第6章 分岐
火災から三日が経った。
帝都の空気は、静けさと騒音が同居していた。
駅前の大型スクリーンには、絶えずニュースが流れている。
《実習生の火災死亡 安全対策に課題》
《SNSで“制度の闇”拡散中》
画面の下では、人々が立ち止まり、スマートフォンを掲げていた。
守谷は車の後部座席から、その光景を見ていた。
窓を隔てた外の世界は、まるで別の国のようだ。
人々の表情は熱を帯びているが、その熱がどこに向かっているのか誰も知らない。
「先生、党本部から連絡です」
運転席の前で、白鳥が短く告げた。
「今朝、鷹取議員の記者会見がありました。
“現場に寄り添う改革”を掲げたとのことです」
「……あいつが」
「“亡くなった実習生の悲劇を無駄にしないために”
という言葉も使っていました」
守谷は目を閉じた。
“悲劇を無駄にしない”。
それは、便利で安全な言葉だった。
誰も責任を負わず、誰も血を流さないまま、他人の死を利用できる。
昼、国会記者クラブの会見室。
鷹取が記者に囲まれ、滑らかに答えていた。
「我々は決して移民政策そのものを否定するものではありません。
ただ、安全管理と情報共有の仕組みを整える必要がある」
質問が飛ぶ。
「今回の火災は制度の欠陥では?」
「それは関係省庁が調査中です」
鷹取は微笑を崩さず、完璧な角度でカメラを見た。
その姿をモニター越しに見つめながら、守谷は冷めたコーヒーを口にした。
——利用された。
その事実はわかっていた。
風を起こしたのは自分だ。
だが、火の向かう先を決めたのは、別の誰かだった。
夕方、議員会館の部屋に戻ると、白鳥が待っていた。
机の上に、資料の束。
「報道の反応です」
淡々とした声。
紙面の見出しには、あの言葉が躍っていた。
《悲劇を無駄にしない》
《制度改革の動きへ》
《守谷議員“再評価”の声も》
守谷は資料をめくり、笑いを漏らした。
「“再評価”か。ずいぶん便利な言葉だ」
「……先生、今日の議員総会に出るつもりですか?」
「出ない」
「出ないと、鷹取が“同調”を発表します」
「それでいい」
白鳥が声を荒げた。
「よくありません!」
彼女の声には珍しく感情が混じっていた。
「あなたが始めた風です!
鷹取がそれを奪って利用してる!
このまま黙っていれば、あの人が“正義”を名乗ることになる!」
守谷は立ち上がり、窓の外を見た。
夕暮れ。街のビルがオレンジに染まる。
ガラスの向こうで、人々の影が無数に動いている。
「沙紀」
「……はい」
「俺は、“正義”が欲しかったわけじゃない」
「じゃあ、何が欲しかったんですか」
「“現実”だ」
短い沈黙のあと、守谷は続けた。
「人が見ようとしない現実を、どうすれば見せられるか。
それだけを考えた。
その結果が、これだ」
白鳥は一歩、近づいた。
「あなたが信じた言葉、“死は最も速い説得である”。
それは間違ってます」
「なぜだ」
「“死”は説得じゃない。拒絶です。
誰も、死からは学ばない。
ただ、遠ざけて、忘れるだけです」
その言葉が胸に刺さった。
だが、反論できなかった。
自分が信じているものが、すでに“信仰”に近いと気づいていたからだ。
白鳥は小さく息をつき、声を落とした。
「……先生。止めましょう。
このままでは、あなたも、すべてを失います」
「もう何も持っていない」
「まだ、私がいます」
守谷は言葉を失った。
白鳥の目に、わずかな涙が光っていた。
その涙を見て、ようやく自分が“人間”だったことを思い出した。
だが、次の瞬間、机の上の電話が鳴った。
鷹取の秘書からだった。
《至急、明日の政策発表会に同席願いたい》
守谷は受話器を置いた。
「出るのですね」
白鳥の声が震える。
「出る」
「どうして……」
「俺の目で見ておく。
“風”がどこに向かうのか。
止めるなら、そこからだ」
白鳥は俯き、黙って頷いた。
外では街の灯が一つ、また一つと灯り始めていた。
ニュースのテロップが流れる。
《火災から一週間 世論、二分化の様相》
《与党内に波紋》
守谷は窓に映る自分の顔を見た。
かつての正義も、信念も、もうそこにはなかった。
ただ、一つの問いだけが残っていた。
——この国を動かすのは、言葉か、死か。
夜の街に、風が吹く。
その風が、どこで火になるのかは、まだ誰にもわからなかった。




