2.魔法の城
ヴィオラの父ナルキが王都での商談を終えた帰り道。
残念なことに商談は失敗に終わり、がっくりと肩を落としてうなだれながら馬に身体を任せていた。
「まさかこんなことが……私の方が先に話を持ち掛けていたというのに、あんなふうに反故にするとは……いよいよ、ヴィオラに嫁いでもらうしか……結納金は破格の額だ。それで現状は持ち直せる。はぁ、なんと情けない父親だろう……」
商談はうまくいかなかったが、何日か自分の食事を我慢して、義理の娘マデルへの土産と妻ハイドラへの土産は用意したのだが、まだヴィオラの分を用意していないことを思い出した。
「あの子はつつましやかでよかった、花を持って帰ろう。せめて美しい花を……おや?」
森の整備された一本道を馬に乗ってきていたはずなのに、いつの間にか霧が立ち込めて、周囲が見えなくなってしまった。
「先ほどまでは晴れていたはずなのに、いったい……?」
まっすぐ馬をすすめると、目の前に黒一色で外部からの侵入を許さんとする石畳の塀と重厚な門が現れた。
そして、さらに先に見えるのは、おどろおどろしい魔王が住んでいるのかと思わせる恐ろしくも壮大な城がそびえたつ。
「王都の城よりも大きい。こんな城が何故こんなところに?」
ぎぃぃぃ……
どうしてか、ナルキを迎えるように門がきしむ音とともにひとりでに開いた。
恐怖が心を侵食しているが、後ろを振り向くと牛乳のように真っ白な空間が広がっていて帰り道もわからず、さらには日が落ちてきたのか辺りが暗くなってきた。
「戻っても道に迷って、夜が来てしまう。ここは、明るくなるまで休ませていただこう」
馬から降りて、手綱を引いて城の敷地内に入る。
すると、今までおとなしかった馬が暴れだし、ついにはその手綱が手から離れ、馬は門の外へ、さらに霧の濃い森の奥へと姿を消してしまった。
そして、またひとりでに塀の門は閉じられてしまった。
「馬がっ……あぁ、どうしたら……」
とうとう帰る足もなくしてしまって、どうしようもなくなり、諦めて一人で城に向かうことにした。
途中、中庭の景色を眺めると、様々な草花が目に留まる。
しかし、その色は呪われたように花弁から枝から葉の先まですべて黒一色だった。
得体の知れないこの空間に動機が激しくなる。
しかし、このままでいるわけにはいかず、意を決してナルキは城の扉をたたいた。
「もし! すみません! この濃い霧のせいで帰り道を見失い、日が落ちてきたのに、馬にまで逃げられてしまいました! せめて、明るくなるまでの間、滞在を許してはくださらないでしょうか?」
重苦しい扉はナルキを受け入れているのか、またひとりでにゆっくりと開いた。
城の中に恐る恐る踏み入る。
城の中の空気はひんやりとしていて、やはりここにも人の気配が感じられない。
「あの……だれか……」
声が異様なほど響く。
どうしてよいかわからず、ふらふらと玄関ホールを歩いていると玄関の扉もばたんと閉じられた。
(幽霊の住まう城に私は迷い込んでしまったのだろうか……家族のもとに本当に帰れるのか?)
