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灰の群衆  作者: 高槻清貴
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第2章 沈黙の議会(前半)

翌週の議会は、最初から重たい空気に包まれていた。

守谷の座る列には、昨日までいた同僚の姿が一人消えている。

党の広報が言うには「一時的な入院」だそうだ。

理由は聞かない。

こういうとき、誰も本当の理由を言わない。


議場の壁際では、報道陣のカメラが静かに並んでいる。

フラッシュはない。だが、その無音のレンズが、かえって人の動きを鈍らせる。


守谷はマイクを見つめていた。

黒い円筒の中に、昨日の声がまだこびりついているような気がした。

その声を、今日もう一度吐き出せばどうなるか

——それを試したい気持ちと、もう一度潰される予感とが、胸の内でせめぎ合っていた。


「守谷議員、時間です」


 議長の声が響く。

 彼は立ち上がり、用意した資料を手にした。

 ざわめきが一瞬止む。


「先日の北区暴行事件について、

 警察の発表は依然として不明確です。

 被害者、加害者双方に——」


「その件は、すでに警察庁が対応中です。

 議題に沿ってください」


 議長の声が被せた。

 守谷はかすかに眉を寄せる。

 “沿ってください”という言葉が、言論を整列させる檻のように響いた。


「しかし、制度の不備を放置すれば、同様の事件は再び——」


「守谷議員、発言をお控えください。

 特定の集団を刺激する表現は避けてください」


議場に微かな笑いが走った。

誰かが机を叩き、隣の議員が小声で囁く。


「また始まった」


守谷は言葉を飲み込み、マイクから離れた。

胸の中に残った言葉が熱を持ち、どこにも行けずに燻っている。


議長が次の議員名を読み上げた瞬間、鷹取が滑らかに立ち上がる。


「私からも一言。この国が本当に必要としているのは、

 恐れではなく信頼です。

 現場で働く人々は皆、立派にこの国を支えています。

 問題を煽るより、共生の道を考えたいですね」


拍手が湧いた。

守谷の目の前で、白いハンカチが何枚も揺れている。

鷹取が穏やかな笑顔のまま一礼したとき、

守谷は初めて、自分の存在が完全に消されていくのを感じた。


会議が終わり、議員控室へ戻ると、白鳥が既に資料をまとめていた。


「削除要求が出ました。先ほどの発言、議事録から除外されるそうです」


「……除外?」


「“差別的意図を含む可能性がある”との判断です」


守谷は椅子に腰を下ろし、しばらく言葉を探した。

頭の奥で、誰かが“沈黙こそ安全”と囁いている。

その声が、他人のものか自分のものか判別できなかった。


「先生」


 白鳥が慎重に言葉を選ぶように続けた。


「ご自身の正義を貫きたいお気持ちはわかります。

 でも……世論の空気が違うんです。

 言葉が、違う意味で拡散される。だから、今日の発言は——」


「正しいことを言っても、届かないのか」


「届く前に、形を変えられてしまうんです」


守谷はうなずき、机の上に目を落とした。

白鳥が静かに退出する。扉の閉まる音が、やけに長く残った。


夕方、議員会館の廊下を歩いていると、廊下の壁に貼られた新聞の見出しが目に入った。


《守谷議員、発言削除処分》

《一部でヘイト的表現との批判も》


記事の下に、小さく鷹取のコメントが添えられている。


「議論の自由は大切だが、社会の信頼を損なう発言には慎重であるべきだ」


信頼。

守谷はその言葉を口の中で転がした。

誰のための信頼なのか。

社会の信頼か、党の信頼か、あるいは——沈黙を守る人々の信頼か。


夜、帰宅すると、別居中の妻・晶子から封筒が届いていた。

封を切ると、中には短い手紙と新聞の切り抜き。


《あなたのやり方は古い》という一文で始まり、《息子が学校でからかわれています》で終わっていた。


守谷はしばらく手紙を見つめ、机の上に置いた。

窓の外で、街灯が白く滲んでいる。

その光が、部屋の壁を淡く照らしては消える。

彼は椅子に深く座り込み、額を押さえた。


——言葉を失うとき、人は何で存在を証明するのか。


その問いが頭の中で繰り返される。

時計の針の音が、やけに大きく響いた。


翌朝、彼は新聞を手に取らずに出勤した。

議会の前で立ち止まり、記者たちの群れを横目に見ながら、小さく息を吐いた。

今日も議題は違う。議場も同じだ。

彼の机の上には、昨日の発言を削除した後の議事録が置かれている。

空白のページが一枚。


それが、最初にできた“沈黙”の形だった。

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