第5話 選択
悠真が次に目を開けた時、そこはどこまでも白い、光だけの空間だった。
床も壁も天井もなく、ただ柔らかな光に満たされている。
「こんにちはですぅ。私は女神アウローラ言いますぅ」
ふわり、と背後から優しい声がした。
振り返ると、そこに一人の女性が立っていた。純白の衣をまとい、長く緩やかな金の髪を持つ、穏やかな微笑みを浮かべた女性。人ならざる存在だと、一目で分かった。
「まずはサービスですぅ。頑張ったあなたに、プレゼントですよー」
女神と呼ぶべき存在が、ぽん、と軽く手を叩く。
その瞬間、悠真の体を蝕んでいた筋肉痛や疲労感が、嘘のようにすっと消え去った。まるで、何日も熟睡した後のような、最高の目覚めだった。
「すごい……! 体が、軽い……!」
「ふふっ。さて、悠真さん。今回の『異世界職業体験プログラム』、見事合格ですぅ。おめでとうございます」
女神アウローラはにこやかに告げた。
「つきましては、選択の時です。元の世界に、このまま帰りますか? それとも……」
悠真は迷わなかった。
あの薄暗い四畳半の部屋。先の見えない浪人生活。それに比べて、異世界での数日間はどうだっただろう。ゴブリンに殺されかけ、泥だらけでヘドロをさらい、無我夢中で夜の森を駆けた。
辛くて、苦しくて、情けなかった。けれど、確かに生きていた。誰かの役に立てた。
「俺は……あっちの世界に、残りたいです」
その答えを聞いて、女神は嬉しそうに頷いた。
「うーん、それじゃあ、合格祝いに二つだけ、特別な力を授けましょう。権能というものですぅ」
女神が指を鳴らすと、悠真の目の前に無数の光の文字が浮かび上がった。『火魔法』『剣術』『鑑定』『錬金術』――。物語で見るような、ありとあらゆる能力がそこにはあった。
(すごい……けど、俺に必要なのは……)
悠真の脳裏に、夜の森をひた走った記憶が蘇る。息が切れ、足がもつれ、何度も諦めそうになった。ドブさらいでも、すぐにへばってしまった。
(何をするにも、体力がなくちゃ話にならない)
悠真はまず、一つの権能を指差した。
『体力無尽蔵』
そして、もう一つ。
元の世界を完全に捨てるつもりはなかった。心配をかけている両親のことがある。それに、あの村にも、また行きたい。
『異世界』
それは、現実世界と異世界を自由に行き来できる能力。同時に、他の人も連れて行けるらしい。
「ふむふむ、分かりましたですぅ。では、その二つを授けますね」
女神が再び悠真に触れると、体の奥から温かい力が湧き上がってくるのを感じた。
「じゃあ、また会う日までー。そうだ、これからも『ありがとう』を集めていると、きっと良いことがありますよぉ」
女神の姿が、すぅっと光に溶けて消えていく。
光が消え、誰もいなくなった真っ白な空間で、悠真はほんの一瞬だけ立ち尽くした。
(これで、本当に終わったんだな……)
けれど、胸の奥に残った温もりが、不思議と怖さを消していた。
次に目を開けた時、そこは見慣れた自分の部屋だった。カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。
(本当に戻ったんだ……? 夢じゃないのか?)
机の上に散らばった受験参考書、壁で止まったままの時計。すべてがあの日のままなのに、どこか違って見える。景色は同じなのに、世界が違う。
悠真はゆっくりとベッドから起き上がった。体は信じられないほど軽く、力がみなぎっている。夢じゃなかった。
「よし、やるか!」
悠真はまず、足の踏み場もないほど散らかったゴミを、大きな袋に詰め始めた。
ガチャリ、と部屋のドアが開く。そこに立っていたのは、母親の恵子だった。
「おはよう、母さん。ちょっと部屋、片づけるよ」
「まあ、修一さん! 悠真が部屋の片付けをしてるわ! しかも、言葉遣いもしっかりして……! あっ、部屋からも出たわ!」
ゴミ袋を抱えて廊下に出た悠真を見て、恵子が夫を呼ぶ。その声を聞きつけ、父親の修一もパジャマ姿のまま駆けつけてきた。
恵子は涙ぐみながら、何度も「ありがとう」と呟いていた。
「おお、そうかそうか! ついにやる気になったんだな! よし、父さん、今日は奮発して寿司でも取るか!」
修一の笑顔は、どこかほっとしたようで、それでいて少し寂しそうでもあった。
やがて、出前の寿司が届く。
何年ぶりだろうか。親子三人で食卓を囲むのは。少し照れくさかったが、久しぶりに食べる寿司は、とてつもなく美味しかった。
その温かい空気の中、悠真は意を決して切り出した。
「父さん、母さん。俺、異世界へ行こうと思うんだ」
食卓の空気が、ピシリと凍りついた。
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