どこかで複数のささやく声がする。
「侵入者か?」
「いいえ、お客様ですわ。おもてなしすべきですわ」
「こやつが悪しき者ならばどうする?」
「そのときはそのとき、そもそもこのお城で人一人が何もできないですわ」
「けどよ~、殿下になんて説明すんだよ?」
「客人の訪問だ。もう同じ轍は踏まないようにするだけと説明するしかあるまい」
「そうですわね」
明かりのなかった玄関のシャンデリアに温かな明かりがともった。
「これは、私は夢でも見ているのか? おぉ?!」
足元に何かがカタカタと音をたてて動き回るものがある。
その正体はランタンなのだがそのランタンを持っているのは人ではない。
毛むくじゃらの犬のような生き物が小さなランタンをしっぽの先に巻き付けて持っている。
しかし、そのランタン犬の顔は毛むくじゃらすぎてあるかないのかわからない。
かろうじで、これが頭でこれが脚とわかるくらいだ。
「ほ、ほう変わった犬だね」
「ぷふっ、ふぉん!」
「変わった鳴き声だ……」
ランタン犬は人懐こく、その毛むくじゃらをなでてやると、嬉しそうにはっはっ、と息を荒くした。
ランタン犬はなでられたことに満足するとナルキを導くように玄関ホールの先の廊下を歩いた。
「はは…ついて来いというのかい? わかったよ」
ランタン犬に連れられ、廊下を歩いていく。
そして、部屋の前で止まったのでその部屋を開けると、火のついた温かな暖炉とソファには厚みのある温かそうな毛布。今作ったばかりだと思われる、食事が整えられていた。
「こ、これは?」
どこからともなく澄んだ女性の声が聞こえくる。
「ようこそ、お客様。夜が明けるまで、私たちでできる精一杯のおもてなしをさせていただきますわ」
「あ、あなたは……?」
「ここの使用人です。貴方様のお世話をさせていただきますわ」
「そ、そうですか……あの、ここのご主人様にご挨拶をさせていただけませんか? 休ませていただくというのに、ご挨拶もしないなど、そのような無礼は働けません」
「殿下は……その……」
使用人は口ごもると、他のささやき声も聞こえてきた。
「なんて言ったらいいかしら……? 短気? 暴れん坊?」
「馬鹿者! そのようなことを言ったら、お前の花をむしられるぞ!」
「んんっ……失礼しました、お客様。殿下は……そう、人とお会いになるのがお好きではないので、ご挨拶は不要ですわ」
「そ、そうですか……」
「この部屋にあるものを自由に使っていただいて構いません……ただし!」
声が突然強みを増す。
「殿下のものを無断で決して持ち帰ってはいけません。あの方はご自身のものを奪われるのが何よりもお嫌いなのです」
「あ……は、はい」
「それでは、ごゆっくり……」
声が遠のいていき、ばちばちと暖炉の火で薪が焼ける音のみが部屋に伝わる。
温かな食事に口をつけてみると、初めて食べる味だったがどれも舌がうなるものばかりだ。
お腹が膨れ、気が抜けて、座り心地のよさそうなソファに心身ともに疲れた身体を沈める。
傍らにはランタン犬がすり寄ってきたので、頭をなでてやった。
「はぁ……幽霊の住まう城ではなく、魔法の城に来てしまったようだ。私には妻と娘が二人いるんだが、こんな荒唐無稽な話をしても妻やマデルは信じないだろうなぁ……あぁ、でもヴィオラはこういった話が好きだった。前妻が生きていたころは、あの子によく本の読み聞かせをせがまれたものだよ。いつからだろう、せがまれなくなってしまったのは………そういえば、あの子はもっと笑う子だった……ような…………」
瞼が重たくなり、ナルキは深く眠りについた。
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まだ町全体が起きていない朝早い時間に、蹄が地面を蹴る音が町に響く。
ナルキを置いてけぼりにした馬がヴィオラの屋敷の馬小屋に戻ってきたのだ。
それにいち早く気が付いたのは、屋敷で朝一番早く起床し、家の雑事を始めていたヴィオラだった。
父を乗せていたはず馬が何故か馬小屋の前で入れてくれと言わんばかりに蹄で地面を蹴っていて驚いた。
「ゼア? どうしたの? もしかして、お父さまが戻られたの? でも鞍がそのまま……」
馬のゼアはぶるぶると鼻を鳴らして、ヴィオラに頭を摺り寄せた。
ヴィオラに不安がよぎった。
ヴィオラたちが寝ている時間に父が戻ることは度々あった。
しかし、このように馬を放置することは今まで一度もなかった。
「ゼア……もしかして、お父さまに何かあったの……? あったのね!?」
馬のゼアに詰め寄っても、返ってくるのはいななきだけだった。
力なくその場にへたり込む。
父に何かがあったのは間違いない。
想像してしまうのは最悪の事態だ。
