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灰の群衆  作者: 高槻清貴
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第2章 沈黙の議会(後半)

その日の夜、守谷は議員会館を早く出た。

外気は乾いて冷たく、吐く息が白い。

正門脇では小さなデモが続いている。プラカードの文字は強く、声はどこか疲れている。


彼は歩道の縁を踏み外さないように歩いた。

視線を落とすたび、アスファルトの微かな凹凸が足裏に伝わる。


背後から小走りの足音が近づき、白鳥が並んだ。


「今夜は、車を回せますが」


「いい。歩く」


「わかりました。少しお時間いただけますか」


 白鳥は言い、歩調を合わせた。


「先生、今日の削除の件ですが——」


「もういい」


「いいえ。放っておけば、次は“処分の前例”になります」


白鳥の声は低かった。


「それに、報道番組の出演依頼が来ています。

 “反省の弁を語るなら生放送で”という条件です」


 守谷は苦笑した。


「反省の弁、か」


「断りましょう。彼らが求めているのは形式です。

 言葉の意味ではない」


信号が赤に変わり、二人は角のコンビニ前で立ち止まった。

店先の弁当棚には、誰かが残した“半額”のシールが並んでいる。

白鳥が小さく息をつき、ぽつりと続けた。


「……息子さんの学校から、連絡があったそうです」


 守谷は首だけで振り返った。「いつ」


「昼過ぎ。晶子さん経由で。

 クラスメイトが、新聞の見出しをプリントして掲示したと」


信号が青に変わる。車の流れが動き、会話が一瞬、音に押し流された。


横断歩道を渡り終える頃、白鳥が言い直した。


「先生、私は——先生の言っている“現実”を認めています。

 ただ、道の選び方を変えないと、届く前に潰される」


「どう変える」


「感情に寄せる。“敵がいる”ではなく、

 “不具合がある”。対立図式を出さず、補修の手順だけを示す」


「それで動くのは、段取りを決める人だけだ」


「段取りを決める人が動けば、仕組みは手入れされます」


白鳥はまっすぐ前を見た。


「戦う言葉は、彼らの舞台では消されます。

 なら、戦わずに、歯車に入り込む方法を」


返す言葉はなかった。

俯いたまま歩いていると、足元のグレーチングから、地下鉄の熱気がふっと漏れた。

その温度のわずかな上昇が、逆に胸の奥をひやりとさせた。


「先に戻ります」


白鳥が立ち止まり、会釈した。


「明朝、資料を差し替えます。数字の並べ方だけでも、変わりますから」


「……頼む」


彼女が去っていく背中は小さく、しかし真っ直ぐだった。


ひとりになった。

人波は一定の速度で動き、誰もが自分の用事に向かっている。

街の灯りが歩道を斜めに切り、遠くから救急車のサイレンが低く近づき、また遠ざかる。


守谷はコートのポケットに手を入れ、指先で硬い封筒の感触を確かめた。

妻からの手紙。読まずに持ち出してしまった。


通りに出る。

夜の帝都は明るすぎるほどの光を放っていた。

街のあちこちに自分の顔が映っている。

大型ビジョン、ニュースのテロップ、SNSの速報。


《守谷議員、ヘイト発言で批判拡大》


無音の映像が、彼を“事件”として映し出していた。


歩道を歩きながら、守谷は人々の会話を耳にした。


「政治家なんて、どれも同じだよ」

「こういうのがいるから面倒になる」


誰も彼の名を知らず、誰も事情を知らない。

だが、軽く吐かれた言葉の刃だけは確かに彼の肌を切っていく。


信号が青に変わり、人の波が動いた。

守谷はその波に流されるように歩き出した。

目的地はない。

頭の中に残っているのは、議事録から削除された空白と、

議長の槌が落ちた音だけだった。


風の匂いが変わった。

紙とインクの匂いが混ざる。

ふと横を見ると、暗い路地の奥に、古い木の看板がぶら下がっていた。

 

「書肆 本城堂」。


掠れた文字が、街の光にかすかに照らされている。


守谷は立ち止まり、しばらくその灯を見つめた。

そして、何かに導かれるようにその路地へ入っていった。

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