17.心に日が差す時
庭園には様々な植物が植えられていて、ヴィオラは時々知っている植物を見つけるとその植物にまつわる話をした。
王子はヴィオラの話にじっと耳を傾けたり、時折質問したりして、意外とこの時間を楽しんでいるようだった。
ヴィオラと王子は、今は甘い香りのする花が咲く木の根元で座って休んでいた。
王子は犬がおすわりするように腰を下ろしていて、よほど草笛が気に入ったのか、草笛のまるまりがほどけてひしゃげた葉っぱになった今でも大事そうに握っている。
(殿下はこうやって大事なものを増やしていっているのかな)と、ヴィオラはふと思った。
ヴィオラは王子の隣にちょこんと膝を立てて座る。
そして、王子にばれないように、王子の背中のごわついた毛を手櫛でほぐして、みつあみを作っていくといういたずらの真っ最中だ。
「……殿下はどうして、結婚しようと思ったのですか?」
「はっ……どうしてって、結婚が一番手っ取り早いだろうが」
「愛を見つけて愛を返すのに、ですか?」
「皆、結婚するのは愛があるからなのだろう? つまり、結婚するということは愛がそこにあるということだ!…………まぁ、どうしてか……呪いが解けなかったが……」
王子の勢いが急に止まってしまった。
いじけているのか足元の草をいじっている。
みつあみが一つ完成した。
二つ目の制作にかかる。
「殿下のお父さまとお母さまは仲がよろしいのですね」
「な、何故わかった?」
「だって、殿下がそう思えるってことは、一番身近な『結婚』が良いものだったのかな、と思いまして」
「……そうだ、父上も母上も仲が良い、時々胸焼けするほどだ」
「なら、わたしたちのしたあの『結婚』は殿下のお父さまとお母さまとの『結婚』とは違ったのですよ。世の中には、愛のない結婚もあるのです……」
「何が違うのだ……」
「そうですね……過程が違うのではないでしょうか、お父さまとお母さまが出会って、たくさんお話をして、それから、ずっと……一緒にいたいと思うようになるまでの過程があったのですよ」
王子は、ヴィオラの言葉にむすっとしながら、じっと黙り込んで考えている。
その間にヴィオラは二つ目のみつあみを完成させた。
そして、三つ目の制作にとりかかったときに、王子がゆっくりと口を開く。
「父上と母上がよく思い出話に時折花を咲かせている時がある。とても、大切なことのように……そうか……」
王子は納得に値する答えが出たのか、うん、と深く頷いた。
そして、あっと声を漏らしてヴィオラを見る。
ヴィオラはいたずらがばれたのかと、とっさにみつあみを手で隠した。
「お前、さも自分がしたかのような口ぶりだが、今まで、その、過程を過ごしてきたことがあるのか?」
「えぇ!? まさか、わたしなんかが、ありえませんよ………母からの受け売りです。すみません、大人ぶっちゃいました」
「お前の母と父も過程のある結婚をしたのか?」
「…………そう、ですね」
ヴィオラは王子から視線をゆっくりとそらし、じっと何もないところを見つめて、表情がなくなっていく。王子は自分も視線の居場所がなくなって、再び前を向いた。
「母は父と出会って、恋に落ちて、とても幸せな結婚をしたとよく、言っていました」
「ふーん」
「でも、父にとっては、そうだったかはわかりません」
「何故だ?」
ヴィオラの手はまた王子の毛をつかみ、みつあみを作る作業を再開する。
何かをして少しでも気をそらさないと、何かが崩れてしまいそうだった。
「母は……わたしが幼いとき病でなくなりまして、そのあと1年とたたずに父は再婚をしました。その時も、いいえ、今でもどうして父があの人と再婚したのか、わたしには理解できません」
ヴィオラの声色が重たくなって、坂を転がり落ちるように早口になっていく。
彼女の声色の変わりように、王子が驚いて振り返ると、彼女の顔は今までにないくらいに暗く、今にも泣きだしてしまいそうだった。
「おい、今泣くなよ、今泣いたら僕が泣かしたみたいじゃないか!」
「泣きません……泣きませんよ。ただ、時々考えるんです。どうして、父はあの人と再婚してしまったんだろうって、母のことを忘れてしまったのかな、って……」
ヴィオラはぐっと唇をかみしめる。
悲しい気持ちもあれば、怒りのような苛立ちのような、ぐちゃぐちゃに色を混ぜて最終的には黒くなっていってしまうこの感情はなんなのだろうといつも思う。
