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灰の群衆  作者: 高槻清貴
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第8章 崩壊

雨は三日続いた。

季節外れの長雨が街を鈍い銀色に染め、

人々の足音を吸い取っていった。

だが、ネットの中では雨など関係なかった。


SNSのタイムラインには、

連日“現場映像”と称する動画が溢れていた。


《通訳への暴行》

《支援窓口の混乱》

《差別発言の現場》――

 

切り取られた数秒の断片が、無数の憤りと憎悪を伴って拡散していく。


誰が撮ったのか分からない。

どこまでが真実なのかも分からない。

だが、映像の力は言葉より速く、重かった。


「死は、最も速い説得である」

 ——それはもはや、思想ではなく感染症のようだった。


守谷は会館の執務室で、モニターを無音のまま見つめていた。

幾つものニュースが同時に流れる。

暴動。破壊。

通りに立つ警察車両。投げつけられるペットボトル。

画面の端に、燃える車。

画面越しに、帝都が形を失いつつあるのが分かった。


白鳥が部屋に飛び込んできた。


「先生、外が……もうデモの域を超えてます!」


「見れば分かる」


「このままじゃ、死人が出ます!」


「もう出ている」


短く答えたその声に、白鳥は凍りついた。


守谷の表情には、恐れも、怒りもなかった。

ただ、どこか遠いものを見るような、静かな目。


「止めるんです、先生」

 

白鳥は叫んだ。


「もう“説得”は終わってます! 今起きてるのは模倣です! 

 あなたの言葉を信じた人たちが、自分の正義で人を殴ってる!」


「俺の言葉じゃない」


「違いません!」


 白鳥の声が震える。


「“死は、最も速い説得である”――

 その言葉を広めたのは、あなたです!」


沈黙。

守谷はゆっくりと顔を上げた。

窓の外、灰色の雲の向こうで、

遠くに黒い煙が上がっている。


「俺は、ただ現実を見せたかった」


「それが現実ですよ!」


「……違う。これは現実じゃない。歪められた反応だ」


「反応も、現実の一部です!」


白鳥は机に両手をついた。


「お願いです、撤回してください。

 記者会見でも何でもいい。

 “死”を説得の手段にする考えは間違っていたって。

 今ならまだ、少しは……」


「遅い」


 守谷の声は低く、乾いていた。


「もう誰も、俺の言葉を聞かない。

 俺の声は、俺より速く走っている」


スマートフォンが震えた。


画面を開くと、匿名のアカウントが投稿していた。


《守谷議員の思想に共鳴する市民グループ声明文》


そこには、“灰色の群衆”を名乗る者たちの宣言が記されていた。


〈沈黙に報いるための行動を〉

〈死によって目を覚ませ〉


白鳥が画面を見て顔を強張らせた。

 

「先生……これ、あの本の名前……」


「知ってる」


「もう、あなたの考えを離れてます」


守谷は立ち上がり、ジャケットを取った。


「行く」


「どこへ」


「現場に」


「危険です!」


「俺が作った“風”だ。 最後まで見届ける」


外に出ると、雨は止んでいた。

空気が重く、街の匂いが焦げていた。

帝都中心部では、デモの列が乱れ、

警官隊の盾に石が当たる音が響いている。

誰もが叫び、誰もが撮っている。

その映像は、すぐに誰かの“真実”として拡散されるだろう。


通りの向こう側で、若い男がスプレー缶を掲げていた。


「灰色の群衆を見よ!」


壁に大きくスローガンを書きつける。


“死は、最も速い説得である”。


警官の一人が止めに入った。

揉み合い、転倒、そして鈍い音。

誰かが叫び、誰かが泣く。

血が、舗装を濡らす。

雨と区別のつかない赤が広がった。


白鳥が追いついた。

 

「先生、戻ってください!」

 

守谷はその場に立ち尽くしていた。

目の前の光景が、まるで予言の成就のように見えた。

それは偶然ではなく、論理の帰結。

思想の終着点。



「これが……“現実”だ」


守谷は呟いた。

白鳥は首を振る。

 

「違います。これは“終わり”です」


「いや、始まりだ。

 今やっと、人が目を開いた」


「目を開いたんじゃない。光を失ったんです!」


激しい叫びの中、警察車両のサイレンが鳴り響く。

空が赤く染まり、

スモークの煙が夜の街を包み込んだ。


守谷の耳に、何かが囁くように聞こえた。

“死は、最も速い説得である”。

あの古本屋の店主の声のようでもあり、

街全体の声のようでもあった。


白鳥が彼の腕を掴んだ。


「先生、もう十分です。

 あなたはまだ戻れる。

 止めることも、できる」


守谷は彼女を見つめた。

目の奥に、深い疲労と静かな光があった。


「戻れないよ、沙紀。

 風を止めるには、燃やすしかない」


その瞬間、遠くで爆発音が響いた。

炎の柱が夜空を貫いた。

悲鳴が上がり、誰かが走る。

どこかの建物が崩れる音がした。


 

白鳥が絶句した。


「……これが、あなたの“説得”ですか」


守谷は答えなかった。

ただ、炎に照らされた街を見つめていた。

赤い光が、瞳に映り込む。

静かに微笑んだようにも見えた。


——世論は変わらない。

——人の心は一瞬で変えられる。

——死は、最も速い説得である。


それが、帝都を覆う祈りのように繰り返されていた。

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