23.邪悪な者
デルフィスが王都から馬で駆けて町へ戻る。
考えることはずっと一つだ。
(ヴィオラ、君は今どこで何をしている? ずっと君のことが頭から離れないよ。はやく君を見つけ出して、頭の先からつま先まで君を愛してあげたい)
ヴィオラへの欲望は日に日に募るばかり。
幼いころよりずっと夢見ていたのに、もうすぐ手に入るところをかすめ取られた気分だ。
「……これは?」
帰る途中に、まさか待ち望んでいた深い霧が現れた。突然の好機に胸が躍る。
「フ、フフフ、女神は俺に味方したな」
腰に携えている剣の鞘をしっかりと握り、馬に霧の中へと進むように足で合図をした。
進めば進むほど、前方の景色が全く分からなくなり、まるで霧の海の中を泳いでいるようだ。
しかし、これだけはわかる。
足元の土の様子が変わり、明らかに元の道とは異なる道を進んでいる。
しばらく進むと、ヴィオラの父の話や報告書にあった石畳の門が目の前に現れた。
(あった!……ここにヴィオラがいる!)
はやる気持ちを抑え、冷静にあたりを見渡す。
城の門だというのに人の気配はなく、とても静かだ。
馬を門に近づけるとゆっくりと門が開いた。
(ハッ、城の怪物が俺を誘っているのか? いいだろう、俺とヴィオラの邪魔をするというのなら、相手になってやる)
デルフィスは臆することなく、馬を進める。
広がる庭園には、美しく手入れされた草木が並ぶが、デルフィスの目には入らない。
庭園に入ると塀の門は閉じられて、出られなくなってしまった。
腰の剣を引き抜き、殺気立つ。
人の気配がなく、静かすぎるこの空気が不気味に感じる。
「お客様?」
声がしたのは後ろからだった。
まったく気配がしなかったというのに、突然存在を感じて、馬をぐるりと旋回させる。
霧の中に紛れて、真っ黒な人影が見える。
「貴様がここの城の怪物か? いや、小さすぎるな」
「怪物……殿下のことをご存じなのですね」
ぼんやりしていた姿が近づいてきて、ハッキリ見える。
頭がカラスそのものなのだが、頭から下は人間という奇妙な姿の化け物が立っている。
「殿下? ハッ、化け物が集まって国でも興したのか? 人間の真似事か?」
「なるほど、あなたはお客様ではありませんね。わかりました」
「お客様か…ふん、本当に化け物が客をもてなすなんてやっていたのか? なら、俺をヴィオラのもとへ連れていけ」
微動だにせず立ち、表情がわからない目の前の烏人間が、ヴィオラの名前を聞いた時だけ少し首をかしげた。
「いるんだな? 俺のヴィオラが、ここに!」
「今なら怪我をすることなく、お帰りいただけます」
「化け物が……お前の首を刈り取った後、お前たちの王とやらも殺して、この城の装飾品としてその首を飾ってやろう!」
「あなたのような邪悪な人は初めてです。今、ここで命を摘み取らせていただきます」
デルフィスが馬の腹を強く蹴り、馬が荒ぶり走る勢いのまま烏人間の首を狙って大きく剣を振る。
しかし、烏人間は背中から翼が生え、勢い良く羽ばたいて空に飛び、デルフィスの剣先から逃れた。
そして、烏人間が懐に隠し持っていた針のように鋭い投げナイフが空気を裂いて馬の尻に鋭く刺さり、驚いた馬が大きくのけぞるとデルフィスはバランスを崩し、落馬してしまった。
デルフィスが屈辱に顔を歪ませつつも立ち上がろうとするが、すぐに烏人間が剣の刃を首につける。
「ハッ、殺すのか? こんな化け物の城に閉じ込められて、なんてヴィオラは可哀そうなんだ! 俺が助けてやらねばいけないというのにっ……」
「最後に聞きます。あなたはヴィオラ様の何でしょう? とてもお友達とは思えません」
「俺はヴィオラの婚約者だ! 俺のヴィオラを返せ! ヴィオラを解放しろ!」
「……なるほど、あなたがヴィオラ様のおっしゃっていた……最初にあなたを見つけたのがおれでよかった。ヴィオラ様に見られる前にあなたを処分できるのだから」
烏人間の虚無を映す真っ黒な瞳から、動揺もこれから命を奪うということに対する迷いもない。
万事休すか、とデルフィスの額から冷や汗が伝う。
しかし、その時暴風がどこからともなく吹きすさび、烏人間を庭園の草場まで押しやってしまった。
烏人間は気絶したのかがっくりと頭が垂れた。
デルフィスが一体何が起こったのかと放心していると、地面に黒い影が動くのが見えた。
その影は町の裏路地で見るような大きく黒いドブネズミだった。ドブネズミは長い歯をかちかちと鳴らし、不気味に笑っている。
「ひっひっひ、魔法も使えぬのに、たかだか剣で挑むとは無謀なお方」
「このドブネズミ、話して……いや、こんなことにいちいち驚いてられないな。俺を助けたのはお前か?」
「ひひっ、さようにございます。ワタクシの力をお貸ししましょう。お助けしたいのでしょう? あなたの大切なお方を……」