王子が困ったように顔をそらして、またじっと考え始めた。
「……僕は竜族で、竜族というのは一度決めた番を変えることはないという。父と母をみるとどちらかが別の人と……というのは考えられないし、他の竜族もそうだし、きっとそれが竜族の本能なのだろう。だが、時々、片割れを失った竜族が狂ってしまう時がある。それはもう見ていられないほどだ」
「……」
「だが、次の相手をみつけたとして…お前の言う過程はなかったことにはならない…と思う……結局どちらも……幸せもあり苦しみもあるのかもしれない。次の番を見つけられないのも、次の番を見つけられてしまうことも……」
「…………」
王子は言葉を詰まらせながらも、しっかりと言葉をつづけた。
ヴィオラは、王子の言葉を聞いてもしばらく言葉が出せないでいた。
王子の言葉はヴィオラにとって、頭をぶたれたような衝撃だった。
やっとの思いで出た言葉は、少し震えていた。
「父も……苦しんでいたのでしょうか? 母との思い出の分だけ……」
「僕にはわからん」
「そう、ですよね。娘のわたしにもわかりません……でも、驚きました。殿下のおっしゃったこと、考えたことなかったです…………きっと殿下の方が愛についてわたしよりもずっと長い間考えてきたからこそでた言葉なのでしょうね……」
ヴィオラは立ち上がって、王子の前に立つ、先ほどよりは少しだけ身体が軽そうで、表情も明るかった。
「殿下、ありがとうございます。なんだか、わたしの方がいろいろと殿下から教えていただきましたね」
「ふ、ふん! お前のような者が僕にあれこれと教えようとするのがおこがましいのだ!」
「では、最後にこれだけ伝えさせてください…………殿下の毛、少しだけ可愛くしておきました!」
「は?」
王子が、ヴィオラが座っていた側の自分の毛をよく見ると、ところどころみつあみにしてある。
「おっ、おまえ! 無礼にもほどがあるぞ!」
王子が再びヴィオラの方に振り向いた時には、ヴィオラはすっかり遠くまで走っていってしまっていた。
「こらっまてっ!」
ヴィオラが遠くに走っていくのを王子が追いかけていく。王子の声には怒気ではない、別の感情がまじっている。
分厚かった雲に切れ間ができて、日差しが注ぎ込み始めていた。
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雨粒が激しく窓を叩いている。
まるで何かを急き立てるように、または責め立てるように。
暗く明かりもない部屋で初老の男がソファに深く腰掛けて、懺悔するかのように固く手を結んでいる。
「ヴィオラ……あぁ、ヴィオラすまない」
ヴィオラの父、ナルキはうわごとのようにつぶやいていた。
今日も屋敷のどこかの部屋から女が下品に笑う声と、複数の男が笑う声が響く。
ヴィオラがいなくなり、ナルキの商売に先行きが全く見えなくなってからというもの、妻のハイドラは狂った部分をナルキに隠すことはなくなった。
毎日屋敷に男を呼び寄せ、酒の匂いが満ちる空間で乱交に耽る。
ヴィオラがいたころは保っていた屋敷の清潔さはもはや存在せず、我がもの顔で出入りする獣たちに汚されている。
ハイドラの散財はやむことはなく、前妻が生きていたころにこつこつとためていた貯金とヴィオラが町の花屋で働いて稼いだわずかな金も底をつき、屋敷の物は少しずつ借金のカタとして差し押さえられていく。
そんな状況であるにも関わらず、ナルキはハイドラに文句の一つも言えず、ただ自分の部屋に閉じこもり、ただじっとヴィオラを怪物に差し出してしまったことへの罪の意識にさいなやまされている。
「リリィ……わたしはいったいどこで間違えたのだろうか? 幼いあの子には母親が必要だと思った。けれど、あの女は一度もヴィオラのことを娘だとは思ったことがないという。血のつながりのないマデルにはそれが引け目にならないように目をかけるようにした。けれど、それはあの娘のわがままを増長させるだけだった………」
「そして、あの子は……ヴィオラは私の身代わりになってあの怪物に……お、おぉ……もう私には何も残っていない……リリィ、君と過ごした時はとても、幸せだった……けれど、今は……」
何度も同じ考えが頭の中で出口もなくぐるぐると回る。




