何度も息を吸っては吐くを繰り返す。
(ヴィオラ、ヴィオラ、ヴィオラ、ヴィオラ! 俺の愛しいヴィオラ!!)
興奮が収まるまで何度もベッドの匂いを吸ってから、ゆっくりと部屋全体を見渡す。
大人の女性が過ごすにはずいぶん小さな部屋で、子供の時から家具も変わらないままだ。
出て行ったことを差し引いても、物が明らかに少ない。
(ちっ、あの父親、あの豚どもには餌をやるくせにヴィオラにこんな扱いを……可哀そうなヴィオラあの豚どもに富を貪り食われされて……それでも、あいつらを見捨てなかったのか……きっと優しい君ならそうすると思っていたよ……健気だなぁ……あぁ、可愛い……)
ヴィオラの生活がどんどん落ちぶれていっていることには、もちろん知っていた。
何故なら、ヴィオラの家の衰退の始まりは、デルフィスの家が貴族としての権力を使って裏で糸を引いていたところからだった。
それも全てヴィオラを確実に手に入れるためだった。
ヴィオラの家は、昔は町一番の商家として潤っていた。
しかし、問題なのは金があると選択肢が増えてしまうということだ。
金のある家で育ちのよく、しかもとびきり美しい娘となれば、町の外の良い家柄からの縁談がウジ虫のようにわいてきてしまう。
それを危惧したデルフィスは思いついてしまった。
ヴィオラの家を落ちぶれさせれば、その可能性を手っ取り早く潰せることを。
貴族のコネクションを使えば、商談をいくつか潰させることは簡単だった。
問題は塩梅だ、落ちぶれさせても、生活に本当に困るほどでは優しいヴィオラは口減らしのために教会に修道女として入ってしまうかもしれない。
そうすると、なかなか手がだせないし、遠くの教会に行ってしまわれては取り返しがつかない。
程よく貧困に陥り、そこに高額の結納金をちらつかせれば、父親からの承諾は簡単なものと計画していた。
もちろん貴族の権力で脅せば手に入るだろうが、この方法の方が表向きには貧乏な彼女の家を助ける構造ができあがり、周囲から見ればなんの問題なく、反発をされることもない。
(すべては、計画通りに進んでいたのに……あの豚どもめ……)
憎悪が暗い瞳の中で渦巻く。
計画外だったのがナルキの再婚で、性格の終わっている女二人をヴィオラと同じ屋敷に住まわせたことだった。
ある日、ヴィオラの歩き方がおかしかったので、裏路地に引き込んでスカートをまくり上げて足をみたら、ひどい火傷の痕が太ももの付け根にできていた。
その傷痕を見た瞬間、全身の体温が一気に下がり、血の気が引くとはこのことかと実感した。
ヴィオラの身体に傷をつけてよいのも、泣かせてよいのも、世界でただ一人、自分だけかと思ったのに、それをどこからか現れた豚が行っていると思うと殺意が芽生えた。
自分とヴィオラの神聖な儀式を汚されたような気分だ。
その後、せめて上書きしようとその火傷部分にキスをしたら、ヴィオラに顔面を蹴られて逃げられた。
(あいつらさえ来なければ、ヴィオラももっと穏やかな気持ちで俺を受け入れてくれただろうに……)
「さて、いつも外に出るときに使っている鞄はなく、一番大切にしていた……髪飾りも、鍵付きの引き出しがあいていて、ない……こっちは、鍵がかかったままか」
さも、当り前のように針金をとりだして、鍵穴に差し込み、カチャカチャと動かすとすんなりと引き出しが開いた。
「手帳……?」
毎日ではないが、日々の出来事を小さなきれいな字で書かれている。
日記かと思っていたが、書き出しはすべて『お母さまへ』と始まっていて、日記というよりは亡くなって、もう会うことのできない母への手紙ように思える。
「ゆっくりと読みたいが、それは家に帰ってからにしよう……最新の日付は……」
今日の日付だった。
屋敷を出て行く前の心情が書かれていた。
父の代わりになれたことにほっとしたということと、母との思い出がたくさんある屋敷を出なければいけないことへの寂しさがつづられている。
「あぁ、ヴィオラ……君は本当に自分の父の身代わりとして、怪物のもとに行ってしまったのだね。可哀そうに……」
ヴィオラへの憐れみと運命を引き裂かれてしまった恋人同士に自分たちはなってしまったのだ、と思うと、涙が自然と流れてくる。
「必ず、俺が助けてあげるからね……そうしたら、一緒に二人で暮らそう。もうどこにも行けないように足の健を切ってしまおうね。大丈夫、俺が一生面倒をみるから……それに、俺たちには子供だってできるだろうから、寂しくないよ……子供はたくさん欲しいね、6人は欲しい。きっと俺とヴィオラに似て、可愛い子供が産まれるはずさ……」
酷く粘着質な欲望がデルフィスからあふれ出る。
その欲望は遠くにいるヴィオラを探しだそうと蛇のようにうねるようだった
湿度高めのデルフィス君を書くの楽しすぎます。
ん~100点(*´ω`)




