第2話 筋肉痛からのドブさらい
翌朝、悠真は全身を襲う激痛で目を覚ました。
「いっ……つ……!」
昨日、無我夢中でゴブリンを叩きのめした代償らしい。普段まったく動かさない筋肉が、悲鳴を上げていた。特に腕と肩がひどく、起き上がるのさえ一苦労だ。
(情けない……ゴブリン一匹でこれかよ)
そんな悠真の様子を見て、家主であるエルナと名乗ったおばあさんは、呆れたように、それでいてどこか優しく微笑んだ。
「無理もないさね。あんたさん、見かけによらず力いっぱい振り回しておったからのう」
結局、悠真は言葉に甘え、エルナの家で世話になることになった。孫娘のリリアはまだ少し警戒しているようだったが、それでも悠真のために食事や寝床を用意してくれた。
そして、筋肉痛が少し和らいだ翌日。
村の男たちが何やら集まって準備をしているのを見かけ、悠真はエルナに尋ねた。
「あれは、何をしてるんですか?」
「ああ、今日は年に一度のドブさらいの日での。村中の水路を綺麗にするんじゃよ」
男たちの手には鍬やスコップが握られている。決して楽な作業ではないだろう。
この村に来てから、ただ世話になっているだけだ。何か手伝えないだろうか。そう思った悠真は、エルナに頼んで古いスコップを一本借り、男たちの輪に加わった。
「あんた、昨日のお人か。助かったぜ、エルナさんを助けてくれてありがとうな」
「いえ、礼には及びません」
「そうかい? ありがてぇよ。それより、ドブさらい手伝ってくれるのか? そりゃ助かる!」
村人たちは、見慣れない悠真を快く受け入れてくれた。
作業は想像以上に過酷だった。水路に溜まったヘドロは重く、ひどい臭いを放つ。慣れない肉体労働に、悠真はすぐに汗だくになった。
それでも、悠真は必死にスコップを動かした。村人たちと声を掛け合い、汗を流す。それは、引きこもっていた部屋の中では決して味わえない、不思議な充実感があった。
「兄ちゃん、そっちの土砂、こっちに運んでくれ! ありがとう!」
「助かるよ、ありがとうな!」
作業を終える頃には、悠真は村のあちこちで何度も「ありがとう」と言われていた。だが、心の中でカウントは一のまま、少しも増えていない。
(なるほど、こういう『ありがとう』じゃダメなのか。まだ一年あるし……いやいや、その先延ばしにする心が、ダメだったんだ)
悠真は小さく首を振る。この四年間の自分は、いつもそうだった。「明日からやろう」「まだ時間はある」。そうやって、何もかもを先延ばしにしてきた結果が、今の自分だ。
(変わらないと……)
泥だらけの自分の手を見つめ、固く決意した。
その日の夕暮れ、エルナの家へ戻ろうと村の広場を通りかかった時だった。一軒の家から、男の切羽詰まった叫び声が響き渡った。
「大変だ、うちの娘が熱を出した!」
その声に、村中が俄かに騒がしくなる。人々が家に駆け寄り、中から心配そうな声が漏れてくる。
悠真も人垣の隙間から中を覗くと、小さな女の子が苦しそうに荒い息をついていた。
(ただの熱じゃない……!)
素人目にも分かるほど、少女の容態は深刻だった。
なるほど、この村には医者がいないのか。だから、こんなにも大騒ぎになるのだ。
その瞬間、悠真はほとんど無意識に叫んでいた。
「僕が医者を連れてくるよ!」
シン、と広場が静まり返る。村人たちの視線が一斉に悠真に突き刺さった。
「となり村だぞ? いまからだと着くのは朝になる!」
「それに、夜の森は魔物もでるぞ!」
村人たちの言葉に、悠真はぐっと唇をかみしめた。怖い。正直、足がすくむ。昨日ゴブリン一匹で全身筋肉痛になった自分が、夜の森を越えられるとは思えない。
「でも、娘さんはどうなるんだ?」
悠真のその一言に、皆が押し黙ってしまった。
そうだ、怖いからと何もしなければ、あの子は死んでしまうかもしれない。それだけは、絶対に嫌だ。
「じゃ、行ってくる! この道をまっすぐでいいんだよな?」
悠真は村の入り口を指差した。
呆気にとられていた村人たちも、悠真の本気を悟ったのだろう。一人が慌てて道順を教えてくれる。
「ああ……頼む! この道をまっすぐ行って、最初の分岐を右だ!」
その言葉を背に、悠真は走り出していた。
もう、後戻りはしない。決めたんだ。
森への入口には、倒したゴブリンの血がまだ残っていた。
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