「お父さまも……お父さまもわたしの前からいなくなってしまうのですか? 独りぼっちは……いや、です……」
涙がぽろぽろと流れてしまう。
慰めるようにゼアが顔を近づけて、涙に顔をこすりつけて、拭った。
「ごめん……勝手に悪いように想像しちゃ駄目よね。ゼアはいい子で賢い。何かがあって、それで助けを呼ぶために一人で帰ってきたのかも……もしかしたら、事故で……動けなくなっているかも……わたしがお父さまを見つけなきゃ……」
疲れているゼアを休ませるために水とえさとして用意して、自分は父を探すための支度を始めた。
すべての支度を終え、ゼアを馬小屋から出して、屋敷からでた。
「ごめんねゼア、あなただけが頼りなの……お願い、お父さまのところにわたしを連れて行って」
ゼアはヴィオラの願いを聞き入れたのか、ヴィオラを乗せ、力強く地面を蹴った。
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ソファに座り深く眠っていたが、がくっと姿勢を崩したところで、ナルキの目が覚めた。
目が覚めてもあの魔法の城の部屋にいて、やはり夢なのではなかったのだとハッキリとわかる。
「夢などではなかったのだな……うぅ、すっかり眠ってしまった。早く帰らないと、みな心配するだろうな」
どこにいるかわからない使用人にありがとうございました、と声をかけて城を後にした。
「よかった、霧はあるがかなり明るくなっている。あれ、おまえどうしたんだい?」
部屋でずっとすり寄ってきていたランタン犬が外までついてきていた。
「おぉ、よしよし、もしかして、道案内をしてくれるのかい?」
ランタン犬はふぉん!と犬なのかわからない鳴き声で答えた。
ナルキはランタン犬を先導に帰路につく。城の門をでて、城を振り返る。
(不思議な体験だったが、なんてことはない、親切な方たちだった)
「おや?」
石畳の塀の足元に気づくか気づかないかくらいの本当に小さなスミレが咲いていた。
(これならば、ヴィオラのお土産にちょうどいいだろうか)
しかし、それは誤った選択だった。
使用人は言っていた「殿下のものを無断で決して持ち帰ってはいけません」と。
それがまさか、こんな城の塀の外側に咲く小さな花までが「殿下のもの」と認識されるとまで考えが及ばなかったのだ。
小さなスミレを摘んで、懐のハンカチで丁寧に包んだ時、突然空が曇り、雷が鳴り始めた。
辺りが一瞬で暗くなり、体中の皮膚が裏返るような恐怖が支配する。
狂暴な風がナルキの周りを囲い、目も開けられないほどだった。
しかし、やっと風が収まったかと思い目を開くが、目など開かない方が良かったとすぐに後悔した。
熊よりもひとまわり大きな体躯の四つ足の怪物がナルキの目の前で獲物を狙う獅子のように弧を描く。
ただ、獅子などかわいく思えるほど、凶暴さが形を成したような牙と爪、そして、悪魔のようなうねる角が怪物の頭から生えている。
ナルキは恐怖で腰を抜かし、その場にへたり込んだ。
「グルルルル……お前、僕のモノを盗ったな?」
怪物にしか見えないその生き物は泥が流れるような淀んだ声で、人の言葉を話した。
「と、盗るだなんて滅相もない! 私はなにも……」
「では、そのハンカチに包んだ花はなんだ!? この国にあるものは砂粒ひとつでさえ、全てがこの僕のモノだ!!」
「ひっひぃ……も、申し訳ございません…貴方様のものを盗むつもりではありませんでした。ただ、娘の土産にと思ったのです…」
「ふん、娘への土産か………まぁ、此度の無礼は許してやろう」
「ほ、本当でございますか……!」
「ただし、お前の娘を僕に差し出せ。二人いると言っていたそうだな、どちらでもいい」
「そっ、それは、あんまりにございます!」
「ならば今すぐお前を牢に入れてやろうか?! 暗く冷たい牢屋で残りの一生を過ごすことになるのだ!! わかったら行け! 娘をここによこさなければ貴様がどこにいようと捕らえて、一生牢屋に入れてやろう!!」
怪物の恐ろしい咆哮にあおられ逃げ出し、霧の中を必死に走る。
ふと、辺りが静かになり、いつのまにか見慣れた王都から町に続く大通りの真ん中にぽつりといることに気が付いた。
町の方から蹄が地面を蹴る音が近づいてくる。
「お父さま? お父さま!!」
「ヴィ……ヴィオラ……」
「お父さま、あぁ、心配しました。いったい何があったというのです?」
「お、おぉ……ヴィオラ、私はどうしたら……」
十数日ぶりにあったはずの父はずっと年を取ってしまったかのように見えた。
身体は震えているし、涙を流していて、ただ事ではないことがすぐにわかった。
「可哀そうなお父さま……さぁ、家に帰りましょう。つかまってください」
ヴィオラは父を支えて馬に乗せて、屋敷へと連れ帰った。




