第3話 となり村の女戦士
悠真は夜の森をひた走っていた。
湿った空気が肺に張り付き、心臓が今にも張り裂けそうだ。足元の木の根に何度も躓きそうになりながら、それでも足を止めない。
「はぁっ……はぁっ……! マラソンなんて、中学生のとき以来だぞ……!」
独りごちる声も、荒い息に混じってかき消される。
背後から聞こえる、複数の足音と甲高い奇声。案の定、森のゴブリンたちに追いつかれてしまった。
止まれば待っているのは死だ。それだけではない。村で苦しんでいる少女の顔が脳裏をよぎる。
止まるわけにはいかなかった。
どれくらい走っただろうか。
必死に前へ進むうち、木々の隙間から、ぽつりと小さな灯りが見えた。村だ。
幸い、空を覆っていた雲は切れ、月明かりがうっすらと地面を照らしている。闇に慣れた目が、村の輪郭をなんとか捉えた。
悠真は最後の力を振り絞り、叫んだ。
「ゴブリンだーっ! たすけてくれーっ!」
その声に応えるように、村の方からカン、カン、カン! と甲高い警戒音が鳴り響く。見張り櫓から鐘でも鳴らしているのだろう。
やがて、村の入り口から一人の人影が松明を片手に駆けだしてくるのが見えた。
「アンタは村へ入ってな!」
凛とした女性の声。
すれ違いざま、ふわりと汗と土に混じって花のようないい香りがした。
悠真は言われた通り村の柵の内側へ転がり込み、後ろを振り返る。
そこに立っていたのは、悠真とさほど年の変わらないように見える女性だった。動きやすそうなズボンとチュニックの上に簡素な皮鎧をまとい、腰のベルトにはいくつかの瓶や小袋、そして一振りの剣を下げている。
「さあ、まずはご挨拶といくよ!」
女戦士はそう言うと、小袋から黒い石くれのようなものを取り出し、ゴブリンの群れの中心へと投げつけた。
石が地面に当たった瞬間、カッ! と目も眩むほどの閃光と、耳をつんざくような甲高い炸裂音が響き渡った。
ギャッ!? ギギッ!
突然の光と音に、ゴブリンたちが目を押さえてうろたえる。
女戦士はその隙を見逃さない。今度はベルトから油の入った瓶を抜き、松明で火をつけてから投げ放った。
「これでも食らいなっ!」
燃え盛る瓶は弧を描き、混乱するゴブリンたちの足元で砕け散る。炎の壁が生まれ、逃げ惑うゴブリンたちの退路を断ち、その醜い姿を煌々と照らし出した。
「視界確保! 敵、ゴブリン十匹! 大きいのが一匹混じり!」
女戦士が冷静に叫ぶと、村の中から複数の男たちが呼応した。
「うおおおおおっ!」
村の自警団らしき男たちが、槍を構えてゴブリンの群れに突っ込んでいく。完全に混乱状態に陥ったゴブリンたちは、なす術もなく討ち取られていった。
戦闘が終わり、悠真はふらつく足で女戦士のもとへ歩み寄った。
「あ、ありがとう、助かった。僕のいた村で急患がでて、それで医者を呼びに走ってきたんだ」
それを聞いた女戦士の表情が、険しいものから驚きの色に変わった。
「なんだって! ……アンタ、たった一人で、夜の森を抜けてきたのかい? その子のために?」
女戦士は悠真の泥だらけの姿と、息も絶え絶えな様子をじっと見つめた。その瞳から、先程までの戦士の鋭さが消え、感心したような色が浮かぶ。
悠真がこくりと頷くと、彼女はふっと表情を和らげた。
「……あんた、すごいな。なかなかできることじゃないよ」
そう言うと、女戦士は腰に下げていた水筒を外し、悠真に差し出した。
「ほら、水だ。飲みな」
「あ……ありがとう」
差し出された水を夢中で飲む。乾ききった喉に、水が染み渡っていく。その優しさが、疲弊しきった心にじんわりと響いた。
「よし! だれか! 先生を起こしてくれ! あたしが馬車を出す!」
テキパキと指示を出す彼女の声は、もう悠真に対する警戒心を一切含んでいなかった。
こうして、東の空が白み始める頃、一台の馬車が村を出発した。
御者席で手綱を握るのは、あの女戦士だ。荷台には薬や診療道具の入った鞄を抱えた中年の医者と、そして安堵と疲労から、がくりと船をこぐ悠真の姿があった。
そこからの記憶は、ひどく曖昧だった。
「とても面白い」★四つか五つを押してね!
「普通かなぁ?」★三つを押してね!
「あまりかな?」★一つか二つを押してね!
 




